葉桜の君に

無月弟(無月蒼)

葉桜待つ僕ら

 満開の頃を過ぎた桜だけれど、葉桜も悪くない。こんな風に思うようになったのは、いつからだろう?


 いや、そんなの考えるまでもないか。

「葉桜が好き」。彼女がそう言った時だ。


 桜舞う公園の中を歩きながら、遠く離れてしまった彼女の事を思い出す。


 大学時代、俺と同じ教育学部に在籍していたあの人。

 美しい人だった。桜の花が似合う人だった。そして、強くて優しい人だった。

 そんな人が、平凡を絵に書いたような俺の彼女だったなんて、今思えば不思議な話だ。


 いったい今頃どこで、何をしているのだろうな。元気にやっていればいいけど……あれ?


 ふと足を止めて、前方にある桜の木に目を向ける。

 いや、正確には木にじゃないか。根本に立って花を眺めている、見覚えのある少女に目を向けたんだ。


「よう、春川」

「え、秋田先生?」


 近づいて声をかけると、少女はポニーテールをなびかせながら振り返り、俺の名前を呼んでくる。


 見慣れている制服とは違う、白のブラウスに紺色のデニムという出で立ち。

 この子の名前は、春川桜子。俺が今年から受け持っているクラスの女子だ。


 休みの日に教え子に会うというのも、何だか不思議な感じがするなあ。

 そしてそれは向こうも同じようで、目をパチクリさせている。


「先生、こんなところで何をしてるんですか?」

「ああ、ちょっと花見がてら散歩にな。春川は?」

「私も同じです。ここの桜綺麗ですから、時々見に来るんですよ。友達からは、年より臭い趣味だって言われてるんですけどねえ」


 ペロッと舌を出して、可愛く照れ笑いをしてくる。

 しかし春川よ。それは暗に、同じように花見に来た俺も、年より臭いと言いたいのか?

 まあこの年頃の子にとっては、二十代半ばの俺なんて十分に年寄りなのかもしれないけどな。


 それにしても、もう満開の頃は過ぎたというのに、それでもわざわざこうして足を運んでくるのは、よほど桜が好きなのだろうか?


「もう大分散ってるけど、花を見に来るなんて珍しいな」

「そういう先生だって来てるじゃないですかー」

「まあそうだな。満開もいいけど、葉桜も好きなんだよなー。毎年心待にしているよ」


 まあ、完全に元カノの影響だけどな。

 彼女も今頃どこかで、こうして葉桜を眺めているのかもしれないなあ。


「先生、好きです」

「うん?」

「私も好きなんですよー、葉桜。ピンクの花弁と緑の葉が、綺麗に折り重なっている今の桜が、とっても。先生と同じで、早く葉桜が見れないかなーって、毎年待っています」


 桜の木をじっと見上げながら、うっとりと語る春川。

 その横顔が一瞬、別れた元カノと重なった。


 おかしいなあ。歳もだいぶ違うし、どうして彼女の面影を見てしまったんだ。

 ああ、だけど髪型や明るい感じの口調は似ているか。そして何より、葉桜を好きだと言って眺める姿は、かつての彼女とそっくり。


 春川が同学年の女子と比べて背が高いのも後押しになっているのだろう。さすがに大学生には見えないけれど、このまま成長していったら、あの人と瓜二つになるかもしれない。ついそんな風に考えてしまう。


「先生? おーい、センセーイ」

「あ、悪い。少し考え事してた」


 いつの間にか桜を眺めていたはずの春川が、身を屈めて顔を覗きこんできていた。

 まさか元カノと比べていたなんて言えずに、咄嗟に誤魔化したけど、そんな俺に春川は悪戯っぽく笑う。


「先生、話聞いてなかったでしょ。もう、人がせっかく、桜に関する豆知識を語っていたのにー」

「ああ、いや、ちゃんと聞いてたぞ。ええと、桜の木の下には、死体が埋まってるって話だったよな?」

「全然違いますよ! もういいです、これからは話を聞いてくれない先生の授業なんて、無視してやりますから」


 すっかり拗ねてしまって、プクっと頬を膨らませる。

 あ、こういう仕草も彼女と似て……って、今はその事を忘れろ。


「悪かったよ。お詫びに桜餅をご馳走してやるから、機嫌直してくれないかな?」

「え、桜餅ですか?」


 途端にポニーテールをピョコピョコ動かして……いや、実際にはポニーテールが動くはずないんだけど、そう錯覚するくらいに嬉しそうな顔に早変わり。

 よっぽど桜餅が好きなのか、さっきまで不機嫌だったのが嘘みたいだ。


「直します直します。桜餅、この辺なら市房堂のが美味しいですよ。売り切れないうちに行きましょう!」

「わかった。わかったからそう引っ張るなって。そうそう、他の皆には内緒だからな」


 春川だけ贔屓したなんて言われたら叶わないからなあ。うちは、イメージを大事にする私立校。保護者からのクレームは勘弁願いたい。

 俺は人差し指を口に当てて、内緒のポーズをとる。


 すると何が嬉しいのか、春川はもう一度笑顔になって、引っ張ていた腕に自分の腕を絡めてきた。


「わかりました。二人だけの秘密ですか。えへへ、何だかこそばゆいですね」

「漫画の読みすぎだ。さっさと行くぞ」

「冗談ですよー」


 腕から引き剥がした後も、ニコニコ笑いながらついてくる春川。

 言っておくけど、いくら元カノと似てるからって、変な気は起こしてないからな。教え子にクラっとくる教師なんて、洒落にならない。

 

 とは言えそれとは別に、葉桜が好きだと言って笑って見せた春川に、好印象を抱いたのは事実かもしれない。


 教室で授業をしているだけでは分からない一面も、休日なら見れたりするんだな。

 楽しそうに隣を歩く春川を見ながら、そんなことを思った。

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