第37話 天使

人知れず天使が地上に降り立った。

地上にいれば他の子供たちと一見何も変わらない。だけれど、子供たちはその異質な感じに敏感に気づいた。そして、からかいだすと、彼は思わず言った。

「ぼく、飛べるよ」

強がりではなかった。彼は生まれながらに天使、空を飛ぶことは何も特別なことではなかった。ただ、実際に飛ぶのを人に見せたことはない。地上に降り立ってから、空を飛ぶのは初めてだった。

「じゃあ、見せてみろよ」

子供たちのリーダー格に男の子が言うと、周りの子もはやし立てた。

彼は了承した。

リーダー格の子の家は高層マンションの一番上の階の部屋だった。エレベーターに乗っている間、周りの子はすごいすごいと感心の声を上げた。彼はすごいとは思わなかった。人が高いマンションに住むことのすごさがよくわからなかったのだ。

「ここから屋上のテラスに行けるんだぜ」

彼の部屋の横の階段から上がると、屋上のテラスへのドアがある。危険、関係者以外立ち入り禁止、と書いてあるが、子供たちは無視する。ドアを開けると、強い風が吹いて、大きな音がした。

リーダー格の子はこの場所に来るのは慣れているらしく、端のフェンスを乗り越えて、ぎりぎりのところまで行ってしまった。強い風が吹く中、そんなにぎりぎりのところに行くのは危ないと周りの子供たちは思ったので、フェンスの前で不安げに見つめるだけだ。

「怖いのかよ」

リーダー格の子は笑った。だが、他の子供たちが怖がる中、彼だけはすたすたとリーダー格の子に近づいた。その表情は何も変わらない。

「飛ぶよ」

ぴょんと軽く跳ねると、そこから下へ落ちていった。子供たちには見えない翼で羽ばたいて、浮かび上がり、また、子供たちの前に現れた。

「君も来なよ」

リーダー格の子に向かって、何ともなしに言い放った。彼は手を伸ばした。リーダー格の子は何を思ったか、そこからぴょんと跳ねて落ちた。彼の手を掴むことはできずに、あっという間に落ちた。リーダー格の子だったか、安全なところで見ていた子供たちだったか、誰かの叫び声が響いた。

鈍い音がして、子供だった何かが弾け飛んだ。


「…人間って飛べないのか。不便だな」

ここにはいないほうがいいような気がする、そう思って、天使は高く飛び立ってその場を離れた。空飛ぶ彼の姿は誰も見ることはなかった。


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眠れない夜の百物語 糸井翼 @sname

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