回答編
犯行声明が出てから数日。未だあの老人以外の犠牲者は出てはいないが、犯人も捕まっていなかった。しかし佐川の口から出た答えに巡査は口をぽっかり開けた。
「自殺ですか?」
「うん。犯人というか被疑者の老人はどうも不要不急の外出をしている人間には合致しない。仮に犯人の声明文がフェイクで殺人自体が目的だとしても、事件現場の小屋は老人の散策ルートから明らかに外れているし、なにより老人を自宅から連れ出すことなど自殺行為だからな」
自殺行為という言葉に巡査は首をかしげる。それはそうだろう、老人一人連れ出すなど大したことはないはず、それを自殺行為と形容するのは疑問に思うだろう。
「これを併せれば動機もわかるだろう。保健所から取り寄せてきた」
佐川が取り出したのは赤で『機密』と印字された封筒で、既に中身は開いている。その中身を一枚取り出して巡査に渡した。
「コロナ感染者ですか」
「軽症のな。保健所から自宅療養を勧められたそうだ。たしかこの町で感染者は」
「未だゼロでした」
「老人の趣味はタバコと散歩。その両方がコロナで奪われ、十分感染には気を付けていたのに道中もしくはスーパーか公園で移された。他にも無症状患者がこの町いるだろうが判明しているのは自分だけ。自宅に出られないだけでなく、社会的に遠ざけられる。感染者だから近づくな、寂しい生活に余計拍車がかかる」
「けど、基本的に保健所から個人情報が漏れることはないからそんなことは」
「君のような人間がいるからだろう。毎日散歩している孤独な老人の日課が突然として欠落すると普通だったら事件か病気かだろう。だが今流行りのコロナ騒動。多くの人はコロナにかかったと真っ先に疑うだろうね。十分気を付けていたのに偶然感染し、あげく周囲から穢れ者のように避けられる。しかも最初の感染者とくる。老人の心中は怒りに染まっていただろう。だから老人は、恨みを込めて犯行文を送り付た後自殺を図った。こういうあらすじだ」
佐川の言葉に、巡査は引きつった。親切心から近隣住民の情報を把握することそれ自体は間違いではない。だが情報が必ずしもただしく使われる保証はないのだから。
「しかしどうして現場を見ないで自殺だとわかったんですか」
「まあ、一番にひっかかったのは犯行声明文だね。自分たちは対象外。コロナ感染者というなら「自分たちは関係ない」とか「かかっていない」が普通だ。この対象外というのは非常事態宣言のことを指すのではないかな。自分たちはまだ安全圏だと線引きしている人間=対象外というね。非常事態宣言が全国に発令されるだろうという報道はほぼ当日。老人はそれよりも前に亡くなったから非常事態宣言が全国に出ると知ることはできなかった」
スマホを起動すると、ニュースには非常事態宣言での行動特集が組まれていた。ほんの数日で大量の情報が出回る。それでも老人は非常事態宣言の情報を得ることがないまま自ら命を絶った。
「ただ、あくまで推測だからね。状況がそうであるから真実であるとは限らない。あとは死亡推定時刻と被疑者の刺さり方としての不自然さと、地面に刃物一本は入れる穴が見つかればアタリだろうが。まあ一番なのは、非常事態宣言が出たことによる訂正文が来ないだが」
推理を一通り述べたタイミングで、鑑識課の人間が佐川を呼んだ。引きつった様に横に真一文字に結んだ感じ。犯行通りの殺しならこんな表情はしないだろう。
部屋を後にして鑑識課へ案内されると、喫煙室が目に入った。
「ちょっとタバコを一本だけ吸わせてくれないかな」
「ええ、どうぞ。おそらく急ぎの用ではないので」
会釈して誰もいない空っぽの喫煙室に入り、死んだ老人と同じ銘柄のタバコに火をつけた。
どうやら当たったようだな。犯人がいないということで住民は安堵するだろうが、老人の心中とコロナ騒動を考慮するならあのままのほうがこの非常事態には一番よかったかもしれない。
老人があの日携帯灰皿を持っていないかったのは、ある種の抵抗だったのだろう。最後ぐらいは好きに吸わせてほしいという願望とマナーを守っても意味がないという。
ふぅーっと煙を口から出して暇な喫煙室に仕事を与える。まだ昼の二時過ぎ。通常の時間なら喫煙室にタバコ休憩にいく人間が何人かいるのだが、ここに人が通る気配はない。灰皿を見ても、吸い殻の一つもない。
そしてそれを埋めるように、わずかな灰が銀の皿の中に零れ落ちる。
「早く収まってほしいものだな。おちおちタバコも咳もできないこの非常事態はひどく息苦しい」
ソーシャルディスタンス(社会的距離)殺人事件 チクチクネズミ @tikutikumouse
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