第4話

「なぁ、お前のバイト先、新しいバイト募集してねーの?」

「してるわけないだろ、ただでさえ客が来ないってのに」


 半ば独り言のように吐き捨てながら、冬まで工事をしていた新装の道を踏み締める。左右に列をなす桜は、まだ堅そうな蕾を閉じていた。

 ちなみに僕らは部室棟に向かっている。あまりの騒がしさに(十中八九ミヤのせいだが)仕方なく図書館を出ることにしたのだが、友人Aは軽く10分は同じ話題で粘り続けているので騒がしさレベルはむしろ増した。


 学内は新入生歓迎の上りだのチラシだのを準備する学生たちで賑やかだ。

 そういえば二週間後には入試期間が始まる。期間中は立ち入りが制限されるので、今のうちに色々済ませてしまおうという魂胆だろう。

 次年度は新設サークルがいくつかあり、各々おのおのメンバー募集の苛烈な競争に身を投じているらしい。……というのは誰かさんお得意の完全趣味の広報活動による成果である。おかげでこの手の情報には困らない。


「白い鳥が常に隣にいる気分だ」

「青地のやつな」


 当の本人は楽しげに笑った。


 ガラス張りの学食館前を横切り、旧校舎をリノベーションしたコンクリートの直方体にたどり着く。部室棟は2棟あるのだが、これはそのうちの小規模和気藹々わきあいあい系サークルを集めた方の建物である。

 いつ見ても豆腐にところどころ窓をつけたようにしか見えない。

 薄目で3階建の白壁を見上げると、横からミヤが思いついたようにポンと手を叩いた。


「あ、じゃあもしお前が急に行けなくなったらさ、俺を代理に立ててくれよ」

「……まだその話するのか」

「いいじゃねーか、俺らの仲だろ?」


 流石にめんどくさくなってきて、「わかったわかった」と諦めたように返す。

 飛び跳ねるミヤを放置して今どき珍しく手動の両開き戸を片側だけ押し開け、僕は薄暗い廊下をさっさと進んだ。

 その辺に積まれた段ボールが埃を被って押し黙る。方々から数人ずつの話し声が小さく響き、それでも静かな旧校舎は相変わらず時代に取り残されたような空気と湿った木の匂いを漂わせていた。

 一階の廊下を端まで歩いて現代文化研究会という名のオタサーの部室を曲がった先の階段に足をかけたところで、ようやくミヤが追いついてきた。


「おま、ちょ、置いてくなよ」


 そう言って軽く息を切らせている。

 僕はそんなミヤに小さく笑いながら、「ほら行くぞ」と首を振った。


 二階を占拠する唯一の部。それが僕らが所属する『学内奉仕活動部』だ。通称『雑研ざっけん』。決して雑なわけではなく、雑用研究会という意味であるが、雑用を研究する会とは一体何なのか、とは誰も言及しない。


 階段を上った正面にある引き戸の横に、刑事ドラマの特捜のタイトルみたいな縦長の紙が部名をでかでかと掲げて貼ってある。模造紙を切り貼りしたそれは巻きぐせがついたままで、よく見ると右下のテープが取れかかっている。

 踊り場の南向きの窓から差し込む日光の筋は今日も眩しくて、踵を返して引き戸を引いた。


「お疲れ様です」

「おつでーす」


 挨拶と共に足を踏み入れる。すぐ後からミヤも部屋に入り、暗がりの中にいた人影が動いた。


「……って暗っ!電気つけましょーよ、俺せっかくこの前電球変えたのに」


 ミヤがそう言うとカチッとドア横のスイッチを押す音がして部室の全貌が現れる。

 振り返ると、ショートボブ眼鏡がミヤと僕を見ていた。


「……お疲れ」

「っうお、先輩、いたんすね」


 慌てて飛び退くミヤを尻目に、彼女は肩からずり落ちたブカブカのパーカーを引っ張り上げると僕とミヤの間をすり抜けて部室の奥に向かった。

 後ろで引き戸が閉じる音がする。ミヤの「最後に入った人が閉めるべきだろ」とかなんとか言う声が小さく聞こえたが、大して何も思わなかった。


「お疲れ様です。全員集合するなんて珍しいですね」


 僕は愛想笑いを浮かべながら、背負っていたリュックサックをその辺の机に適当に置いた。同時に埃が舞い上がる。

 ……後ではたこう。


「そうだね、召集もかけてないんだけどね。まあそれだけここが居心地いいってことなのかもね」


 和やかな笑顔でそう言う天パの彼は雑研部長である。


「あそうだ奏音かのんちゃん、」

「……だから下の名前で呼ぶな馬鹿」


 即座に容赦ない毒舌で切り返すショートボブ眼鏡は副部長だ。二人とも三年生で、いつもこんなだがなんだかんだ言って仲はいい。


「あはは、ごめんごめん。でもせっかく可愛い名前だし、奏音ちゃんに似合ってると思うよ」

「――――ッ!よ、余計なお世話だ!!」


 顔を真っ赤にする副部長。……他所でやれ。


「……他所でやれ」


 ミヤも同意見らしい。

 髪も頭もふわふわな部長は周りのことは一切気にせずに再び口を開いた。


「とにかく、丁度みんな揃ってるからさ。僕らも新歓についてちょっとは考えなきゃと思ってね。だから奏音ちゃんには、今年もポスター作ってほしいなって。あとは新歓でやる内容は例年通りでいくのかも話し合いたいし、……あ、今年度の活動内容もまとめなきゃか」

「普通そういうのってもうちょっと早くやりません?」


 バッサリ言い過ぎだミヤ。お前はオブラートに包む方法を知らないのか。


「まあそうなんだけどね。気づいたら2月になっちゃってた」


 後輩の無礼を意にも介さず、部長はからりと言った。


「ありがたいことに雑研はコピー機とかすぐ使えるからね。ヤマさんの許可も下りてるし、原本ができ次第印刷させてもらおう」


 ヤマさんとは、総務課の職員の赤石さんという若い女性のことである。なぜヤマさんと呼ばれているかというと、旧姓が山なんとかさんだったからだ。ちゃんと覚えていないのは決して覚える気がなかったわけではなく、単にヤマさんと呼びすぎて他の部分を忘れてしまっただけである。

 雑研は総務課の雑用も承ることが多く、その分職員とも交流がある。特にヤマさんは仕事仲間といった感じで、昨年入籍した時も雑研メンバーでお祝いの品を贈らせていただいたほど仲がいい。コピー機の使用許可も下りているレベルだ。

 そもそも雑研はサークルの形をとってはいるが、実質総務課の学生部門のようなものである。部費徴収などはなく、総務課などに労働を提供することで還元されている。コピー機もまさにそれで、プリントなどをコピーする労力の代わりにコピーさせてもらっているのだ。部室にも家庭用のコピー機はあるが、これは前の前の部長の置き土産のオンボロで100部も刷れるほど優秀ではない。


「それじゃあ今日も雑用しますか」

「今日はなんすか……あ、資源ごみまとめっすか?」

「ミヤ君正解!ハサミとすずらんテープ、準備できたら行こうか」

「総務課、あたしたちをこき使いすぎじゃない?」

「真中先輩、それ言ったらダメなやつっす」


 僕は今日も自由な雑研の会話を耳に、小さく笑った。

 

 

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イト 雨森葉結 @itiimuna_1167

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