EPISODE9 『曇天の歌姫』
「————」
「混乱するのは分かる。だが、美女の膝枕を堪能しておきながら、お礼どころか嘆き一つ上げないとはどういった要件だ?」
針で頭蓋をめった刺しにされるような痛みを覚え、朔也は眉をしかめながらこめかみを抑える。
「もう少し分かりやすく言ってやろう。死の間際から自分を救ってくれた英雄に、お前は礼の一つも言わないまま図々しく膝枕を堪能するというのか?」
凛とした音色ながらも刺々しいそれに顔を上げてみれば、目の前には美しき妖精の顔があった。
ターチス=ザミが、居た。
「ター、チス……?」
「ようやくお目覚めか、このラノベ主人公め」
いたずら顔でそう言った彼女の顔を、朔也はまじまじと見つめる。
「どうした少年。確かに私の美貌は大衆の意識を根こそぎ持っていくが……そんなに怪訝な表情をされたのあまり無いな」
怪訝な表情。そうなるのも無理は無い。だって、朔也はついさっきまdえ、戦っていたのだ。
脅威であり、憧れであった人と。
目線を落として沈黙した朔也に、ターチスは唐突に、そして躊躇い無く告げた。
「朧月善なら死んだよ」
「————」
頭の中が真っ白になった。紡がれた言葉を一言ごと理解するのに、少しの空白があった。
「なん、で……」
「答える前に、先に言っておく。お前は、今回はヒーローになれなかったようだ。なにせ、お前は敵を倒していないし、『筆者』であるにもかかわらず、『シナリオ』と逸れた道を進んだのだからな」
再び、空白が訪れる。今すぐ理解するには難し過ぎる内容だ。それに、聞き逃せない点がいくつかあった。
「倒していないって、そういうことだ? いや、寧ろ、俺の方がやられそうになった気が……」
「簡単に言えば、二つ目の『シナリオ』に巻き込まれたということだな。どこの誰か知らんが、紛らわしいことに、お前が朧月と戦っているタイミングを見計らってわざと発動したらしい」
「二つ目の『シナリオ』……? それと、朧月さんが死んだって……何の関係が——」
「パソコンを見ろ。それで全てが分かる」
促されるがまま、朔也はゆらゆらと立ち上がって机の上に置いてあるノートパソコンの画面を見た。
そして、そこに記されている文面を見て、言葉を失った。
『「怠惰」の死は記録外だ。この異常事態の原因は、「曇天の歌姫」の介入によるもの。著作権により、筆者は明かせない』
たった一文。しかし、異常を謳うこれが最も異彩を放っているのは言うまでもなく。
「おい、ターチス。これはどういう意味だ……というか、今までと違ってこれは明らかに人が書いたやつだろ! 一体だれが書いたんだ!」
人の死を、憧れの死を、まるでニュースのように淡々と述べるこの文章やターチスに、朔也は義憤をぶつける。
それを受けて、妖精は相変わらずポーカーフェイスを崩さないまま答える。
「お前の言う通り、その文面にはちゃんとした書き手がいる。もっとも、そいつがきちんとこの世に実在しているかについては別の話だがな」
「は……? まさか、亡霊が書いているとでも言うのか?」
「そのまさかだ」
ターチスの艶やかな唇の端が吊り上がって不敵な笑みを形作る。
「番人……いや、ここは本を扱う者達にのっとって、『司書』とでも言っておこうか」
朔也は眉をひそめ、顎を引いた。
「司、書……?」
「ああ、その名の通り、書物を管理する者のことだ。この場合は、『影の戦争』より受け継がれてきた『シナリオ』たちのことだな」
「そいつは、その『影の戦争』の時からずっとその役割をこなしてきているってことか?」
「そうなるな」
違う。朔也が聞きたいのはそんなことではない。その不可視な『司書』なる存在が『シナリオ』に絡んでいるということは分かった。だが、肝心なことは何も解決していないのだ。
即ち、
「……朧月さんが『曇天の歌姫』っってのにやられた瞬間も、そいつは見ていたっていうことか?」
核心を、問う。
ターチスは、能面にように表情を無に染めた。途端、冷気が蔓延って、部屋の中の温度が低くなっていくような感覚に襲われた。
「お前が知ることではない」
「ふざけるなッ!」
ターチスが放つ冷気に負けじと、朔也は怒り任せに壁を殴った。一拍遅れて拳が痛むが、知ったことではない。
火に油が注がれたようにして燃え盛る憤りを、高慢な妖精にぶつける。
「お前がッ! ……お前が何を隠していようが、俺の知ったことじゃない。でも、今回は……いや、織白原先生の時だって——死人が出てるんだ! お前たちの抱えている面倒な諸事情とか意味不明な『シナリオ』に巻き込まれて、今日だけで二人も! 俺は二人の死のどちらも関係が深くて、特に織白原先生の時は……俺が直接、手を下した。お前は俺のことをヒーローとか言っていたけどな……」
朔也は一度、小さく息を吸って吐き、猜疑と罪悪の情がこもった瞳でターチスを真っ向から射抜き、静かに言った。
「俺はもう、れっきとした犯罪者だ。好きだった恩師をこの手で殺し、尊敬する作家が殺される原因を作ってしまった。救いようがない、悪の権化だ」
気が付けば、床に膝を落として蹲っていた。
光が差さない牢獄で、延々と神の赦しを乞うているような気分だった。教会で、神に裁きと救いを求めて祈りを捧げる者の気持ちが分かった。
だが、朔也は神なんて偶像を信じない。因果や結果の全てを神に押し付ける考えが、朔也には理解できなかったからだ。
だがもし仮に、そのような存在が居たならば。
少なくとも、朔也の人生においての救済の匙は、既に擲っていることだろう。そして、救済の手を引っ込めると同時に、神はとんでもない代行者を朔也の前によこした。
神は居ない。しかし、妖精はいる。
「誤解が生じているようだから言っておくが、なにもお前を除け者にしたり、咎めたりしたい訳ではない」
無感情な声音が、朔也の頭上から降り注ぐ。
「かといって、妙に自責の念に駆られやすいお前をいくら英雄とおだてても逆効果であることが分かったしな」
うーん、と場違いで気の抜けた唸り声が聞こえ、朔也は思わず顔を上げてまた怒りをぶつけようとした。
けれど、顔を上げて目の前に差し出され手を見て、激情は喉の奥から胃の底へと沈んでいった。
「期待している」
短く、偽りなく放たれたその一言を咀嚼するのに、暫しの間が必要だった。
しかし彼女は、続けざまに意味不明なことを言う。
「私の一部をその身に宿した同胞であるお前に、私はただ、期待しているんだ」
「一部を、俺が……?」
無意識のうちに手をとってゆっくりと立ち上がりながら、朔也が掠れた声で放った問いに、ターチスは喜々として答える。
「お前が『曇天の歌姫』で黄泉の向こうへ誘われた時、引き留められた筈だ。その超ファインプレーを果たしたのが、私の記憶を断片的に込めた霊装……今、お前の身体にも宿っているそれなのだよ」
朔也が握った手と反対の手で、彼の胸元を指差す。その先、つまり胸の奥に、その霊装とやらが植え付けられているとでもいうのだろうか。
その、少し気味が悪い考察が浮かんだとこで、朔也はある推測へと辿り着いた。
「もしかして、あんたが俺の前に現れたのって……」
「ああ、霊装がナビゲートしてくれたからだが?」
さも当然と言わんばかりにそう答えたターチスに、朔也は頬を強張らせる。
ますます深まってしまった、『影の戦争』やターチスとのつながり。ならば、尚更、朔也の身に起こった出来事は悪趣味な因果によって仕組まれていたものなのだろう。
「けど、お前の霊装を宿している奴なんて、なにも俺だけじゃないだろ。……いや、そこで『シナリオ』が出てくるのか」
「その通りだ。そもそも、大前提として、異世界側から呼び戻された『神の落とし子』がと最も近いからという条件もあるが……そうだな、やはり一番の理由は、彼岸咲家が『シナリオ』の『筆者』としての資格を持っていたから、だな」
「……俺はもう、被害者面が出来ないってことか」
「言っておくが、この世に関係の無い人間などいない。その時代も、どの世界も……無関係を装って安全圏内から攻撃しようとしてくる者共は一定数いる。しかし、裏を返せばその者達には時代を左右できる権利と力が無い」
肩を竦めてそう言ったターチスに、朔也はポケットに手を突っ込んで問う。
「急な慰めと批判をありがとう。でも、あんたの意見をくみ取ったとしても、やっぱり俺の罪と自責の念が消えるわけじゃあ——」
「じゃあ、こちらから質問だ」
ターチスは手を後ろにまわして組み、ドレスを翻して朔也に背を向け、
「お前は既に、この因果を甘んじて受け入れているんじゃないか?」
「————」
図星、とでも言うのだろうか。
鋭利な何かで、胸をグサッと刺されたかのような衝撃……それとは別に、手のひらから砂を零していくような、サラサラとした気持ち良さもあって。
「『シナリオ』の補正もあるんだろう……それでも、お前は既に、多くの者たちが踏み出せなかった一歩を踏み出しているんじゃないのか?」
振り向いたターチスの朗笑が、窓から差し込む夕日に照らされ、場違いな感嘆を覚える。
そんな彼に、ターチスは「これでトドメ、だ」と呟き、パソコンを手で示した。
つられて、朔也は再び画面を見て、「あっ」と声を漏らした。そして、腹の奥底から熱い何かが込み上げて来るような感覚に襲われた。
それほどまでに、その言葉は朔也を激情の渦に巻き込んだのだった。
『俺は、死と共に存在を都合よく書き変えられる。だが、俺が残した爪痕は、同じ志を持つ者の心に深く刻まれていることだろう。
夢と成功と悔恨に塗れた人生だった。いざ振り返ってみて、良い人生だったと胸を張って言えるかなんて分からない。
ただ、これだけは言える。
良い人達に巡り合えた。
俺を形作ってくれた人々に、この溢れんばかりの感謝が届きますように』
シナリオ戦創 アオピーナ @aopina
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