第十九話 宰相は魔王と戦います
暗闇から足音が聞こえる。
冥府の底にいるような重苦しい魔王城であってもその足取りは平素と変わらず、怯えも気取った様子もみられない。勇敢なものだ。勇者と呼ばれる人間はそうでなくてはならない。最後の扉の前で足取りが止まる。少しの間をあけてどこよりも立派な大扉が開いた。
白銀の鎧に光り輝く盾と剣を携えた勇者は壇上に座るこちらを見上げる。勇者の顔が見える。若く生命力に溢れた若者であれば絵になったであろうが、残念なことに勇者はどこかくたびれた印象の中年男性だった。
「はははっ、よくぞここまでたどり着いたな、勇者よ。だが、貴様の幸運もここまでよ」
勇者は暗闇の奥から響き渡る声にひるむことなく、こちらを見据えると驚愕に顔を引きつらせた。
その驚き、恐怖こそが私――一等書記官アンナ・ド・ヴァランタンの愉悦にほかならないというのに実に滑稽なことである。
「……えっ? どうして」
「この魔王の姿を見て怖気づいたか、勇者よ」
「いや、君は魔王じゃないよね」
「おかしいですね。魔王を倒してからずっと魔王の真似を特訓してきたのですけどどうしてわかったんですか?」
自分で言うのもなんだが、かなり魔王に迫っていたはずなのにこんなすぐバレるというのは遺憾である。
「いや、官服で顔も隠さないでどうしてバレないって思うの?」
「私からにじみ出る魔王の気配でいけると思ったのですけど?」
私は魔王が座っていた玉座から立つと魔王城に隠してあったどことなく禍々しくかっこいい槍を杖のようについて壇上から一歩一歩と降りていく。槍の石づきが床を叩くたびに鋭い音が広間に響き渡る。
「……しかし、君は東部戦線にいるはずじゃ?」
首をかしげる宰相に私はため息混じりに言う。
「東部戦線は正規軍から近衛まで動員して中央から強引に蹂躙しました。そのために私は完璧な予定を立てて軍隊と兵站を連動させ、攻勢から三日で魔王城は陥落したのです」
「え、じゃー……私は?」
「ご苦労様でした」
私は槍を持っていない手を可愛らしく振ると宰相は目を丸くして驚いていたが、しばらくすると私を指差して「……魔王を倒したって君が?」と訊ねた。
「ええ、そうです。私の指導のもと勇者とおなじ権能を持った人間を手足のように使って勝ちました」
皇帝は勇者が持っていたとされる能力を発揮できる武器や武具を宰相一人に持たせて魔王に対抗させようとした。だが、私は複数の人間に勇者としての機能を求め、魔王と戦った。
魔王が持つ全ての攻撃を吸い込む闇の鎧は、かつて宰相が南部属州で発見した謎の聖なる光を発生させる神器を持ち回り聖女であるハンナに持たせて対抗し、魔王が数々の強者を氷漬けにした氷結魔法は獄炎帝竜マジョリカの大地を焼き尽くす炎で打ち消し、勇者の命を何度も刈り取ろうとした強力な剣戟は、幼女の姿をした白ひげの大賢者フォン・ダン・ショコラが作り上げた多重結界術式が受け止めた。
さらに剣技だけなら勇者に近いルシエンテや勇者候補生である農夫ベン。帝都救援では私たちの尻馬に乗ってうまくやろうとしていたベイクド子爵とポタージュ男爵の尻馬貴族と特に強くもない反逆中年の二人がやけくそのように武器を振るった。
魔王は理解できないという表情で私を見ていた。
勇者ではないが、部分的に勇者に匹敵する者たちが勇者のように立ち向かってきたのだ。頭では私たちが勇者ではないと分かるのに、戦いは勇者を相手取るように押されていく。彼は最後に「なぜだ」と小さく言った。私はそれにあえて答えることはしなかった。
私はほうけた顔をしている宰相の前に立つと手にしていた槍を大きく回して切っ先を彼に向けた。
「では、最終決戦といきましょうか?」
「えっ?」
「なにを驚いているんですか。最初に言ったじゃないですか。貴様の幸運もここまでよって」
「私と君が戦うの?」
自分と私をかわるがわる指差した宰相が魔王と同じような理解できないという表情をする。
「宰相はここに何をしに来たんですか?」
「勇者として魔王を倒して人々に平和をとり戻しに」
「ならばもう戦うしかありませんね!」
槍を横薙ぎに振るうと宰相は床を転がるように背を低くして避けた。
「何をするんだね。危ないじゃないか」
「だから最終決戦ですよ。宰相は勇者として魔王を倒しに来たのでしょ? ならば魔王を倒して魔王となった私と戦うのが筋というものですよ」
「どういう理論なんだいそれは?」
ぐちゃぐちゃと宰相がうるさいので私は黙って槍を繰り出した。魔王城に置いてあった槍は思いのほか強力で一突きで大理石の床をめくりあがらせた。一撃でも決まれば宰相の命はないだろう。宰相が身にまとっていた帝室秘蔵のカンパネラの白鎧は様々な逸話を持つ名品であるがこの槍の前では木切れ程度の防御力しかないらしく肩口の装飾がかすっただけで簡単に吹き飛んだ。
「宰相。攻撃しないと負けてしまいますよ」
こちらが何度も攻撃をしているというのに宰相は、剣を抜かずに避けるか盾でしのぐことに注力している。私は宰相が攻撃を仕掛けてくるようにと、わざと攻勢を緩めたがそれでも彼は動かない。
「攻撃といっても……」
「しかし、魔王を倒さないと大事な人々を守れませんよ。それでもいいんですか?」
「魔王といっても君は」
「実の娘ですけどね」
短く言って私は槍を宰相の脇腹の横に突き出す。宰相が右にかわしたのでそのまま横薙ぎに振るうと柄の部分がうまい具合に腹部に決まった。カンパネラの白鎧は無残に砕けて宰相を守るものはもう盾しかない。
「出来るわけないじゃないか。どこに自分の娘に斬りかかる親がいるんだ」
宰相は困りきった表情で剣を杖にしてよろよろと立ち上がる。
「しかし、その娘は魔王として帝国を滅ぼすかもしれませんよ」
「……だとしても斬ることなんてできないよ」
「そうですか。そうですか。分かりました」
私は宰相に微笑みかけると、懐に入れていた書類を差し出した。
「なにこれ?」
「降伏文章になります。帝国の勇者である宰相が、魔王である私に降伏する旨が書かれています。この文章に署名をして頂ければ戦いは終わります」
宰相は文章を読みながら疑いの眼差しを私に向けながら、じっと何かを考え込んでいたが最後には書類に署名をした。私はすました表情を崩さずに降伏文章を受け取ると懐にしっかりとしまった。
「これで満足かい?」
「はい。お疲れ様でした。宰相、いえ勇者のお仕事は終わりました。今回の魔王討伐は失敗ということになります。つきましては敗残の勇者は帝都に護送の上、敗北の責任をとっていただきます」
「えっ?」
「えっ? じゃありませんよ。お仕事というのは成功すれば昇進し、失敗すれば懲罰あるのみです。宰相のように家族をないがしろにしてきた方には、それ相応の懲罰が用意されていますので楽しみにしていてくださいね」
天使のような表情で私は近くに控えさしていた近衛騎士を呼び出すと、宰相を拘束させて帝都へと連れて行くように命令を下した。近衛たちはどこか宰相を慰めるように何度も肩をたたきながら彼を連れて行った。
彼らの姿が見えなくなってから私は腰から砕けるように床に倒れ込んだ。
正直に言えば魔王は怖いし、宰相に槍を向けるものも怖かった。
だけど、私はやってのけた。
大きな声で叫びたかったが、まだ魔王城には兵士たちも残っているのでなんとかこらえた。長かった戦いが終わった。そう思うと嬉しいような寂しいような何とも言えない気持ちになったが、まだ最後の詰めが残っている。
笑うのはそれからだ、と私は立ち上がると残された仕事に取り掛かった。
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