3.保健室のサイコメトラー達
・・・南・・・
カレンダーから読み取れる記憶はそこで途切れていた。また光景が切り替わり、別の記憶が流れようとするので、手を離してそれを止めた。
手を額にやると、汗が酷かった。心臓が用もなく体の中を暴れ回って、気分が悪い。あの遺書を読んでからだ。
北城君の記憶の中で見た、保健医の記憶の中で読んだ遺書。あれは紛れもなく、僕とはなんら関係がない、現在から見て過去の物だ。しかし、僕にはまるで僕自身の未来を見ているかのようだった。
あんな風に考えたことが何度もある。家族に対して同じ遺書を書いている自分が、容易に想像できてしまう。保健医の同級生さんはきっと、僕と同じような人生を送り、同じようなことを考えて生きてきたのだろう。
ならばいつか僕にもあんな風に、自分の運命に耐えきれず、死を選ぶ日がやってくる。そんな確信と恐怖が僕の体を包んでいた。
「……南風原?」
西住君が僕の顔を覗き込む。それと同時に、保健室の扉が開いた。
「あ、先生」
「ん……どうした、熱でも出た?」
扉を潜り、妙齢の保健医が保健室に戻ってきた。
「違う人……?」
東雲君が呟く。そうだ、違う。今この場に居る保健医さんと、北城君の記憶で見た保健医さんは別人だ。
「先生。別の保健医さんは、今日来てないんですか?」
「別の?」
「先生より若くて綺麗な方の」
西住君が東雲君をはたいた。
「あぁ、前の子ね。別の学校の保健医さんになるんだってさ。若い先生は通う学校ころころ変わるからね……いや、それよりもあんただよ。具合悪そうだけど……大丈夫?」
保健医さんが僕の肩に手をやる。
「あの、僕は……」
「いや、休ませてもらおう。休んだ方が良い」
西住君が、ベッドへと僕の手を引いた。
「体温計出すから、それまでベッドで休んでな」
そんな保健医の言葉を背に、されるがままにベッドへ横たわる。
「う……」
「その……悪かったな。なんか無理させちゃったみたいで」
申し訳なさそうに、西住君が僕を見る。
「そんなっ、僕は何ともないよ……何ともないから……!」
ここで二人が遠慮を持つのはまずい。サイコメトリングができなければ、二人にとって僕は価値を失う。二人だけは、僕のサイコメトリングを面白がってくれるんだ。それだけが価値なんだ。そうでなければ、こんな能力を持って生まれた意味が分からない。
「何ともないなら……もう一仕事頼もうか」
東雲君が、一本のペンを取り出し、僕に向けた。
「さっき、机の上から取ってきた。記憶で見た、北城が使っていたペンだ。奴の記憶が残っている可能性が高い」
「東雲……お前な」
「いや、無理なら無理でもいいんだ。今ここで見るかどうか、お前が決めろ……けど、南風原。あれの続きが一番気になってるのは、お前なんじゃないのか」
北城君の、記憶の続き。最初は見たくなかった。きっと自分の人生を思い出して虚しくなるだけだと思ったから。けれど、彼の記憶は僕の予想とは違う方へ向かいつつある。
保健医の同級生さんとは、別の僕の未来を、彼の過去から見出すことができるかもしれない。
だがやはり、そう思えばこそ見るのが怖くもある。結局彼が救われなかった時、僕の運命も同時に決定されてしまうような気がする。
いや、どちらにしろ僕は二人のためにサイコメトリングを行う。だったら、ついでにでも、彼が救われることを祈ろう。
「……分かった。見るよ」
差し出されたペンを、握りしめた。
「南風原……」
西住君の呼びかけに無言で頷く。そうすると西住君は無言で頷き返し、僕の腕を掴んだ。東雲君も同様にする。
ふわ、と体が浮き上がるような感覚と共に、そのペンに染み付いた残留思念が、腕を通して脳へなだれ込んでくる。
・・・北・・・
ペンの頭を何度もカチカチと鳴らす。芯は既に出切って、この行為には何の意味もない。目の前の数学の課題は白紙のまま、何時間も過ぎていた。
あの保健医が別の学校に行くことを知って、また一周間が経った。
『遠くの学校』『荷造りも済ませた』『もう二度と、少なくともあなたが通っている内は』『この保健室には来ない』『もし少しでも』『私を信じてくれるなら』『私が』『遠くへ』『行く前に』
彼女が言っていた言葉が、脳内を忙しなく駆け巡る。無限に鳴っているカチカチという音も、ときたまかき消されるほどに。
今日は、彼女が街を出る日だ。
どの駅を使うかも聞いている。ギリギリまで俺を待つとも聞いている。
行くか、行かざるか。
その問題だけが、今日の俺を脳内を埋め尽くしており、数学など別の問題が入り込む余地はなかった。
行ってどうなる?
もう何度繰り返したか分からない問いを、俺はもう一度繰り返す。行ってどうなる。サイコメトリングなんて能力を持って生まれて、十数年生きてきたんだ。人間なんて存在がどれほどの物か、俺は既に理解している。
あの保健医は他の奴とは違う。だがそれは所詮上辺だけの物だろう。もう一度彼女の手を握ってみれば、利己的で独善的な本性がこれでもかと読み取れるだろう。心の底から他人を、俺のことを想ってくれる奴なんて、この世のどこにも居やしない。
……本当にそうだろうか?差し出された手を避けてから、俺は保健医の心を一度も確かめはしなかった。本当は、彼女は心の底から俺を救おうと想ってくれているんじゃないか。
でもそうじゃなかったら?一度彼女を信じてみて、やっぱり裏切られたら?俺が彼女の手を避けた理由は、実はそこなのだ。今一度誰かに絶望するようなことがあれば、俺は今度こそ、本当に、人を信じられなくなってしまう。
そうなるくらいなら、このままでいい。このままがいい。永遠に答えを出さず、どちらの可能性も残したまま彼女に消えてもらった方が良い。その方がまだ、俺にとっての救いになる。
いや、そもそも俺は救いなど求めていない……。
こうして一通りの問答は一応終わる。しかしまた、どこからともなく最初の質問が体の内側から湧いてくる。行ってどうなる……と。保健室は俺一人で、誰も『行け』など命令していないのに。
ペンの頭を何度もカチカチと鳴らす。もちろん、答えは一つも出ない。
・・・北・・・
街中を、目的の駅に向かって走る。けれど、超人的なスピードは出ない。夕日が悠々と俺の頭上を追い抜いていく。
夕日だけではない。脇の線路を何本もの電車が駆け抜けていった。あれらの内のどれかが、遥か遠くの駅に俺より先に辿り着き、既に彼女を別の場所へ運び去ってしまったかもしれない。いや、そちらの確率の方が大いに高いだろう。
もう間に合わない。走っている内にそんな不安がうず高く積み上がり、確信に変わっていく。走る体が重い。無力感が体に溜まっていくのと同時に、胸に募る安心感があった。
これで、答え合わせをしなくて済む。
彼女の慈悲も独善も、永遠に俺の胸に秘められることになる。最初に出した答えの通りだ。何だか無意識の内に、間に合わないタイミングを見計らって走り出したような気さえする。これで良かったんだ。これで……。
眠るように体のスピードが落ちていく。もう完全に止まろうかという時、俺の真横を一台のバイクが横切った。
そのバイクは俺の前に行くと同時に、甲高いブレーキ音と共にドリフト気味に止まる。そしてドライバーが勢いよくフルフェイスを取ると俺に向かってこう言った。
「乗れ!」
「……あ?」
「北城!お前北城だろう!そして保健医さんの所に行く所なんだろう!全部知ってるんだよこっちは!乗れ!」
ドライバーがバイクから降りて俺の腕をぐいと掴む。すると、こいつが何故俺のことを知っているのかが伝わってくる。
「俺以外の、サイコメトラー……?」
「……練習できたな。次は本番だ」
ドライバーがそのまま俺の腕を引っ張って強引にバイクの上に乗せる。さっきまで全力疾走していたせいで、何一つ抵抗できない。
「本番って……」
「あの保健医さんだよ!」
「……嫌だ……もう、いいんだ。俺は誰も信じられない。あの人の本性を知るのが、俺は怖い」
「じゃあなんで走ってた!」
俺の答えを聞く間もなく、東雲という男は俺にフルフェイスを被せアクセルを回した。
「シェイクスピアは言った!『誰かを信頼できるかを試すのに一番良い方法は彼らを信頼してみることだ』と!」
「……それで……裏切られたら?」
「心にもないことを言うな!お前だって本当は分かってるんだろう!あの人が決してお前を裏切らないこと!お前はただ始めの一歩が踏み出せないだけだ!友達の居ない奴はこれだから!」
「……っ仕っ方ないだろ!サイコメトリングなんて邪魔な能力のせいで、友達なんか……」
「じゃあ俺がなってやる!お前の友達第一号に!」
急ブレーキがかかり、俺は半ば放り出されるような形で地面に降りた。そこは目的の駅前だった。よろめく俺の腕を、東雲が再度掴む。
「行ってこい。全部終わったら、エロサイコメトリングしよう」
その言葉が一切虚飾のない、本気の言葉であることがサイコメトリングで伝わってくる。こんな場面で、こんな言葉を本気で。ここまでくだらない人間が居るのかと驚愕する。
脱力する。だがそんな体とは裏腹に、足取りはなんとも軽やかだった。東雲のサムズアップを背に、駅構内に入っていく。
・・・北・・・
夕陽が指すホーム、人混みの中をかき分けて探す。サイコメトラーの俺だけが感じられる。あの人のオーラ。
そして見つけ出す。果たして彼女は本当に、俺のことを待っていてくれた。
「北城君……」
「先生……」
保険医は、俺が前に立つやいなや、手を差し出した。あの日と同じように、なんのためらいもなく、俺に心の在処をさらけ出してくれた。
それだけで、救われた。
「ありがとうございます……握って、確かめるまでもない。こんな風に、俺のこと怖がらないでくれた……全部、信じてくれた……それだけで、もう俺は、あなたのこと、全部……」
言いたいこと、言うべきこと、何もまとまらないまま、ただただペンから押し出される芯のように言葉が口をついて出る。
「ありがとうって……言えた……」
本当はずっと、こんな風に素直になりたかった。俺は、救われたんだ。もうこのままでいいとか、孤独でいいとかそんな、心にもないことを言って強がる必要はないんだ。
そう心から実感して、涙が溢れてきた。
彼女が、無言で俺を抱きしめた。温かい心が、心に直接届く。
駅のホーム、周りの視線はやっぱり不快だったけれど、今は、彼女の側がただ心地よかった。
「……私、やっぱり残ろうか?」
耳元で、彼女が呟く。俺は彼女を体から離して、首を横に振った。
「……一人でも大丈夫?」
「一人じゃ……ないです。友達が……できました」
・・・西・・・
「まさか、保健医さんの引っ越しの日が今日だったとは……」
どうやら俺達はほんの数時間前の記憶をサイコメトリングしていたらしい。
「道理で北城がこの保健室に居なかったわけだ……」
「北城君は……本当に保健医さんの所へ行ったのかな……」
南風原がぼやく。サイコメトリングできたのは北城が悩んでいる所だけで、肝心な所は見れなかった。
しかし東雲は『北城は絶対に走った』と言って、バイクで追いかけに行った。なんの役に立つかは分からないが、フィロストラトスの真似事くらいはできるだろう。
南風原は、それに釈然としていないようだ。同じサイコメトラーとして、北城が勇気を出せたとは思えないのか、それとも彼のように踏み出せない自分に懊悩しているのか。
「……南風原」
「……何かな」
「友達になろう。俺達」
「……えっ!?」
南風原がベッドの上で跳ねる。
「な、なんで……」
「東雲が北城の方を説得しに行ったから……俺はお前をって感じで……まぁ、なんだ。こりゃまったく自慢じゃないが、俺も東雲も友達が一人しか居ないからな。休み時間の話し相手は、多い方がいい」
「……でも、僕はサイコメトラーだから、きっと一緒に居る内に、君の心を、秘密を無理矢理に知ってしまうかも……気味が悪いだろう、そんなの……」
「いいよぉ、別に。そんな大層なこと考えて生きてないからな……東雲見てれば分かるだろうけど、一から十までくだらない、お気楽な人間も居るってことだ。そんでこれまた自慢じゃないが、俺もそこそこ同類なんだなこれが」
手を、南風原に差し出す。
南風原は数秒、呆けた顔をすると、泣き出した。
「ふっ……うっ、ぐぅ……!」
「泣くなよ……」
数か月前、東雲と友達になった日のことを思い出す。俺はちゃんと我慢した。
・・・東・・・
「嫌だ」
北城は毅然とした態度でそう言った。
「何故だ。エロサイコメトリングしようと約束しただろうが」
保健室のベッドをばふばふと叩く。埃が少し舞って、隣の西住と南風原がむず痒そうにした。
「嫌な物は嫌だ。ここは、あの人との思い出の場所だ。変なことして穢したくない」
「重いな」
「言っておくが、同じレベルでお前達のことを想っているからな。一生俺と仲良くしろよ」
北城が湿度の高い目で俺達を見る。
「重いしきもいな」
西住が俺をはたいた。
「もっと言葉を選べよ」
西住はそう言うが、北城は特に気にしている様子はない。
「いや……いいんだ。別に俺のことをきもいとか怖いとか思っていても。本気で友達と思ってくれてるなら、それはどんな感情と共存していたっていい」
「あ……!それすごい分かる……!」
南風原が感動して口を開く。
そう、俺達には心がある。俺達は色んなことを伝え、あるいは理解することができる。その能力に差異こそあれど、俺達は皆サイコメトラーなのだ。
保健室のサイコメトラー 牛屋鈴 @0423
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