秋田先生は桜子ちゃんのモノ
冬の寒さも和らいで、ようやく春を感じられるようになってきたころ。俺は公園で、桜の木を眺めていた。
まだ花は蕾のままだけど、もうすぐ美しい花を咲かせて。そしてそれが過ぎたら、葉桜になる、か。
ここは昔、受け持っていたクラスの児童から好きだと告げられて、唇を奪われた思い出の場所。
あれから何度、桜の季節を迎えたか。今でもここに来る度に、小学校を卒業していった彼女の事を思い出さずにはいられない……。
「センセーイ! 先生先生、秋田センセーイ! ……えいっ!」
「うわっ⁉」
無防備な背中に、衝撃が走る。
誰だあ、静かに昔を懐かしんでいたのに、こんな事をしてくる奴は。って、一人しかいないか。
「春川ぁ、もうちょっと静かに声をかけられないのか?」
背中をさすりながら振り返ると、そこにいたのは笑顔が似合うポニーテールの女の子、春川桜子だった。
小学校の頃とは違う、高校の制服に身を包んで、身長もだいぶ伸びた春川。
そう、あの告白から七年が過ぎた今でも、彼女との交流は続いていた。
最初にあった時も、小学生にしては長身だった春川。そんな彼女の背はさらに伸びて、その上髪も伸ばして、体つきも女らしくなった。
そんな少し大人になった春川は、ニコニコと幸せそうな笑みを浮かべながら、こちらを見てくる。
彼女が手にしているのは、黒くて細長い筒。
その筒をいそいそと開けると、中から白い紙を取り出した。
「ほら、見てください。卒業証書です。春川桜子、この度無事に、
ピンと広げられた卒業証書。
高校卒業、かあ。出会った頃はまだ小学生だったと言うのに、月日が経つのは早いものだ。
「春川、卒業おめでとう」
「えへへ、ありがとうございます」
昔よりも大分伸ばしている髪をかき分けながら、嬉しそうに笑みを浮かべる春川。
この言葉を贈るのは、これで三度目。小学校を卒業した時は当然として、まさか中学や高校の卒業も、こんな風に祝うだなんてな。
そう言えば高校入学の時には、届いたばかりの制服を着て小学校にやって来たんだっけ。
中学校の制服をお披露目にやってくる卒業生はたまにいるけど、高校の制服を見せに来る卒業生なんて本当に稀で。同僚の先生達には「卒業後もこんなに慕われるなんて、幸せですねえ」なんて言われて、ドキッとしたもんだ。
慕われる、かあ。
あの日、当時小学六年生だった春川に告白されて、唇を奪われて。そこから終わることの無い、猛アタックが始まったんだっけ。
恋に憧れている子供が、熱をあげているだけ。少しの間はしゃがせておけば、じきに冷める。
そんな予想とは裏腹に、春川の熱は少しも冷める事はなく、卒業した後も度々、小学校に乗り込んできたのだから、本当に行動力がある。
高校に入ってからも、散歩中に突然現れては腕を絡めてきて、「今日はいい天気ですから、デートに行きましょう」なんて言われたこともあった。
だけど、もちろんそんな春川の気持ちに応えることはできなかった。
だってそうだろう。俺は教師で、春川は卒業したとはいえ教え子、まだ子供なのだから。
だけどいくらそれを説明してもめげることなく、アタックを繰り返して来たのだ。七年もの間、全く勢いが衰えることなく。
そして、そして今では。
「ねえ先生。私、ちゃんと高校を卒業しましたよ。もう、大人ですよね」
不安と期待が入り交じったような目を向けられる。
まだ高校を卒業したばかり。18才が大人かなど、細かなツッコミどころはあるけれど、重要なのはそこじゃないんだ。
一人の女として見てほしい。そんな春川の気持ちが、ひしひしと伝わってくる。
「私は今でも、秋田先生の事が好きですよ。先生にとって私はまだ、小さな子供のままなんですか? 気持ちに応えては、くれないんですか?」
春風でポニーテールをなびかせながら、訴えかけてくる春川。その姿は初めてこの場所で葉桜を見た時よりも、ずっと大きく成長していて、そして、綺麗になっている。
俺はそんな彼女を見つめ返しながら、大きく息を吸い込んで……。
「そう、だな。ごめん、ずいぶん長くなったけど、春川さえよければ、俺と付き合わないか」
自分でも驚くくらいにあっさりと。だけどハッキリと、素直な想いを告げる。
相手は高校を卒業したばかりの子供と言うことは分かっている。だけど……。
初めは、小学生に好きになられてもって、悩んだりもした。何度もアタックしてくるのを、のらりくらりとかわし続けた。
けれど、高校生になっても懲りずに、幾度となくその熱い眼差しを向けてくる春川に、だんだんと心が動かされていったんだ。
彼女の想いに応えてあげたい。その気持ち年々強くなっていって。
もちろん、子供と交際するなんて、許されることじゃない。だけどその事を盾に、その想いを拒む気にはなれなかった。
だから決めていた。春川が高校を卒業したら、ちゃんとした返事をしようって。
教え子にこんなことを言うのが、正しいかどうかは分からない。だけど。
俺は未熟で、幼稚で、頼りない先生だった。そんな俺のことを、七年もの間好きでい続けてくれた春川。
そんな春川の事が好きなだって、今ならハッキリ言える。
「今まで、何度も告白してくれてありがとう。断り続けてきた俺を、それでも好きでいてくれてありがとう。こんな俺だけど春川のことを、好きでいても良いかな?」
「ーーっ! あっ、当たり前じゃないですか!」
返事を聞いた春川は、大きく目を見開いて。両手で口を押さえながら、肩を震わせている。
「うっ、うっ嬉しいです! て、てっきりまた、かわされるって思っていたのに」
両手で口を押えて、信じられないと言った様子の春川。
ずいぶんと待たせてしまったけど、ようやく返事をすることができた。
すると何を思ったのか、春川は急に抱きついてきて、腕を絡めてくる。
「お、おい。誰かに見られたらどうするんだ? その、付き合うとは言ったけど、人目には気をつけないと」
「良いじゃないですか。どうせ近くには誰もいないんですから。今まで散々待たされてきたんですから、少しはわがまま言わせてください。それとも、迷惑ですか?」
急に悲しげな顔になり、上目遣いで訴えかけられる。
この仕草は小学校の頃からの彼女の癖ではあるけれど、昔と今とでは全然違うなあ。
あの時は可愛い子供の仕草だったけど、今こんな風に熱を帯びた目で見つめられると、ドキドキしてしまう。
「いや、決して迷惑な訳じゃ……ああ、もう。今日は特別だ、好きにして良い!」
「本当ですか? それじゃあ、遠慮なく好きにしちゃいます」
今度は幸せそうな笑みを浮かべながら、満足げに腕に体を押し付けてくる。
やれやれ、子供だと思っていたのに、すっかり色気づいてしまって。いったいいつの間に、こんな風に育ったのやら。
春川はしばらくの間そうしてくっついていたけど、やがて離れて。そして上目使いで見上げてくる。
「そう言えば先生、前に言っていましたよね。以前付き合っていた元カノさんに、私が似てるって」
「あ、ああ。すまん、あの時は本当に、酷いことを言ってしまった」
「いえ、その事はもういいんですけど。ねえ、あれから七年が経ちましたけど、私は元カノさんに近づけていますか? 先生の理想に、なれていますか?」
さっきまでのくだけた表情とは違う、真剣な眼差し。
しかし、うーん。今の春川が、アイツに似てるかどうかって言われたら……。
「全然似てないな」
「え?」
よほどショックだったのか、目を見開いて、口をパクパクさせてくる。あ、これはマズい。
「せ、先生。それは私が、元カノさんにまるで追い付けていないって事ですか? 先生の理想からは、程遠いんですか⁉ 付き合ってくれるのは同情、お情けなんでしょうか⁉」
わなわなと肩を震わせながら、目に薄っすらと涙を浮かべてくる。
だけどまあ待て、勘違いをするな。
「そうじゃないさ。昔は似てるような気がしてたけど、今では春川にしかない良い所を、たくさん見つけられたからなあ」
「それって」
「タイプなんて関係ない。春川は、俺が唯一好きな女の子なんだ。もう、似てるなんて思えないよ」
昔は無神経なことを言ってしまったけれど、もう間違えたりしない。
すると、さっきまで震えていたのは何だったのか。今度は幸せそうに、笑みを浮かべる。
「えへへ、嬉しいです。ねえ、先生、一つお願いがあるんです。あそこにある桜の木、もう少ししたら花を咲かせますよね」
「ああ、そうだな」
「それから更にもう少ししたら、今度は葉桜になって。先生のことを好きになったのって、一緒に葉桜を見たのがきっかけですから。だからね先生、また二人で、葉桜を見たいんです。来年も再来年も一緒に……。葉桜は私にとって、特別だから」
葉桜、かあ。
思えばあの時、葉桜を見ていなかったら、こうして付き合う事はなかったかもしれない。
そう考えると、なんだか不思議な気持ちになる。
「分かった。葉桜は俺にとっても、特別だしな。来年も再来年も、ずっと一緒に見よう。約束するよ春川……いや、桜子」
「はい。約束です、葉太さん!」
二人ともそっと手を前に出して、小指を絡ませる。
彼女の名前が春川桜子から秋田桜子に変わるのは、これからさらに数年後のお話。
いつかの約束通り二人して葉桜を眺めながら、過ぎ去りし日に思いを馳せていくのだった。
おしまい🌸
葉桜の君に 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
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