女神「湖に落としたのは金の貴方ですか? それとも銀の貴方ですか?」

邪道ムーン

第1話 「母さん、俺旅立とうと思う」

「俺、この村を出て旅をしようと思う」


 こじんまりとした小さな家の中で、数種類の野菜と少しの肉が入ったシチューを食べながら茶色の髪を短く切り揃えた、背は同年代と比べれば高いが太った青年、アイザックは自身の母親にそう話を切り出していた。


「そうなの……やっぱりイリーナちゃんのこと?」

「うん……剣聖になったイリーナが勇者様とくっついたって話は、凄い悲しいけどしょうがないかって何とか納得したけど、ここは彼女との思い出が多すぎてさ、居るのはちょっと辛いんだ」


 結婚の約束をしていた幼馴染みのイリーナは、二年ほど前に神託により勇者が召喚され、剣聖に選ばれた。そして勇者と共に魔王討伐の旅に出たのだった。

 時折届く手紙からは、過酷な旅だというのがよくわかった。


 強大で凶悪な魔物、暗躍する邪神官。はたまた救いを求める力無き村人たち。

 命を落とすような大怪我をした。助けに間に合わず壊滅した街を前に涙が溢れ、止まらなかった。


 そんなイリーナに、勇者は横に並び共に戦い、悲しい時は寄り添い慰めてくれたという。


 手紙にはそんなことが綴られていた。


 そりゃ、惚れるのも仕方がないとアイザックは思った。しかも勇者は容姿も優れているらしい。

 強く優しくそれでいてハンサム。

 強くもなく魔力もろくに使えない、太ったアイザックとは真反対の人間だ。


 手紙の最後に、そんな勇者の事を好きになったので結婚の約束は無かった事にしてくださいと書かれていた。それからはイリーナからの手紙は届かなくなった。


 三日三晩、アイザックは泣き通した。

 特に取り柄も無い、弱く太ったアイザック。

 周りの村人からは馬鹿にされていても、イリーナは優しいアイザックが好きだと言ってくれていた。


 何とか心では納得し諦めたが、畑仕事をしようと外に出れば何かの拍子にイリーナとの思い出が甦る。

 あっ、ここはイリーナと一緒に草むしりをしたな。あそこの木陰で食べた林檎は美味しかったなと、色んな思い出が溢れてくる。何処もかしこも思い出だらけだった。


 感情が諦めを許さないが如く、また涙を流してしまう。


 アイザックは思った。ここに居ると何時まで経っても前に進めない、一度旅に出てイリーナの事をしっかりと諦めようと。

 母親には何て告げようかと幾日も悩んだのだった。


「そう……ここに居るのが辛いなら旅に出るのも良いかもね」


 母親はそうアイザックに言葉を返した。


「反対しないの?」

「しないわよ。アイザックももう十七才、立派な大人だもの。そりゃ、悪い人に騙されないかとか、争うのが好きじゃないアイザックが旅に出て大丈夫なのか、お母さん心配だけれども」


 眉を悲しげに下げ話す母親は一転してからかうように、


「犬に追いかけられても自分で何とかしないといけないのよ、出来る?」


 と、少し笑いながら言った。


「それは小さい頃の話だよ。いくらこんな俺だからって、ゴブリン位なら倒せるんだからね」


 苦笑しつつボョンと腹を叩いて反論する。


「旅に出るならそうね……あれを渡した方が良いかな……」


 そう言いった母親が少し席を立ち、見慣れぬ短剣を手に戻って来る。


「これはねアイザック、お父さんが私にくれた短剣なの」


 アイザックは驚きを隠せなかった。

 母親は今まで頑なに父親の事を話そうとしなかったのだ。


「今までアイザックには黙っていたけどお父さんは貴族なの。お母さんはその家に奉公に出ててね、それでお父さんと会ったのよ」

「貴族……」

「そう、貴族。奉公に出た家の子だったお父さんと恋に落ちちゃったんだけど、アイザックを身籠った事で奥様が怒ってね、追い出されちゃったの」

「いやいや、ざっくばらんに言わないでよ、恥ずかしい。っていうか奥様? お父さん結婚してるの?」

「あっ、違う違う。奥様はお父さんのお母さんの事だよ。アイザックからするとお祖母さんね。もう、そんな事は今は良いの。これから旅に出るなら、もしかするとお父さんに会えるかも知れないでしょ? 持っていくと良いわ」

「いや、別に俺は会いたいとも思わないんだけど」


 今更だとアイザックは思った。小さなこの村では、皆が家族の様なものだったから父親が居なくてもそんなに寂しくは無かったのだ。


 そんなサプライズなプレゼントを貰った数日後、アイザックは生まれ育った村から旅立った。


 村から街に出ようとすると、山をぐるっと迂回する街道を使うか、もしくは山を越えるかだ。

 当然、山越えをする方が街には早く着く。勾配は少々きついが危険な魔物は居ない為、村人が街に行く時は、行きは山越え、帰りは買い込んだ荷物が重ければ街道を通って帰って来ていた。


 アイザックも当然ながら山越えルートを選ぶ。太った身体に鞭入れながら山を登って行く。

 着替えやちょっとした旅の道具を入れた背負い袋が地味に肩に食い込んで痛い。

 そんな痛みも新鮮だな、これも旅の醍醐味かと思いながら汗かき足を進めて居ると、大地が口を開けたような地割れを見つけた。


「うわっ、こんなとこに地割れが有るなんて聞いた事が無いぞ。こないだの地震の所為なのかなぁ」


 先日、この国では珍しく地震が起きた。

 魔王が復活した所為だろうかと村では噂されていたが、本当の事は誰にも分からない。ただ、こんな所に影響が有ったとはアイザックも驚いた。


「うわぁ~、深いな、真っ暗で底が見えないや」


 地割れに近付き、興味津々で覗き込んで見るアイザック。

 底は見えず、声が少し反響するのでかなり深いと考えられた。


「これは誤って落ちたら洒落にならないな。まぁ、かなり見つけやすいし落ちる奴も居ないか……ってうわぁぁっっ!」


 覗き込んでいたその時、足元が急に崩れた。

 哀れアイザックは地割れに飲み込まれる様に転がり落ちてしまうのだった。


「うがっ! ぐっっ、あぐっ!! っっだっ!!」


 あちこち体をぶつけながら転がり落ちる。痛みの拍子に言葉に成らない声が漏れてしまう。

 段々と意識が薄れる中、ザパーンと音を立て水面に叩きつけられた。


「うぶぶぶっ、うぐっ、げぼっ! げほっげほ!!」


 水中に潜り込み、思わず水を飲み込んだことではっきりした意識を取り戻す。

 もがきながら何とか水面に出ると、がむしゃらに泳ぐ。すると偶然にも岸に辿り着く事が出来た。


「げほっげほっごほっ! な、何とか助かった……びっくりした~。あれっ? 何か明るい」


 岸に上がり、咳き込みながらも安堵するアイザック。

 辺りを見渡すと何故かうっすらと壁が明るいのに気付く。


「鉱石か何かが光ってるのか?」


 世の中には光る鉱石が有ると聞いたことが有る。その類いなのかと思考していたら、水面が遊び踊る様に波打ち、水柱が立った。


「え? 何?? 何が起きてるの?? え? 人? 誰??」


 丁度、人の身長程の高さだった水柱が人の形を取りだし、今まで見た事も無いような綺麗な女の人になった。スーっと水面を滑る様に音も無く近付いて来る。


「貴方が落としたのは絶倫バリカタのガチマッチョガンガン系金髪の貴方?」

「は?」

「それともテクニカルマシマシの細マッチョインテリ系銀髪の貴方?」

「え?」


 アイザックは混乱した。


 突然現れた女性が言うことが理解出来ない。いや、その前にこの女性が水面に立っている事も理解出来ないし、水柱が女性になった事も。そして、女性の言葉と共に差し出した右手の先に金髪のイケメンが、次いで左手の先に銀髪のイケメンが現れた事にも。

 理解出来ない事だらけだった。


「あのぅ~……」

「はいっ何でしょう?」

「貴女は一体……」

「私はこの地底湖を見守る、いにしえの神の一柱。安寧と静寂を司る湖の女神セレス」


 混乱しつつアイザックが訊ねると、女性は自身を神だと名乗った。


「湖の女神セレス……様ですか……」

「はい、そうなのです。それでどちらですか?」

「何がですか?」

「貴方が落としたのは金髪の貴方? 銀髪の貴方?」


 落とすも何も、両方とも自分とは比較してはいけない程のイケメンである。太った自分とは偉い違いだなとアイザックは思い、自身の体を見るが何故か太い芋虫の様な手をかざした筈なのに見えなかった。

 足元を見ると足も無い。湖面を覗いたらそこには人魂がプカリと映っていた。


「えぇぇ~、人魂ぁぅっ!」

「そうです。貴方は今、肉体から離れ、魂のみの状態なのですよ」

「ええ? 俺死んじゃったんですか?」

「いえ、死んでいません。で、どちらの貴方ですか?」

「どちらも何も、俺はのんびりでぶっちょ系のポヨポヨ茶髪の俺なんですけど」


 金髪のイケメンは外ハネのワイルドな長髪で、筋肉がムキムキである。目元が少し吊り上がり気味で攻撃的な印象を受ける。

 対して銀髪は、緩やかな癖毛を七三に分けた短髪で、すらりとスマートである。目元は少し垂れ気味で優しげな印象だった。


 いやいや、どちらの貴方と言われてもやっぱこれ俺じゃ無いよと思うが、銀髪の方はどこか母親に似ている感じを受けた。


「どちらでも無いと貴方は仰るのですか?」

「そりゃそうですよ。大体俺は茶髪だし、こんな痩せたイケメンじゃないですし」


 答えるアイザックを女神は黙って見つめていた。

 無表情でじっと見られる事にアイザックが居心地を悪く感じ始めた頃、女神は笑顔を浮かべてアイザックにこう告げた。


「なんて正直な方なのでしょう。貴方には二つを合わせた金銀メッシュの遠近物理魔法何でもござれ、バリカタマシマシ系の貴方を授けましょう♡ イケイケですね♡」


 満面の笑顔で女神が手を合わせる。

 それに連動して金髪と銀髪のイケメンが一つに重なり、ツーブロックで前髪が左右でアシンメトリーにカットされた金髪に銀髪が差し色としてメッシュしている、ほど良いマッチョが現れた。当然イケメンである。


「金髪の貴方は父親の容姿に、銀髪の貴方は、母親の容姿に少し寄せて有りましたが、メッシュな貴方は本来の貴方の容姿そのものです」

「いやいや、俺こんなイケメンじゃないですよ」

「いえいえ、痩せれば貴方はこの容姿になるのですよ」

「といいますか、俺どんなに頑張っても今まで痩せる事が出来なかったんですよね。」


 アイザックは赤子の頃から太っていた。

 母親はそんなアイザックをコロコロしていてかわいいと好んでいたが、思春期を迎えた頃にアイザックは痩せようと頑張った。

 何故ならイリーナがとても可愛かったからだ。

 少しでも釣り合いが取れる様にアイザックは努力したが、その努力が報われる事は無かった。


「それはアイザック、貴方の元の体の所為なのです。貴方は魔力循環不全症候群という生まれついての病気を持っていました。魔力が体内でうまく循環せず、滞留してしまう事で貴方は太り、しかも魔力をちゃんと使うことが出来なかったのです」

「そんな病気が……全然魔法が使えなくて、俺には魔力がろくに無いんだと思ってた」

「逆ですね。有り過ぎて困った事になっていたのですよ。さぁ、そろそろお入りなさい」


 女神がそう言った途端、メッシュのイケメンが目前から姿を消した。


「え? あっ……」


 アイザックは自分が生まれ変わったかの様な気分になる。

 力がみなぎる。体の中を何かが走り回るのを感じる。ぐるぐると循環している。これが魔力なのかと初めて感知した事に感動を覚える。知らず知らずの内に笑みが溢れていた。


「凄い……これが魔力なのか」

「新たな肉体と循環し始めた魔力。貴方の歩んできた軌跡とこれから紡ぐ未来。今此度神の祝福をアイザックに授けん!」


 神の祝福。それは十五才を迎える春に教会で行われる儀式。

 それにより人は自分に合った職業やスキル、またはギフトを得る事が出来る。イリーナが剣聖の職業になったのもこの儀式の時である。


「祝福は十五の時に受けてますが……」

「有る意味、本来の力を取り戻した様なものです。魂と肉体、才能と努力。全て揃って初めて祝福を受けられるのですよ。以前のはノーカンです。それに今一度と言いましたでしょう?」

「それに司祭様からでは無く、女神様から直接なんて、光栄過ぎるというか何というか」

「良いのです。これもまた運命なのです」

「あっ、そうだすいません、もう一度今の姿を確認したいのですが……」


 女神に頼むと湖面から表面を鏡の様にツルツルに仕上げた水柱を立ち上げた。


「う~ん、言われてみると頬と顎に肉をたっぷりつけて首を見えなくしたら自分に見えなくも無いか。あっ、メッシュといっても金と銀だからそんなに目立たないな。うわっ、良く見ると金眼銀眼のオッドアイじゃん、これは恥ずかしい、盛り過ぎですよ。それに前の眼の色は好きだったんですけど」

「仕様です♡」

「いや、何とかなりませんか?」

「前の眼の色と言うと琥珀色でしたか? 仕方有りませんね、普段はその色に致しましょう」

「普段はですか?」

「はい、必要な時はオッドアイになります」

「派手過ぎて恥ずかしいんですけど」

「仕様ですので諦めて下さい。さぁ、そろそろお別れの時です」


 そう言うとアイザックの姿が薄れて行くのだった。



 気が付くと地割れの前にアイザックは佇んでいた。


「あれ? 夢? いや違う、あれは本当に有ったんだ。体に流れる魔力も感じるし、大地や空に感じるこれは魔力? いや、魔素か」


 人のみならず、生物は魔素を吸収して体内で魔力を生みだすと言われている。

 魔素と魔力の違いは学の無いアイザックには分からない。


「うわぁ、服がブカブカだ。ズボンがズリ落ちそうだ」


 慌ててズボンの紐を目一杯絞める。街に着いたら服を買わないといけないと考えると、所持金が少ないことに辟易するアイザックであった。



◇◇◇◇おまけ◇◇◇◇


「そういえば湖の周りが明るいのは光る鉱石とかがやっぱり有ったりするの?」

「光りたもれ~」

「うわぁ、光る鉱石デラックスぅ~」


「っていうか元の体とか女神さま言っちゃってるよね」

「……、貴方の落としたのは金の短剣? 銀の短剣?」

「誤魔化し始めた(笑)パパんの短剣は普通の短剣になるのかな?」

「ファイナルアンサー? …………ミスリルが含有してたので銀の短剣扱いになります。不正解なので没シュートです残念ん~」

「返せ(笑)」

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