第二十話 宰相はやっぱり追放されます

 大陸全土を統一し、古の魔王さえも破ったグラニテ帝国は全土で歓喜に包まれた。帝都でも属州でも様々なお祝いが行われ、人々は魔物に襲われない未来がやってくることを喜んだ。そんな幸せに溢れた帝国なかで一人、不幸な人間がいた。グラニテ帝国の元宰相アクセル・ノアイユである。


 彼はこれまで数々の功績を立てた。魔王軍の四天王の多くを打ち破り、失われた魔法を現在に蘇らせ、帝都を魔物から救ったりもした。帝国はその業績から彼を勇者と認めて魔王討伐に送り出したが、彼は宰相の器であっても勇者ではなかった。彼は任務の失敗後、帝都に送り返されていた。


 八文字髭を偉そうに伸ばした皇帝が何とも言えない表情で集まった貴族や官僚、そして元宰相を見つめる。


「このたび、そなたに命じた魔王討伐は東部戦線の抜群の働きによって失敗することになった。だが、結果として魔王は討伐され、残された魔族もわずかに残った魔王四天王が率いる形で属国になることになった。ここにいたるまでの経緯の中でそなたが果たした功績は大きく、わしとしては再び帝国宰相として」


 皇帝が勝手に何かを話しだしたので、嫌味ったらしくかつ優雅に舌打ちを響かせた。戦勝によって緩んでいた帝宮の空気が真冬のように凍えるのを見て私は満足に口角を緩めた。


「……再び帝国宰相として任に当たって欲しい、と思っていたのが、そなたを越える魔王討伐の功績を打ち立てた新たな宰相がそなたの登用に異議を唱えるので、この件は臣下による自由な討議を行い決めて欲しい」


 皇帝はこちらの顔色を伺うようにちらちらとこちらの顔を見るので、私――グラニテ帝国宰相アンナ・ド・ヴァランタンは目を細めて優しい微笑みを向けた。皇帝は見てはいけないものでも見たように頬の筋肉をこわばらせて視線を反らせると、貴族たちに発言を求めた。


 貴族たちは元宰相を気の毒そうに見て、次に威厳だけで口を動かそうとしない皇帝を腫れもののように眺めてから、華麗で知性に富んだ私を伏せ目がちにうかがうと黙り込んだ。しばらくの沈黙のあと、一緒に魔王を討伐した仲間であるベイクド子爵とポタージュ男爵が全身におった傷をかばうように前に出てきた。


「や、まことに新宰相閣下がおっしゃることはごもっともでございます。元宰相は与えられた任務を果たせず帰還したのは由々しき問題です」

「まったくです。それに対して新宰相閣下の功績の大きさは比類なきものであり、帝国宰相に最もふさわしいと申せましょう」


 追従丸出しの発言に私は暖かい視線を送ると魔王との戦いで足を痛めていたポタージュがたじろいだ拍子に床に倒れ込む。


「大丈夫ですか? あなたたちも戦いでの傷がまだ癒えていないでしょうに無理をしていけませんよ」


 優しい私に感じ入ったのか二人の貴族は頭を深く下に向けたまま群臣の影へとさがっていった。それからしばらく発言を待ったが、誰も一言も発しないので私は決を採ることにした。


「で、決を取りましょう。元宰相に厳罰を与えることに反対する者は声を上げよ。賛同する者は沈黙を守るが良い」


 決はでた。私は人々がいるとは思えないほど静かな広間を進むと、床に膝をつく元宰相の前に立った。


「元上司にこのようなことを言う日がくるとは悲しくてたまりません」

「そうかな? 前にも君から追放の沙汰を聞いた気がするけどね」

「そうでしたか? しかし、あれは貴族たちが決めたことをご連絡しただけです」

「そういう君は貴族だったのじゃなかったかい?」

「貴族? いいえ、違います。私は大貴族です。間違えないでいただきたいものです」


 私がかぶりを左右に振ると元宰相は呆れたように微笑んだ。考えてみれば彼のこういう表情を見るのも久しぶりな気がする。それを懐かしいと思うべきか。残念がるべきか私は少しだけ悩んだ。


「私から見れば一緒だけどね」

「すべてが民である、とでもいう気ですよね」

「ああ、貴族も大貴族も庶民もすべてが私には民だよ」

「例外があった気がしますけど、処罰される元宰相にはどうでもいいことですね。では申し上げます」


 私が言葉を区切ると、観念したように元宰相が真面目な顔でこちらを見た。どことなく私と鼻筋が似ている気がした。


「清聴しよう」

「元宰相アクセル・ノアイユ。魔王討伐の失敗により絞首刑」


 貴族から官僚、そして皇帝までもがざわめいた。


「と、言いたいところですが数々の功績を鑑みて命を免じる。だが、今後一切の公職につくことを禁ずる」

「それってつまり?」

「元宰相は公職から追放されました」


 これで彼が再び宰相になることはない。


「……これは困ったやることがない」


 宰相にはろくな趣味がない。これからの人生はそれをみつけることになるだろう。


「そうおっしゃると思っておりました。私としても元上司を何もなくたたき出すことに抵抗もあります。つきましては次の職場の説明をします」


 ひどくマヌケな表情で私の言葉を聞いた元宰相は緊張感のない声で返事をした。


「え、あ、うん」

「元宰相には私のお父様に戻っていただきます。よろしいですか?」


 私が言うと元宰相はなんとも照れくさそうに頭を掻いた。


「わかったよ」

「大変なお仕事ですよ。なんといっても十数年分のお仕事が残っております。ただ猫でも抱いて好好としていればいいというものではありません。お分かりですか?」


 念を押すとお父様はわかったのかわかってないのか曖昧な表情で「頑張るよ」と言った。


「では、さっそく新しい職場へ行きましょう」


 床に膝をついたままのお父様を引き起こして広間から出ようと踏み出したときだった。官僚たちの中から数本の天井に向かって手が伸びた。私は不機嫌に「なにか?」と応じるとかつて先輩であった書記官が言った。


「宰相の許可を頂きたい書類が溜まっております。御前会議後は執務室で稟議の決済をお願いいたします」


 先輩書記官が言い終えると、別の書記官が声を上げる。


「外交部としても新たな属国となった魔族首長国との細かい法律などの制定をせねばいけませんので法律案の検討会を予定しています」


 その言葉に反応して多くの書記官が口々に騒ぎ立てる。


「いや待てよ。今回の戦争での戦費決済もあるんだ。宰相にはさきに財務の決済をしてもらわねばならん」

「ちょっと! これまで魔王との戦いでおざなりにされていた庶民への教育問題のほうが先だ。拡大した帝国を支えるためにはさらに優れた人材が必要なんだ」

「皆さん待ってください。それなら戦争からの復興政策が先だ」


 書記たちは私を囲むと会議の順番を争い始めた。身動きを取れずにいると貴族たちのなかから見慣れた姿が現れるとお父様の手を取ってこちらを見て微笑んだ。


「あら、忙しそうねぇ。でも宰相サマになったのだからちゃんとお仕事はしないといけないわ」

「お母様!?」

「この人があなたのお父様に戻るということは、私にとっては旦那に戻るということでしょ? だからちゃんと家に連れて帰ってあげるわね。マジョリカも喜ぶでしょうし嬉しいわぁ」


 屈託なく微笑む彼女に私はやられた、と思った。


「あっ、ずるい!」


 私の言葉など聞こえないのか彼女はお父様の手を引いて歩いていく。お父様は申し訳なさそうな顔でこちらを振り返っていたが、その姿は書記官たちの奥に消えてしまい見えなくなった。私は苛立ちをため息に変えて吹き出すと叫んだ。


「黙れ!」


 がちゃがちゃとつかみ合っていた官僚たちが動きを止めて私に視線を注ぐ。


「まずは財務から話を聞きます。その間に次の部署を決めておきなさい。財務会議が終わるまでに決まっていなかったらその部署の長は給料の返上を覚悟しておきなさい」


 言い放って私は執務室に向かって歩き始めると官僚たちが整然と並んで付いてくる。まったく変なところで律儀な連中である。お父様の件は業腹であるが今回は許そう。なぜなら、これからお父様はちゃんと家にいるのだ。帰れば会うことはできるのだ。永遠に別れたわけでも、会いに来てくれないわけでもないのだ。


 だから、いまはさっさと仕事を片付けてしまうとしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宰相は追放されました。つきましては次の職場の説明をします。 コーチャー @blacktea

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ