最終話 世界の認識者

 夢の中の頭痛の残響は目覚めたあとも続いていて、目覚まし時計のアラームがいつもよりこめかみに響いた。妹の部屋のアラームも、うるさいから止めておこう。

「ネム、朝だぞー」

 ネムは起きない。揺すってもつねってもくすぐっても蹴飛ばしてもだめだ。

 廊下を通ったときハムエッグの匂いがしなかったので、まさか、と思った。一階に降りてみると弁当も朝飯の用意もなく、食卓には誰もいない。急いで二階へ戻り、父さんと母さんの部屋。二人とも眠っている。家族が死んでるわけじゃないのは寝息で分かったが、どんなに大声で呼んでも起きず、仕方なく俺は自分だけ着替えてバターロールを囓り、登校することにした。

 住宅街が静かなのはいつも通りとしても、カガミも他の生徒も集団登校のやかましいガキもスーツの大人達もまったく見かけないまま、自動車やバイクが一台も走っていない大通りへたどり着けば、駅の入り口にはシャッターが降りていた。突っ立っていても一向に電車が線路を通らないので、一旦家へ引き返し、マウンテンバイクを引っ張り出して改めて学校へ向かう。信号機を気にせず好きなところから道路を横断できるおかげで、遠回りになってもたいして時間はかからなかった。だが、校門は閉じていた。


 ここまでの道のりでハッキリ分かった。シャッターが閉じっぱなしの商店の人達も、カーテンが閉じっぱなしの民家の人達も、みんな寝ているのだ。携帯型端末に電波は届くものの、ニュースサイトのたぐいは昨日のまま記事の更新がなく、俺のクラスのグループチャットでも昨夜を境に誰ひとり発言していない。食卓のテレビは試さなかったけど、何の番組も映らないだろう。ニュースで解説していた過眠症のせいかもしれない。……でも俺には、これこそソムヌスの地球侵略なんじゃないかと思えた。

 ソムヌスには映画の宇宙人みたいなすごい破壊力の兵器はないが、生き物の意識を攻撃できる。地球人をひとり残らず眠らせようとしているのは、たぶん、誰も見ていないときだけ活動できるからだ。逆に考えるなら、誰かが起きてさえいればソムヌスは地球に手出しができない。フォアシュテルングが俺を選んだのは単なる偶然だろうけど、どうやら俺だけがソムヌスに対抗できる立場にいるらしい。

 うららかな陽差しの下、車道のド真ん中で悠々とペダルを漕ぎながら俺は考えた。“誰も見ていない世界は、存在すると言えるのだろうか?”と。地球人も宇宙人も含めてみんなが滅んだら、そのとき宇宙の存在に意味はあるのか?俺がソムヌスとの対決をあきらめて地球が征服されたとしても、寝ているみんなはどうせ何も感じまい。それで問題があるだろうか?毎朝毎朝、満員電車に詰め込まれて通勤する人達。月曜の朝礼で校長先生の長い話を聞かされる生徒達。このまま眠っていればいいんじゃないかな?だって人間のいない世界は、こんなにも静かだ。


 それでも俺は玄関の鍵を開けて自室に戻ると、制服を着たままベッドに横たわった。俺が戦いをやめようとやめまいと、いずれ眠気がやってくる。眠気には俺も勝てないし、夢の続きを見ればソムヌスに襲われる。俺は頭痛に殺されたくはない。

 欠けた太陽の下、赤いフォアシュテルング……“ヴェーゼン”は決闘を望むかのように滞空して俺を待ち構えていた。いつもの街、歪んだ街。敵を見据えて叫ぶ。

「フォアシュテルング!!」

 背後に巨大なものが現れる風圧を感じ、次の瞬間には俺の視点はヴェーゼンと同じ高度だった。フォアシュテルングは両腕から光線を乱射しつつヴェーゼンに接近したが、ヴェーゼンもまた両腕から青い光線を乱射して接近してくる。赤いボディの奥に静脈のような青の光が流れるさまが見えるほど近づいたとき、左腕を引いた反動で敵の鼻面に右拳をおみまいしようとしたが、ヴェーゼンはフォアシュテルングの拳を左手で受け止めた。続く左拳も右手で押さえつけられ、赤い騎体が空中で黒い騎体を押し返して、思念が、俺の頭にむりやり流れ込んでくる。小学校の記憶だ。


 その夕方の議題は、ある生徒がくした上履きについてだった。怒らないから正直に名乗り出なさい、なんて担任が言ったところで誰も自首するはずはなく、みんなが黙ったまま時間だけが過ぎていった。やがて痺れを切らした担任はホームルームを終わらせるため、俺を上履き隠しの犯人に仕立て上げて謝罪を強要した。クラスメート同士で仲良しグループを作っているみんなと違って、俺は誰の友達でもないから、とりあえず俺のせいにしておけば丸く収まるというわけだ。ちなみに上履きは別の学年の下駄箱から見つかった(つまり、失くした本人が下駄箱を間違えたまま忘れていた)が、そのことで俺に謝りにくる奴は、卒業までにひとりもいなかった。


「なんだこれ……!?そうだよ!だからって今さら何だってんだ!」


 “上履き事件”以来、俺はみんなとの間に見えない壁を感じるようになったが、そんなのは序の口だった。

 ひどいいじめを受けていた頃のこと。みんなから好かれていて勉強もスポーツもできるクラス委員長に、こいつなら分かってくれるはずと悩みを打ち明けたら、その野郎は言ってのけたものだ。

「助けてくれだって?誰がお前なんか。俺達はな、いい学校を出て、いい会社に入って、金持ちと結婚して、親孝行をしなきゃならないんだ。いじめごときに関わってるヒマはないんだよ。確かにあいつの傍若無人ぶりときたら手がつけられないよな。ああいういじめっ子が社会に出ると、今度は部下をいじめてのし上がるんだろう。でも大人達を見てみろ。下から上までそんなもんだぜ?お前みたいな何の取り柄もないコミュ障が生贄になってくれるおかげで世の中回ってんだ。犬にでも噛まれたと思って、せいぜいクラスのみんなが卒業するまで死なない程度にいじめられてくれよな!」

 この会話を担任もクラスメートも聞いていたのに、誰も何とも言わなかった。助けてくれないにしてもみんな同情ぐらいはしてくれていると思っていたが、自殺しないように飼われていただけだったのだ。“クラス全員で力を合わせて”と担任が言うとき、そこに俺は含まれず、校長先生の言う“全校生徒の皆さん”とは俺以外のことだった。中学生になってからは真面目に登校したが、駅のホームに立っても、車輪との摩擦でピカピカに磨き上げられたレールを見つめては、“あそこに手足を挟まれたら痛いだろうな”と考えてばかりの毎日だった。


 ヴェーゼンに押さえ込まれたままのフォアシュテルングが駅前商店街に墜落し、スーパーマーケットや銀行やスポーツジムや高層マンションやアーケードの建物が薙ぎ倒された。

「もうよせ!!もういいだろ!!お前の言うとおり、俺は人間が嫌いだ!すまし顔をした“普通の人間”様がガッチリ守ってやがる、普通の人間だけのためのクソったれた楽園が大っ嫌いだ!!」

 フォアシュテルングのピンチと関係なく、頭が割れるように痛い。

「だけど、まだ俺はそんなに絶望しちゃいない!!コンビニでツナフレークとマヨネーズの入ってるおにぎりを買い食いするのが楽しみだ!明日になれば気晴らしにちょうどいい爆笑動画が見つかると思ってる!」

 フォアシュテルングに覆い被さるヴェーゼンの赤いコックピットハッチが開いた。操縦席に収まっているのはなんとコージだったが、コージを元にした蝋人形という感じの無表情で、俺を冷たく睨んでいる。ネムをとられる、カガミをとられる、そんな印象が脳裏をよぎった。


 コージが帰宅部なのは進学塾にかよっているからだ。バカのふりをして、受験のときに俺が進路の邪魔にならないかどうか探っている。


「やめろ!コージはそんな奴じゃない!!」

 

 でも、塾通いは事実だ。


「塾なんか誰だって通ってる!あいつがあいつなりに頑張ってるのと、俺の受験とは関係ない!」

 ヴェーゼンのパイロットはコージであり、父さんであり、ネムであり、母さんであり、カガミであり、先生であり、クラスメートであり、店員であり、ウェブ動画の配信主であり、テレビで見たことがあるだけのタレントやミュージシャンやスポーツ選手や政治家であり、要するに俺以外の全員、俺が潜在的に恐れている他者すべてだった。フォアシュテルングを追い詰めるヴェーゼンは、俺が直視したくないものの集合体でできていた。



“信じて”


 

 ではフォアシュテルングとは何だろうか?



“わたしは、あなた”



 フォアシュテルングの衝撃波がヴェーゼンを吹き飛ばした。その隙に体勢を立て直そうとしたところを蹴られて、ぐしゃぐしゃに砕けたアスファルトの路面に片膝をつくが、それでも立ち上がる。薄っぺらい夢の世界の存在だとしても、フォアシュテルングは冷たい現実に抵抗する俺の意志なのだ。俺は、どうしたい?死にたくない。俺に「死ね」と言ってくるような奴、俺を絶望させるような奴は全員ぶっとばしてやりたい。現実の俺は無力だ。何かに挑戦するたび失敗しては自分の無力さを思い知らされる。だが、ここは俺の夢の中。俺が望むなら、フォアシュテルングはいくらでも強くなれる。右からの蹴りを左腕で防いだフォアシュテルングは、前方へ伸ばした右腕から右の手のひらに光輪を収束させ、ヴェーゼンの細い胴体に光線の集中攻撃を浴びせた。とっさに飛び退いたヴェーゼンが変形して上空へ逃げるとフォアシュテルングも飛行形態で追撃し、割れガラスの螺旋を上下左右に避けながら、黒い装甲の奥で奔る緑の光を騎首に集めた。俺の視界の真ん中、ガラスの螺旋がぐるぐると渦巻く中心にいくつもの光輪が重なって、フォアシュテルングの放った強力な光線が後ろからヴェーゼンを撃ち抜いた。頭痛と吐き気はまだ治まらないが、くらくらする頭で、シューティングゲームの溜め撃ちみたいだと俺は思った。

 ヴェーゼンを撃墜したフォアシュテルングは俺を乗せたまま太陽の方向に急旋回し、ソムヌスの宇宙船への攻撃に移った。……宇宙船って宇宙空間にいるわけだけど、遠すぎるんじゃないのか?地球の丸さが分かるぐらい高いところまで上昇すると、空はだんだん暗くなり、昼間なのに星々が瞬いて見える。暗い太陽からは欠けた部分が徐々になくなりつつあったが、宇宙船に逃げられる前にフォアシュテルングが溜め撃ちの準備を始め、そして突然、コックピットから俺を放り出した。



“ありがとう”



 外から見た黒い騎体は、鏃の後方へ伸ばしていた四肢を肘と膝から前方へ折り曲げ、騎首の光線と同時に手足でも四つの光線を発射しながら、あっという間に虚空の彼方へ飛び去った。空気の薄いところへ投げ出されたせいで、俺は呼吸ができなくなった。


 俺の口元から、ぷるんと柔らかく湿った感触が離れた。目を開けば、制服姿のカガミの後ろで、同じく制服を着た妹がにやけている。……キスしてた?俺に?カガミの潤んだ目と目が合って戸惑っていたら、おもむろにネムが両腕を伸ばしてきて俺の頬を思いきりつねった。

「仕返しー!」

「ふぉひへう(起きてる)!ふぉひへうっふーお(起きてるっつーの)!」

 ぼーっとしていたカガミがネムにつられて笑った。


 どうせ遅刻だからというので、今朝の俺は妹達と一緒に登校することになった。……さっきのキスだが、カガミは俺に片想いをしていて、憧れの先輩の妹であるネムに相談したことがきっかけで友達付き合いが始まり、うちへ遊びに来ては告白する勇気が出ずに機会を窺っていたのだそうだ。そう説明するネムは全てを知りながら、今まで俺には黙っていた。

「兄貴のこと、かなりって褒めといたから。頑張れよっ!」

 ネムは俺の背中を強く叩き、カガミの手を引いて校門に走って行ってしまった。そして、妹達を見送る俺の背中を別の手が叩いた。コージだ。

「よう色男。両手に花かー?」

「妹だよ。知ってんだろ」

「もう一人は?」

「妹の友達」

「へーえ。俺にも妹がいりゃ、同級生のひとりやふたり紹介してもらえるだろうになー」

「妹ってそんなに都合のいいもんじゃないぜ?女になった自分と毎日顔を突き合わせるとこ、想像してみろよ」

「あー……それしんどいわ」

 コージによると、今日はクラスメートの誰もが遅刻していて、噂では教員も遅刻してくるために一時間目の授業がなくなるらしい。昨日の出来事は夢や幻じゃなかったのか……。時計の日付は一日飛んでいたが、昨日クラスのチャットに書き込んだ“起きてる奴いる?”というコメントは朝の雑談に押し流されて確認できず、俺だけが起きていたという証拠は失われた。

 ところが、その日の居眠りでも、その晩の夢でも、あの変なロボットは喚べば必ず現れ、俺を乗せて表象の世界の空をけ巡るのだった。


 ……フォアシュテルング、これからもよろしくな。


おわり

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現想騎フォアシュテルング ユウグレムシ @U-gremushi

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