秋田、思われ、ふり、ふられ
後で思えば、一緒に葉桜を見たのがきっかけだったのだろう。
あの日以来春川は、やたらと俺に話しかけるようになってきた。授業で分からないことがあれば質問してくるし、休み時間に廊下で顔を会わせると、話しかけてくる。
懐かれてるっていうのかな。まるで小動物のように屈託の無い笑顔で、「先生先生」って言いながら寄ってこられるのは、悪くない。
ただそんな彼女も、常に笑っている訳じゃない。
葉桜を見たあの日から季節が一巡りした頃、桜の花が満開の、三月下旬の春休みの真っ只中。
散歩に出掛けた俺は、あの公園の桜の木の下で、いつかと同じように花を見上げる春川の姿を見つけた。
「よう、春川」
「……秋田先生」
いつもの調子で挨拶をした俺とは裏腹に、何だか元気の無い返事をしてくる。
これはいったいどうしたことだ?
この公園は、俺達二人の休みの日の散歩のコース。今まで顔を会わせることは、度々あったが、今日みたいに元気の無い姿を見たのは初めてだ。
「どうしたんだ? 桜を見に来たのに、葉桜じゃなくて残念がってるのか?」
「もう、そんなんじゃありませんって。満開の桜だって好きですもの。そりゃあ、一番好きなのは葉桜ですけど」
「ははっ、春川の葉桜好きは相当だな」
「そりゃそうですよ。だって、初めて一緒に見た桜ですから」
ぼそぼそと何かを呟いて、急に赤くなって、かと思えば今度はそっぽ向かれてしまった。
うーん、やっぱり今日の春川は、どこかおかしい。
「まあ、なんだ。早く葉桜が見られるといいな。俺も綺麗な葉桜になるのを待ってるよ」
当たり障りの無い話でどうにか場を繋ぐと、目をそらしていた春川が、ゆっくりと顔を戻してくる。
「先生、実は今日は、相談したいことがあって来たんです。ここで待っていたら、来てくれる気がして」
「おいおい、もし来なかったら、いつまで待つつもりだったんだ? まあ話くらいいくらでも聞くけど。どうする、何か飲み物でも買ってこようか?」
「いいえ、このままでいいです」
申し出を即座に断る春川に、少し驚いた。
初めてここで会った時は桜餅を、夏に会った時は暑いからと言ってジュースを、冬は寒いから肉まんを、遠慮無しに食べたい飲みたいと言って奢らせてきたあの春川が?
それだけ、真剣な相談なのだろうか?
「実は、友達の話なんですけど」
友達の話、か。こんな風に切り出す話って、大抵自分の事なんだよな。
まあ、とりあえず聞こう。
「その子には好きな人がいて、告白したいって思ってるんです。だけどもしそうしたら、絶対に相手に迷惑がかかってしまうんですよ。それだったら、我慢した方がいいんでしょうか?」
「恋愛相談か。うーん、それだけだと何とも言えないなあ。だいたい本当に、迷惑かどうかも、やってみないと分からないんじゃないか?」
「いいえ。普通に考えたら、間違いなく迷惑です」
うむ、そこまで断言できるのか。
しかしそれはいったい、どんな状況なんだろうなあ。
いや待てよ。もしかしたらこういうことか?
「なあ、それってひょっとして、卒業してからのことを言っているのか? もし告白に成功して両想いになっても、この先離ればなれになるから、付き合っても迷惑だろうって、そういうことか?」
「ええと、そうですね。卒業したら、確実に距離はできちゃいます」
やっぱりか。
春川は、来年の春にはもう卒業だ。その想い人が誰かは知らないけど、遠くの学校に進学するのかもしれないな。
でなければ春川自身が、そういう進路を希望しているのかも。
「春川、お前進学はどこを考えているんだ?」
「ええと、私は……って、私の話じゃないです! 友達の話ですって!」
悪い悪い。そういう設定だったな。
しかし進学で距離ができてしまう、かあ。何だか、他人事とは思えないなあ。
「実はな。先生も、似たような経験があるんだ。昔、付き合っていた彼女がいたんだけど、別々の道を進むってなって、それで別れたことがあるんだよ」
「ええっ!? 先生、彼女いたんですか!?」
そんなに驚くようなことか?
そりゃあ、彼女くらいいたさ。まあ言った通り、上手くいかなかったけどな。
「付き合っていたのは大学に通っていた頃で、交際は順調に進んでいたはずだった。けど、遠く離れることになって、それまでみたいに会えなくなることは確実で。どうするか悩んだよ」
離れていても想いは変わらない、なんて楽観視することはできなかった。
遠距離になって別れるカップルなんて五万といるし、もし好きなままでいられたとしても、会えないのはとても辛い。
毎年見ていた葉桜も、もう一緒に見られるとは限らない。
だから思い悩んだ末、俺達は別れることにしたんだ。
「辛い思いをするくらいなら、終わりにしたほうがいい。彼女もそれで、納得してくれたよ」
「そう、ですか。それじゃあ私も……私の友達も、告白なんてしないほうがいいってことですか?」
顔をふせて表情が見えない春川。もしかして、泣くのを堪えているのかもしれない。けどなあ。
「待て待て、結論を出すのはまだ早いぞ。実はな、今ではあの時の判断は、間違っていたかもって思うんだ。言っとくけど、元カノに未練たらたらってわけじゃなくて、別の考え方もあるって話だ」
「分かってますよ。でも、と言うことは、別れるべきじゃなかったってことですか?」
「ああ。だってなあ、世の中常に、上手くいくことばかりじゃないだろう。どんな道を進むにしても、行く手を阻む壁はいつか必ず現れる。そんな時、乗り越えようとしないで諦めて、それでいいのかって思うんだ」
難しそうだからやらない。困難だから諦める。確かにそれも、一つの選択肢ではある。
けど本当に大事なモノが掛かっているのなら、それじゃあダメだろう。
「実は考え方が変わったのは、春川達の担任になってからなんだ」
「私達の、ですか?」
「ああ。部活の大会で優勝を目指す奴もいれば、今の成績だと難しいと分かってて、難関校を受験する奴もいる。本当に欲しいものを手にするためには、やっぱりどこかで困難を乗り越えなくちゃいけないんだよ」
昔の俺はバカだった。
辛くなるのが嫌だから別れるって、そんな甘い考えじゃあ、例え離れなかったとしても、いつかは綻びが生まれていたに違いない。
別れなかったところで、全てが上手く行ってたとは、限らないじゃないか。本当に好きなら、困難にも立ち向かうべきだったんだ。
「でも、自分だけの問題じゃすまない時は。私が傷つくだけならいいんです。でも、相手に迷惑を掛けてしまうって思うと」
「春川は優しいなあ。けど付き合っていく以上、少なからず迷惑なんてかけるもんだぞ。だったら、迷惑かけるってわかっててもいいから、ぶつかって行くべきなんじゃないか? まあ、成功する保証は無いから、強くは奨められないけど」
「何ですかそれ。もう、こういう時は、『春川なら大丈夫だ』って言うところですよ」
うむ、確かに。
これは失敗したな。それなら。
俺は頬を膨らませて剥れる春川に手を伸ばすと、そっと頭を撫でる。
「大丈夫、春川ならきっとできるから」
「ーーっ!」
急に顔を真っ赤にして、手から逃げる春川。
これは、何か間違えたか?
すると今度は急にモジモジしだして、頬を染めたまま俺を見てくる。
「先生、去年の春に、ここで一緒に葉桜を見ましたよね」
「ああ、そうだな」
「私、あの時先生が葉桜が好きって言ってくれて、嬉しかったんです。同じ物を見て、同じ物を好きな人がいるって素敵なことなんだって、先生に会って知りました」
それは俺も思う。最初は元カノの影響で好きになった葉桜だけど、別れた今でもちゃんと好きでいる。
だから葉桜が好きと春川が言った時は、嬉しかったよ。
お、そうだ。だったら元カノのことを話をしたら、喜んでくれるかな? 彼女、葉桜好きだったからなあ。
「それから私、先生のことが気になるようになって。気がつけばいつも、目で追うようになっていました。私、秋田先生のことが……」
「そうだ春川、同じ物を好きって言えばさ。実は葉桜は、さっき話した元カノの影響で、好きになったんだ」
「えっ?」
急に目を見開いた春川は、そのまま動きを止める。
「その人、春川と似てるんだよ。葉桜が好きな所とか、あと、髪型とか口調なんかも。もしも会わせることができたら、きっと気が合うだろうなあ」
同じ物を好きな人がいるのは素敵なこと。春川とアイツが会うことがあれば、きっと話が盛り上がるに違いない。
ああ、もしも別れていなかったら、紹介できたのに、惜しいことしたなあ。
って、あれ? 春川、何俯いて肩を震わせてるんだ?
「どうした? ひょっとして寒いのか?」
今日は暖かい方だけど、それでも三月。寒がりな奴は寒いだろうからなあ。
よし、上着でも脱いで掛けてやるか。
「……秋田先生」
「ん、どうした?」
「それじゃあ今まで、桜餅や肉まんを買ってくれたり、優しくしたりしくれたのは全部、私が元カノさんに似ていたからなんですか!?」
「え? いや、違うぞ。断じてそんなことはない」
あれらはあくまで、そうしたいと思ったからやったこと。アイツのことは関係ない。
だというのに、興奮した春川は止まってくれない。
「でも私を見て、元カノさんの事を思い出したりはしてたんじゃないですか?」
「う、うん。まあ。葉桜を眺めている時なんか特に」
バカ正直に答えなくても良いのに、ついポロっと答えてしまった。
とはいえ決して、やましい気持ちになった訳じゃない。だというのに。
「先生は、私を見てくれていた訳じゃなかったんですね。元カノさんの面影を重ねていた、だけだったんですね」
いつもの明るい姿からは、想像できない切ない声。
そんな春川の頬を、一滴の涙か零れた。
頭の中で警鐘が鳴る。
これはマズイ。間違ってはいけない何かを間違えた。だけど、どうすればいい。どうフォローすれば挽回できる?
考えても答えは出ないまま、気まずい沈黙が流れる。そして……。
「……先生のバカ」
小さくそう呟いたかと思うと、背中を向けて走り去って行く。
「お、おい春川!?」
呼び止めようとした。追いかけようとした。
だけど不思議と声が出なくて、足も動かない。
だんだんと小さくなっていく春川の背中を、俺はただ呆然と見ていることしかできなかった。
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