今日から詐欺師は、妹として、双子二人を飼うことになりました。

西井ゆん

第一話 起床

 俺はネクタイが好きじゃない。

 自分がするのも、人のを見るのも、好きじゃない。

 言ってしまえばそれはただの長い紐でしかない。

 長い紐で、ありふれた紐で、よく見る代物で。

 しかしそれでも、紐なのだ。


 リールとしては、十分で。

 人を縛るには満足いく長さで。

 人を殺すのにすら、事足りる紐なのだ。

 

 ネクタイは人から自由を奪える。

 ネクタイは人を奴隷にできる。

 ネクタイは従順の証明になる。 


 だからだろうか。


 何か、社会から与えられたようなその首輪を見るたび。

 あるいは、それをつけるたび。


 俺はいささか以上の気持ち悪さを抱いてしまう。

 吐き気を催してしまう。

 

 だから俺はネクタイが嫌いだ。

 嫌いだし、装着が苦手だ。


 だからこそ、俺はこんな職についているのだろう。

 ネクタイのつけなくていいような、仕事をしているのだろう。


 今日まで、まともでない仕事をしているのだろう。

 まともに仕事をしてこなかったのだろう。


 そんな心底どうでもいいことを考えつつ、思いつつ、言い訳を封じて、嫌がる体を無理に動かす。鏡の前へ。

 もう朝だ、さあ起きよう。


「……よし」


 一つ息を入れ替え呼吸を出す。ワイシャツのボタンを閉じた。ベルトを締め、前を見る。

 そこには当然、自分の姿。

 鏡に映った自分の姿。


「……」


 基本的に整っている顔……そんな自覚はある。


 自分の容姿も客観視できないようではもはや詐欺師として三流もいいところ。

 だからこそ、その評価は正しく持つべきだし、ここで謙遜を挟む理由もない。

 ただ、そんな職業意識とは別に、ある種ありふれた要望として、俺だって、自分の容姿に対する注文を抱くことぐらいある。

 つまり自分の顔に対し願望はある。

 この顔。

 鏡に写るこの顔。


 確かに女性受けはするこの顔は職業上、都合はとてもいい。


 だが、しかし年下ばかりに受けがいいのはなんとかしたいものである。


 悪い星のせいか、親戚を筆頭に年下の女子に振り回されることの多い人生。


 もう少し、都合を聞かせてくれてもよかったのではないかと思う。


 ロリコンと間違われて得する時代でもない。

 まだ熟女好きの方が幾分もマシだろう。

 年上であれば金もあるし時間もある。

 何より、余裕がある分金はよく落ちるし、だから儲かる。

 来世はもう少し、年上に好まれたいものだ。


「…………」


 なんて非現実な妄想に終始するのは起きたての証拠だろう。

 

 鏡に写る自分が見つめ返してくる。

 髪のセットはまだなので、所々に寝癖は見えるものの、それを除けば特におかしさは無い。

 服装に関しても、問題もない。無意識でここまで着替えられれば上々だろう。


 ……さて、今日はこのスーツで行くとしようか。


「ご主人様」


「ん」

 

「本日のネクタイはいかがなさいますか?」


「そうだな」


「こちらは」


「いや今日は赤だ。もう決めてる」


「赤ですか」


「疲れてるからな。少しでも気分を上げたい」


「なるほど。ご英断です」


「だろ」


「ですが、ご主人様。差し出がましくも意見を許してください」


「なんだ」


「だからこそ、きっと今日はこちらの方がよろしいかと」


「……?」


 手触りの良さそうなシルクの質感に、柔らかな緑。

 所々に見えるチェックの柄はとても特徴的で落ち着きと同時、呼吸を一つ思い出させてくれる。

 その息と一緒に疲れが少しだけ出て行った気がした。

 なるほど、確かに。

 差し出されたそのネクタイは、とても今の気分に合っていた。

 覚えのないそれを手に取る。やはり手に馴染み、とても感覚が気持ちいい。

 うん。今日はこれにしよう。


「なあ」


「はい」


「俺、こんなの持っていたか?」


「私が買っておきました」


「まじか」


「昨日のお礼です」


「そうか」

 

 だったら受け取らないわけにもいくまい。

 苦手なネクタイだ。せめて色ではモチベーションを上げたい。

 それにただでくれると言うなら、もらっておくに越したことはないだろう。

 ここはありがたく頂戴するべきだろう。

 そして、俺は頷きを返し、その緑を受け取った。


「ではご主人様」


「なんだ」


「襟元をお上げください」


「なんで」


「着けますので」


「ああ、そっか」


「はい。よしなに」


「ん」


 されるがまま、襟を立て、温かな手の侵入を許す。


「……いや、ちょっと待て」


 手を止め、頭を留め、視線を留める。

 ついで、伸びてきたその手を掴んだ。


 目の前。そこにはメイドがいた。

 とても、大変、心底嫌なことに、もう随分と見慣れてしまった、そんなメイドが一匹いた。

 反射的に声が出る。


「おい」


「なんでしょう」


「お前、ここで何してる」


「お着替えを手伝ってます」


「頼んでない」


「頼まれてませんし」


「…………」


「…………」


「というか、どうしてここにいる。どうやってここに入った」

 

 寝る時は必ず鍵を閉める。

 こいつらと言う気の許せない同居人をもってからの俺の習慣だった。

 もうかれこれその生活も一週間になる。

 閉め忘れと言う線は薄かった。

 

「愚問です」 


 一つだけ答え、相変わらず感情の起伏が薄いままに彼女は言った。

 

「主人がいるところにメイドがいるのは当然です」


「…………」


「だから、朝まで、そこにいました」


「そこ?」


「そこです」


 指し示す場所。

 ベッド下。

 つまり床。

 だから、要は……えーっと。


「すまん」


「なんでしょう」


「全く意味が分からないんだが」


「質問には答えました」 


「わからないのは答えじゃない」

 もっと根本的で倫理的な部分だ。


 と。

 そんな無駄な反論はしない。 

 まるで、こちらが良識を弁えていない、みたいな。

 そんな表情。相変わらずの無表情が帰ってくるのは目に見えている。

 だから無視して、俺は鏡に向き直った。


 横目で見る。

 三葉は一例だけを残し、俺から離れてベッドの元へ。


 そのまま、そのシーツを触る。伸ばす。

 手に持つあれは、スチームアイロンだろうか。

 見慣れない鉄の塊がみるみるそのシワを取っていった。


 なるほど。

 ここ一週間、やたらとベッドの寝心地がいいワケだ。

 そして、どうやらこいつがベッド下に潜んでいた理由も判明した。

 出掛けの時、必ず自室の鍵を閉める俺である。

 まさか鍵を破壊してまで部屋を掃除するわけにもいくまい。

 故にそのため。

 だからそれ故。

 この一週間。毎日。欠かさず。

 彼女は俺の就寝時、ベッド下に潜んでいたのだろう。

 俺に気取らせず、気づかせず。

 息を潜んで潜っていたのだろう。


 まあ確かに。

 居候、妹とはいえ、普通にありがたい。

 少しは感謝を覚える——わけもない。


「相変わらず頭おかしいのな、お前」


 感想一つ。

 感謝とは別、相当量のストレスが膨れ上がるばかり。

 なんだそのちょっとした恐怖体験。

 その怪談、持ちネタにできるレベルで怖いんだが。


 もちろん、そんな感情だって表に出すようなことはしない。

 しないまま、ただそんなモヤモヤは絶えず抱えつつ、気にしつつ、鏡の中から彼女を見る。

 同時、ネクタイの色を合わせてみた。

 むかつくことに、確かに緑のそれは大変よくフィットして、とても映えている。


「おい、三葉」


「はい」


「ちょっと確認したいことがある」


「はい、なんでしょう」

 

 作業の手は止めず、応答の声ははっきり返す。

 俺は続けた。


「まず一つ、ここは俺の部屋だ」


「はい」


「お前の部屋は別にある」


「はい」


「……じゃあ、お前がこの部屋で寝るのはおかしいよな?」


「いいえ、おかしくありません」


「なんで」


「私に部屋があることと、ご主人様の部屋を掃除すること。それは全く別のことです」


 三葉は続ける。


「私はメイドです。妹である前に、居候である前に、ご主人様のメイドです。故に、住う家の掃除、剰え、その主人の部屋の掃除は必須で最優先事項です」


「……言いたいことはわかるけども」

 いや、理解は一ミリだってできていないけれど。


「はい」


「だからって、俺に頼むとか、合鍵をもらうとか、別の方法はあるだろ。普通、ベッド下に潜むか?」


「最良な判断かと」


「なんで」


「ご主人様は秘密主義者です」


「別に主義はないけどな」


「私が掃除のために合鍵を所望したり、部屋への侵入を打診した際、お断りになると思われます」


「まあ、そうかもな」


「だから、私にはベッド下しか選択肢はありませんでした」


「違う、そこがおかしい」


 首を振る。

 ダメだ。こいつとまともな議論をする方が疲れる。

 話題を変えよう。戦場を変えよう。話題の方向を変えよう。


「……お前らの部屋は別に用意してやった。寝るならその部屋を使え。もったいない」


 三部屋も個室のある家。当然高く財布に響いた。もう記憶にも通帳にも、一生残る記録。


 その証拠、もう俺の貯金残高は雀の涙程度しか残っていないのはいうまでもない。 

 まあだからこそ、俺は今日もこんな朝っぱらから仕事に駆り出されているわけなのだが。 


「なんでそっちにいない。掃除なら自分の部屋を好きなだけすればいい。てかこっちくんな」


「それは主人としてのご命令ですか? それとも兄としてのご命令ですか?」


「俺はお前の主人じゃない」


「ではそのご命令はお受けできません。妹はあくまでメイドとして、ご主人様のためになる責務を果たしているだけです」

 故に、主人としての命令でなければ、お聞きできません。

 

 丁寧にスカートの裾を上げて頭を下げる。


「妹としての妹と、メイドとしての妹はまったくの別物ですから」


「…………」

 

 なんだこいつ。

 という感想は今更すぎる。

 もう十分頭がおかしいやついうことは知っている。

 それを改めて突きつけられたとて、特に何も思うまい。

 思うことはないが、ただしかし。

 俺は確かめる意味も込め、三葉に言う。もう一度言う。


「わかった、聞き方を変える」


 メイド云々の理屈はともかくとして、わざわざ家を用意したこちら側としては、その部屋の一つがまともに活用されていないことには普通に業腹だ。

 俺は基本的にどんなことでも許す菩薩ではあるが、何事にも例外はある。そしてもちろんそれは金だ。


「お前らの部屋、一つ辺りいくらか知ってるな」


「知ってます」


「いくらだ」


 そして実際。

 面白くもなく、その通りの額を言った。

 なんなら俺よりも性格にその額を言い当てて見せた。


「お金の管理も当然メイドの仕事ですから」


「すごいなメイド」


「えへん」

 

 もう少し頬をあげるとかしてくれれば可愛げがあるものを。

 全く無感情のままに言われても、ままごとにすらならない。

 三葉は続ける。


「ご主人様がおっしゃりたいことは理解できてます。つまり、自室で休息を取らないのであれば、その部屋を貸与している分、経済的損失につながると言う意味ですね」


「難しく言えばそうだな」

 簡単に言えば、「部屋返せ」ってところだが。

 

「では、これも問題もありません。確かにこの家に来てから妹は、あの部屋で休息は取っていませんが、しかしあの部屋で日常は過ごしています。プライベートの時間は過ごしています」


「そうなのか?」


「ゲームをしています」


「……へえ」


「ゲーム実況をしてます」


「…………」


 聞かなかったことにしよう。


「それに、夜半だって問題ありません」


 ベッドメイキングは終わったらしい。一息もつくことなく、変わらない無表情のまま、二木双葉はこちらを向いた。


「妹の代わりに、姉がしっかり、私の部屋を活用してくれてますから」


「…………」


 そこで一体なにをしているか、なにが行われているのかは、あえて聞くことはなかった。


「それよりも。そんなことよりもです。ご主人様」


 二木三葉は時計に指を向ける。そして言った。


「もう、お時間数分前ですよ。私などのことは放っておいて、お仕事に向かわれたらどうでしょうか?」



 下に降りると、大きな部屋。リビング兼、仕事部屋。

 茶色のイージーチェアが一つ。それを緩い「コ」の字で囲むようソファとアームチェアとそしてまた一つ大きなソファがある。

 その真ん中。アームチェア席に二木双葉はいた。

 椅子に深々と座り、優雅にコーヒーを片手。新聞を読み込んでいる。

 その様子から察すると、今日、胸躍る記事はなかったようだった。


「遅いわよ」


「悪い」 


「後二分なんだけど」


「もう五分かかる」


「喧嘩売ってる?」


「別に」

 

 それでも、最後。

 いってらっしゃいと、わざわざ手を振って送ってくれたあたり、どうやら今日の来賓対応は任されてくれるらしい。相変わらず優秀な助手、いや妹だ。

 俺はまだ新築の香り残るその扉を押し開け、洗面台に立つ。改めて、鏡の自分を見た。


「…………」


 ネクタイが緩い。さっき三葉と無駄な会話を挟んだからだろう。

 あるいは、変に無駄な思考を挟んでいたからかも。

 それとも……俺の苦手を察して二木三葉が緩めてくれていたのだろうか。

 だとしたら、本当に優秀なメイドだろう。

 不法侵入を許したくなってくる。絶対に許さないが。


 まあ。

 その気遣いがあったにしろ、なかったにしろ。

 どちらにしろ、杞憂で。

 俺もいい年。もう大人で。

 嫌いなものでも、我慢はできる年齢で。

 ピーマンは食べれるようになったし、ホラー映画も一人で見れるわけだ。

 

 だから一つ。

 息と覚悟を決め、今日も俺は、その社会の首輪を下に引っ張り締め上げた。

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