第5話 お前のようなヒロインなんかお断りだ
日頃は季節の花々が咲き誇る天帝夫妻の皇居──蘇陽宮。
その庭園は今、見る影もなく踏みにじられており、室内ですら悉く破壊しつくされている。
御簾を蹴破り乱入してきたカラハタ軍を前に、僅かに生き残った天帝の近衛と、世話を命じられていた浅葱が天帝と皇后を背に庇いながら乱戦を繰り広げていた。
結界魔術を必死で張り続ける浅葱を余所に、後ろで一人の男が喚き出す。
「何故だ……何故、余を裏切る!? あの魔物を討てば祝福がもたらされると言うておったではないか!」
肩より少し長い藤色の髪を揺らし、豪奢な着物を纏った青年が叫んだ。
その琥珀色に輝く瞳は、理解できないとばかりに震えている。
「と、
青年の側で、長い銀髪を結った女性もただ悲嘆に暮れて涙を溢すばかりだ。
この男女こそ、朔夜の不倶戴天の敵にして実の父母である天帝と皇后である。
朔夜への数々の仕打ちを棚に上げて、真向かいにいる左大臣にして邪教の神父──
「もうまどろっこしい手段を講じる必要がなくなったからですよ。最初はこのまま貴方達を上手く使っていくつもりでしたが、よりにもよってあの化け物を産み落とされてしまったのでね……」
それを聞き、天帝の顔が憎悪に歪む。
「やはり、やはりあれは疫病神だったか! おのれっ、あれさえ生まれてこなければ我々はこれからも祝福の中にあったというのに……」
信仰に都合の悪い言葉だけは耳に入らないのか、化け物のフレーズにだけ異様に反応す る。
長年に渡る洗脳の恐ろしさだ。
「ああ……偉大なるターレス神よ! どうか、あのような化け物を産み出してしまった私共を御許しください!!」
翡翠の瞳からはらはらと涙を溢しながら、今度は皇后が偽の創造神に祈りを捧げだす。
正気の沙汰ではないが、近衛達も感覚が麻痺しているのか疑問に思う者すらいない。
その様を見て、李凰は満足げに口角を吊り上げた。
「私も残念でなりません。敬虔な信徒である貴殿方に神父として鉄槌を下さねばならぬとは。ですが安心してください。私が代わりにあの化け物を──」
そう言い掛ける男に向けて、白い光の矢が飛んできた。
瞬時に魔力の盾を張るも、遅かったのか全て防ぎきれず頬に一筋赤い線が走る。
「お前はっ、あの氷山の!」
氷山一族に偽預言者を追放された恨みか、人一人殺しそうな仄暗い視線を浅葱に向ける。
「下がれ、痴れ者! お前ごときが若様を愚弄するでない!!」
「あ、浅葱! 李凰に何ということを!? 彼は我々をあの化け物から守るために」
「いい加減お目覚めください、陛下!! あの男も言っていたでしょう、利用していただけだと。ここまで言われておきながら、まだあのような世迷い事を信じるのですか!?」
下らぬことを言い掛ける天帝を遮り、遂に彼女は一喝した。
脂汗をかきながら結界魔術を維持し続けるその気迫に、思わず天帝も押し黙る。
「もうわかっていらっしゃるのでしょう? あの預言そのものが嘘だったのだと。創世神の色を邪悪と呼ぶ時点で、おかしいと思わなかったのですか!?」
「だ、黙れ! あの預言が間違いな訳がなかろう!!
「やはりご存じなかったのですね。あやつに御膳立てされずとも、貴方と皇后陛下の婚約は両家の間で既に約束されたものでした。上皇様の治世も、既に官民一体となって協力する体制があったこそ。……尤も、その良さもこやつらが蔓延らせた邪教によって壊されてしまいましたが」
言い終わるや否や、鋭く元左大臣を睨み付ける。
「嘘だ……そんな、そんな訳……あれが、あ奴が化け物ではなかっただと?」
「両家が既に、私と藤夜様を引き合わせて? で、ではっ、私達は、騙されていた!?」
長らく思い込んでいた物事の真相を突きつけられ、天帝藤夜と皇后沙々羅は混乱していた。
自ら思考することを放棄してきた結果か、裏切りによる衝撃故か、頭を掻きむしりながら呻いている。
近衛達もずっと化け物と信じ、一切敬意を払ってこなかった第一皇子の無実を知るも受け入れ難いと言わんばかりに顔を背けるだけだ。
それに舌打ちし、李凰は乱暴に頬を拭った。
「言いたいことはそれだけですか、氷山の小娘。どのみち真相を知ったことで無駄なこと。お前の愛する若様も、今頃地獄の業火で焼き尽くされているだろうよ!」
「そんなっ、だから今日に限って……」
勝ち誇ったように高笑いを上げる李凰に、浅葱の顔が絶望に染まる。
先程まで朔夜に否定的だった天帝夫妻と近衛達ですら蒼白になり、今にも倒れそうな程だ。
「さあ、
先に逃がしていた双子達の事を言及され、ひゅっと喉が鳴る。
「だ、誰か……。私はどうなっても構いませんから、どうかあの子達をっ」
悲痛な声を上げる皇后らに、カラハタ軍の猛攻が迫る。
静かに嗤う李凰の手に、魔力の焔が浮かび上がった。
「さあ、これでお別れです両陛下。我が子ですら、化け物ならば抹殺しようとする非情さが私は大好きでしたよ」
そう言い放つと同時に、その手から勢いよく業火が迸った。
消耗しきった浅葱達に、凄まじい勢いで猛火が迫る。
焔の
「人の側近にぃー……手、出してんじゃねえよ!!」
幼い声に不釣り合いなドスの効いた声が、空間を震わせた。
直ぐ様声の方へ魔術を放とうとするも、眼前に小さな後ろ足が迫り、衝撃と共に意識が飛ぶ。
勢いのまま李凰は御簾の遥か向こうへ、多くの兵士を道連れに吹き飛ばされた。
「は、えっ!? 嘘だろ、あんな小さな仔猫が大人を? どこにあんな力が!?」
近衛隊の長である40過ぎの男性が、日頃見せない間抜けな面を晒し、あんぐりと口を開けている。
先程まで勢いづいていたカラハタ軍も、幼子の皮を被った圧倒的存在に青ざめ震え出した。
華麗に宙返りしながら着地する朔夜へ、浅葱が一目散に駆け寄る。
しっかりと抱き締め、愛しいとばかりに頭から背中まで撫でてきた。
「若様っ、お怪我はございませんかっ!?」
「くすぐったいよ、浅葱。この通りピンピンしてるから心配ないって! それとすまない、遅くなって。その、他の皆は?」
「他の者は、国境にてカラハタの手の者と交戦中です。少し前に式神にて連絡がございました。ああ……それにしても、本当に御無事で良かった!」
涙を流して再会を喜ぶ浅葱に、朔夜も僅かに微笑んだ。
入口付近で敵を切り裂いていた萌黄も遅れて参上し、同僚の無事な姿に安堵する。
その後ろでは、何とも言い難い表情で彼等を見つめる天帝夫妻の姿があった。
視線を向けられていることに気付いてはいるものの、朔夜がそちらに目を向けることはない。
浅葱や萌黄も、これまでの朔夜に対する仕打ちを思い、敢えて双方の橋渡し役になろうとはしなかった。
重い空気を察した近衛達も、先程まで化け物扱いしていた第一皇子に助けられたこともあり決まり悪く、所在無さげに視線を泳がせている。
朔夜達、天帝達、カラハタ軍の間でどうにもし難い膠着状態が続いていたその時――
「あら? どうしてあの人がいないの?」
不意に、この空間に不釣り合いな少女の声が響いてきた。
この場の全員が視線を向けた先に、裾の広がっているドレスを着た幼女が立っている。
フリルをふんだんに使った桃色のシフォンドレスは、どう見ても戦場に似つかわしくない出で立ちだ。
「ひ、姫様、なりませんっ! お父上とも約束されたでしょう!! 陣営で大人しくしているようにと」
「大丈夫、お父様は
おかしいわね、ここでなら幼少期の彼に会えると思ってたのに。
イベントが変化してる?
得体の知れない幼女の小さな一人言に、蘇陽側とカラハタ軍は気付いていない。
その中で唯一匹、朔夜だけが顔色を変え、彼女を凝視していた。
毛先に行くに連れて、淡い金色から桃色へと変化する肩までのボブヘアー。
青白い肌を飾る海のような蒼い瞳は、今は幼いこともあり、美しさよりも可愛らしさを際立たせている。
この特徴的な容姿には、嫌というほど覚えがあった。
間違いない、彼女は『花散る』のメインヒロインだ!! ゲームでのキャラデザインでは17歳だが、あの顔を幼くしたらこうなるはず。でも、今の発言はまさか……。
イベント、幼少期の彼。
この言動はどう考えても、ここがゲームの世界と同じであると思っていなければ出てこないものだ。
朔夜と同じ、転生者でない限りは。
カラハタ侵攻というタイミングで、本来登場するはずのないヒロインの行動に、嫌な予感が過る。
それを裏付けるように、無邪気な声音で彼女は天帝夫妻に語り掛けてきた。
「ああ、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ないわ。私は、カラハタ王国第一王女アルシェイド。貴殿方のご子息である第一皇子殿下と婚約を交わしたいと思い、ここまで参りましたの」
「い、いきなり何を勝手なことを。大体、第一皇子はまだ齢3つ……」
「違うでしょう? 何故隠しているのか知らないけれど、あの方は──朔夜様は5つのはずよ。ねえ」
この私を謀ってらっしゃるのかしら?
口元を三日月のようにして嗤う幼女に、天帝夫妻を始め、蘇陽側は一気に警戒を強めた。
その様子が可笑しかったのか、アルシェイドはクスクスと笑い出す。
「まあ、そんな怖い顔をしないで? 何故知っているのかなんて、野暮な事は聞かないでいただきたいわ。貴殿方が朔夜様を差し出してさえくだされば、属国化は免れないけれど上から下まで生活は保証致しますわ」
勿論、聖家族教会を国教とし、国民全員信徒になることが条件だけれど。
到底受け入れられない要求を突き付けるアルシェイドに、朔夜は彼女の本質を察した。
彼女は恐らく、日本からの転生者だろう。
だが、自分とわかりあえる人間性だとは到底思えない。
ゲームの知識を悪用する辺り、倫理観にも問題がありそうだ。
別の意味で警戒する朔夜を余所に、浅葱が静かに後ろへと退がり始めた。
二人の影になるよう、萌黄がさりげなく背に庇う。
「さっきから、何をこそこそ動いているのかしら?」
「っ! 痛っ!!」
「浅葱!」
幼子とは思えぬ動きで、浅葱の前にアルシェイドが回り込み、その腕を力一杯掴んできた。
その際にうっかり喋ったことで、幼女の視線が朔夜へと向く。
急ぎ萌黄が刀を振るも、見えない力に阻まれ、アルシェイドの頭上で刀が止まった。
「邪魔よ、番犬さん」
「ぐっ……ぬおぁっ!!」
突如、幼女の身体から発した眩い閃光諸共巻き込まれ、萌黄の身体が弾き飛ばされる。
そのまま壁に激突し、その手から力なく刀が滑り落ちた。
幼女と思えぬ強さに、天帝達や近衛まで顔を引きつらせる。
「萌黄いぃぃぃ――ッ!!」
「人の心配をしてる場合? 仔猫ちゃん」
急に覗き込んできたアルシェイドの異様さに、思わず身体を硬直させる。
「黒猫で、猫又の子供ね。色は朔夜様と同じだけれど、ファンディスクにそんな情報なかったし。あ、その首輪はっ!」
ぶつぶつ何かを言い始めたと思ったら、急に目の色を変えて日虹水晶に手を伸ばしてきた。
瞳孔の開いた、暗い執着を感じさせる異様な眼。
その粘着質でぎらついた形相が、自分を陥れた藤城と重なった。
「ミギャアアア――──!!!!」
本能的な恐怖を感じた朔夜は、力の限り叫んだ。
突然の威嚇に一瞬硬直したアルシェイドの頭を踏み、そのまま勢いで庭園に転がり出る。
「捕まえて! 生死は問わないわっ、兎に角あの首輪を奪うのよ!!」
「おやめくださいっ、あの子はまだ子供……」
「うるさいっ、年増は引っ込んでろ!」
「うああぁっ!」
止めようとした浅葱の肩をアルシェイドの閃光が貫く。
振り返りそうになる朔夜に、お逃げくださいと浅葱が叫んだ。
「行ってください! 我々は大丈夫ですから、今は生き延びるのです!!」
土気色に変わる浅葱の顔に、焦燥感が浮かぶ。
身を切られる思いで、朔夜は竹林に向かい駆け出した。
* * * *
なりふり構わず、必死で朔夜は竹林の中を駆け抜けていく。
見渡す限り緑の林の中に逃げ込んだはいいが、どこに行けばよいかさっぱりわからない。
「探せ─―!! 姫様の命だ、何があってもあの黒猫を捕らえろ!!!!」
遥か後方ではカラハタ軍の怒号が響き渡り、荒々しい足音が近づいてきていた。
「さすがに一対複数は無理でしょ。ラスボスなはずなのに、どうしてこんな弱いんだよ」
走り疲れて速度が落ちてきたこともあり、つい弱音が零れ落ちる。
「いたぞ──!! 殺せ!!」
「みゃっ!?」
大分距離を詰められていたらしく、大勢のカラハタ軍が半月刀を手にこちらへ向かってきた。
奴等の動きがスローモーションのように見えてくる。
死が間近に迫っているからか、浅葱の優しい笑顔、萌黄の陽気な笑い声、側仕え達の微笑む姿が次々と浮かんできた。
所謂走馬灯ってやつか。
転生してここまで生き残ってきたのに、こんなところで俺は終わるのか?
また、藤城そっくりな奴等のせいで。
ふざけんな、ふざけんなよ!!
怒りを力に変え、朔夜は日虹水晶に手をかけた。
『お前自身の思念に応じて、刀や弓、杖などお前が思いつく限りの様々な武器へと変幻自在に変わる代物だ』
そうだ、
ならばラノベで鍛えられた妄想力で叩き潰すまで!!
「窮鼠猫を嚙むという
胸元の日虹水晶が赤く光り出す。
溶けるように形を変え、仔猫とカラハタ軍を挟んだ上空に、日本でお馴染みのグレーとダークブルーの戦闘機が6機出現した。
どう見ても航空自衛隊の誇るF-35AとF-2A、F-2Bだ。
「な、なななな何だあの化け物は!?」
オーバーテクノロジーの集合体を指さしながら、カラハタの曹長らしき男は泡を吹かんばかりに叫ぶ。他の連中もこんな化け物を相手にするなんてと血の気が引いていた。
眦を吊り上げ、朔夜が右手を振り下ろす。
「撃て――──ッ!!!!」
上空から機関砲による一斉掃射が始まった。
連中の頭が、腕が、胴体が、全てが一瞬のうちに肉塊へと変わっていく。
緑の竹林に、次々と赤黒い華が咲き乱れた。
「そして、最後の仕上げだ!」
6つの機体がそれぞれ皇国の果てまで飛んでいく。
機体と同じく赤い光に包まれた朔夜は両腕を伸ばし、目を閉じた。
脳裏に浮かぶは、国境に飛ばされ、傷つきながらも国を守り続ける愛すべき側近達。
「待ってろよ、今助けるから!」
ふっと鋭く息を吐き、朔夜は己と呼応した6機を六角形状になるよう配置した。
その瞬間、6機から柱状の光が天を突くように迸る。
各柱から細い光の線が伸びて連結していくと、それが光の壁へと変わっていった。
壁の内側に蘇陽の民が残され、侵入していたカラハタ人及びその協力者達は次々と壁の外側へと強制的に追い出されていく。
「破邪!!」
柏手をパアンッと強く打ち、上空を透明な結界のドームが覆いつくした。
結界が完成したところで、6つの戦闘機が一つの日虹水晶へ戻り、朔夜の首元に収まる。
「これで、何とか……にゃっ!?」
慣れない状況下で膨大な力を使ったせいか。
急に身体がどんどん上空へと上がっていく。
「まっ、待って待って待ってええええええええ――──!!」
ふと首元を見れば、見たこともない程日虹水晶が金色に輝いているではないか。
これは赤子のときに神力の暴走を引き起こしたのと同じ状況だ。
いや、もっと悪い!
どれだけ力を制御しようとしても、日虹水晶の暴走が収まる気配がない。
背後に先程作り上げた結界のドームが迫る。
下手したらあれに押し潰されるのでは!?
色々と覚悟を決め、朔夜は頭を抱える。
鞠のように丸くなった黒い仔猫は、そのままポンッと軽い音を立てて結界の外へと弾き飛ばされていった。
その日、後に蘇陽大結界と呼ばれるものが蘇陽国全体を覆いつくした時のことを、後世の歴史家はこう語る。
蘇陽国中興の祖にして、後の大帝朔夜の偉業は齢5つにして自己犠牲の精神を発揮し、大結界を築いたことから始まったのだと。
いつでも歴史上の偉人は美化されるものだと、当の本人が知るのは大分先の話となる。
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