第二話 商談

「私を殺して欲しいのです」


 男は言った。

 第一印象。一言で言えばとても辛気臭い。

 二言で言えば、辛気臭く、とても暗い。

 俺はそう思った。


 それは彼の暗いファッションや、全体的な顔の造形から漂う雰囲気由来ではあるのだろうが、しかし、一番の原因はその伏せがちな目元だろう。

 とても暗く、黒い。

 まるでもう死んでいるかのような、濁った瞳。

 奥に、光はない。ただ悪戯に暗い空洞が続いているだけで先は見えない。

 それは何かに絶望した後か、あるいは最中か。

 まあ常人の精神状態でないことは確かだろう。


 なるほど。

 そんな風に改めて。

 外見的特徴を整理し、頷く。


「なるほど」


 そこで初めて、俺は彼の言葉を受け止め、咀嚼した。


「……なるほど」


 心の声を合わせれば合計で三回。

 その頻度から言えば、実際何も「なるほど」ではないし、未だ全く彼の言っていることを何一つ理解できていないけれど、しかし。

 それでも無理やり、声に出して自分の理解を促す。

 寝起き故か。

 未だ止まっている脳に酸素と言葉を意識する。動かそうとする。

 そんな俺の状態を察してか、先に双葉が動いた。声を出した。


「横からすいません。私、助手の二木双葉と申します」


「二木……?」

 

 当然の疑問。双葉は笑って頷いた。


「はい。お察しの通り、妹です。もう一緒に仕事をして長くなります」

 なので守秘義務についてもご安心ください。


「…………」

 

 まさか。

 家族というそんな不確かな事実だけで、彼の警戒心が解かれるわけもない。

 と、世間を悲観的に見る俺にとっては明かな愚策に思えた双葉の言。

 しかし実際、その事実は彼の心をほぐしたようで。


「そう」

 ですか。

 

 彼は小さくつぶやき、頷いた。いや俯いた。

 テンポよく、双葉は尋ねる。


「えっと……。失礼なのですが改めてお名前の確認です。確か、高橋さん……でしたよね?」


「はい」


「では、はい。高橋さん。私から一つ、聞いてもいいですか」


「はい」


「その理由。殺して欲しい、死にたい訳。それを私どもにお聞かせいただくことは……可能なのでしょうか?」


「はい」

 別に構いませんよ。


 会話はあくまで機械的に。事務的に。しかし意図的に。

 そう思ってしまうほどに短い返事を返し、高橋さんは頷いた。言う。


「一言で言えば、そうですね」


「一言で言えば?」


「お金です」


「ほう。お金。それはなんでしょう。借金とか?」


「ええまあ、そんなところですよ。詳しいところは……すいません。契約上言えませんが、えっと——」


 少し間を空け、考え込むように上を見る。そして言う。


「概算ですが……仮に、これからの人生全てを使って、毎日休みなく、死に物狂いで働いて働いて働いて、それでようやく返せるか、ぐらいな金額と考えてくれれば、それが近似値のお金ですかね」

 

 事実。

 揺るがない現実を語るよう無感情のまま、彼は語った。


 双葉は膝に手を当て、目を見つつ、頷きながら話を聞いている。

 少しだけ考えるようにした後、言葉を出した。


「それぐらいの借金ともなると、それはつまり——」


「はい、ご察しの通り事業です」

 

 表情は変わることなく、頷く。

 双葉は間を取りつつ、的確に尋ねていく。


「というと、何か会社をおやりに?」


「はい。小さな飲食店を、丸ごと潰しまして。その時に借り入れたり、仕入れた材料費なんかの金額で今、全く首が回らない状態なんですよ」

 

 視線がどこを向いているのかもわからない。

 まっすぐ俺を見ているようにも思えるし、また、双葉を見つめているようにも見える。

 とても不思議な目だった。

 相当気を張っているのだろう。双葉は再度問う。


「それまた、一体どうしてそうなったんですか? 普通、銀行からの借入だって、それほどの額はできないはずでしょう?」


「元々商社の人間でして。社会的信用は高い方だったんですよ。それでも昔からの夢、みたいなものでして。会社勤めで稼ぎ、コツコツと勤め貯めた二十年。それで飲食店を開いたんです」


「夢、ですか」


「端的にいってしまえば、目標ですけどね。当然、失敗しないようもちろん綿密な事業計画を立てましたし、もっと現実味をつけた計画でした。知り合いのコンサルタントに何度も相談しましたし、貯蓄だけでなく、銀行からの融資も相当量取り付けました」


「ご家族は? 反対しなかったんですか?」


「されましたよ。最初はとても難色でした。でも、恋人の時から夢のことは話していましたから。最後に娘も家内も、皆協力してくれました」


 そこで初めて。そこで高橋さんは笑みを見せる。

 しかしその笑顔に、自嘲が深く入っていることは、彼自身を含め、皆わかっていた。


「その甲斐あって……ですかね。お店もプライベートもとてもうまくいってたんです。年収は今までの数十倍になりましたし、娘も問題なく私立大学まで行きました。妻も時々お店を手伝ってくれましたから。夫婦の時間がなくなることもありませんでした」


 思い出すように。高橋さんは目を細め右上を見る。


「雑誌に掲載されたり、テレビに紹介されたり、芸能人が食べにきたり——それはそれはとても充実してました。最終的には、暖簾分けのお話も来たぐらいに経営もうまく行ってました。……ああ、もちろん全国なんてたいそうなものではなく、市内レベルの話ですよ」


「十分すごいじゃないですか。なんともご立派な。普通できませんよ。……ですよね?」


「…………」

 

 俺は相槌を求めてきた双葉を無視して彼を見、観察を続ける。続きを促す。

 それに反応したのかは知らないが、高橋さんは少し笑った。


「ええ、まあ多分。自分で言うのもなんですが、凄いほう……なんだとは思います」 


「すごい、と言うよりはもうご立派に成功ですよ。テレビの取材なんてなかなかされることではありませんから」


「……はい、ありがとうございます」

 

 笑みはない。言われ慣れていること故、と言うわけでもない。

 ただ単純、言葉が脳に届いていないだけに思えた。

 双葉も、何かを察したのだろう。そこで黙った。


「褒めていただきありがとうございます。でもまあ……はい。全部、昔の話ですから」


 高橋さんは、最後。それだけ消え入るように言って。

 そしてまた、深く目元を濁し、黙った。


 ……まあ。

 これ以上は言わずともわかる。

 その後の顛末。今に至った顛末。

 自分を——殺してほしい理由。

 双葉が引き出してくれたこれだけの情報で、もし俺がわからなければ、詐欺師どころか商売の一つも満足にできないだろう。

 だからそう。

 別にここで彼女は黙っても支障はなかった。


 が、しかしカウンセラーという職業柄だろう。

 意を決したように小さく息を吐いて双葉は尋ねる。

 ストレスとともに、セリフを吐き出させようと双葉は尋ねる。


 「それで。どうしたんです?」と。


 あくまで自分の口から、自主的に。

 語らせようとする。

 感慨もなく、感情もなく、また、特に迷惑そうにすることもなく、高橋さんは答えた。


「そうですね……はい」

 色々、ありましたよ。


 それから。

 淡々と高橋さんは語った。言った。

 

 雑誌など存在していなかったこと。

 テレビなど、本当は来ていなかったこと。

 あんな芸能人など実在していなかったこと。

 それら全てが全部反社会的組織だったこと。

 暖簾分けの話が詐欺であったこと。

 ネットの口コミから、最終的に閉店まで追い込まれたこと。


 一切合切、変わらないままの口調で高橋さんは正面の俺を見る。

 その瞳は俺を見ているようで、実際は何も見ていない。それぐらい暗かった。


「もちろん、全部が全部、反社のせいとか、詐欺のせいとか……あるいは自分の運のせいとか。別にそう言うことは思っていません。全部、私の判断や知見、警戒心が足らなかった故のことですから」


 強がりではなく、あくまで揺るがない事実としての見解。

 そんな風に高橋さんは言った、ように聞こえた。


 そして、ですが——と、彼は続ける。俺と、双葉を交互に見て言う。


「私にはまだ……子供も妻もいます。学費だって払い終えていません。老後の費用だって、持ち家だってありません。だから……せめて。せめて今日まで私を支えてくれた彼女たちにはお金で迷惑はかけたくないのです」


 セリフと同時。出されたのは数枚の紙の束。

 そのフォントやフォーマット、数字の記載などは全てバラバラで、統一感はかけている。

 しかし、それでも。

 共通しているワード、記載内容は一つあった。

 双葉がうちの一つを手に取る。


「……保険」


 小声で呟いた。

 具体的に言えば生命保険。

 定番といえば定番。


 ……まあ、そうだろうな。

 話の流れ上、これでわからない方がどうかしている。

 あまりに使い古された依頼で。種だ。

 自分を殺して欲しいと言う依頼は久しぶりだが、その全ては、だいたいこう言った話につながる。

 金につながる。

 別に珍しくもなんともない。

 むしろそうでなくては、信用できない。

 金が最も大事な俺にとっては特に。


 そして、俺は言う。

 眠気が覚め、頭が動き、口が動くようになった俺は言う。


 口元を両の手で隠し、問いかけた。


「それで……私に、自分を殺して欲しいと?」


「はい」


「手段の希望は? 絞殺とか薬殺とか」


「別になんでも。お任せします」


「場所は?」


「娘に見つからなければ、どこでも」


「娘?」


「少し、音信不通気味でして。その所在確保もご依頼したいと思ってます」

 そのまま私の死に遭遇しないように手配していただけるとありがたいです。

 

 と。

 結構なレベルのことを、また淡々と世紀なく述べた彼に、しかし俺も同じぐらいに淡々と。


「わかりました、お任せください」

 

 と、同意を返し、言葉を返し、返事を返し、


「では、最後に一つ——」

 いいですか?


 と疑問を口にする。

 

「高橋さん。あなたは、どうしてここに来たのですか?」

 

 ここに。

 この部屋に。

 依頼しに。

 どうしてきたのか。

 

 新しい住居な上、依頼人を受け入れる準備などしていなかったこの拠点。

 当然、知る人はとても少ない。

 事実、今日が初めての依頼で、だからこそ、その流失元は捉えておきたかった。


 そして彼は。

 少しだけ悩んだように見せた後、しかしすぐにいつもの調子に戻って言う。


「そういうことを頼める場所だと、聞いたので、来ました」


「誰からでしょう?」


「すいません。答えられません」


「…………」


 重ねて質問にすぐの即答。

 目はまっすぐ、俺を見ている。最後の答えに少しの引っ掛かりを持った。


 ……答えられない、ね。

 

 それはもはや答えているようなものだと思うけれど。


 第一、こんな悪趣味な依頼を流す輩は珍しい。

 珍しい故にだからこそ。

 特定の候補は何人か出る。その筆頭は榊原のやつだったが、しかし奴は今、俺に依頼を投げている。


 この短期間、部下一人に悪戯な量のタスクを振るのは、彼女らしくない。……じゃあでは一体誰だ。

 そこで思考を一旦止める。冷静を努める。


 ……いや待て。そうだ。下手な画策はやめよう。今は商談に集中するべきだ。


 そう思い直し、前の紙を数枚手にとる。その総金額を確認。概算を出すため、算盤を弾く。

 その間、高橋さんは言った。


「こんな身の上です。前金はわずかですが、それでも、成功報酬はそれなりに出せます」


「…………」


 言う通り、確かに。

 しっかり確認しているのだろう。数枚目を通した限り、どの書類にも


 自殺は……ともかく。

 他殺に関しては、間違いなくその金額は降りる。


 そういう意味で


「なるほど」


 出したその声は、先に出した「なるほど」とは全く異なる意味を含んでいる。


 それはつまり。

 真の意味での、同意。

 納得という、意味。


「わかりました」


 それは理解。と言う了承。まあ要は——成立。


「報酬は、あなたの借金と、娘さんの学費を差し引いた全額で構いません。具体的な日取りは後で。おそらく一週間ほどを見込んでくれればそれが近いとは思いますが、詳細は追ってお伝えます。その後の処理や適当な犯人のキャスティングはこちらで。キャンセル料は決行日直前二日前までであれば半額。それ以降は全額となります」


 最後、その顔を覗き見、俺は尋ねる。


「それで、いいですね」


 ゆっくり、自分の手を前に出す。

 誘うように餌のように。

 それは間違いなく魚を釣り上げるための餌でしかないが、しかしその魚が了承していると言うなら、それを止める人もいるまい。

 高橋さんは迷いなく、頷きを返す。そして、俺の手を握った。


「——はい。それでぜひ、よろしくお願いします」 

 俺はその手を強く握り返した。


「では……確かに」

 私が、あなたを殺します。

 

 それを言って。言い切って。

 その時、今日初めて。

 まるで心の底から安心したかのように。

 高橋さんの目元から一瞬、深い暗闇が、晴れた気がした。

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