先生キャプター桜子
新年度が始まって、クラス替えが行われた。
新しく受け持ったクラスに春川がいなかったのは、はたして良かったのか悪かったのか。
あの春休みの一件以来、俺は春川とは会っていない。
いや、校内ですれ違うことはあるのだけど、向こうが俺に気づいたとたん逃げていって、話すことすらできないんだ。
少し前までは事あるごとに話しかけられていたのに、悲しい。
けど原因は、どう考えても俺にある。やっぱり、元カノの話をしたのはまずかったよなあ。
元カノは背が低くて、子供っぽい所があって。そのせいで、春川と似てるなって思うことはあったけど、わざわざ言うことはなかったよなあ、どう考えても。
あの時春川がどうして泣いていたのか、さすがに分からない訳じゃなかった。
それでも念のために、大学時代の友達に電話でこの事を相談して、何があったかを細かく説明してみたのだが。
『なにアホな事言ってるんだ。元カノの話をして泣かれる理由なんて、一つしかないだろう。そんなことも分からないのか!』
こんな答えが反ってきた。てことはやっぱり、そういうことなんだよなあ。
つまり春川が好きな相手。友達の話と言っていたけど、春川が好きな相手ってつまりは……俺?
『当たり前だろ! なのに傷つけて、お前それでも先生か? その春川って子をこれ以上泣かせる前に、さっさと何とかしろ!』
怒鳴り声で耳が痛くなったけど、言ってる事は正しい。
俺だって、最低なことをしたっていう自覚はあるよ。でもなあ。
通話を切った後、悶々と考えた。
泣かせるなって言われてもなあ。俺の中では、答えはもう決まっているんだ。
だってそうだろう。俺は教師で、アイツは教え子。気持ちに応えられるわけがない。
だったらあの時、なんであんな背中を押すようなことを言ったんだって、思う人もいるだろう。はい、それは自分でもよーくわかっています。
あの時送った言葉に嘘は無いし、間違ってはいないって思うけど、上手くいかないものだ。
しかし答えが決まっている以上、返事を長引かせても仕方がない。
だから早いとこ、ちゃんと会って話をしたいのだが、当の本人が俺を避けているのが問題で、中々チャンスが来ないのだ。
だったらいっそ、このまま有耶無耶にすればとも考えたけど。同時に、本当にそれでいいのかという思いも、やっぱりある。
春川の想いは、一時の気の迷いなのかもしれない。放っておけば、時間が解決してくれるのかもしれない。
だけど自分のことを慕って、懐いてくれていた教え子のことを、このままにしておく気には、どうしてもなれなかった。
そうして気がつけば、そろそろ4月も終わろうと言う頃。
夕方になって学校を出た俺は、その足であの公園へと向かった。
これはなにも、今日に限ったことじゃない。新学期が始まってから、俺は学校が終わった後は、毎日公園に足を運んでいた。
理由はもちろん、春川がいるかもしれないから。
もっとも、前は結構頻繁に遭遇していたけど、あれ以来一度も見かけていないけれど。
きっと俺を避けているから、公園にも近寄らなくなってしまったのだろう。
だから本音を言えば、会えるだなんて思っていなかった。
今日は終わるのが遅れたから時間も遅いし、公園内はガランとしている。
だけどそれでも、もしかしたらと言う一抹の期待を込めて、桜の木の所まで行ってみたけど。
「えっ?」
予想に反して、桜の木の下に春川はいた。
探しに来たくせに、てっきりいないものと思っていた俺は、驚いて思考が止まってしまう。
おかしな話だけど、風が花を揺らして、真っ赤な夕日が照らす中佇むその姿は、一瞬桜の木の精かと思うくらいに、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
制服姿であることや持ち物を見ると、学校帰りであることが予想される。
授業が終わって、もうだいぶ時間が経っているのに、ずっとここにいたのだろうか?
だとしたら、それは何故?
こんな時間だというのに、春川が一人でこんな場所にいる理由。それはきっと……。
「春川」
「秋田先生、待っていました」
ゆっくりとこちらに向き直って、歩み寄ってくる春川。
表情からは、怒っているのか悲しんでいるのかはよく分からない。ただその目には、何かを決意したような力強さがこもっていた。
「先生、前にここで、私が言ったことを覚えていますか?」
「ああ、恋愛相談の話だよな」
「はい。ごめんなさい、友達の事って言いましたけど。実はあれ、私の悩みだったんです」
真剣な眼差しで告白するその姿に、思わずズッコケそうになる。
そんなことはもう、とっくに分かってるって言うのに。
「あの相談の後、私が先生の元カノさんに似てるって知って、すごいショックでした。だけどそれでも私は、秋田葉太先生のことが好きです!」
静かな公園の中に響いた、力強い告白。向けられた、曇り無い愛の言葉。だというのに、俺は辺りに人がいなくてよかったなんて思ってしまう。
こんなところを、誰かに見られるわけにはいかないから。
「春川、ごめん。お前の気持ちに全然気づかないで、傷つけて」
「いえ、良いんです。私が勝手に好きになっただけなんですから」
「これから更に、傷つくことになってもか?」
表情が曇る。
酷い男だと思ってくれて構わない。実際その通りなんだから。
だけど、中途半端な優しさをかけちゃいけない。
「俺のことを、そんな風に思ってくれるのは嬉しい。だけど分かるだろう。俺は先生で、春川は教え子なんだ。気持ちに応えることはできないんだ」
本当はこの前言うべきだったのに、躊躇して言えなかった言葉を、今ぶつける。
春川は黙ってそれを聞いていたけど、やがて小さく呟いた。
「やっぱり、そうですよね。分かっていました、これは無謀な恋なんだって。告白したって、先生に迷惑かけちゃうだけだって。分かってっ……うっ、いたのに……」
最後の方は嗚咽混じり。泣き顔を見られたくないのか顔を伏せて、表情をうかがうことはできない。
無謀な恋だって、春川だって分かっていた。だけど無責任に、その背中を押してしまったのは俺だ。
どうしてそんなことをしてしまったんだという罪悪感が、胸を締め付ける。
「春川、俺は……」
どんな言葉をかけていいかなんて分からない。けど、このままではいけないと歩み寄る。
涙を拭くためのハンカチを、ズボンのポケットから取り出しながら、泣いている春川の肩に手を触れようとした。まさにその時。
グイッ。
「えっ?」
一瞬の出来事。急に二本の腕が伸びてきて、首に回されたかと思うと、そのまま一気に引き寄せられる。
いったい何が起きたのか分からずに混乱する中、唇に柔らかな何かを感じた。
「んっ……んんっ!?」
何をされたのか、すぐには理解できなかった。だけど、この感触には覚えがある。
そう、あの元カノ。彼女と数回交わしたことのある、あの行為。
恋人同士が愛を確かめる為にするとされるコイツの名は、キ、キス!?
「うわあぁっ!」
首を捕らえていた腕から逃れて、慌てて後ずさると、さっきまで泣いていたのは何だったのか。
まるでイタズラが成功したみたいにクスクスと笑う春川の姿が、目に飛び込んでくるじゃないか。
「は、春川。い、今のは何だ!?」
「何って、キスですよ。私、キスなんてしたの初めてなんですよ。キャー、ファーストキスですー!」
手をブンブンと振り回しながら、嬉しさと照れが入り交じったような表情で、はしゃぐ春川。その姿からは、涙の色なんて全く見られない。
コイツ、さてはさっきのは嘘泣きだったな。いや、そんなことより。
「春川、俺の話聞いてたか? 俺は、その、お前の気持ちに応えられないんだ」
「分かってますよ。でもね先生、それは先生の言い分でしょう。私の言い分はこうです。先生が何て言おうと、諦めるつもりはありません!」
胸を張って高々に宣言してるけど、まてまて、そんな無茶苦茶な!
「何言ってんだ。俺の意思はどうなる?」
「先生こそ何言ってるんですか? 先生、言いましたよね。迷惑かけてでもいいから、ぶつかっていけって。私はそれを実行したまでです!」
うっ。そりゃあ、確かに言ったけど。
ああっ、まさか自分で言った言葉が、自分の首を締めることになるとは!
「それにですね。私、元カノさんに似てるから優しくされてたんだって思って、最初はすごいショックでした。だけどよく考えたらそれって、先生のタイプってことじゃないですか。そんな大きなアドバンテージを持ってるのに、諦めるなんてできませんよ!」
「ポジティブに捉えすぎだろ!」
「ポジティブなのは私の良い所です! 先生、今はまだ無理でも、必ず振り向かせて見せますから、覚悟してくださいね!」
いや、覚悟って。
ダメだ。これは春川のやつ、欠片も引く気なんて無い。
この前の傷ついた様子は、さすがに演技だったとは思えないけど、そこから這い上がって、逞しくなってしまったのかもしれないなあ。
どうやら恋する女の子の強さを、俺は完全に舐めていたみたいだ。
愕然とする俺に、春川はペロっと舌を出して、イタズラっぽく笑う。
「勝手にキスしちゃってごめんなさい。けどこれで、この前傷つけられた件はチャラにしてあげますから」
「あーうん、それはありがとう。でもなあ」
「『でも』も『だけど』も禁止です! まあ本格的なアプローチは明日からにするとして、今日はもう帰りますね。初キッスの感触を思い出して、ニヤニヤしたいので」
「待て、人の唇を奪っておいて、何が初キッスだ! おい春川!」
「それじゃあ、また明日学校で。バイバーイ!」
春川は言いたいことを言うと、背を向けて走って行ってしまった。
頭の中は嵐のように荒れていて、まだ状況を上手く飲み込めていないけど、それでもハッキリしていることがある。それは、厄介な相手に惚れられてしまったということ。
そっと唇に手を触れると、さっきの感触が甦ってくる。いきなりキスしてくるとか、とんでもなさ過ぎるだろう。
てっきり泣かせてしまうと思っていたのに、えらい事になってしまった。だって、だってなあ。
「どう考えてもマズイだろう。俺は教師で、アイツは」
小さくなったものの、春川の姿はまだ見えて、その背中には、ランドセルが揺れている。
マズイに決まっている。だってアイツは児童、小学生なんだから。
徐々に小さくなっていく後ろ姿を、俺は呆然と見送るしかできなかった。
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