第6話 初めての国外と港町

 しばらくずっと目を瞑り、襲い来る痛みを覚悟していたものの、何時まで経っても痛みが襲ってこない。

 あれ? 自分、死んじゃった?

 でもその割にはまったく痛くないんだけど、神様の慈悲かな。

 そう思いながら恐る恐る目を開くとそこは、どことも知れない国の上空だった。


「え? う、嘘だよね。まさか俺、蘇陽を出ちゃった?」


 以前、魔術を習得し始めた頃に、朔夜は国内上空を式神を飛ばして観測したことがあった。

 亡命する際の脱出経路を真剣に考えるために習得したものだが、お蔭で蘇陽の地形ならば頭に入っている。

 だが、いくら頭の中の地図と照らし合わせてみても、眼下に広がる景色は見たことがなかった。


「蘇陽を囲む鬼ヶ槌連山おにがつちれんざんが見えてこない。ていうか、平野ばっかりしか見えてこないんですけどお!?」


 見渡す限り緑の大地と、時々山が見えてくるだけだ。

 時刻が夜なだけに、夜目が効くから辛うじて判別できるというぐらいだが。

 人里らしきものが見えてこないこともあり、段々と不安になってくる。

 おもむろに、朔夜はこの事態を引き起こした元凶である首元の勾玉に触れた。


「まだ光ってる、いつもならすぐに収まるのに。もうちょっと低めに飛んでくれないかなあ。これじゃあ人里があるのかわからないしって、うわわっ!」


 聞き入れたと言わんばかりに一際強く輝くと、前置きもなく緩やかに高度を下げてきた。

(落下傘で降りるのとどっちがマシなんだろう)

 現代日本ですら体験したことのない空の旅に、高所恐怖症な彼はだいぶ涙目になっていた。

 先程みたいに神器を戦闘機に変形させるだけの余力はない。

 つまり、無事に地上に辿り着けるかは運任せってところだ。

 しばらく代わり映えのない景色が流れていく中で、遠くの方に何かがきらりと光るのが見えてきた。

 徐々に近づいていくにつれ、それが灯台と港町の灯りであることに気が付く。

 それと共に潮風の香りと暗い海の様子が見えてきた。

 屋敷の片隅で生きてきた彼にとって、奇しくもこれが今生で初めての海だった。


「船が見える! それに見間違いじゃない……町がっ、町がある!!」


 目をきらきらと輝かせながら、朔夜は眼下に広がる光景に心を躍らせた。

 黒い瓦屋根の日本家屋そっくりの家々が立ち並び、今は飲み屋が開いている時間帯なのか人々の飛び交う声が聞こえてくる。

 治安の良し悪しは気にかかるが、贅沢は言っていられない。

まずは寝床と仕事を得ることが重要だ。

 不安と期待が綯い交ぜになりながら、朔夜は町の入口付近で降り立った。


* * * *


 ぽてぽてと入口まで覚束ない足取りで歩いていると、門番の男性二人に呼び止められた。ちなみに勾玉の輝きは収まっているため、悪目立ちはしていないはずだ。


「おい、坊主。一匹で何をうろうろしてる。今はガキが出歩く時間じゃねえぞ」

「そういうこった。早く帰っておっかさんの乳でも吸ってな!」


 ギャハハハと酒臭い息を吐きながらからかう大人二人に、困ったように耳をぺたりと下げる。


「えっと親はいないんです。俺、働く場所と住む場所が欲しくてここに来たんだけど、通してもらえませんか?」

「働くって、そのちっこいなりでかあ? おいおい、ここは見てのとおり、俺らみたいな荒くれもの共の場所だぜ。おちびの出る幕じゃあねえんだよ」

「わかってるけど、それでも働かなくちゃ食っていけないし」

「食っていくってなら、町の職業案内所に相談するしかねえな。とは言うけどよぉ」


 坊主頭の屈強な男が、顎に手を当てて考え込む。

 相方の無精髭を生やした細面の男が、それを見て苦笑した。


「ああ、年齢制限があったよなあ。ちび、お前いくつだ?」

「5歳だけど」

「5歳児だと!? 言われてみれば、身体の大きさからするにそうかもしれんが」

「余りにも落ち着きがあるから、てっきり7つかと。だが5歳かあ、ならまだ就業できる歳じゃねえよなあ。うちは案内所に登録するなら7つになってからだしな」

「そっ、そんな! どうにかできませんか!? 働かないと食っていけないしっ」


 慌てて二人の足元にしがみ付く朔夜に、彼等は顔を見合わせる。

こんな年端のいかない幼子を放っておいたとあれば、義理人情に熱い町の者らが黙っちゃいないだろう。

 特に女共からの説教が怖い。本当に怖い。

 しばらく考え込んだ後、坊主頭の男が口を開いた。


「なら、おりゅう婆さんの店を手伝うってのはどうだ?ちょうど腰痛がひどくなってきたから働き手が欲しいと言ってたし」

「そりゃいい! 婆さんの店はここらで評判の菓子処でな、特に団子が人気なんだよ。しかも昔から弟子の扱いが良い人だ、行儀良くしてりゃ気に入ってもらえるかもな」


 互いにうんうんと頷きあう男達に、慌てて朔夜は口を開いた。


「え、えっと紹介していただけるのは嬉しいんですけど、夜遅いですし大丈夫ですか?」

「それこそ今さらだろう? 子供が一人で迷い混むなんざ、退っ引きならねえ事情がありそうだしよ」

「そうそう。婆さんだって今までに何人もの訳ありを育ててきた人なんだから、おちびみたいなのが来たところで問題ねえよ。まあ、年寄りの寝る時間は早いというから、さっさと行かないとな」


悪戯っぽく片目を瞑ると、髭の男は存外優しい手つきで朔夜を抱き上げた。


「子供の足じゃ、ちょいと距離があるからな。しっかり掴まってろよ」


そう言うが早いか、さっさと駆け出していく。


「って事だ。紅蓮ぐれん、しばらく頼むぞ」

「おう! 月白げっぱく、婆さんによろしくな。おちびもまたなー」


 のんびりと手を振る坊主頭こと紅蓮に手を振り返し、朔夜は月白と呼ばれた男の肩に頭を預けた。


* * *


 賑やかな繁華街を走り抜けていくと、少し落ち着いた商店街らしき場所が見えてきた。

 異世界のはずなのに、日本のほどほどに賑やかな田舎町を思わせる佇まいに懐かしさを覚える。

 軒先はどこも夜のため店仕舞いしており、せいぜい明かりが灯っているのは酒屋ぐらいなものか。

 団子の絵の看板が目印の店先で足を止め、月白は戸を三回叩いた。


「おーい、お龍婆さん! まだ起きてんなら開けとくれ!」


 呼び掛けるも中からの応答はない。


(流石に体感時間として亥の刻も過ぎた頃だろうし、寝ているんじゃないかな?)


 生活がかかっているとはいえ、無理矢理叩き起こすことに罪悪感を覚える。


「おっかしいな? 明日は大売り出しだから、まだ起きてるはずなんだが」

「でもお年寄りでしょう? 逆に明日に備えて寝てるんじゃないかな」

「どうだかなあ。まあもう一回呼び掛けて返事がなかったら、今日は俺んとこに泊まってけ」

「いいんですか? でもお金が……」

「ガキがそんな事気にすんな! まあそれは最終手段ってことで。おーい、婆さん! 緊急なんだよ、起きてんなら開けて──のわあっ!!」


再度戸を叩く月白の顔目掛けて、二階から座布団が降ってきた。


「喧しいんだよ、坊主! 今何時だと思ってんだい!?まったく、特上餡を仕込んでる時に騒がしいったら……おや? その仔猫はどうしたんだい」


 髪を後ろでひっつめにした、還暦過ぎたぐらいの婦人が二階の窓から顔を出す。


「危ねえな、婆さん! いくら座布団だからって投げるこたあねえだろ」

「お黙り! あたしゃ、餡子と対話するっていう高尚な仕事をしてんだ。いくら甥っ子だからって容赦しないよ。で、その腕に抱いてる子供は何なんだい?」

「だから、このおちびの件で頼みがあるんだよ。どうも孤児みなしごみたいでよぉ、まだ働ける歳じゃねえがほっとくわけにもいかねえし。婆さんなら、沢山弟子を育ててきた経験があるから何とかしてもらえないかと思って」


 少し眉を下げて頼み込む月白に、険しかった目を緩めてお龍は朔夜をじっと見つめた。

 どこか見定めるような視線に、思わず朔夜の身体に緊張が走る。


「ふん、成る程ねえ。こりゃあ、今までとは比べ物にならんぐらいの『訳あり』のようだ。いいだろう、話ぐらいは聞いてやるから待ってな」


 そう言って顔を引っ込めると、しばらくして足音が店の奥から聞こえてきた。

 ドタドタと慌ただしい音が近づいてくると、眼前の引戸が音を立てて左に流れる。

 そこには、鼈甲縁の丸眼鏡を着けたご婦人が、割烹着姿で堂々と立っていた。


「さあ、突っ立ってないでとっとと入りな。月白、あんたも拾ってきた張本人なんだから一緒に来るんだよ」

「え!? いや、拾ったんじゃなくて、この坊主からすがられたからどうしようかと」

「それで連れてきたのなら、拾ったことと大差ないね。そら、みたらし団子も食わしてやるから付いてきな」

「あーはいはい。後で紅蓮の分も頼むぜ」


 それに鼻で笑って応じると、お龍は一人と一匹を招き入れ、店先奥へと向かった。


 居間に通された一人と一匹が座布団に腰を下ろすと、しばらくしてお龍が団子を乗せたお盆を持ってやってきた。

 目の前に蓬生団子とみたらし団子が出され、朔夜は目を輝かせる。

 戦闘続きだったせいでお腹が空いていたこともあり、心遣いが非常にありがたかった。

 お龍も向かいに腰を下ろしたところで、さてと話を切り出す。


「坊や。あんた、ただの獣人じゃないね。その魔力量からして獣神の一族ってところかね」


 初見で朔夜の正体を見抜いたお龍に、彼だけでなく月白が目を剥いた。


「なっ、何だって!? おい、婆さん。適当なこと言ってんじゃないよなっ。獣神族は我が子を大切に守る種族だぞ! 他の家の子であっても保護する奴等だ。訳ありにしても、話が飛躍し過ぎだろ」

「あたしが伊達や酔狂で話をしてないのはあんたが一番わかってんだろう? 血が薄れたとはいえ、あたしもあんたも龍神族の血を引いてんだ。わからない訳がない。月白、あんたも薄々勘づいてたから、この坊やをあたしの所に寄越したんじゃないのかい」


 鋭く見据えるお龍に、降参とばかりに月白が肩を落とした。


「まあ、獣人の子どもにしちゃあ魔力が綺麗過ぎると思ってたんだよ。魔力量も異常だしな」

「えっ?綺麗過ぎるってどういうこと?」


 初めて聞く魔力の概念に、朔夜は思わず口を挟んだ。


「魔力にも質ってもんがあるのさ。まあ有り体に言えば、血筋の良さが魔力に出る傾向がある。人族や獣人ではなく、獣神だと創世神に近い存在だから、魔力の質が良くなる傾向があるんだよ」

「質が良いと何か変わるんですか?」

「魔術の威力が増すし、発動も段違いに早くなる。まあ、どんなに資質があっても努力しなけりゃ宝の持ち腐れだがな。裏を返せば、努力家の凡人が獣神に打ち勝つこともあるって訳だ」


 湯飲みに手を伸ばしながら、月白は話をまとめた。


「そういう訳さ、坊や。さて、本題に入るが、お前さんはまだ職業登録できる歳じゃないのは知ってるね」


 尋ねるお龍に、朔夜は目を合わせてしっかり頷く。


「それなら話は早い。お前さん、私の養子にならないかい?」

「えっ、養子? で、でもそれじゃあ、お龍さんの負担に……」

「子供が大人みたいなこと言うんじゃないよ。それに野放しにしておく方が却って不味いのさ。坊やにとっても、あたしら住人にとってもだ」

「それはどうしてですか?」


 自分は兎も角、何故町の人達が?

 疑問に思う彼に、静かにお龍は告げた。


「人身売買が横行しているからさね。特に西側のカラハタとウロの連中が厄介でねえ。あちこちで魔力の強い子供を付け狙ってるのさ」

「だから俺を保護してくださると?」

「それもあるがね。子供を拐いやすい地域だと思われたら、この町があっという間に人身売買の拠点にされちまうからだよ」


 思っていた以上に深刻な社会問題に触れ、朔夜は改めてカラハタの厄介さに顔をしかめる。

 もしや蘇陽も、同じ手を使われて奴等の拠点にされてきたのかもしれない。

 暗い顔で俯く朔夜に気付いたお龍は、そっと彼の頭を撫でた。

 その手つきは、遠く離れてしまった浅葱ら側近を思い起こさせ、目の奥が熱くなる。


「我慢はやめな。子供なんだ、泣きたい時ぐらい泣かないと、大人になってからもっと泣けなくなっちまうよ。ここにはあたしらしかいないし、誰も見ちゃいない」


 もう、限界だった。

 仔猫の眼からポロポロと雫が溢れ落ちていく。

 月白はただ湯飲みを見つめ、お龍は敢えて視線を向けず、優しく抱き締めた。









 





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ラスボス?いいえ、幸せの招き猫です! 日向猫 @mangeturyu15

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