第16話 取り調べ
取り調べ
「名前と生年月日を教えてもらえますか」
太月姐さんと入れ替わりに病室に入って来たのは、制服を着た警官と婦人警官の2人だった。
言葉を切り出したのは婦人警官だ。
こんな時、ニューハーフに対応するのは婦人警官なのだろうか…。
「ふじきよしかず」
蚊の鳴くような…と形容されても不思議ではない小さな声で答えた。
「どの様な字を書きますか、できればもう少し大きな声でお願いします」
挑む様な口調の婦人警官に、私は少しだけいらつきを覚えていた。
「藤木は一般的な藤に木です。よしかずは良い悪いの良に平和の和です」
私の答えにいちいち頷きながら、並んでパイプ椅子に座った男性の警官がメモを取っていく。
「性別は男で良いんですよね」
なんてデリカシーの無い聞き方をするのだろう…。
「戸籍上は」
私の返事もぶっきらぼうになって行く。
「戸籍上の話をしてるので」
「だから男です」
明らかに不機嫌を声に乗せてると言うのに、婦警になろうと言う女に人の心を気遣う気持ちなど微塵もないのだろうか。
「分かりました」
事務的…それが当たり前のようにまったくひるむ様子もない。
「色々調べた結果、男性とラブホテルにいたようですが、あなたは同性愛者ですか?」
またしても不躾な聞き方…。
「性同一性障害です!」
思わず大声が出てしまった。
「大きな声が出せるじゃないですか…質問には明確に答えていただきたいので、大きな声で答えて下さいね」
まるで悪びる様子もない。
婦警の横に座る男の警官が、ニヤニヤと薄笑いを浮かべているのが私の怒りに油を注いでいた。
「性転換手術は受けているんですか?」
限界だった。
「性的合成手術です!あんた何様か知らないけど、人をどれだけ侮辱しているか自分で分かってないの?」
叫んだ…。
「侮辱なんかしてるつもりは有りませんけどね」
『ねえそうでしょ』とでも言いたいのか、隣の男性の警官の顔を見て頷き合っている。
「あんたね、人に物を尋ねるならもう少し勉強してからにしたらどうなの、特に心の障害のことはね」
私はそれだけの事を言って横を向いた。
今私が受けているのは取り調べなのか、あるいは辱めなのか分からないほど、婦警と男性警官の目が私を嘲笑っている様に感じた。
「そんな事を言えた義理ですか」
言ったのは男性の警官だ。
「義理?義理って何よ…あんたに私がどんな義理があるって言うの」
昔取った杵柄ではないが、暴走族時代にならした喧嘩の掛け合いが蘇る。
「あなたの処遇について、最大限の便宜をはかりたくて聞いてるんですよ」
婦警が言った。
「処遇?」
私は聞いた。
「留置施設のことですよ」
「留置施設?」
「そうです、警察の留置場のことです」
愕然とした…。
「私…留置場に入れられるんですか」
『あんたが刑事罰を受けない様に皆が動いている』
たった今、太月姐さんからそう聞いたばかりなのに、やはりいくら新宿を取り仕切るヤクザの親分でも、法律を変えることはできないのだ。
私は風船が萎むように黙り込むしかなかった。
「あなた、自分のやったことって分かってます?あなたには違法薬物使用の嫌疑がかかってるんですよ」
「嫌疑って…私は被害者なんですよ」
太月姐さんに言われた通り、取り敢えずだとしても自分の主張を言ってみた。
「それはこちらが決めることで、あなたが決めることではありません」
取りつく島もないとはこの事だろうか…。
絶望的な思いを抱いた時、病室のドアがカチャリと開いた。
「黙って聞いてりゃ、このうすら馬鹿どもが」
入って来たのは鬼の形相と化した太月姐さんだった。
2人の警官が驚いた顔で太月姐さんを振り返る。
「本人が被害者だって言ってんだろ?ましてや3日も生死を彷徨った病み上がりなんだよ。まだ状況も把握してないこの子に、あんたらなんてものの聞き方だい?お大臣様かなんかのつもりなのかい」
まるで役者の様な見切りで太月姐さんが言った。
「我々はただ職務で」
男性の警官が言った。
「何が職務なもんかい、だから地域係のお巡りなんか寄越すなって言ったんだよ」
「地域の警官では何か問題がありますか」
今度は婦警だ。
「なんの知識も経験もないあんたらみたいのが来るから、美和がどれだけ傷ついたかも分からないのさ」
「みわさんってどなたですか」
「この娘さ」
「ああ、良和さんですか」
「だからあんたらじゃダメだって言ってんだよ!」
病室の空気を揺さぶるほどの太月姐さんの大声が響く。
驚いた顔で2人の警官が太月姐さんを見上げる。
「出ていきな、もう十分だろ」
太月姐さんが言った。
「そうは行きません、これから尿検査をしてもらいます」
婦警も一歩も下がらない。
「任意だろ」
太月姐さんも…。
「令状は直ぐに出ます」
「ああそうかい、だったら勝手におし」
警官2人と太月姐さんのやり取りを、まるで他人事の様に見ていた私も、尿検査と聞いて穏やかではない。
『身体から証拠が出たらおしまい』
いつか泉ママに聞いたことがあったから…。
怯える様な気持ちで太月姐さんの顔を見た。
目が合うと太月姐さんは静かに頷き「行っといで、大丈夫だから」と言った。
その言葉に背中を押され、私は任意である尿検査に協力することを決めた。
車椅子に乗せられ、連れていかれたのは男性用のトイレ…。
立ったまま小用を足すのは随分久しぶりのことだ。
「この容器に尿を入れてくれますか」
渡されたのはプラスチックの容器…。
「どこでするんですか」
真横に立って私の手元をジッと凝視している男性警官に聞いた。
「ここでやってください、私が見てますから」
さも当たり前の様に言う警官。
「見てるっておしっこをするところをですか」
「はい、規則ですから」
「規則って…私女ですよ」
思わず大声になった。
「法律上は男です。さらに言えばあなたのそこに男性のシンボルがついている以上、同行の婦警に見せるわけにも行きませんから」
うんざりとした…。
だとしたら…作り物とは言え、私の上半身にある大きな胸や乳首は誰が確認するのだろう…。
「ちゃんとおしっこは容器に入れますから、個室の方でやらせてくれませんか」
哀願に近い申し出…。
「出来ません、あなたに掛かっている嫌疑が薬物の使用である以上、それが間違いなくあなたの身体から排出された尿であることを証明する必要がありますから」
何を言っても無駄…そう思うまで時間も掛からない。
諦めは直ぐについたが、なかなか行動に起こすのは勇気も必要だった。
「法律は確かに人を裁く物ではありますが、あなたを守る物でもあるんですよ」
男性警官が私を諭す様に言った。
「別に反抗してるわけではないわ、もう一度言うけど私は女だから、男の人の目の前で性器を晒すなんて勇気がいるだけよ」
分かりました…とでも言う様に、横に立った警官が私の股間から目を逸らせた。
『エイヤー』とは行かないが、私は下半身に力を込め渡されたプラスチック容器に自分の尿をゆっくりと排出した。
尿が出る瞬間、性器の先に「ヒリッ」とした痛みを感じた。
それが、あの下卑た男との
ただ、プラスチック容器に排出した私の尿に含まれる成分によって、私がこれから裁きを受けることだけは理解できていた…。
プラスチック容器に付箋を貼り、プラスチック容器と付箋の間に指印で割り印をした。
科学捜査研究所で慎重に検査をするらしい。
いつ逮捕に来るのだろう…。
私はそんな脅えに似た感情で、自分の尿を持ち去る警官の背中を見ていた。
同じ背中を太月姐さんが睨み付けていた。
2人の警官が出てった後「何も出やしないよ」と太月姐さんが吐き出す様に言った。
その真意が分からず、私は驚いた顔で太月姐さんの眼を見返した。
「なに驚いた顔してんだい」
「だってまだ3日しか経ってないんですよ」
覚醒剤が身体から抜けるまで最低でも1週間…代謝の悪い人なら10日以上は必要だと聞いていた。
「洒落臭い事言ってんじゃないよ、最高峰と言われるこの日本の最先端医療で3日もあんたの身体の中から解毒したんだよ。なんの薬物が検出されるってんだよ。あいつらの吠え面かく姿が目に浮かぶよ」
カンラカンラとでも聞こえそうな笑い方で太月姐さんが笑った。
will.男の娘〜君は知っているか?日本最大の差別と人権無視を〜 sing @Sing0722
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