魔法少女なんていなければよかったのに
天野蒼空
魔法少女なんていなければよかったのに
「魔法少女なんていなければよかったのに」
私は誰に言うでもなく、独り、呟いた。
頭上には満点の星。天の川がはっきりとわかるほど澄んだ夜空。てっぺんで輝く、宝石のような一等星をつなげてできる、夏の大三角。
足元には、大地。荒れ果てた、大地。瓦礫と枯れた草が、灰色の地面の上で折り重なるように倒れている。
目線を下げれば嫌でも目に入ってくる、フリルがたくさんついた白とピンクのミニスカート。
手元には身長の半分くらいの杖。太い蔦のような、螺旋を描く形状だが、その材質は植物のような温もりはなく、どちらかといえば、鉱石のような冷たさがある。先端には、うっすら光る花の形をした、桜のような薄ピンクの石が埋め込まれている。
「茉桜、これでいいのかい?」
右隣から声がした。
「もちろんよ、ルイズリー。だって、こうするしかないでしょう」
私はその声の主に返事した。
「魔法少女は誰もが最後にそういうんだ。だから、僕は止めないよ」
そう言いながら、ルイズリーは私の目の前に来た。
見た目はただの黒い猫。だけれども、服を着て、喋り、宙に浮かぶのは、ただの猫じゃないから。
ルイズリーは使い魔だから。
そして私は魔法少女。
全てを終わらしてしまったけれど、私は魔法少女なのだ。
そう、あの日から。
目を閉じれば、あの日からの出来事が瞼の裏に映し出される。一つ一つ、鮮明に。鮮やかな色をした、色褪せないものが。
その日は、梅雨の間の珍しく晴れた日だった。蒸し暑い風が、もうすぐ夏本番だ、ということを教えてくれている。昨日の晩に降った雨が、コンクリートで固められた道路に水溜りを作る。その水面に映る空の色は、突き抜けた青だった。
教室の一番窓側の席、後ろから二番目。校庭のよく見えるこの席が、私の席。クラスにいる女子生徒のセーラー服の袖は、数日前に短くなったし、男子生徒は暑苦しい学ランから開放された。それと同時に、少しだけ、皆のテンションが高くなったような気がする。
そんなクラスメートの様子を横目で見ながら、私は鞄の中から文庫本を取り出した。残念なことに、このクラスには一緒にはしゃげるような人は居ないし、もともと私は、いわゆる「陽キャ」というような人たちの空気が苦手だ。残念なことに、クラスの半分以上は「陽キャ」なので、私にはどうすることもできない。
今日も教室の端で時間を浪費して一日を終えることになるだろう。
「席につけー。ホームルーム始めるぞ」
担任の先生が教室に入ってくると、教室は少しだけ静になる。
「今日は欠席、いないな」
先生は紙に書かれてある連絡事項を読み上げたあとに、こう続けた。
「そうそう、今日の朝、服を着た猫を見たんだよ」
「先生、最近は犬でも服着せられているよ。」
クラスの中で騒がしくしているうちの一人が言った。
「いや、ペットショップで売っているようなのじゃなくて、もっとしっかりしたものだったんだよ。スーツみたいなのを着ていたんだ。それに、飼い主らしき人も見当たらなかったし。」
「先生、寝ぼけていたんじゃないんですか?」
クラスの中でどっと笑いが起きる。先生は、「そうなのかなぁ」と言いながら頭を掻き、教室から出ていった。
一時間目は移動教室だったから、クラスの中の人数は段々と少なくなり、やがて教室の中は空っぽになった。
その日の夕方のことだ。
私はいつもどおり学校を一人で出て、電車を乗り継ぎ、最寄り駅まで帰ってきた。
駅の前には寂れた商店街がある。今は殆どの店がシャッターを下ろしてしまったけれど、私が幼い頃はもう少し賑わっていた。
商店街を半分くらい歩いた頃、私は後ろから何かがついてくるのに気がついた。そっと後ろを振り返る。
そこには猫がいた。でも、ただの猫じゃない。
そいつは服を着ていた。白いシャツに、茶色のベスト。同じ色のズボンを履いていて、おまけに紺色のネクタイまで締めている。
今朝、ホームルームで先生が話していたことが思い出される。「しっかりした服を着た猫」というのはこの猫のことか。でも、学校からここまでかなりの距離があるのだが。
「ねえ、君」
誰かが喋った。それは、少年のような少し高い男の声だった。
誰が喋ったのだろうかとあたりを見回すも、ここは寂れた商店街。目の前の猫と私しかここにはいない。
「君だってば」
その声はもう一度喋った。
「もしかして、僕の声、聞こえていない?そんなことないよね。目の前にいるんですけど。」
認めたくはないのだが、誰かのいたずらじゃなさそうだし。ついに、私、幻聴が聞こえるようになってしまったのか。
「早く帰って寝よう。疲れているのね」
「幻聴とかじゃないから!」
急に猫が鞄に飛びついてきた。
「わあ!なによ、急に」
「だから僕が喋っているんだって」
「猫って喋るの?声帯とか、どうなっているの?」
「それは僕が君の心に喋りかけているから。いわゆる、テレパシーってやつだね」
「やっぱり幻聴かな?」
「違うんだってば」
「いや、どう考えても、こんなことなんて普通ありえないでしょ」
頭が痛い。なんなの、これは。
「まあまあ、細かいことはいいじゃないか。そんなことより、僕は君に大事な使命を持ってきたんだ」
「大事な使命?」
「そう。おめでとう。君、いや、木原茉桜は千六百七十一番目の魔法少女に選ばれたんだ」
魔法少女、というのはどういうものなのだろうか。アニメや漫画の中の、短いスカートを履いて悪の組織と戦う、あんな子達に私はなるのだろうか。
「急にそんな事言われたって、何をするのよ」
「簡単さ、世界に少しだけ奇跡を起こすんだよ。君にはその能力があるんだ」
「そんなの無理よ」
だって、私は何もできない。いつも教室の隅でひっそりと一人でいる。世界だなんて、奇跡だなんて、そんなの私には無理だ。
「無理かどうかはやってみないとわからないよ。さ、手を出して。いいものをあげる」
言われるがままに両手をそっと前に出す。
「これが魔法少女のためのアイテムさ」
空から何かが降ってきた。それは、金属光沢のある銀色の細長い棒だった。大きさは両手に収まるくらいのもの。先端には薄ピンク色の石。花の形がかたどられている。
「それを片手で握って、勢いよく振ってみて」
右手でその棒を握り、上から下へビュンと振る。
すると、何ということだろうか。その棒は長くなった。少しデザインも変わって、ただの棒じゃなく、それは古い木のように緩く捻れている。石も棒のサイズに合わせて大きくなった。それだけじゃない。周りがなんだか、キラキラしている。まるで私の周りだけ光の粉が舞い散っているようだ。少し、体が軽くなったような気がする。
「よし、成功だ」
「これは、何?」
「まあまあ、こっちに来てごらん」
カーブミラーの前に立つ。そこで初めて私は自分の服が変わっていることに気がついた。
おさげにしていた黒髪は、高い位置でツインテールにされていて、レースの付いたリボンがついている。
制服のセーラー服は、白いノースリーブのミニワンピに変わっていた。肩の部分にはひらひらとしたレース。胸の前には大きいピンク色のリボン。結び目には、銀色に光る花の形のブローチ。ウエストを同じピンク色のベルトが締めている。スカートはたくさんのギャザーが施され、布を大量に使ったパニエも履いており、全体的にふんわりとしている。部分ごとに薄ピンクの切り返しも入っているので、全体的に可愛らしくまとまっている。
そして、足には白いニーハイソックスと銀のハイヒール。アンクレットに細いベルトがついていて、可愛すぎないように調整されているようだ。
「ええっと、これ、どういうこと?」
何が起こったのかよくわからない。いや、わかってはいる。けど、頭が整理しきれない。
「魔法少女に変身したのさ。正確には、魔力の塊であるその衣装を纏うことで、君の魔力が安定するんだ。おめでとう。これで君は正真正銘、魔法少女だ。僕は君の使い魔になるルイズリー。これから宜しくね」
ルイズリーは私に一冊の本を渡した。
茶色い革の表紙がかけられていて、鋲も打たれている、古そうな少し厚みのある本。なんでも、これは魔法の書だそうだ。私はその本を一緒に渡されたホルスターを使って腰に下げた。
「なんだか、やれそうな気がするの」
こうして私は魔法少女になった。
奇跡を起こすというのは、思ったより簡単だった。何をすればいいかは魔法の書に浮かび上がってくる。奇跡って言ったって、とても小さいことのほうが多い。ほんの少しだけ、誰かが笑顔になれる魔法。小さな奇跡でも、それが起こせることがちょっとだけ誇らしかった。
奇跡を思い浮かべながら、私は杖を振る。知らない人の奇跡を、今日も私は叶えるのである。
奇跡がかなったとき、少しだけ世界の色が輝く。淡い色の空の青が、優しさに溢れた木々の緑が、温かな太陽の赤が、全てが鮮明になる。見えない色も見えてくる。知らない人の笑顔の灯りが、風の匂いが、色づく。世界はこんなにも色で溢れていたってこと、私は今まで知らなかった。
何度杖を振ったか、最初の頃は数えていたけれど、いつしか数えることをやめてしまった。多分、宇宙の星の数ほど振ったのではないだろうか。
時間はどんどん過ぎていった。
私は学校に行くのをやめてしまった。家にも帰らなくなった。
魔法少女になったことで、私という存在が世間から消えてしまったらしいのである。なんでも、魔法少女は普通の人の住む世界の外側から奇跡を起こすかららしい。普通の人と違う世界に立つことで、魔法というものは使えるようになるらしい。「神様と人間の間のような存在だよ」と、ルイズリーは説明してくれた。確かに、神様と人間は同じ世界にはいない。
魔法少女の奇跡の力がうまい具合に働いて、私は「元からいなかった」ということになっている。だから、学校に行かないのではない。行けないのだ。家に帰らないのではない。帰れないのだ。
その代わり、ルイズリーは小さな館を用意してくれた。なんでも、昔の魔法少女が住んでいたところらしい。
その館は、魔法を使わないと入れない空間の中にある、森の中にぽつんと建っていた。
レトロな雰囲気のある、レンガ造りの二階建ての建物。その外建物は、「館」と呼ぶにふさわしい建物だった。
黄味がかった赤や茶色の壁の所々には蔦で覆われている部分もある。屋根は青みがかった黒色。玄関前には青銅の帽子をかぶったライト。重たそうな黒いドアには、ライオンの顔がついた真鍮のノッカーがついている。中にはいくつもの部屋があり、猫脚のついた浴槽のあるバスルームや、煙突のついた暖炉、広々とした大広間に、大きな長机の置いてある食堂などもあった。それらには、古くから使い込まれたような跡が残っていて、魔法少女が昔いたということを肌で感じさせられた。
私はその中の一部屋を自分の部屋として使った。その部屋にいると、不思議と一人でいても一人じゃないような気がした。
毎朝、魔法を使って魔法少女の姿に着替え、元いた世界に「出勤」し、夕方になればその世界を「退勤」して館に帰ってくるような生活が私の毎日になった。
日々は何事もなく流れていき、私は何百、何千回と、奇跡を起こした。いつの間にか、季節は過ぎていった。木々は青々とした葉を茂らせ、色づかせ、落としていった。真っ白な季節が終わると、暖かな空気とともに色とりどりの花が咲いた。
それは、知らないうちに始まっていた。
奇跡が叶いにくくなってしまったのだ。すべてが失敗するわけではない。最初は一日に数回だった。
「集中しているかい?」
ルイズリーにはそう茶化された。
「ごめん、ごめん」
でも、私は集中していたときでも失敗した。魔法が成功したような手応えが、杖を振った瞬間にはある。しかし、世界は変わらない。輝かない。色がくすんでいる。
変化は次第に大きくなってきた。
ある日、いつものように杖を振っていたときのことである。ふと気づけば、何かおかしいのである。いつも杖を振るときに来ている人の居ない丘の上。見慣れたはずの目下に広がる街。でも、どこかよそよそしくて、何かが足りない。
何が足りないのかはよく街を見ていたら気がついた。
「色が足りていないのよ」
「色?」
不思議そうなルイズリー。でも、私の目に映る世界は少し彩度が落ちた世界だった。その世界はよそよそしくて、寂しそうで、消えそう。
色は日に日に灰色に近くなっていった。私も魔法も成功することのほうが珍しくなっていった。その頃になってようやく、ルイズリーも世界の色がくすんでいるのがわかってきたらしい。
「やっぱり、魔法を使う分だけわかるのが早かったのかもね」
「そんなことより、どうにかしないと」
私は魔法少女。世界に奇跡を起こすのが仕事。私はこれしかやることがない。これしかできない。悲しそうな色の世界に、私の魔法は届けたい。私の、存在理由のためにも。
「魔法はなんだって起こせるんだ。どんなことでも起こせるから魔法なんだ。だからきっと、何かあるはずなんだ」
ルイズリーの金色の二つの目が、真剣そうに光る。
太陽がゆっくりと西の端に消えていく。暗い夜が東から迫ってくる。頭の上にぽっかり浮かんだ白い月は半分くらい欠けている。肌に当たる風が冷たくて、少し嫌な予感がした。
いい方法は見つからないまま、何日も過ぎた。何度杖を振っても、奇跡は起きなくなってしまった。
世界はどんどん灰色に染まり、やがて色も音もすべてが消えてしまった。
花は笑わない。ただ、そこに花の形をした塊がついているだけ。木々は歌わない。無音の空間にそれらはただ立ち尽くしているだけ。風は冷たく、私の肌を刺す。街をゆく人の表情が消え、誰もが能面のような顔をしている。彩度ゼロの空に穴が空いたような真っ白い雲が浮かんでいる。
灰色の世界を、私はどうすることもできない。ただ、見ていることしかできない。
「愚かだ」
上の方から声がした。その声はとても低く、声というより、楽器の音に近い。言葉だと認識できるのは、その言葉にひどく怒りの感情がこもっていたからだろう。
「やはり、魔法少女は愚かだ」
その声はもう一度言った。
「誰なの?」
「魔法少女に話しかけられる存在だ」
その一言じゃ何もわからなかった。隣を見ると、ルイズリーが難しい顔をしていた。
「君は人間より遥か上位の存在を見たことがあるかね」
そこでようやくこの声の主がわかった。
魔法少女よりも上位の存在。いや、何よりも遥かに上の存在。神だ。これは神だ。
「ようやくわかったか、魔法少女。この世界をこんなふうにしたのはなぜだ」
「私はただ…‥」
なにを言おうと言い訳のようになってしまうのではないか。そう思うと、次の言葉が出てこなかった。
「奇跡なんて、所詮そんなものなのだ」
呆れたような神の声。
「そんなものなんかじゃないです」
食いつくように、つい、言ってしまった。
「誰かを笑顔にできるって、素敵だと思いませんか。私、やっと、やっと見つけられたんです。私にしかできないこと。誰も私をないものと同じようにしていたけれど、これはわたしにしかできないことだって、私の存在意義なんだって、思ったんです。それに、奇跡を起こすようになってわかったんです。世界は美しいんだって」
まくしたてるように言う。でも、神はそれを鼻で笑った。
「魔法少女のためだけに世界はこうなったようだな。そうだ。その魔力がなぜ使えているかわかるか」
「わかりません」
「これは天の力の一部を貸し与えたものだ。召喚術というものは、昔から人間が好んでいるがそのようなものだ。」
「そう、なんですか」
突然魔法少女に選ばれて、奇跡を起こすようになって。自分でなにか悪いことをしたということはわからなかった。
「つまり、代償が必要。わかるか」
召喚術というものをやったことはないからわからないけど、本では読んだことがある。そこに書かれてあったのは、魔法陣とその周りに置く蝋燭、中央に置かれた生贄。
「なにが、ほしいの?」
生贄となれと言われているのかと思った。終わってしまうことに対しての恐怖で、押しつぶされそうになった。握った拳が小刻みに震える。
「魔法少女の魔力をよこせ」
杖を強く握りしめる。
「断ったら?」
「それはできない」
目の前に大きな影が現れた。重たい空気があたり一面に広がる。
魔法少女から魔力を奪ってしまったら、そこに残るのは何なのか。存在が元の世界に戻ってくるわけじゃない。戻ってきたところで、帰るところなんてない。私にはここしか居場所がないのに、それを奪われたら何もなくなる。
そんなのは、嫌だ。
手が迫ってくる。奪われてしまう。嫌だ、嫌だ。
考えるよりも先に体が動いていた。
長く伸びた杖がその手を振り払っていた。その軌跡に薄ピンクの光の花びらが舞う。
ごとり、と、なにか重いものが落ちる音がした。
地面をみると、黒くて禍々しいオーラを放つ物体が落ちていた。暗く濁った青いそれは、ところどころ赤い筋が入っている。節くれだった木の枝のような形をしていて、五本に割れた先端には尖った石のようなものがついている。
「お前は」
ルイズリーが怒りに満ちた声を上げた。
「クソがぁ」
地響きに近い声。
「お前は悪魔だな!」
ルイズリーは叫んだ。
「悪魔…‥」
魔法少女より上だなんて言うから、神なのかと思っていた。
「神と同等の力を持つ、人間より上位の存在。だけど、神とは真逆の存在。その腕、悪魔だろ」
「ああそうだよ、だったらなんだ。世界を俺が完全なものにしてやるんだよ」
「なにをするの」
「全て消えれば綺麗だよな。新世界ってやつだ。魔法少女の魔力をちまちま集めているだけじゃ終わりそうにないからな。このままおまえごと消えればいいんだよ」
世界を、消す。それは私が止めないといけないんだ。
「させないから」
私は魔法少女である。皆に奇跡を届ける存在だ。奇跡で皆を笑顔にする存在である。世界を、消させるものか。
「魔法少女が悪魔に勝てるとでもいうのか。笑わせるな」
「じゃあなんで、私の魔力で世界を消そうとしたの。あなたに何かをする魔力がないからじゃないの?」
はったりだった。精一杯の作り笑いで、悪魔を見下すように私は言った。膝は気を抜いたら崩れ落ちそうなほど震えている。
「うるさい。奇跡なんて、奇跡なんて」
呻くような声がした。そして目の前に大きな拳が飛んできた。バックステップでそれを避ける。
「黙っていてよ。奇跡を起こすのが私の役目なの」
それだけ、それだけが私の存在意義だから。
大きく杖を振る。
あたり一面が桜色のあたたかい光りに包まれた。柔らかいその光の中は少し懐かしかった。音は何も聞こえない。
誰かに呼ばれたような気がしたけれど、構わず光の先を目指した。
そこで意識は途切れた。
「…‥お。…‥まお。ねえ、茉桜」
どこかでルイズリーの声がする。うるさいなあ。もう少し寝かせてくれたっていいじゃない。私、まだ眠いの。
「茉桜、起きてよ」
なんでそんな悲しそうな声をしているのよ。朝はまだなはずなのに。
「起きて、起きてよ。茉桜」
ゆっくりと目を開ける。目の前に金色の悲しそうな二つの瞳。
「どうしたの?」
「茉桜、起きてくれた。よかった、ほんとに」
ルイズリーは胸の上に飛び乗ってきた。体を起き上がらせようとしたが、びくともしなかった。重たい何かが私を押さえつけているかのようだ。
目に見える空の色は、終わりに近づく赤色。ゆったりと浮かぶ雲の色は空の色に染め上げられている。音はなく、静かに風が吹いている。背中に当たる土のぬくもりと湿り気、ざらりとした砂利の感触。当たり前のようなはずなのに、何かが欠けてしまったような違和感がした。
「私、どうしていたんだっけ」
悪魔にむかって殴りかかったことは覚えている。目の前に悪魔がいないということは、無事倒せたということだろう。しかし、その実感は一撃を与えた手の中にすら残っていなかった。その上、薄っすらと残っている悪魔との対峙の記憶は夢のようで、現実感がない。
だんだんと、体が動くようになってきた。ルイズリーは心配そうにしているが、地面に突き立てたステッキを頼りに、力の抜けそうな両足でどうにか立ち上がる。
「なんなの、これ」
そこに広がっていたのは、絶望そのもののような景色だった。
大地は灰色だった。燃え尽きた暖炉の灰のようだ。草木には昨日までの青々としていた面影はない。くすんだ色に変わり、そこに生気は感じられない。花はどこを見ても咲いていない。遠くに見える建物は、まるで何十年も前に廃れた廃都市のようだ。形は残っているが、崩れかけで今にも倒れそうなものもある。全てが息をしていなかった。これは死んだ街だ。足元に大きな影が落ちていた。徐々に夜の闇に包まれていく街は、どこからも音がしなかった。
「見たとおりだよ」
ルイズリーは淡々と言った。そこに感情があるとは思えなかった。
「見たとおりだよって、そんな…‥」
何も言葉が出てこなかった。
「あれだけ強い魔力で戦えば、そりゃ、街の一つだって滅んじゃうよ」
ハッとした。
「私が、戦ったから、なのね」
ルイズリーは返事をしなかった。その言葉だけが空気に溶けて、消えていった。なのに、形が残っているようで、妙に重たかった。
「ねえ、戻せないのかな。奇跡、だよね。戻すのも」
「できないわけじゃないよ、でも」
ルイズリーはそこで言いよどんだ。
「でも?」
「さっき、代償が必要って話はしていたのは覚えている?」
「悪魔が話していたね」
「つまりは、今の茉桜には足りないんだ」
「魔力…‥じゃなくてその代償が?」
すぐに察しがついてしまったのは良いことなのか悪いことなのかは判らない。でも、ルイズリーは悲しそうに頷いた。
「今までの魔法少女のうちの何人かも、同じようにして消えていったんだ。茉桜には、まだ残っていてほしかったな」
「ということは、方法はあるのね」
「自分そのものを代償にするんだ」
表情は悲しそうなのに、声はいつもと変わらなかった。その淡々とした声が教えてくれたとおりに、私は地面に魔法陣を描いた。
書き終わる頃には、頭上に星が輝いていた。いつもより輝いて見える星の灯が眩しかった。その灯りは硬くて遠いけれど、あたたかかった。
踏みしめるように、魔法陣の中央に立つ。星の灯がスポットライトのように私に降り注ぐ。胸を張って、杖を握り直す。
大きく一つ深呼吸し、空を見上げる。
「魔法少女なんていなければよかったのに」
私は誰に言うでもなく、独り、呟いた。
「茉桜、これでいいのかい?」
右隣から声がした。
「もちろんよ、ルイズリー。だって、こうするしかないでしょう」
私はその声の主に返事した。
「魔法少女は誰もが最後にそういうんだ。だから、僕は止めないよ」
頷く。大丈夫だよ、と言う代わりに笑ってみせた。
魔法少女であるときが一番私らしくいられたのかもしれない。一番自分を感じられていたような気がする。一番、安心できる居場所だったと思う。でも、何よりも言えるのは、私の存在が確かだったんだ。
だから、最後まで私らしくありたいんだ。
口から呪文が流れ出す。
終わりを感じると、胸の奥がハッカのアメを舐めたときのようにすうっとした。魔法少女でいたのは一年と少し、くらいだっただろうか。短かったような気もする。しかし、楽しかった。あの館はまた次の魔法少女が使うのだろうか。
さよなら、などと無粋な言葉は言わない。この街の奇跡のかけらになるから。
杖を高く掲げる。
薄ピンクの光の花びらが私を包み込む。
眩しい。そして、あたたかい。
視界が白くなって、やがて何も見えなくなった。
魔法少女なんていなければよかったのに 天野蒼空 @soranoiro-777
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