いま、わたしたちの場所を守るために
大澤めぐみ
いま、わたしたちの場所を守るために
中国で疫病が流行りはじめ、横浜港に停泊している超大型客船が何千人もの乗客を閉じ込めたまま大変なことになっていると連日ニュースで報道されていた頃、わたしたちは正直、まだこの疫病のことを完全に侮っていた。ああ、また世界のどこか、わたしとはまったく関わりのないとても遠いところで、なにか大変なことが起こっているんだなと思っていただけだった。シリアでは空爆を受けて民間人が死んでいるし、ホルムズ海峡ではタンカーが襲撃され炎上しているし、アフリカ大陸では飛蝗の群れが猛威を振るっているし、この世界ではいつもどこかでなにか大変なことが起こっているのが普通で、たくさんの罪もない善良な人々が苦しんでいるのが平常運転だ。ときどき、そういった脅威がわたしたちの日常を掠めることもあるけれど、北朝鮮がミサイルを発射してすべての端末が一斉にけたたましいアラームを鳴り響かせたときも、歴史的な集中豪雨で多摩川が決壊して日野橋が崩れたときも「ああ、大変だったね」と感想を述べあった程度で、わたしたちが日常に回帰するのに一日だってかからなかった。だから、この疫病もどうせ一瞬みんなが大騒ぎするだけのことで、終わってしまえばまたあっという間にいつもの日常が戻ってくるのだろうと考えていた。わたしたちには自分たちを取り巻く半径10メートル以内の世界の出来事のほうがよっぽど重要で、よっぽど大変で、どこか遠くで起こっている不幸や怒りや不安や悲しみになんて構っている場合じゃなかった。高校の長期休校が決まったときでさえ、試験休みがちょっと前倒しになった程度にしか考えていなかったし、むしろ休暇明けにこなすべきイベントごとがまとめてドドッとやってくることになるんだろうなと想像してちょっとうんざりしただけで、まさか、休校が解除されないまま四月になってしまうとは思ってもいなかった。都知事が緊急の記者会見を開いて不要不急の外出自粛や、三密(密閉、密接と、あとなんだっけ? 隠密?)を避けることなどを訴え、総理大臣が緊急事態宣言を出し、バイト先のJKカフェでも実際に客足が遠のきノーゲストでただ待機するだけの時間がぐんと増えたあたりで、ようやくわたしたちも、この流行病はひょっとしてひょっとしたら、わたしたちの変わらない日常を崩壊させてしまうのではないか? という懸念を抱きはじめた。いまではわたしたちも、もうこの疫病を侮ってはいない。これから自分がどうするべきなのかを、なにをなすべきなのかを本気で考えはじめている。わたしたちはいま、わたしたちの場所を守るために、この問題に本気で取り組まなけらばならない。戦わなければならない。
武器を手に取り目に見える敵を討ち倒すことだけが戦いじゃない。わたしたちはただじっと静かに、息を潜める。この戦いにおいては、沈黙こそがわたしたちの武器だ。
「なにしてんの、ノノ」と、メグが声を掛けてきて、わたしは「ツイッター」と返事をしてゆるく首を振る。ツイッターでは、わたしが構築したIQ30くらいの低能なタイムラインにまで政治てきな主張だの、誰かを糾弾する過激な言葉だの、真偽も定かじゃない注意喚起なんかが回ってきていて、なににかは分からないけれど、浸食されているなって感じがする。なにかに。「なんか、いよいよ本気でヤバいっぽいね」
「ね」と、メグも頷く。「ほら、アレが死んだじゃん。あの、誰だっけ? 白塗りの」
「あーね。なんていったっけ?」と、アケが読んでいた本から顔をあげて言う。
「まったく思い出せないけど。でも、アレが死んだあたりで、あ、マジで死ぬんだねコレって感じになったよね」
「ね。マジで死ぬんだよ、コレ」
すこし前までは新型って言っても要は風邪のウイルスだし、インフルエンザのほうがよっぽど怖いんだから過度にビクビクしてるやつは情弱の低学歴みたいな雰囲気だったのに、それがいつの間にか、危機感のない低学歴が行動を自粛しないせいで疫病が蔓延している、みたいな話にすり替わっていて、ああいつだって悪者にされるのは低学歴の貧乏人だよなって感じだ。まあ、わたしもメグもアケも、緊急事態宣言が出て学校も休みになっているのにJKカフェには出勤しているんだから、低学歴には危機感がないっていうのはその通りだと思う。誰ひとりとしてマスクなんてしていない。だって、せっかくのJKカフェなのに肝心のJKがマスクで顔を隠していたらいろいろと台無しだし。
アケが「まあでも、今のところ十代は死んでないみたいだから」と、本を閉じてテーブルのうえに投げ出す。「たぶんわたしたちは死なないし、まあ、ひょっとしたら死ぬかもしれないけど、死んだら死んだでその時でしょ」
「そうだね。生きてる以上はいつだって、いきなり死ぬ可能性はあるもんだしね」と、わたしが返事をすると、メグも「そうそう。わたしも、自分があと五年生きてるイメージがぜんぜん湧かないもん。ちゃんと大人になれる気がしない」と、かくんかくんと首を揺する。頷いているのかと思ったら、船を漕いでいるだけのようだ。
「いや~、しかし眠いなぁ」と呻いて、メグがべろんとテーブルと合体する。
「お客さんこないしね」と呟いて、わたしもお尻をずらして椅子と合体する。
なにしろ四月で、春だ。春は眠くなるものだって孟浩然も言っている。ずっと頭の芯にモワンとした綿菓子みたいなのが居座っていて、つらつらとしたとりとめもない思考がぐるぐると回るけれど、それはただ回っているだけのことで、どんな言葉にも辿り着かない。先行きを見通せない漠然とした不安と、直近の周囲をとりまくのんべんだらりとした呑気な雰囲気に加えて、もうどうにでもなれ、なるようになるだろうといった捨て鉢な気持ちも交じりあって、すべてが混然一体となった奇妙な居心地の良さを形成している。混沌は気持ちがいい。綺麗に整理整頓されたモデルルームみたいな部屋よりも、雑然と散らかった生活感溢れる部屋のほうが落ち着くみたいな心理状態かもしれない。
「ノノのところのお母さんって、まだ仕事行ってるの?」と、アケが訊いてきて「いんや」と、わたしは返事をする。「さすがにもう平日はお店じたいを閉めてるみたいだね。やることないから、男と県外までパチンコに行ってるよ」
わたしの母は主に夜の仕事で家族三人の生計を立ててくれているのだが、非常事態宣言が出され、営業自粛という名の事実上の営業停止を食らっているいま、その収入が完全に断たれているので、我が家の明日は彼らのパチンコのみにかかっているのである。ちなみに家族三人というのは、母と、娘のわたしと、家計の助けには一切ならないタイプの知らない男のことだ。
「ああ、いま都内は基本、パチンコ屋やってないものね」
「うん。だから、わざわざ車で栃木だかどっかまで行ってるっぽい。まあでも、水商売の人間が店に出れなくなったらパチンコに行くに決まってるじゃんね」
「ね。パチンカスがパチンコ打たないなんてあり得ないんだから、東京のお店だけ閉めたら、そりゃ他県まで打ちにいくよね。そっちの蛇口を閉めたらこっちから溢れるよってだけの話じゃん。予測できろよねそれくらい。ド感染拡大じゃん」
「マジで。そりゃそうなるに決まってるじゃんって感じ。政治とか行政とかやっているマトモな大人にクズ底辺の思考回路をトレースしろっていうのも酷な話だとは思うけどさ」
疫病の猛威は留まるところを知らず、今日一日だけで200人ほどが新たに感染したそうだ。先週くらいまでは20人を超えたとかで大騒ぎしてた気がするし、そのすこし前は数人とかそこらで大事になっていたので、順調に指数関数的に拡大しているのだろう。それも、検査の結果、陽性が確定した人数に過ぎないわけで、実際の感染者はもっとたくさんいると考えるべきだ、と、ちょっと前にアケが言っていた。
「英語圏ではFlatten the curveってキャッチコピーがよく使われてるんだけど、これは文字通り、カーブをなるべく平らかにしようって話だから、最終到達地点、つまり、最終的な総感染者数は変わらないっていうことなんだよね。日本の施策も基本的にその前提で進んでいる。増加する速度をなるべく穏やかにできれば治療が間に合うかもしれないってこと」と、アケが言いながら空中になんらかのグラフを描く。「一気に患者が増えちゃうと病院のキャパを超えちゃうから、キャパを超えない範囲で順番にみんな病気にかかっていきましょうねってそういう話なわけ」
「でも、この調子でいけば絶対に遠からず病院のキャパは超えるよね」と、わたしが言うと、テーブルと合体していたメグが「あ、それ知ってる~。アレでしょ。なんだっけ?」と顔を上げる。アケが「医療崩壊?」と応じると「あ、そうそれ」と、人差し指を立てて、それでもう満足したのか、またテーブルにでろんと伸びる。
ちょっとした間があって「あれ? ってことはさ」と、メグがばっと上半身を起こす。「いまはまだギリ医療崩壊を起こしてないから、病気になったら確実に治療は受けられるって話じゃんね。で、近いうちに医療崩壊が起きて治療が受けられるかどうか分かんないって状況がくる可能性が高いのなら、まだ病院に余力があるいまのうちに感染して治療を受けておいて、医療崩壊が起こったころには治っているっていうのが一番勝ち確の戦略じゃない?」
「そこに気が付くとは、なかなか頭がいいね」と、アケが笑って、メグが「よっしゃ!」と、ガッツポーズを作る。「勉強はからきしダメだけどさ。意外と頭はいいんだよ、わたし」
「まあでもそれは、一度治癒してしまえばもうかからないっていう前提に立った場合の話であって、何度でも感染するなら試行回数を稼いだぶんだけ死ぬ確率があがるだけだよね」と、わたしが指摘すると「そこなのよね」と、アケがまた笑う。とても楽しそうに。「一度治癒してもまた陽性になるパターンがけっこうあるみたい。それが、たんに完治してなくて症状が再発しただけなのか、それとも一度治癒しても何度でもかかってしまうのかは、まだ分かってないみたいだけど」
「そうか、じゃあいまのところは、どちらの可能性もあり得るっていう前提で最適な行動をとるべきだよね」と、わたしは言う。
「そうね。だからまあ、いまは感染しそうなことはなるべく避けておくに越したことはないよ」と、アケが返事をしたところで受付のほうで人の気配があって、見覚えのあるリピーターのお客さんがふたり入ってくる。いくら緊急事態でも不要不急の外出を控えるように自粛要請が出されていても、お店が開いていればくるお客さんはいる。きっと、女子高生と戯れなければ命に係わる喫緊の事情があるのだろう。アケが「いらっしゃいませ~」と声を掛けて、メグも立ち上がって背伸びをする。久しぶりのお客さんだ。わたしたちは三人がかりで、たったふたりのお客さんを甲斐甲斐しくサービスする。ダラダラしてた時間が長すぎて、JKカフェてきなスイッチを入れるのにすこし時間がかかる。JKカフェにはダンスタイム(まじウケる)っていうのもあって、音楽がかかると女の子たちみんなで素人くさいダンスを披露するんだけれど、お客さんより女の子のほうが多いと、もうなんかヤケクソって感じでなかなかに楽しい。
わたしもメグもアケも、通っている高校はまったくの別々だ。アケは「なんか空気が合わなかった」らしく、入学して二ヶ月くらいで高校を中退しているので、だったと言うべきかもしれない。だからアケだけは高校生ではないんだけれど、わたしたちと同い年ではあるので、まあJKカフェと言ってしまっても看板に偽りアリってことはないと思う。
休校のうちに三学期が終わってしまって、そのまままだ新学期が始まっていないのだけれど、わたしたちはもう高校二年生になったのだろうか。もう四月なのだから、たぶん高校二年生っていうことでいいんだろう。
入学してからの一年間、わたしは冗談抜きで、学校でひとりも友達ができなかった。別に友達を作らないぞって張り切っていたわけでもないのに、ひとりも友達ができないなんて、逆にそっちのほうがよほど難しそうな気が自分でもする。原因はいまでもよく分からない。入学して、ぽかぽかとした春の陽気に照らされた窓辺の席で、学校の横を流れる川の土手の緑や、ところどころに見える小さな黄色い花に目を向けているうちに、周囲はめまぐるしく変化していたらしい。気がつくとクラスメイトたちがきれいにいくつかのグループに分かれていて、わたしはただ混乱していた。
タイミングを逃した、と思った。階段の最初の一段目に足をかけることができなかった。そして、一段目を逃すと、もう二段目はなかった。気づいたらいつもひとりだった。休み時間も、移動教室も、お昼休みも。
中学までは別にそんなことはなかったのだ。わたしはまあ、多少は変わったところもあるけれど、まったくもって社会性に欠けた攻撃的な異常者などではない。と、思う。スマホアプリで無料で読めるくだらない漫画で平気で笑うし、一挙無料公開のワンピースで何度でも泣ける。面白いと思った漫画を「これもう読んだ?」と、人にすすめることだって、たぶんできる。以前は普通にできていた。いままで当たり前にやってきたことが、なぜできないのか、自分でもよく分からないまま月日はどんどんと過ぎていった。
わたしをこのJKカフェのバイトに誘ってきたのはアケだった。駅前でベンチに座って無料のバイト情報誌をめくっていたら「バイト探してるの?」と、アケのほうから話しかけてきたのだ。学校での友達作りに失敗して、長らく同年代の子と喋る機会がなかったわたしは、いかにも普通という感じでアケに喋りかけられて驚いてしまった。
「楽な仕事あるよ。お客さんと喋るだけ。まあ、そのぶんそんなに時給もよくないけど」
時給は1000円で交通費もなし。たしかに、高校生ができるバイトにしては多少は好条件かもしれないけれど、漂ういかがわしさに完全に目をつぶれるほど破格の好条件というわけでもない。それでもわたしがアケの誘いを受けたのは、まあ実際に喫緊にお金に困っていて日払いで給料が受け取れるというのも大きなファクターでもあったのだけれど、一番は、たんにアケがわたしに普通に喋りかけてくれたからだった。
わたしは普通に喋りかけてくれる同年代の女の子を心の底から求めていたのだと、自分でもそのとき初めて気づいたのだった。
お店で働くようになって、すぐにメグとも友達になった。メグは喋りかたがバカっぽいけれど、頭の回転がはやいから話していてとても楽しい。自由気ままにあっちこっちに話題が飛躍するので、気を抜くとすぐに置いていかれてしまう。学校のクラスメイトたちの「なんの話か分からなさ」は、わたしに嫌な緊張感を強いるけれど、メグのそれは何故だか心地が良い。
このバイトは女の子同士はすぐに仲が良くなる。だらだらとしたメリハリのない営業形態で、女の子同士を競わせるようなシステムになっていないのが良いのだと思う。わたしたちは学校が終わるとこのお店にたむろして、みんなで寄ってたかってお客さんの相手をして、日払いで小遣いを貰って帰る。たまに帰らずそのまま遊びに出掛けたりする。こんなバイトに手を出す子というのは、やっぱりたいてい家庭環境になにか問題を抱えていたりして、わたしの家は母が水商売で母の男はパチンカスで、しかもわたしに暴力を振るうし、メグは高校受験に失敗して以来、教育熱心な父親に見放され冷遇されていているらしい。他の子もそんな感じであまり家に帰りたくない子たちばかりだから、そういう事情もわたしたちの結束を高めるのに寄与しているのだと思う。
アケだけがただ「お金貯めたいし、いろんな人と喋るのが好きだし、踊るのも楽しいから」というだけの理由でJKカフェで働いているらしく、高校は中退しているものの、家族仲は良好だし特になにも問題はないと言っている。
バカっぽい話だけれど、いまではわたしは学校ではなく、家庭でもなく、このJKカフェこそを、自分の居場所だと感じている。
お客さんふたりは二時間滞在してお会計が合わせて9000円で、今日はこれで店仕舞いになりそうな気配だ。わたしたち三人の時給だけで赤字になる。店長も「これはいよいよ、うちも店を閉めてたほうがまだマシかもしれないね」とぼやく。まあ、彼はただの雇われ店長なので、店を閉めるかどうかを決める権限はないようなのだけれど。
「まあ、この調子じゃ仕方がないんじゃないかな。大丈夫。いつかまた、きっと、みんなが集まって笑顔で語り合える時がやってくるよ。その明日を生み出すために、いまのところはまだ大人しくしてよう」と、どこかで聞いたような良い感じのことを言いながら、アケが店長の肩をぽんぽんと叩く。「ほら、メグとノノも、帰ろう」
「お前たちも、寄り道せずに大人しく家に帰れよ~!」と声を掛けてくる店長に「なにをいまさら」「ならそもそも出勤させんなし」と、めいめいに返事をして店を出る。
「どうする? どっか寄ってく?」と言うメグに、アケがまた「だから言ってんじゃん。今日のところは大人しく帰りな?」と、言い聞かせる。
「え~? でもだって、家帰ったらお父さんもお母さんもいるんだもんなぁ。病気の前にお父さんに殺されちゃうよ」
「あ~、それはまずいね。計画の前に死んじゃったらなんにもならないしね」
メグの父親はすこしでも自分の思い通りにならないと気に入らない暴君で、母親もそんな父親にずっと暴力を振るわれていて無気力の無抵抗になっていて、メグに対する暴力も傍観しているだけらしい。おまけに母親のほうも精神的に不安定になっているから、母親に本気で首を絞められたこともあるらしく、彼女にとっては世界中で自宅が一番危険な場所なのだ。
「あ、じゃあうちくる? 今日はうち、どっちも栃木くんだりまで足を延ばしてるから、たぶん夜遅くまで帰ってこないし。スカンピンになってなければだけど」と、わたしはメグに提案する。あの人たちは途中で歯止めなんか絶対に利かないので、完全にスッテンテンにでもならない限りは閉店まで打って帰ってくるだろう。もちろん、完全にスッテンテンになって帰ってくる可能性は決して少なくない確率で存在しているし、絶対に荒れるに決まっているから、そうなった場合のことはあまり考えたくないけれど。
「マジ? じゃあそうしようかな。いやマジでこのままお父さんがテレワークになって基本自宅勤務ですとかいう話になったら、わたし長くは生きられないよ」
「病気になって死んでくれればいいのにね」
「ね、マジで」
わたしたちが言い合っていると、アケが「だからこそじゃん。さっき話したでしょ」と、念押ししてくる。
「いま病気にかかったところで、十全な治療を受けられる可能性が高いもの。とくにメグの父親はお金も持ってるしね。だから、もっと状況が悪化して医療体制が崩壊して、毎日たくさんの人が死ぬようになるまで待ったほうがいい」
「それって、あとどれくらい?」と、メグがアケに訊く。
「うーん、ニュースでやってる感染者数の推移は基本的にあんまり意味がない数字なんだよね。いまやってる検査の目的って統計的に分析するための十分なデータセットを作ることじゃなくて、たんに目の前の患者に医療を提供するためのものだから。実効再生産数が重要なんだけど、実行再生産数の推定のために集めたデータじゃないんだから、そこから導き出せるのは飽くまで推定の推定みたいな数字になっちゃう。R2~3くらいなんだろうけど、2と3でまったく話が違ってくるからね」
「楽観的に予測するなら?」と、わたしは訊く。
「あと二週間ってところかな」と、アケが答える。
「悲観的な予測では?」
「半年とか? いちばん悲観的に予測すれば、そもそも医療崩壊が起こらずに人類がこの災禍を賢明に乗り切れる可能性もなくはないよ」
「マジか~。まあでも、見てる限り、たぶん人類はそこまで賢くないでしょ」
「わたしもそう思うよ」
メグが「よく分かんないけど」と、前置きして「じゃあ、あと二~三週間くらいすれば、もっと自由に出歩いてもよくなるの?」
「かもね。そうなったら、今度はわたしたちは、なるべく積極的に病気にかかりにいかないといけないし。いろんなところに遊びに行こうよ」
「あ、いいね~! 楽しみになってきた」
すべては飽くまで確率の話で、期待値の問題だ。わたしたちは可能な限り試行回数を稼ぎ、当たりを引ける可能性を引き上げるしかない。パチンコも派手に光る液晶の演出には実はなんにも意味がなくて、重要なのは1000円でどれだけ回せるか、つまり、どれだけ試行回数を稼げるかだけなのだと、うちにいる知らない男も言っていた。
「若い人はかかっても死ぬ可能性は低いけど、基礎疾患持ちの高齢者ほど死ぬ可能性が高いなんて、マジ、わたしたちにとってこれは理想の毒だよね」
メグが言う。
そう。この疫病はわたしたちみたいに殺したい大人がすぐ身近にいる人間にとっては、理想の毒だ。なにより、この手段で誰かの殺害を試みても絶対に警察に捕まることはないというのが素晴らしい。
「50代くらいじゃ、そこまで期待値が高くないのが残念だけど。でも、どうやら本気で死ぬ人は死ぬみたいだからね。可能性がまったくないわけじゃない」
「すこしでも可能性があるなら、試してみない手はないもんね」
わたしたちは、わたしたちの輝かしい未来のために、わたしたちの場所を守るために、できることなら自分たちの両親を殺してしまいたい。そして、目的のための手段はメリットとデメリットや期待値などを、総合的に検証して定めなければならない。なにごとも、一時の感情と勢いに任せてしまうべきではないのだ。やるからには、成功させなくてはならない。
新型ウイルスによる両親の殺害。これはいわゆるプロパビリティの殺人だ。この疫病のちからがどの程度のものなのか、本当にわたしたちが期待するほどの毒性を持っているのかは分からない。けれど、ひょっとしたら本当の本当に、このわたしたちのどうしようもない、すでに終わっている、変わらない日常を崩壊させることもできるほどのインパクトを持っているのかもしれない。地震でもミサイルでも台風でもなにも起こらなかったのだから、わたしたちの最悪の日常はちょっとやそっとのことではビクともしないくらい堅牢なものなのだから、過度の期待は禁物だけれど、わたしたちはもう、この疫病のちからを侮ってはいない。なるべく適切に、適正に評価しようと努めている。
「殺せる可能性はそれなりに高いけれど、成功しても警察の手から逃れるのはかなり難しい」といった手段よりは、つまり、刃物で刺してしまうとかそういう古典的な手段よりは「殺せる可能性は未知だけれど失敗してもデメリットはほぼなにもない」手段のほうが、総合的な評価ではよほど優れている。仮に失敗したとしても、そのときはそのときで、また改めて刃物なり鈍器なりで直接に殺害を試みればいいだけの話だ。だけど、そういった直接的な手段は二度はできないと考えたほうがいい。一度のチャンスで滞りなく完遂しなければならない。そして、わたしたちは自分にそれが間違いなくできるだろうと考えるほど、自分自身のことを過大評価してはいない。殺害に失敗したうえに警察に捕まって人生が詰むなんて、最悪のシナリオだ。わたしたちは別に自暴自棄になって破滅的な行動をとろうとしているわけじゃない。これは、わたしたちが幸せな未来をつかむための戦いなのだ。わたしやメグみたいな人間は、クズの両親が存在している限り、絶対に幸せになることはできない。あれらはわたしたちにも予測不可能な思考回路で無意味に無益な干渉をし、すべてを台無しにする。なにをどうしたところで、絶対にそうなる。殺すしかない。殺すべき対象を殺したうえで、わたしたちはなんの罪も背負うことなく罰を与えられることもなく生き残り、その後もがんばって生き抜いて、必ず幸せになるのだ。
もちろん、この疫病によってわたし自身が死んでしまう可能性もなくはない。言うなれば自分自身の身体をウイルステロのための爆弾として使うのだ。基礎疾患もなく、若く、健康体であるからといって、感染は必須である以上、自分が死んでしまう可能性を完全に排除することはできない。実際、陽性が確認されたあとで「ウイルスをバラまいてやる!」と息巻いてフィリピンパブやらに出掛けていた50代のおじさんは、その後、亡くなったと聞いている。
自分も死ぬかもしれない。けれど、それはたとえば親を刺し殺したのちに警察に逮捕されてしまう確率や、あるいは刺し殺すことさえ成し遂げられずに未遂に終わり、そのうえ逮捕される確率などに比べれば、無視してかまわないくらいに小さい。
これはほぼノーリスク、ノーコストで突如わたしたちに与えられたエクストララウンドで、ボーナスゲーム。ダメでもともと、やって困ることなどなにもない。
だから、わたしたちはなるべく可能性を高めるために、試行回数を稼ぐために、ちからを合わせることにした。
わたしたち三人のなかで、誰かがこの疫病に感染したら、わたしたちはそれを共有する。共有して持ち帰り、自宅にまき散らし、確実に両親を感染させる。そのタイミングはなるべく、社会の混乱が最高潮に達したときがよい。
「スポーツジムとかが危ないって話があったじゃん? 密閉空間で激しい運動をすると、いろんな飛沫が飛び散ってめちゃくちゃ蔓延するんだって。だから、ダンスとか最高だと思うよ」と、アケがリズミカルに人差し指を振る。「うちで踊ろう。然るべきのちに」
「ていうかさ、わたしとノノはまあ両親がクズだから殺したくなるのは分かるんだけど、なんでアケはこの計画にわたしたちを誘ったの? アケんちは、別に家族仲良好なんでしょ?」と、メグがアケに訊ねる。
この計画を最初に持ちかけてきたのはアケだった。まるで最高のイタズラを思いついた悪ガキのような良い笑顔で「クズな大人たちを殺してしまいたくない?」と、わたしとメグの耳元に囁いたのだ。
「え? いっつも言ってるじゃん。いまの大人たちが存在している限り、この世界の未来は永劫に暗いままだって」と言って、アケは朗らかに笑う。
わたしとメグは飽くまで私怨だし、周囲10メートルの自分の世界と居場所のために動いているだけだけれど、アケだけはもっと広い視野で、高い位置から世界を見ているのだと思う。高校中退の低学歴とはいえ、すでに高卒認定試験をパスして大学の受験資格を得ているアケは、わたしたちのなかで一番頭がいい。高卒認定試験を受けるのに年齢制限はないけれど、飛び級は認められないので18歳になるまでは大学受験はできないのだそうだ。なので、丸二年の暇が確定してしまったアケは、JKカフェで暇を潰しながらお金を貯めているらしい。
「価値観のアップデートは世代交代によってしか達成できないんだよ。だから、まあわたしたちの世代は諦めて、もうひとつ下の世代に未来を託すしかないんだろうなって思ってたんだけど、いきなりボーナスゲームが降ってわいたものだから。これでなるべくたくさんの大人が死んでくれれば、わたしたちの世代でもワンチャンなくはないかもしれないじゃん」
アケは特定の誰かを憎んでいるんじゃなく、大人のすべてを憎んでいるんだろう。いや、そこにはたぶん憎しみみたいな強い感情はなくて、ただ冷静に状況を見て、分析して、それが障害であると考えているだけかもしれない。障害を取り除くための最もシンプルなプランとして、この疫病に期待を寄せているということなのかもしれない。
「さっきのお客さん、ウイルス持ってたかなぁ?」と、メグが呟く。
「どうだろうね。ひょっとしたら症状が出てないだけで、すでにわたしたちもウイルスは持っているかもしれないし。朝夕の検温を忘れずにね。なにか症状が出たら、すぐに連絡して」と、アケが言う。
この計画を実行するためには、まずわたしたちが感染しなければ話にならない。けれど、検査して陽性が確定してしまったら、わたしたちは隔離されてしまうだろうしターゲットの大人たちにも警戒されてしまうから、わたしたちにそれを確認する方法はない。自分たちで、あ、これはかかったな? と、判断するしかないし、それを周囲の大人たちに悟られてはならない。熱があろうと咳が出そうだろうと、なるべく平気な顔をしていなければならない。
この疫病は、持たざる者にとっては最高の武器となりうる。
わたしたちがそれに気付いているということに気が付かれてはならない。
武器を手に取り目に見える敵を討ち倒すことだけが戦いじゃない。わたしたちはただ静かに、息を潜める。この戦いにおいては、沈黙こそがわたしたちの武器だ。
いま、わたしたちの場所を守るために 大澤めぐみ @kinky12x08
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