近未来マーケティング

僕、安藤武は1年間の浪人生活を経て、この春、晴れてE大学理工学部に入学した。

入学する直前に新型ウイルス蔓延となり、入学式はもちろん、オリエンテーションから春先の授業まで全てが中止となった。

そのおかげで本来であれば、夏休みの時期に授業が振り替えられ、やっと今週から授業再開なのだ。


グラウンドではアメフト部が大声を上げながら走ってる。その向こうでは吹奏楽部が思い思いに楽器を鳴らしている。そして緑の多いキャンパスだけにミンミンゼミも大合唱だ。

本当なら今は夏休みだよと思いながらも、ようやく大学生活が始まり、それが通常運転になっていくことは、やはり結構うれしかった。


そんな一見活気あるキャンパスを横切って、経済学部棟に向かう。

僕の大学では理系の学生も文系科目を、文系の学生も理系科目を一部履修することになっている。社会人として幅広い視野を持つため、だという。

本音を言えば面倒くさい。

僕が履修を決めた文系科目は「近未来マーケティング」。

どういう科目なのか、単位は取りやすいのか、講師はどういう人か、全くわからなかった。大学が入学時に出すガイダンスの講義案内にはふつう概要が書いてあるのだが、そこにもたった一行。

「現実世界と今後起こりうる世界を経済学の観点から掘り下げる」

まぁ、近未来マーケティングなんだから、そんなような事なんだろうな。

他の文科系科目があまりにも興味を誘わなかったので、講義タイトルだけでも面白そうな科目をと思い僕は履修を決めたのだ。

そして、今日はその第一回目の授業という訳だ。


僕はいかにも大学の教室といった階段式の教室に入り、教壇と入り口のちょうど

中間地点の席に腰を下ろした。

やや生ぬるいとは言え、空調がちゃんと利いていて安心する。

周りを見渡すと半分くらいの席が埋まっている。

文系科目の為、知り合いはほとんどいないのか、と思っていたら結構同じ理工学部の見知った学生もいる。やはり皆、似たような理由で科目を選択するのかもしれない。

時間になり、チャイムが鳴る。

しばらくするとガラリと小柄な華奢の男性が白衣を着て入ってきた。

マーケティングの講師が白衣。

すこし違和感があるが、大学の先生というのは元来変わり者が多いから、

そんなものだろう。

白衣の男性は、早足で教壇の中央に立つと、おもむろにマイクに話し出す。


「おはようございます。結構沢山集まっていますね。

私、この近未来マーケティングの科目を担当します祖父江貴文と申します。

よろしくお願いします。」


見た目よりも数倍はっきりした口調で話す。さすがに大学の先生だ。

当たり前か。それより、夏休みに授業することをまず詫びろ。


「さて、皆さんはインターネットで色々調べものをすると思います。

例えば、車を調べたとします。するとその後、車の広告がいろいろなところに

掲出される、ということが起こりますね。

これはリターゲティング広告と言われています。

商品を勧めるという意味でレコメンド広告とも言われています。」


これは聞いたことがあるし、実際によく目につく。

一度間違って高級リゾートの別荘地のサイトを見てしまったら、高級住宅や海外旅行などのセレブ御用達の広告面ばかりになって、苦笑いをしたことがある。


「このレコメンド広告は、自分でも検索した認識があることが多いので、広告が出てもあまり気になりませんね。それに今までは、白いTシャツの商品ページを見ていた人に対し、青いTシャツを勧めるような広告が多かったのです。

しかし、今後はAIによって自分が検索していないような商品がどんどんレコメンドされるてくるようになるのです。」


へぇー、でもそんな自分が欲しくないものをレコメンドしても、買わないぞ。


「そう、私がこういうと、欲しくないものは勧められても買わないな、そう思ったでしょうね。」


そう思った。


「それは、当然のことです。ですから、皆さんが欲しいと思うものをレコメンドしていくのです。検索してないにも関わらず。」


そんなことができるのか?


「できるんですね。 例えば、まず車の検索をしたAさん。車は軽自動車Nにしましょうか。このAさん、時計も検索しました。有名ブランドS社製のものです。

さらにAさん、Oキャンプ場も検索しました。

こうしてみると、バラバラのイメージです。

さて、別のところにBさんがいます。BさんとAさんは偶然同じ年齢で、二人とも男性です。このBさん、Aさんと同じように軽自動車Nを検索。S社の時計、Oキャンプ場も検索したとします。」


随分とご都合主義だな。


「ま、これは仮定ですから、現実的にはここまで上手く行かないかもしれません。

さて、このBさん、実はD社のジャケットを買っていました。Bさんの会社がビジネスカジュアルを推奨するようになったからです。Aさんはジャケットは買っていません。

さて、皆さん、Aさんに何か売るものをレコメンドしようとした際、何をレコメンドするのが良いと思いますか?」


えーと、そりゃ、この情報だけならジャケットをレコメンした方がいいか。


「そうなんです。この仮定の情報量ならジャケットをレコメンドしたくなりますね。」


そういうことか。まぁ仮定の話だからね。


「ただ、これが単なる仮定の話かというとそうではありません。

AさんとBさん、かなり嗜好や思考が近い人と想定できます。

どのくらい近いのでしょう。

車は何十種類も種類があり、時計も、キャンプ場もいくつもの種類があります。そもそも、車と時計とキャンプ場を続けて検索したとすれば、

かなりの確率です。それぞれが20種類しかなくても確率では1/8000です。

それら沢山の選択肢の中から同じ自動車・時計・キャンプ場に

たどり着く、というのはやはり思考や嗜好が近いと考えられます。

そこで、Bさんがすでに購入しているD社のジャケットをレコメンドする、ということに繋がるのです。

つまりベースとなる居住エリアや年齢・性別等のデータに加え、どういうサイトを見ている、何を検索している、何時頃みている、等の習慣や嗜好・思考をデータ化し、AIに解析させることにより、その人がどういうものを今後購入しそうか、ということが分かるようになります。

そして、そういう商品をレコメンドしていく方が効率が良い、ということになります。

データが集まれば集まるほどその精度は高まります。更に今度は本人が思いもよらない商品がレコメンドされることも出てくるでしょう。」


思ってもみなかった商品?


「そうです。思ってもみなかった商品。例えば、ゴルフクラブ。

今までゴルフをやっていなかったにもかかわらず、

ゴルフクラブが欲しくなるのです。」


催眠術みたいだな。


「これは占いでも催眠術でもありません。マーケティングです。

しかも既に実用化されています。

なぜゴルフクラブが欲しくなるのか。

もしかするとあなたが検索したアイドルが最近ゴルフを始めたのかもしれない。

何かゴルフクラブが買いたくなるようなトレンドがどこかにあるのです。

あなたの知らないところで。」


ふーん。なんか怖いね。


「さて、ここまでは検索と買い物という軸で考えていました。

しかし、これを今後もっと有効に使うにはどうすればよいでしょう。 

例えば政治に不満や文句がある、と言う人はいつの時代にも必ずいます。

そしてそういう人が周りの人を扇動して、クーデターを起こしてきているのです。

しかし、先ほどのレコメンド機能同様に、AIがディープラーニングすることで人々の行動は予測できるようになります。

誰かが現体制を倒すために駅前や大学でシュプレヒコールを上げ、デモを起こそうとするかもしれません。そういう行動が事前に予測できるのです。しかも本人がそれと気づく前に。」


本人が気づく前に?


「さて、ここでみなさんにはアンケートを答えていただきたいと思います。

簡単なアンケートです。先ほど皆さんのスマートフォンにアンケートフォームを

お送りしました。」


あ、届いてる。


「はい、それでは、そのアンケートを入力ください。

これを入力すると、AIによって、本人も意識していなくても、今後社会に対して非常にネガティブな行動をしようとする人が判明します。」


え、どういうこと?

スマホ画面を見ていた顔を教壇に向ける。まわりの学生も驚いた様子で教壇を見る。


「そういう危険人物は早いうちに芽を摘む必要があるのです。」


その時、後方からドタドタと音がし、大量の屈強そうな男たちが入ってきた。


「みなさんは新型ウイルスがコンピュータのハッキングが発端で発生したことを

ご存知だと思います。もし、あの時、ハッカーになりそうな学生の行動予測ができていたら、

事前にハッキングを停めることが出来ました。」


そうかもしれないけど…


「我々はAIによってこの教室に次のウイルスを発生させるようなハッカーとなりうる人物がこの教室にいることが分かっています。後はその絞り込みです。ほとんどの人は関係ありません。危険分子はほんの一握りです。さぁ、アンケートを入力ください」


そんなアンケートで未来を決めるなんて。


僕は額の汗を拭うのを忘れ、スマホ画面を見ると

そこには「非常時を生き抜くサバイバルグッズ」の広告があった。

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近未来マーケティング かつあん @annkatsu

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