夏に咆える

麒麟山

第1話夏に咆える

 


 親友が死んだ。




 それはむせかえるほどの熱気が充満する教室で担任の先生が教室の生徒に放ったとある一言から始まる。


「ほ、本日、山下君が交通事故でお亡くなりになりました………。せ、先生はこれから他の先生方と今後のことについて話し合うので皆さんは教室で待機をしていてください」


 そう僕らの担任の先生が涙ぐみながら言う。先生は少し太めの体型をしていて、いつも服装が黒の上着に黒のズボンだったから『黒豚』というあだ名で僕ら男子生徒は呼んでいたのだが、今日はその黒の服装がお葬式の時に着る服みたいで、僕はこの状況に合っているなと思ってしまった。


「え?マジ?」

「嘘でしょ?」

「入院するだけじゃないの?」


 教室内では僕のクラスメートが口々に騒ぎ立て始める。実は僕らは山下が事故に遭ったのは知っていたのだ。なんでも事故現場に居合わせた別の学年の生徒がいたらしく、朝の登校中の出来事だったのに既に全校生徒が事故の事を知っていたからだ。


「さ、騒がずに静かに待機をしていてください」


 先生はなるべく動揺させまいとしているのか、落ち着いた声音で生徒達に話すがそれが逆に僕らを不安にさせる。すると、とある一人の生徒が先生に言う。


「センセー!花園さんが山下は死んでよかったって言ってまーす!」


 花園はかなりクラスで浮いていた不細工な女子だ。キツイ性格、キツイ容姿。それだけでみんなは彼女を避けていた。その彼女が山下とまったく絡みのない筈の山下に死んでよかったと言っている。


「こ、こら、静かにっ!」


 先生は彼女をそこまで注意をしない。生徒の死という重い現実に対してどう指導するべきか、先生自身も悩んでいたのだろう。今は大事にしないという判断からか、このことは触れないようにしているみたいだった。


「と、とにかく、山下君の……ことは今後また連絡が……あると思います。今日の午前中は自習とします……」


 もう限界だったんのだろう。先生は逃げるように教室を後にした。

 わぁー!とみんなは席を立ち、授業が無くなってよかったね。だの、ホントに死んじゃったんだ…と様々な反応をする。僕は動けなかった。それはかつて山下との思い出を思い返していたから……



     ◇     ◇     ◇



「勇気はさ、将来なんになりたいん?」

「僕?僕は別になりたいものなんてないよ」


 小学四年の学校からの帰り道。集合住宅の空き地で僕らは話し合う。


 遊具も何もないただの空き地。ザラザラとした硬い地面、ところどこにポツポツと咲くタンポポの花や種類のわからない雑草たち。春の匂いと入り混じる無機質な建物に囲まれながら二人だけの秘密の会談が僕らの放課後の日常だった。


「きっとさ、普通に働くと思うよ。それで普通に家に住む。普通の生活をするさ」

「勇ちゃんはそれがしたいの?」


 そう言われると僕は返答に困ってしまった。何がしたくて、何がしたくないのか。そんなもの小学四年生にわかるわけもない。

 普通にご飯を食べて、普通に学校に行って、普通に寝る。これが毎日これからも続いていくような気もしていたからだ。


「わかんないよ、そんなの。山下はどうなのさ?」

「俺?俺は色々あるぜ?サッカー選手になりたい!あと野球選手にも!」

「せめてどっちかにしろよぉ!」


 僕は笑った。そもそもどっちか一つでも叶えられるのは難しいということは小学四年でもわかっていたからだ。でも山下は笑わない。清々しい決意のこもった眼差しではっきりと断言する。


「なれるさ!誰もなったことがないだけでどちらもなろうと思えばなれるんだよ!」


 山下とは小学一年生の頃から僕と喧嘩ばかりの日々を送っていたから結構ワンパクだ。僕とは違い、彼は学年問わず喧嘩をしていたので男子から仲間外れにされることもしばしばあった。それでも僕は山下と仲良くしている。それはこういう事を臆面もなく言い切る彼ららしさが好きだったからだろうと今では思う。


「でもしたいことがあるってのはうらやましいよ」

「ゆうちゃんはさ、今はないだけだよ!きっとこれからできていくって!将来凄いことをすると俺は思うな!その時は自慢させてくれよ!」

「でも山下はサッカー選手と野球選手になるんだろ?山下の方が凄いじゃん」

「それもそうかっ!」


 僕らは笑う。それが事故から一年前のこと。空はもうすっかり赤色に染まっており、車のエンジン音と信号機のアナウンスが耳に残る、音と景色の情景。



     ◇     ◇     ◇



 そして、僕は大人になった。


 成人式を迎え、今、彼のお墓の前にいる。あれから色々なことがあった。中学校で部活に打ち込んだ。高校では友達と遠出をした。専門学校では始めてバイトをした。僕は今、君のいう大人になれているだろうか。


 ふいにあの言葉を思い出す。


"勇ちゃんは、将来なんになりたいん?"


「そんなのわからないよ。あの時は勿論わからなかったけど、成人してもまだわからない。知ってる?もう年号も変わったんだよ?平成から令和に。もう今は2020年の夏さ」


 僕は一人、太陽の光が反射する墓石の中にいるであろうかつての親友に向けて言葉を紡ぐ。


「今は普通に働いているよ。普通に食べて、寝て、そして明日を普通に過ごしてる」


 大人になっても僕のしていることは変わらない。小学四年生のあの時から変わらない


"勇ちゃんはそれがしたいの?"


「どうだろう。でも大人になってわかったんだ。可能性は無限大じゃないって。結局僕にできることしかできなくて、僕にできることは誰かができるんだ。そして僕にできることはそんなに多くはない」


 僕はでも、とその続きを口にする。


「最近小説を書き始めたんだ。今は誰も読んでないけれど、いつかはたくさんの人に読んでもらいたい。でもどうせ無理さ。結局、小説は書けても小説家にはなれない」


 僕は俯く。そう、何かができることと何かになれるのとでは絶対というべき差がある。それはあの頃にはわからなかった、今では実感している明確な差が。


"なれるさ!"


「なれないよ。本当はさ、なんでもいいんだ。何かがしたいわけじゃない。何かになりたいんだ」


"今はないだけだよ!きっとこれからできていくって!"


「ああ、それでも……君がいてくれないと……自慢できないじゃないか……」


 将来サッカー選手になるかもしれなかった少年。将来野球選手になるかもしれなかった少年。そんな可能性を秘めた少年であろうとも、死んでしまったらどうしようもない。


「僕が書いた小説がみんなに見てもらえるようになったら、君に見せにまた来るよ。でも、そんな小説家になれるかな…」


「なれるさっ!」


 今度ははっきり聞こえた。聞こえるはずのない昔の君が、あの頃の君の声のままで。

 あたりを見回しても誰もいない。そもそも、その声は小学四年の頃の山下のもの。他の誰にも出せない唯一無二のもの。

 俺は深呼吸をして宣誓する。


「ああ!そこで待っていなよ!僕は必ずやってみせるから!今度はいい話を持ってくるよ!」


 俺は親友のお墓を後にする。しっかりとした足取りで顔を上げながら。


 遠くでセミの鳴き声が聞こえる。あれはなんという種類のセミの声だったか。今では思い出せない。

 向日葵の花が太陽に照りつけられて僕の歩く道行きを晴れやかに彩っていた。




 あなたは今自分に誇れる自分でいるでしょうか?

 なりたいものややりたいことをやれているでしょうか?

 

 今年の夏は一度しか来ません。自分の命がいつあるのかなんてわかる筈もありません。

 どうかみなさまの今後の先行きに夏の日差しのように温かい希望があることを僕は願っています。







 


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夏に咆える 麒麟山 @kirinzan

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