① 『鎌鼬三兄弟』

 最初の方は、お互い意識していたせいか吉晴の寝つきが悪かったが、しばらくして眠っていた。


 葛は妖の為、眠る事はない。目を閉じ、気を休めていた。


 「う、う~ん」


 目を覚ました吉晴が小さく唸りながら寝返りをし、意識を覚醒させている。


 「おはよう、吉晴くん」


 少し前に体を起こし、窓の外を眺めていた葛が声を掛けた。


 「ん、お、おはよう。葛、早いな。ちゃんと休めたか?」


 「うん。ちゃんと休めたよ。ありがとう。今日も学校とアルバイトでしょ?」


 葛が話す傍で、吉晴は布団から身体を起こし、葛の方を見た。


 「そのつもりだったんだけどな。今日は大学が午前中だけなんだよ。だから、バイトを休むか、夜の忙しい3時間くらいに替えてもらおうかと思ってんだよ」


 「何で?どうかしたの?――もしかして、僕に気を遣ってる?それなら気にしないでよ。僕も仕事あるし」


 「あっ、そっか。そう言ってたもんな」


 「うん。ちゃんと事務所もあるよ」


 葛が得意げにニヤッとした。


 「妖も、この時代で生きるのは大変なんだな。力を持ち、姿を変えられるだけで人間とあまり変わらないんだな」


 「まあね。そこは仕方ないよ(笑)。だから気にせず普段通りにしてて。ただ、僕と離れている時は気を付けてよ。一緒に生活するから昨日までよりは分かりやすいけど、ずっと一緒にいるわけじゃないからさ。何かあったらすぐに呼んでね」


 キリッとした目を吉晴に向け、心配なのか、細い目を更に細くして言った。


 「その時は、あの呼ぶやつが上手くできるように願ってて。――葛ってパンも食える?」


 「うん。君ならちゃんとできるさ。――僕も何か手伝うよ」


 布団をたたみ、部屋を整え、朝食の支度をする。食べなくても大丈夫だと葛は言っていたが、一緒に住むならと、吉晴は葛の分の食事も支度した。


 葛は普段食べないからか料理は作った事がないようだった。なので、葛にはパンを焼いている間、焦げないように見ててもらった。


 「食べるぞ~」


 テーブルの上に並べてから葛を呼ぶ。


 「ごめんね。このくらいしかできなくて」


 「何で謝る?パン焼いてくれたじゃん。意外と他のをやってると焦げっから、見ててもらうのは有難いんだ。さっ、食おう。いたただきます」


 「いたただきます」


 吉晴が作った目玉焼きに、焼いたウインナー、それにサラダとコーヒー、葛が焼いたパンが今朝のメニュー。――ずっと1人でいた吉晴は、何故か葛とは一緒にいても心に重みがなく、楽に食事ができる相手なのが不思議だった。親やクラスメイトですら気を張っていたのに、葛とはそういう事はなかった。


 食事を終え、軽く家事をする。


 「葛~、俺、今日は夜10時頃帰る予定だから。これ、スマホの番号とメアド」


 吉晴は、葛から気を遣うなと言ってもらったので、バイトも予定通りに行く事にした。葛との会話も楽でいいと言うので、みんながしている家族や友達との話し方と同じ軽い感じにするようにした。そして、自分のスマホの番号とアドレスのメモしたものを葛に渡した。


 「ありがとう。これは僕のね」


 吉晴からメモをもらったあと、葛も自分のスマホの番号とアドレスの書いたものを吉晴に渡した。


 「ところで、吉晴くんってREINをやってる?」


 「ああ、一応な。大学へ入る前に大学の交流サイト絡みで登録した。まさか、葛もやってんの?」


 「うん。これなんだけど。こっちも交換した方がいいよね。通話代とか無料になるし」


 葛は、REINの画面を見せながら言ってきた。


 「よく知ってんなあ。俺より知ってんじゃん」

 

 「仕事で使うからね。嫌でもこういうツールを使わないと、いくら妖でも現代を生きていくにはさ」


 少し照れた顔をして、葛はそう話した。


 「そっかあ。妖でも大人は大変なんだな。これから先、俺もそんな風になれっか自分で心配だよ」


 「大丈夫さ。その時になればちゃんとできるよ」


 吉晴に言う葛の手が、自然と吉晴の頭の上へ置かれ、優しく撫でられた。急に頭を撫でられ、吉晴は目を丸くした。


 「あっ、ごめんね。つい…」


 「あっ、いや、アハハハ~」


 吉晴は、どう反応していいのか分からずに笑って頭を掻いていた。


 ―――「じゃあ、先出るな。そうだ。大事な事忘れてた。これ、これ」


 一度靴を履いた吉晴が何かを思い出したようで、靴を脱ぎ部屋へ戻った。そして、引き出しから部屋のカギを出す。それを葛に渡した。


 「カギ?」


 「ああ、この部屋のな。これなきゃ葛が出掛けられねーし、入れねーよ?」


 不思議そうな顔をした葛に、吉晴はニヤニヤしながら答えた。


 「ありがとう。昨日知り合ったばかりでカギまで…」


 吉晴から貰ったカギをジッと見ながら、葛は嬉しそうな表情を浮かべていた。


 「葛は、嘘ついたり悪い事したりするような奴じゃないのが分かったから」


 「うん。…ありがとう」


 「じゃあ、俺行くな。今日は1時限からなんだ。行ってくるな」


 「うん。行ってらっしゃい」


 吉晴は葛に見送られて部屋をあとにした。葛も少し経ってから自分の事務所へと向かった。


 大学へ行った吉晴は、午前中の講義を終え、バイト先であるコンビニへ行く。


 「おはようございます」


 「おはよう。今日は長時間だけど平気?」


 「あ~、その事なんですけど、シフトは問題ないんですけど、残業なしでお願いしたいんです」


 今日から部屋には葛がいる。生まれてから一緒にいた両親より昨日会ったばかりの葛との方が、とても安心できて心地良い。それに、慣れるまでは、なるべく葛と共にいる時間を多く取りたいと思っていた。


 「うん。それはもちろん。――いつも悪いね。本当はダメなのにシフト時間終わってからも色々やってもらっちゃってさ」


 店長が申し訳なさそうに頭を下げてきた。


 「それは気にしないで下さい。店長には食いものの事とか色々してもらってます。俺みたいなのを雇ってくれてるし。それを考えたら手伝うくらい何でもないです。――で、こんな話のあとに言いづらいんですけど、明日、少し早目に来るので聞いてもらいたい事がありまして…」


 「おや、安倍くんが珍しいねぇ。うん、分かったよ」


 「忙しいのに、すみません」


 「いや、いや。逆に嬉しいよ。さて、今日もよろしくね」


 普段何も相談もしない、他のパートやバイトの人からのシフト変更も断らない。忙しい時は時間を過ぎても文句1つ言わずに引き受けてくれる。そんな吉晴を店長は少し気になっていた。その吉晴から話があると言われ嬉しかった。しかし反面、もしかしたら辞めてしまうのではないかという不安もありつつ、明日、話を聞く事にした。


 ―――吉晴はシフトを減らそうと考えていた。今までに人に相談とかはあまりした事がないので、店長に話すのに少し緊張した。


 自分の事が今までと変わる事で、これからどうなるのかも分からない。それに、今日から1人で暮らすのではなく、葛と一緒だ。そして葛が、一緒に住むのなら家賃など半分出すと言ってくれた。収入を減らすのはどうかとも思ったが、葛も出してくれるのであれば、その分、葛から色々話を聞いたり、術を教えてもらうなどの時間を作りたいと思っていた。


 それにしても自分が、あの有名な安倍家の子孫だとは知らなかった。時々テレビで見る晴明とは違うにしても、その息子の吉昌なわけで、そんな凄い家系の1人なのかと驚いた。自分みたいなものが子孫で申し訳ないと思いつつ、自分は本当に普通の人じゃなかったのだと不思議な気持ちだった。だからと言って、ショックとかのマイナスの感情はない。ただ、現実味がなく、雲の上のフワフワしたような変な感じだった。幼い頃に視えていた事には意味があって、これから、それが誰かの為になるのなら、自分がこの世にいる意味があったのだと思っていた。変ではあるが、吉晴にはそれが嬉しかった。


 色々考えているうちにバイトも終わり、最初に言った通り、今日は残業なしで早々に店を出た。暗くなったアパートまでの道のりを歩く。そこへ、男3人が吉晴の前に現れた。自分より大人、高校生くらい、中学生か小学生くらいの子の3人。


 「ん?」


 足を止めた吉晴は、3人を見て疑問顔をした。


 「えっと、何か?」


 吉晴の言葉を聞いて、3人は顔を見合わせている。


 「君、安倍の人ですよね?」


 3人の内の大人っぽいのが、吉晴に言葉を掛けた。


 「知らない奴に答える必要なくね?」


 カツアゲとか因縁付けとかとは明らかに違う。吉晴の頭の中で警告音のようなものが鳴っていた。


 【葛に知らせないと】


 昨夜やったように頭の中で葛を呼んでみるが、できているのか分からない。ポケットに入れてあるスマホを手に取り、電話を掛け、切らずにそのままポケットに入れた。


 「え~、何してるの~。こんな状況で余所見とかさあ」


 高校生くらいの子が揶揄うように言ってきた。


 「俺さあ、あんたら知らないんだよね。こんな暗い道で、いきなり人の前に立ち塞がって声掛けて来てさあ」


 吉晴の頭の中ではずっと警告音が響く。それに合わせて心臓もドキドキしている。


 【心臓やべぇ】


 そう思いながら平穏に保つフリをして言葉を交わしていた。


 「まあ、俺らもあんたの事、よく知らねーけど。ところで鎌鼬(かまいたち)って知ってる?俺ら、それなんだけど」 


 【やっぱり】


 吉晴の中での答えはそれしかなかった。今のこの状況で3人の男が声を掛けてくるのは、それしかないと思っていた。


 「鎌鼬っていうのは聞いた事ある。漫画とかでな。でもあれって、ビル風とかじゃねーの?」


 とりあえず知らないフリをして答えてみる。その答えを聞いて少しイラついたのであろう。


 「君、本気で言ってるのか、ふざけているのかどっちなのかな」


 大人っぽいのがイラつきながら質問をする。その横で、さっきから挑発的な話し方をするのが言ってきた。


 「兄さん。さっさとやっちゃえばいいのに。何で話してんの?」


 初めに話し掛けてきた大人っぽいのは長男。挑発的なのは次男。何も話さないで2人の後ろにいるのが三男なのだろうと思いながら吉晴はいた。


 「いや、ふざけてはいない。ただ、色んな事の疑問が晴れていないだけ。お前らが言っている安倍がどうとかの事は、そうだって返事するよ。でも、その事も昨日知ったばかりだしな。妖が視えたのも昨日からだし。もちろん目玉がどうしたってのも昨日聞いたばっかだしな。だから、俺はお前らが思っているような人物じゃねーよ。俺、何もできねーもん。そんな奴を襲ったってしょうがないと思うんだけど。それに、俺の目玉喰っても美味くねーと思うんだけどなあ」


 知らぬで通そうかとも思ったが、目の前に現れた以上、そうしたところで、まとわり付かれるだけで面倒臭いような気がした。同じまとわり付かれるなら、お互いちゃんと何者かを知っていた方が、少しは気分が楽なように思えた。


 「そうですか。本当の事を話してくれてありがとう。――私たちは鎌鼬。三兄弟です。私は長男で『薬鼬(やくゆう)』。これは次男で『悠切(ゆき)』、これは一番下の『爽(あきら)』。私たちは風を使う妖です」


 薬鼬が丁寧に、自分たちの事を説明してきた。自分が話をしたから、それに合わせて説明をしてきたのだろうと吉晴は思ったが、このやり取りが不気味なようにも思えていた。


 「ふ~ん。で、やっぱり俺のこれ、欲しいの?」


 吉晴は、自分の目を指して薬鼬に聞いた。


 「まあ」


 「でもさあ、これをどうかしたところで何も変わらないと思うけど。あとな、やっぱり渡すのはダ~メ。これは俺んのだから」


 挑発的に話してはダメだったかと思ったが、言ってしまったものはもう遅い。


 「じゃあ、力づくで捕るしかないですね」


 薬鼬の言葉を聞いて吉晴は逃げる素振りをし、自分の前に指で横線を引きながら『臨』と言い始めた。そして、続けて『兵』『闘』と言いながら自分の周りに結界を張った。


 「逃げるだけですか?――爽」


 「はい、兄さん」


 今まで一言も声を発しなかった爽が、自分の名を呼ばれ返事をし、ジャンプして風を巻き起こした。


 「次は俺」


 爽が起こした風の間から、悠切が鋭い何かを出してきた。


 3人に背を向けながら走っていた吉晴の少し手前で、悠切が出してきたものが弾かれた。


 「何?」


 「ほう。君はそんな事ができるんですね。何もできないなどとよく言えたものです」


 吉晴はただ走って逃げているものだと思っていた薬鼬は、目をキリッとさせながらそう言った。その表情は、さっきまでの優しい部分をもなくし、厳しいものへと変わっていった。


 【何なんだこいつ。こんなに表情が変わるのか】


 アパートの方へ走って行く吉晴を、鎌鼬の3人が追う。悠切が誰よりも速く走り、吉晴の前へと回った。手を構え、鋭い風をぶつける。しかし結界で弾かれる。


 「クソッ、ダメか」


 それでも何度かやっていくうちに、結界からピシッという音がした。その音を聞き、3人は顔を見合わせてニヤリとしていた。そして、爽が風で結界に刺激を与えると、吉晴の髪が揺れた。


 【まずい…】


 吉晴は結界が破られたのが分かった。足が止まり固まっていると、


 「遅くなりました」


 と言って、スーツ姿の葛が吉晴の前に立っていた。


 「葛」


 「ケガはない?」


 「ああ」


 葛は吉晴の無傷な状態を確認すると、ホッとした表情を浮かべた。


 「貴方も、こちらにいらしたのですか」


 薬鼬が葛に言う。吉晴以外は、お互いを知っているみたいだった。


 「ええ。吉晴様がおられるのですから、私がいて当然です」


 吉晴と話す時の口調とは全く違う話し方で葛は答えた。


 「それは少し厄介ですね。まあ、でも、今日は顔合わせという事でいいでしょうか。次はちゃんと頂きますので。――それでは行こうか」


 紳士的に頭を下げた薬鼬は、悠切と爽を連れ、その場から消えた。


 「消えた…。って、何なんだあいつら」


 まだ何かされるかと思っていたら、葛の姿を見て、ちょっと挨拶をして消え去って行き、吉晴は起こっている事がよく分からなかった。


 「吉晴くん、本当にケガはない?」


 「ケガはしてない。それより、急な事でわけ分かんねえ。自己紹介も軽くされたような気はしたけど。う~ん、何だかなあ。それに、頭ん中から葛も呼んでみたけど、呼べてんのか呼べてないのか分かんなくてさあ。スマホで通話中にして、こっちの状況を聞こえるようにしてたけど、どうだったんだ?」


 葛がいて鎌鼬が消えたからか、吉晴は混乱している自分を黙っている事ができなかった。


 「コンタクトは大丈夫でしたよ。ちゃんとできていました。それ以外の事は、部屋の中でゆっくりしましょうか」


 鎌鼬が姿を消し暗い夜道に、葛と吉晴だけが立っていた。トボトボと2人で歩き、アパートへ向かった。


 「はぁ~」


 「お疲れさま」


 「あれから歩きながら考えていたけど、頭とここが、何つーか、追っつかねぇ」


 アパートへ着く。玄関へ入り、吉晴が大きなため息を吐いて、葛がそれに答える。部屋に入った吉晴は荷物を置き、腰を下ろしながら胸を叩き、今の自分の状態を口にした。


 「改めて、お疲れさま。――内容を話で聞いてても、実際そうなると気持ちは追い付かないよね。でもさ、僕を呼べたし結界もちゃんとできたじゃない。それだけで今は十分だよ」


 葛は、話しながら台所へ立つ許可を貰い、お茶を入れた。


 「はい、お茶。飲むと落ち着くから」


 「悪い、ありがとう。今日はどうにかなったけど、結界張れても攻撃みたいなのができなきゃ、どうにもなんねえなって思ったんだよ。あと、急な感じになって葛を呼んだけど、仕事だったろ?そっちも気になったんだけど。アチッ」


 話しながらお茶を飲もうとしたら、思っていたより熱かったので、フーフーしながら再度一口飲んだ。


 「ほらほら、慌てないで。口の中、火傷するよ。――吉晴くんの言いたい事は分かる。だけど、昨日一晩では何個も教えられないし、こんな翌日に君の前に現れるとは正直、思わなかったんだよ。考えが浅かったかなって反省してる。ごめんね。それと仕事の事だけど、大丈夫だから気にしないで。仕事を抜けられる手段は色々とあるから。まあ、今日は事務所にいただけだし」


 鎌鼬の彼らがずっと吉晴の事を探していたのは知っていたし、吉晴が視えるようになれば、放つ気ですぐに分かってしまうのも予想はしていたが、視えたその翌日に現れる程、何か焦っていたのかと葛は考えていた。そして少し早く、他の術も教えていかなくてはいけないと思っていた。


 「葛の仕事に支障がないなら良かった。――一番上の奴、薬鼬って言ったっけ?あいつだけが色々言ってて、残りの2人は言われた通りにしてるだけって感じだったな。でさあ、気になってんだけど…。あいつらは3人いるのに俺の目玉は2個しかないんだけどさあ。1個足んないじゃん。そういうのはどうなの?兄さんだけ1個喰って、弟2人は1つを半分ずつね~みたいな感じにするんだろうか」


 「君は面白い事を言うね(笑)。でも、確かにそうだよね。僕はそこまで考えた事がなかったよ――」


 葛はそこまで言うと、何か考えるように窓の外を見ていた。


 「どうしてかな。彼らは吉昌と仲が良かったのに…」


 「仲が良かったのに、これを狙ってんの?」


 「うん。――あれ?おかしいなあ。吉昌が生きていた時は言ってなかった気がする。う~ん…。あぁ、そうだ。彼らの事はどっかで聞いて、いつからか吉晴くんを狙う者って僕が認識したんだった」


 あまりに長い年月で、葛の鎌鼬三兄弟の状況に関する記憶があやふやになっていた。


 「葛はさあ、最近、あの3人とはちゃんと話した事あんの?」


 「いえ。いつからか3人が安倍の目を狙っていると知り、何度かは顔を合わせたけれど、吉晴くんが思っているような友好な話とかはしてないなあ」


 「ふ~ん、そっか。ちなみに、こういう時の妖って、話をしたいって言ったら、ちゃんとできるもん?それとも聞く耳とか持たなくて、攻撃しか考えられないみたいな感じなの?」


 「その者の性格にもよるけど、あの3人はどうだろう。あの長男くんは冷静に見えて、そうでもないような感じだよね」


 葛は、吉昌以外でそんな事を聞いてくる者がいるとは思わなかった。やはり吉晴は吉昌に似ていると改めて思っていた。


 「でも、聞いたところで向こうの考えも変えてくれるか分からないしなあ。何かこう、対抗できるものを教えて欲しい。俺にできそうなもんってある?」


 吉晴は葛に、自分ができそうな他の術の有無を聞いた。


 「ありますよ。こういうのだけど」


 葛は、自分が着ているスーツの内ポケットから1枚の札を出した。


 「これなんだけど。この札は祓ってしまう前提のものなんだけど、相手の動きを止めたり、ちょっとした攻撃ができるものもあるよ」


 「そうか…」


 葛の話を聞きながら考え事をしていたので、吉晴の返事が力のないものになっていた。


 「どうしちゃった?さっきので疲れちゃったかい?」


 「えっ?あっ、うん。いや、ちょっと考えてたから。悪い、自分で聞いたのに」


 「それはべつにいいよ。何を考えてたの?」


 さっきの事もあって、葛は心配になった。


 「何かな。ちょっと戸惑ってんだろうな。子供の頃の視えてた記憶はあるから、普通の暮らしはできないなって分かってはいたけど、実際こうなってみると何かな…」


 吉晴は一点を見つめながら自分の思いを整理しているようだった。


 「うん、そうだよね。ごめんね。君に辛い生き方をさせてしまって」


 「葛が謝る事じゃないさ。これも運命ってやつだしな。しょうがねえよ。――止め、止め。自分から言ってて悪いけど、本題に戻ろうぜ」


 自分が話した事で、葛に余計な心配をさせる事になってしまい、吉晴は気持ちを切り替えようと話題を戻そうとした。


 「うん、じゃあ。――このお札なんだけど、相手の方へ投げると、札の方から向かって行くんだ。それで力を発揮する。ただね、札に書く文字を少し練習しないとならないんだよ。ほら、今は筆で文字は書かないし、それのような文字も書かないでしょ?面倒だろうけど、まずはそこからだね。力が強くなれば、筆書きしなくても念だけで書けるようになるから。まあ、それまでは筆書きで」


 葛から渡された札をまじまじと見る。何処かの寺だか神社で似たようなものを見た事はあるが、そんなじっくりと見た事はなかった。よく見ると確かに練習をしないと書けないと吉晴は思った。


 【ここなんて、文字だか絵だか分かんねーもんなあ】


 そう思いながら、手にしていた札を葛へ返し、押入れをゴソゴソとしだした。


 「あった、あった。これさあ、中学まで学校で使ってたやつなんだけど、こんなんでもいい?今、これしかねーんだわ」


 実家から持って来ていた荷物の中から書道セットを出した。こんなもの使わないかと思っていたが、家を出る時にほとんど全てのものを持って来ていた。自分の存在を消した方が両親の為のような気がしたからだ。


 【どんなものでも持って来てて正解】


 と思いながら、書道セットを手にして押入れから顔を出した。


 「まずは書く練習だから使えるよ。本当に使う時は、僕がちょっとこう、ササッとすれば問題ない(笑)」


 葛は魔法を掛けるかのように、手を空中で円を描くようにして笑いながら言った。


 「その時は頼むな(笑)。よし、これを使って練習をしよう。――気持ちは焦るけど、1つずつ熟していくしかねーもんな」


 「うん、そうだね。君ならすぐにできるようになるよ」


 「そうなるように祈ってて。――さて、とりあえず着替えて風呂入ったりしようぜ。葛は事務所大丈夫なのか?」


 「心配してくれてありがとう。あっちは大丈夫だから」


 「ならいいけど。俺、着替えるな」


 吉晴は楽な格好に着替え、風呂の支度をし、食事を作り始めた。葛は、さすが妖。ポンッとスーツから楽なズボンとシャツになっていた。


 「葛はいいなあ。何にでも着替えられて。金もかからなそうだし、荷物も増えなそうだしなあ」


 葛の着替える姿を見て、吉晴が羨ましそうに言った。


 「そう?君もそのうちできると思うよ。吉昌やってたし」


 ニコニコしながら葛は答えた。


 「そっか。俺でもできるのかあ…。…頑張ろっ」


 視える事を始め、普通に考えたら有り得ない内容の事ばかりなのに、それでも葛とは何も気にせず会話ができる。たった1日で、こんなにも居心地の良い暮らしになるのは嬉しかった。


 着替えたあと、食事をして風呂へ入り、一息入れようと時計を見ると時間は既に夜中の2時を過ぎていた。


 【これはまずい】


 「これはさすがになあ。でも、これからもこんな感じになりそうだよなあ」


 時計を手に持ちながら、小声で呟いた。


 【まあ、バイトの時間を少し減らすから平気か?でもな~、給料はあんま減らしたくねーし】


 「葛~、俺寝るな。明日、もっかい話しよーぜ」


 「うん。今日はお疲れさま。ちゃんと寝てね」


 「ああ。葛も身体をちゃんと休めろよ」


 鎌鼬3人の事、札の文字の練習、バイトの事…。考える事が一度に増え、時間も自分自身も足りなくて、吉晴の頭の中がいっぱいになっていた。


                ☆ ☆ ☆


 「今日は8時頃、帰るな」


 「うん、分かったよ。あのさあ、君に僕の事務所の場所を教えたいんだけど」


 「そうだなあ。バイト終わったら案内してくれるか?バイトは7時頃終わるから」


 「そう。じゃあ7時半くらいにお店へ行くよ」


 「了解。もし仕事になりそうなら言って。無理しなくていいから」


 「分かった。ありがとう」


 吉晴は、葛と事務所へ行く事の約束をして大学へ行った。今日は午前に2限あるだけ。そんな日が時々ある。


 ―――「吉晴~、今日もバイトか?」


 同じ科の友達が声を掛けて来た。


 「ああ、バイト。どっか行くのか?」


 「みんなでカラオケ行こうって話してたんだけどな。――なあ、吉晴。お前って、そんなに働かないとダメなのか?」


 いつも講義が終わるとバイトで、ほとんど友達と遊びに行った事がない。声を掛けて来た友達が心配で聞いてきたようだった。


 「まあな。俺の親は厳しいんだよ。高校までは面倒を見るけど、そっから先は男なんだから自分でやれってな。昔タイプの親なんだよ」


 いつか聞かれるような気がしていたので、吉晴はこの時の為に回答を用意していた。


 「そうなのか。大変だな」


 「ああ。だから、お前らがどうとかじゃねーから気にしないでくれ。悪いな」


 「分かった。みんなにも言っていいか?」


 「もちろん。気にしてる奴がいたら謝っておいてくれ」


 「ああ。時間あったら言えよ。俺たち合わせっからさ」


 「悪いな。じゃあ、バイト行くな」


 「おう、頑張れよ」


 声を掛けてくれた友達と別れ、バイト先のコンビニへ行く。


 「おはようございます」


 「安倍くん、おはよう。どうする?話、先にする?それとも食事?実は、今日はさ、これらが余っちゃって。この時期になるとお客さんも飽きちゃうのか、次の季節のものが出始めるからか、これらが余り出すんだよねえ。だから結構数があるんだよ。しかも残り時間も深夜まで長いの。良かったら持って帰ってもいいからね」


 店長が指さす箱を見ると、おにぎりと麺類、サンドイッチがあった。おにぎりとサンドイッチは、いつもと同じくらいの量だったが、麺類が数多く残っていた。日中の気温が暖かくなってきたからか、温かいものが余るようになってきたのだ。


 「やった~。ありがとうございます。食べるし、持ち帰りもさせて頂きます。実は、昨日から親戚の兄が一緒に住んでいまして。お金の面とかも色々負担はしてくれる事にはなったんですけど、男2人だと食事は…(笑)。なので、有難く頂きます(笑)」


 持ち帰るものを袋に入れ、事務所の冷蔵庫へ入れておく。そして、これから食べるものを選び、レンジで温めながら着替えた。流れで先に食事をさせてもらい、そのあと話をする事にした。


 「ごちそうさまでした。すみません店長、お待たせしちゃって。今、話いいですか?」


 食事を終えたあと、店長と話をする。親戚の兄と称した葛と住み始めた事、自分ちが厳しいのには理由があって、それを継ぐ為の生活を始めなければならない事。その為にバイトの時間を今より減らす事などを話した。


 「そっかあ。土日祝、学校が休みの日はOKだけど、学校のある平日は時間外労働はなるべく控えたいって事だね?あとは平日も減らす事があるかもしれないって事ね」


 「はい。申し訳ないです」


 「ううん。こうやって君の働いてたシフト表を見返すと、僕の方が頭を下げるべきなんだよ。君の言葉に甘えてさあ。正直、ちゃんとした機関にバレたらまずいくらい安倍くんを頼ってたよね。――うん。君の言うので大丈夫だから。土日祝入ってくれるんだもん。全然問題ないよ」


 「ありがとうございます。ちなみに、時間が空いた短時間、ポンって入れたりってできますか?」


 「うん、できるよ。おかげでさまで、ここの店舗は一日を通してお客さんの出入りが結構あるからね。人の手が増えて困る事はないし、うちは主婦の人も多いから急に休む事も多くてね。安倍くんが入ってくれるとみんな喜ぶよ。主婦はさ、仕事してても家族の都合で自分が予定変更しなきゃいけない事が多いから」


 「そう言ってもらえて良かったです」


 「じゃあ、そういう事でお願いするよ」


 「はい、ありがとうございます。じゃあ、店に入ります。今日もよろしくおねがいします」


 店長との話を終え、シフトに入った。いつものように仕事を熟し、そろそろ終わりになろうかというところで、頭の中で葛に話をした。葛は親戚の兄で自分ちは厳しく、家業を継ぐ事になったと話した事を伝えた。


 「安倍くん、そろそろ上がりだよ。もしかして、あそこにいるのって安倍くんの親戚のお兄さん?」


 店長が指をさす方を見ると、外で葛が立っていた。


 【早っ。今、ちょっと前に言ったのに】


 「そうです。あれが。――お先に失礼します。明日はお休み頂きます。すみません」


 さっき話した時に、明日は休みを入れてもらう事にしていた。


 着替えてから葛の所へ行く。吉晴が店の外へ出る時に店長が葛に頭を下げた。それに気づいた葛も頭を下げ、ニコリとした。


 「お疲れさま」


 「葛も、ここまで来てもらっちゃって悪いな。仕事は平気なのか?」


 「うん。昨日も言ったけど、僕の方は大丈夫だから。――では、事務所まで御案内します」


 吉晴が行くからなのか、傍にいるからなのか、葛は嬉しそうに歩き出した。コンビニと同じ通りで、アパートと逆方向にまっすぐ15分くらい歩いた所のビルの3階に事務所があった。『K・A事務所』と書いてある表札がドアの所に貼ってある。しかも、そのビルは家賃も高そうな所で、千年も前に生まれた(できた?)葛が、この平成や令和という時代で、こんな所に会社を作っているのかと思うと、自然と声が上がってしまった。


 「へぇ~。葛、凄いな~」


 「そう?ありがとう。それでは中へどうぞ」


 吉晴に褒められて嬉しかったのか、葛から笑みが零れた。


 「お邪魔しま~す。お~。ちゃんとした会社なんだな。机もいくつかあるって事は、従業員も雇ってるって事だろ?会社を作るなんて大変なんだろうになあ。――なのに俺の世話なんかしてちゃダメなんじゃねーのか?」


 吉晴の中で、葛への見方が変わっていく。


 「大変じゃないよ。何度も言うけど、僕は妖だからね。ここを借りるのだって、記憶も暗示で借りてるし。もちろん家賃はちゃんと正規の金額で借りてる。事務所の名前はあるけど、何をやってるかまでは載せてないでしょ?時々、人からの依頼も受ける事はあるけど、ほとんどは妖のお悩み相談みたいなものなんだよ。この机だってカモフラージュさ。人のお客が来た時だけ、僕の式を座らせるだけだし。だから自由もきく。気にする事なんてないんだ」


 どうしてだか分からないが、何故か一瞬、葛は自分が妖だと卑下するような言い方をした気がした。


 「それでもさ、この時代で人に混じって仕事をしてるって凄いよ」


 葛の思いとは違って、吉晴は目をキラキラとさせ、事務所の中を見回し、そう言った。


 「K・A事務所のK・Aは葛、安倍?」


 「うん、そう。名称なんてどう付けていいか分かんなくてね(笑)」


 「アハハ、そうだよな。名前を考えるのって… …」


 途中まで普通に話していた吉晴の口が止まった。涙目になり、葛をジッと見た。


 「吉晴くん?」


 「・・・・・」


 ―――「今、お茶入れるね」


 葛は静かにお茶の支度をする。まさか自分の話をして吉晴があのような反応をするとは思ってもみなかった。静かにお茶の支度をする。


 【やべ。こんなつもりはなかったんだけど。どうした俺?】


 吉晴自身も、どうして自分がこんな反応をしたのか戸惑っていた。そう思いながら目を閉じていると、頭の中で声がした。それは葛とは違う者だった。


 『初めまして。今まで君には辛い思いをさせてしまった。申し訳ない。葛には何でも頼ってくれていいからね。それに、葛の為に涙を流してくれてありがとう。僕の可愛い葛をよろしく頼みます』


 「えっ?誰?」


 下げていた頭を上げ、吉晴は声の主を探す。それと同時に葛が慌てて声を上げた。


 「吉昌どこ?吉昌いるんだろ?」


 『葛。ずっと1人で寂しい思いをさせてすまなかったね。これからは吉晴くんに仕えなさい。色々ありがとう』


 「吉昌、声だけなんてズルい。姿を見せて」


 葛は室内をグルグルと回り、吉昌の姿を探していた。


 「葛…」


 取り乱す葛の肩に吉晴は手を添えた。


 「あれは吉昌さんだったんだね」


 「吉晴くんは会ったの?」


 「いや、姿は見てない。頭の中で話し掛けられただけ」


 「そっか。何を話したか聞いていい?」


 2人でイスに腰掛けてから、葛は吉晴の話を聞く。


 「まずは俺に謝ってた。辛い思いをさせて悪かったって。あとは葛に頼れって。葛を頼むって言ってたよ」


 「そっか。僕にも似たような事を言ってった」


 「吉昌さんがどっから来て、何処へ行ったかは分かんないけど、葛を大切に想っているのは分かったよ。それに温かい感じの人だった」


 「君がそう感じたのなら良かった。吉昌は意地悪だね。こんな先の時代に魂だけ来させるなんて…」


 葛は優しい笑みを浮かべながら、でも寂しそうに姿の見えない吉昌へ話し掛けていた。その時、吉晴に異変が起きた。


 「何だ、これ?」


 吉晴の周りに弱い風が吹いていた。


 葛が目を凝らして吉晴を見ると、吉晴と吉昌が重なっているように見えた。


 「吉昌!!」


 思わず大声で、葛が吉昌の名を呼んだ。


 『葛、これからも頼むね』


 さっきと言っている事が少し違う事に違和感があったが、状況を考えると、やはり最初に吉晴に感じた事なのではないかと思った。


 【もしかして…】


 「吉晴くん。昨日、式神を出した時のやり方覚えてる?あれをもう一度やってみてくれないかな」


 「えっ?あっ、うん」


 葛から白紙で作られた紙の人形を渡され、昨日教わったように、左手に紙の人形を置き、右手で五芒星を書き始めた。そして最後に小声で『急々如律令』と言って点を加えた。すると昨日とは違い、葛にそっくりな者が現れた。


 【やっぱり】


 「葛か?」


 葛に似た者が現れ、吉晴は思わず葛を呼んだ。


 「いや、僕はここにいるからね(笑)。――君は、吉昌の血を濃く受け継いだか、生まれ変わりのようだ。昨日、少しそう思ったんだけどハッキリとは分からなくてね。でも、さっき吉昌の事があったからもしかしてと思ったんだ。――やっぱりそうだったのか。しかし、この子は僕とそっくりだね」


 自分で出した式神なのに吉晴は驚いて、黙ったままジッとしていた。その横で、葛が式神に質問をしている。


 「君は、人の言葉が話せるかい?」


 「はい。少しなら」


 「そうか。今から僕が出すものを祓ってみてくれるかい?」


 「はい」


 自分にそっくりな式神の前に、葛は何かを出そうとしていた。


 「行けっ」


 形のないモヤモヤした何かを出し、式神に向かって攻撃をさせた。すると式神は、右手2本の指を口元へ持って行き、ゴニョゴニョと小声で何かを言って、自分に向かってくるものを弾いた。そして、小声でまた何かを言って、口元にある2本の指をそれに向けた。すると、モヤモヤは空気に散るように消えていった。


 それを見ていた葛が、1つ呼吸を吐いた。


 「やっぱり…」


 ずっと黙って見ていた吉晴が、ようやく言葉を出す。


 「やっぱりって何を?」


 「君の力は凄いって事。さっき現れた吉昌がどんな作用をしているかは分からないけど、あれはあくまで魂であって実態じゃない。しかも、本人がこの世を去ってから、これだけの年月が過ぎている。仮令、彼の力が加わったとしても、それ程ではない。だから、これは元々君が持っている力なんだ。おそらく吉昌が現れて、君が自身で抑えていたものが解放されたんだと思う。吉昌はそれをする為に現れたのかもしれないね」


 葛は興奮していた。それに反して、吉晴はよく分かっていない。分かっていないというより突然過ぎて実感がない。まるで他人事のような感じでいた。


 「ふ~ん、そうかあ」


 「昨日は子狐だったでしょ?でも、今は違う。僕にそっくりな式を出した。しかも式が自身で祓う事もできている。本当に似てる。双子みたいだ(笑)」


 吉昌が現れ興奮している葛が、更にテンションを上げてきている。吉晴が出した自分そっくりの式が嬉しいのか、式の横に立ちニコニコとしていた。


 吉晴は、葛の事を思うと式神をそのまま出しておきたかったが、同時に自分の力も消費するような気がした。その事を伝え、式神は消した。同時に、空腹度が限界になってしまったので、バイト先から貰ってきた弁当類を温めて食べる事にした。


 「コンビニのものも美味しいねえ。おにぎりくらいなら買った事あるけど、麺類は初めて食べたよ」


 葛は妖なので本来は飲食をしない。しても甘味ものがほとんど。その為、今までは仕事上での付き合いの時しか飲食はしなかった。しかし吉晴と会ってからは、吉晴の言いつけで一緒に食事をする事になった。


 「口に合って良かった。これがあるから、あそこでバイトしてんだよ。食費が浮くからさ。だから食事は、こういうのが半分、自炊が半分って思っててよ。悪いけど…」


 「ううん。僕は、君と一緒に食べられれば何でも美味しいと思うから」


 「そっか」


 葛からの答えをもらった吉晴は、今まではそのような事を言われた事がなかったので嬉しくて恥ずかしかった。


 ―――「さて、さっきの事なんだけど」


 「ああ」


 食事をしたおかげで気持ちが落ち着き、さっきまでの問題へと切り替える。


 「まず、君の力は僕が思っている以上に強いという事。どこまで強いかは、まだ分からない。まあ、あの式神の力を見る限りでは、吉晴くんが術を覚えれば、今回の鎌鼬に対しては問題はないと思うんだ」


 「そうかあ。自分じゃよく分かんねーんだよな(笑)。札の字も練習しなきゃだし、まずは土台をちゃんとやんなきゃ使えるもんも使えないもんな。急いで葛の思うところまではできるようにするつもりだけど、地道になるよな」


 「まあ、そうだね。でも焦らなくていいから。その為に僕がいる」


 「悪いな。――ところでさあ、鎌鼬の3人って、昔から狙ってんだろ?何でそんなに欲しがるんだ?何をしようとしてるんだろうなあ」


 いくら妖の一生が人間の時間と流れが違うとしても、こんなとてつもなく長い時間、1つに拘っているのは勿体ないと吉晴は感じていた。


 「吉昌と仲が良かったんだ。吉昌が亡くなってからかな。何かおかしいの。目を狙ってるなんて、ずっと知らなかったんだ。最近だよ、耳に入ってきたの。最近って言っても100年とか200年とかの間だけどね。何度か会ったけど、どうも変でね。弟2人がちっとも成長しないんだ。妖だって成長はするはずなのに、ずっと子供のままなんだよ。大人なのは長男だけ」


 「ふ~ん。どうしたんだろうな。何か勿体ないよな。長い時間生きてて、本当かどうかも分からない変な事に執着してるなんてさ。葛のように前に進めばいいのに」


 吉晴がそう言うと、葛は寂しそうに言った。


 「吉晴くんにはそう見える?僕は彼らのそういうところは偉そうには言えない。だって、吉昌っていうものに執着があるから。だから今、こうして君の傍にいる。君が視えていなかっただけで、僕や鎌鼬だけではなく、君の目を狙う者は皆、吉昌に執着しているんだ。――妖とはそういう者。自分を忘れて欲しくない。執着。だって、忘れられたら消えてしまうから…」


 葛の話を聞いて、吉晴は何も言えなかった。自分が口に出した言葉は簡単に言ってはいけないものなんだと思った。


 「悪かった。でも、俺の中で葛は彼らとは違う。俺をずっと見守ってくれてたり、他の者から守ってくれたりしてるんだから。それに、時代にのって、ちゃんと会社作ってるじゃん。だから葛はあいつらとは違う」


 「君は本当に優しいね」


 そのあとも話をしていたが、気分が暗くなっていくだけだと2人で話し、これはダメだという事になって、吉晴のいくつかの練習を始める事にした。


                ☆ ☆ ☆


 あれから数日、何事もなく過ぎていった。


 「葛~、札さあ、このくらいあればいい?あと式人形も」


 吉晴は力だけではなく、筆使いも慣れればスラスラと書けるようになっていた。札もそれなりに使えるものを用意する事ができた。


 「うん。とりあえずは、そのくらいあればいいと思うよ」


 「じゃあ、このくらいでっと。――さて、学校行って来るな。今日はバイトがあるから10時くらいに帰る」


 「はい。僕も事務所にいるから、何かあれば呼んでね」


 「ああ。じゃあ、先行くな~」


 「いってらっしゃい」


 吉晴は午後から大学の講義を、葛は事務所へと出掛けて行った。


 ―――講義を終えた吉晴はバイトへ向い、そしてバイトを終えたあと店を出ると、鎌鼬の1人、長男の薬鼬が立っていた。


 「お前、なん――」


 「こんばんは。昼間は学校で、夜は働いて大変なんですね」


 涼しい顔をして声を掛けてくる。


 「ああ、そうだよ。お前らと違って俺は忙しいんだ。だから、お前らのわけ分かんない事に振り回さないでくれ」


 「わけが分からないですか…」


 吉晴の言葉を聞いて、薬鼬の表情が変わった。


 「ああ、分かんねえだろ?千年も前の事を、千年後の俺に何かされてもさ。大昔に解決できなかったとしても、そこで終わりにしとけよな。迷惑だ」


 鼻先でフンッと息を吐き、吉晴はそう言った。


 「人間とは勝手なものですね」


 「それはお互い様なんじゃねーの?どっちかと言えば、会った事もないような奴に攻撃してくる方が勝手だろ。そんなに吉昌の目が欲しかったんなら、天国でも地獄でも、本人の所へ行ってそう言って来いよ。俺は吉昌じゃねーぞ」


 吉晴は、挑発してしまったと思いながらも、言っているうちに腹が立ってきて全てを吐き出してしまった。


 「お口だけは達者のようですね。これでもまだ言いますか?」


 吉晴の言葉に薬鼬も苛立ちを覚え、一言言い返すと、背筋を伸ばし手を上げ、そして下ろした。そして、強い風を吉晴の方へ投げるようにした。


 「うわっ」


 突風のようなものが吉晴に当たり、その衝撃で後ろへ倒れた。吉晴は、すぐに立ち上がり走った。


 【さすがに店の前はまずい】


 走りながら胸ポケットに入れておいた札を1枚取り、ゴニョゴニョと術を言ったあと薬鼬へ投げた。投げられた札は薬鼬の目の前でポンッと煙になり視界を遮った。薬鼬が煙をかき消して見直した時には吉晴の姿はなかった。


 「逃げましたか」


 ―――「はあ、はあ…。何だあいつ。店まで来やがって」


 あの札は煙を出し、一時的に吉晴の姿を見えなくするものだった。その隙に走ってアパートまで来た。階段を上がり、急いで部屋へ入る。息が整わないまま、葛にメールだけしておいた。頭で話し掛ければすぐだが、葛は仕事をしている。もし客といれば仕事の邪魔をしてしまうと思い、メールにした。


 吉晴のメールを見た葛から返信が来た。もう少ししたら帰るから、絶対に部屋から出ないようにという内容だった。


 折角、薬鼬を撒いて逃げて来たのだ。葛に言われる事もなく部屋を出る気はない。気を落ち着かせる為に風呂や食事の支度をして、葛の帰りを待つ事にした。


 【しかしなあ。バイトの帰りとかに待ち伏せされると寝る時間が減ってイヤだなあ。せめて何もない昼間とかにお願いしたい。まあ、あっちも必死なんだろうから、そんな都合の良いようになんかなるわけないか】


 そんな事を思いながら部屋にいた。


 「ただいま。ケガとかはしてない?」


 (多分)仕事を終えた葛が慌てて帰って来た。


 「ケガとかはないけど、バイト後だったから疲れた」


 「そうか(笑)。疲れたくらいで何もなかったから良かった。しかし薬鼬が1人ってさ。2人はどうしたんだろう。何か分からないね」


 吉晴が元気でいたので安心したのか、葛は話しながらポフッとスーツ姿から楽そうな服に着替えた。


 「俺もそこは疑問に思った。でさあ、もう一度聞きたいんだけど、あいつらが目を欲しいと思ってる理由を葛は知らないんだな?あと、目の効果って本当なのか?」


 「う~ん、ごめんね。実際、目の効果は分からないんだ。だって、誰も吉昌の目を食べた事がないんだもの。でもね、どんな者が来ても吉昌は祓おうとはしなかったんだ。僕にも、完全に祓う事はダメって言ってた。鎌鼬が狙ってる理由も分からない」


 「ん?祓っちゃダメって言われてたの?」


 「うん」


 まさか葛にそんな禁止をしていたとは、吉晴は思ってもいなかった。


 「葛~。いくら俺はあいつらを祓う程の力が無いにしろ、そこは最初に言ってくれないと~。何かの拍子で、もしもの事があったら困るじゃん。だって、自分が狙われているのに禁止するって事は、何か意味があるからだろ?」


 「そうだね。申し訳ない。でも、何でダメって言ってたかは僕には分からないんだよ」


 葛は申し訳なさそうな顔をして吉晴を見た。


 「本当の理由は吉昌さんじゃないと分からないのかあ。さっき、兄1人だったから話せば良かったんだろうけど、すぐに攻撃をしようとしてきたからさ。――葛はみんなを祓うなって言われたんだろ?どうしようか。痛めつけるまではするけど祓わない…」


 初めて話を聞いてから今まで祓う事しか考えていなかった吉晴は、吉昌の言いつけを耳にしてしまい困ってしまった。


 「とりあえず話を聞きたいよなあ。でも何か、聞く耳持たないっていうか…。俺がこんな話し方だからダメなのかなあ」


 「いや、そうじゃないと思うよ。少しでも話をしたいと向こうも思っていたら、こんな感じで毎回現れたりはしないと思うし」


 「そっか。――分かった。じゃあ、話を聞く事を一番に考えよう。理由が分からないとどうにもまとまらない」


 「はい、分かりました」


 「えっ?」


 鎌鼬に対しての答えを出し、それを吉晴が言ったあと、葛の返事がいつもと違い、畏まった返事をしてきた。


 「葛?」


 「えっ?ああ(笑)。アハハ」


 「俺は吉昌さんじゃねーぞ(笑)」


 「うん、分かってる。君が真剣に言ってくれたから、僕の脳内が変に反応しちゃった(笑)。ごめんね」


 吉晴に言われた葛は、少し慌て、恥ずかしそうに謝った。


 ―――翌朝になり、また一日が始まる。昨夜、話し合った事を思い出す。


 【祓うまではしない。話を聞く。――難しいなあ。こっちが話を聞きたくても向こうがなあ…】


 薬鼬の話している時の表情が頭に浮かび、


 【無理そうだよなあ】


 と思いながらバイト先のコンビニへ向かった。


 結局、いい答えは見つからないまま、その事ばかり考え、朝から夕方までのシフトを終えた。週末とあって、そこそこ忙しかった。余った品の中に甘いものがいくつかあったので遠慮なく貰って行く事にした。


 【そういや、葛って甘いもの食うんだろうか。昔の人だし妖だから好きそうな気もするけどなあ】


 妖は酒と甘いものが好きだと、何かの漫画で見たセリフを思い出しながら店を出た。


 【葛?…三兄弟の1人?】


 貰ったものの入った袋を手に下げ、店を出ると、葛と鎌鼬の真ん中の悠切が立っていた。


 「吉晴くん、お疲れさま」


 「ああ。で、何でこいつが?」


 悠切を指さし、葛に聞く。


 「こちらも話を聞かなくてはと思っていたところに、悠切くんが事務所に来まして」


 葛が話している横で、悠切がバツの悪そうな顔をしていた。


 「ふ~ん。で、俺がそこから出て来たわけだが、このあと何かされるわけ?」


 吉晴はニヤニヤしながら、少し意地悪を言ってみた。


 「いえ、それは多分、今日はないと思います」


 葛は口では普通に答えてきたが、目は『そんな意地悪言って…』と言っているようだった。


 「そう。あっ、ちょっと待ってて」


 悠切も話をするつもりなんだろうなと思い、吉晴は、さっき2人分しか貰って来なかったものをもう1つと、店へ戻った。忘れ物を取りに来たフリをして悠切の分も袋へ入れ、店を出て来た。


 「待たせて悪い。で、このあとは何処行けばいいわけ?これ持ってっから遠くへは行けないけどな」


 吉晴は、手に持っている袋を見せながら2人に言った。


 「大丈夫です。僕の事務所へ行きましょう」


 そう言った葛の後ろを黙って悠切は歩いていた。事務所へ入ると、葛が吉晴を見て頭の中で話をしてきた。


 〈ごめんね、急にこんな事に〉


 〈いや、そこはいいよ。でも何であいつが?〉


 〈あちら側も色々あるみたいで〉


 〈そっか。了解〉


 ほんの少しのやり取りをして、葛はお茶の支度をしに行き、吉晴は悠切の前に座った。


 「葛と悠切は甘いもの食えるか?」


 店から持ってきたものを机の上に出す。


 「うん。甘いもの好きだよ。妖はみんな好きかな。悠切くんもそうでしょ?」


 「あっ、えっ、うん…」


 自分に話を振られ、悠切は戸惑っていた。自分のような者が来たのにもかかわらず、葛も吉晴も笑っていて何もしてこない。殺気もない。2人は兄である薬鼬がいうような者なのか分からなかった。


 「なら良かった。まずはこれ食ってからな。俺、バイトのあとだから腹減ってっからさ。話すにしても何にしても、腹減ってたら何もやる気しねえから」

 

 一度、机の上に出したものを悠切の前にも置いた。


 「和菓子じゃねーけど、2人とも食べられるか?」


 葛の入れるお茶が来る前に、吉晴は2人に聞きながらも既に食べ始めていた。


 「ほら、お前も食え」


 「あっ、ああ…」


 悠切はどんな顔をしていいのか分からず、それでも吉晴に渡されたものを口へ運んだ。


 「・・・美味い」


 「良かった。葛~、早く食え~」


 悠切が食べ始めたのを見て、吉晴は葛を呼ぶ。


 「はい、お茶です。吉晴くん、そんなにお腹空いてるの?」


 「だって、俺はまだ十代だぞ。バイトして帰ってくりゃあ、腹が減ってて当然」


 吉晴は『アハハ』と笑いながら食べていた。そのあと、葛も食べ始め、


 「甘いものは、やはりいいね」


 と喜んでいた。黙って食べている悠切も、薄っすらと笑顔で、容器の中のものを見ながら食べていた。


 食べ終わったあと、様子を見ながら吉晴が口を開いた。


 「さて、話しようか。俺も聞きたい事があるからさ。――悠切。お前がここに来る事、薬鼬は知ってんの?」


 「いや、知らない。黙って来た。――俺たちは長い年月、あんたの目ばかりを考えてさ。あんたを前にした時、これで終われるって思った。だけど、あんたをいつも見てたら、本当に兄さんの言う通りにしていいのか分かんなくなったんだ。それに、あんたは吉昌じゃないし…」


 悠切は、吉晴と会った事で自分の中に疑問が生まれたようだった。それがどうしても気になり、今日1人で来たようだった。


 「そっか。…あのさ、俺もよく分かんねえの。だってほら、俺、吉昌さんじゃないし。かなり大昔の事だろ?俺が妖を視えたのだって、この3、4日なわけだし。吉昌さんの子孫って言うのも、その時に初めて知ったしな。もちろん葛の事もな。だから俺としても、お前らの話を聞きたいって思ってたんだよ。今日来てくれて良かったよ。でさ、目を取って食べたとして、それは何の為?ただ長生きして妖の頂点に立ちたいとかそういうの?」


 お茶をすすりながら吉晴は悠切に聞いた。


 「人間は都合の良い時だけ俺らを使って、都合が悪くなると悪者扱いして祓おうとする」


 悠切は、ただそれだけを言うと、下を向き黙ってしまった。この間会った時のような威勢の良さがない。その傍で葛は何も言わずに、吉晴と悠切の話を黙って聞いていた。


 「俺は妖の事を何も知らなくて、漫画や映画でしか知らないんだけど、確かにそんなやり取りは度々出てくるよな。人間の都合で動かされるやつ。その部分については悠切の言う通りなのかもしれねえな。人間って、まあ妖もかもしんないけど、色んな奴いるじゃん。そんな中で、都合の良いように使われてイヤな思いをさせられた事があるんだろうな。そこは否定しねえよ。でもさ、それをずっと引きずってるのがな。妖時間の速度を考えたら、10年や20年は仕方ねえかもしんないけど、吉昌さんから俺の時代までは長過ぎだろ。葛は大した年数じゃないって言ってたけど、妖にとってもさすがに長いんじゃねえかなあって思うんだよ。こんなに長く生きてんのに恨みだけでいるのは勿体ねえよ。イヤな事を今すぐ忘れろとは言えないけど、もっと違う生き方して、少しずつイヤな事を薄めていくってのはダメなのか?って俺は思うんだけど。やっぱり、お前らからしたら他人事だと思いやがってって思っちゃうか?」


 吉晴は、悠切の正面から顔を見て、今思っている事を言った。悠切は吉晴が話している間、一言も挟まずに黙って聞いていた。そして、吉晴が話し終わると、


 「あんたの言う通りかもしれねえ」


 ただ、その言葉だけを返した。


 「――で、悠切くんはどうしたいんですか?僕たちへの戦いを止めますか?」


 今まで何も言わず黙って聞いていた葛が悠切に聞いた。続けて吉晴も言う。


 「俺たちっていうか、俺は、こんな話を聞いたばっかで狙われてるのは困るわけで。大学あるし、バイトあるし。正直、変なもんに関わりたくないのが本音なんだけど…」


 悠切は、吉晴が言っている事は分かっていた。自分1人ならそのように生きていける。でも、自分たちは3人で1つ。ありのままを薬鼬に話しても『はい、そうですか』とはいくはずがない。それどころか、聞く耳すら持つかも怪しい。そう思うと、今の悠切には答えが出せなかった。


 「今日は悪かったな。俺1人では答えは出せないが、話ができて良かった。少し考えたい。俺は戻るよ」


 吉晴の考えを聞き、自分の中の想いを、もう一度よく考えてみたいと悠切は思った。


 「そうだな。俺も、お前と話せて良かった」


 今夜の話はここまでとして、吉晴と葛も一緒に事務所を出て、アパートへ戻る事にした。少し歩き、悠切だけが別れようとした時、前から人の声がした。


 「悠切、お前――」


 前にいる者を見ると、薬鼬だった。


 「兄さん…」


 「お前は何をしているんだ。どうしてこいつらと一緒にいる?」


 薬鼬は悠切の姿を見るなり、厳しい目をして言った。


 「そ、それは…」


 「それは俺が話したくて無理矢理連れて来たんだ。だから怒らないでやってくれ。俺、本当にこの数日間、分からない事だらけなんだよ。それで、お前たちの事を詳しく聞きたくてな。だけど、あんたに聞こうとしても何となく俺の声を聞いてくれなさそうでな。だから、見つけた悠切を無理矢理連れて来たんだよ」


 吉晴は、薬鼬に問い詰められ、答えようとした悠切との間に入り、話した。


 「お前…」


 自分の前に立ち、兄から守ってくれようとしている吉晴の背中が、悠切の目に入る。


 「そうですか。だからと言って、ノコノコと連れて来られてしまうのもどうかと思いますが。悠切、こちらへ来なさい」


 薬鼬に呼ばれた悠切は、吉晴と葛の顔を見る。薬鼬に聞こえないように、葛は小声で悠切に言い、そっと背中を押した。


 「気にせず行きなさい。何かあればまた、いらっしゃい」


 優しい笑みを悠切に向け、薬鼬の方へ行かせた。ゆっくりと歩いて行った悠切の手を薬鼬が掴み、自分の方へ強く引っ張った。


 「行くぞ」


 それだけ言うと、建物の屋根を飛びながら行ってしまった。


 「すげーなー。あんな風に高い所いけんだなあ。――しかし、あの薬鼬の顔。悠切が怒られなきゃいいけどなあ」


 飛んで行く2人の姿を見ながら、吉晴は心配していた。


 「そうだね。薬鼬くん、結構怖い顔してたよね。でも、よくここにいるって分かったよねえ」


 「そうだな。まあ兄弟だし、何となく分かんじゃねーの?――はぁ~。とりあえず帰ろ。俺、マジ腹減ってダメだわ。今日は店寄って何か買ってくな」


 葛の事務所からアパートに行く途中に、吉晴のバイトをしているコンビニがある。そこへ寄って行く事にした。


 「お疲れさまで~す」


 「あれ?どうしたの~、こんな時間に」


 深夜バイトの女の子が、吉晴の姿を見て声を掛けて来た。


 「いや~、用事があって出掛けてたんだけど、夕飯食いそびれちゃってさ。これから作るの面倒だし、買って帰ろうかと思って」


 「買うの勿体ないよ~。裏にあるよ。――店長、安倍くん来たけど、これダメですか?」


 レジの裏にある事務所に頭を入れて、女の子は店長に言った。それを聞いて、店長が店に顔を出す。


 「おや、こんな時間に珍しい。何個かあるから持ってっていいよ」


 店長も許可を出すが、吉晴の横から葛が言った。


 「いつも吉晴がお世話になっております。私は、吉晴の従兄弟で『安倍 葛』と申します。吉晴からは、いつも店長さんに良くしてもらっていると聞いております。今日は私が一緒ですので、店内のものを購入させて頂きます。また1人の時に助けてやって下さい」


 葛はいつもと違い、親戚の兄らしく店長と話をしている。


 「吉晴くん、いつも頑張ってますよ。こちらの方が色々助けてもらってます。もしかして、一緒に住まわれる親戚のお兄さんですか?」


 「はい。そこまで話をしていたんですね。失礼致しました。こちら、私の会社の連絡先とスマホの番号です。吉晴に何かありましたら、こちらへ連絡を下さい」


 葛はポケットから名刺を出し、店長へ渡した。


 【名刺もあるんだあ。まあ、会社があるんだから当たり前か。葛はやっぱり大人だよなあ】


 葛と店長の会話を聞きながら、吉晴はそう思っていた。

 

 「安倍くん。親戚のお兄さんイケメンだね。超格好いいじゃん。紹介してよ」


 バイトの子がコソコソと吉晴に言ってくる。


 「悪い。あの人、そういうのダメなんだわ。苦手っていうか、仕事以外興味がないっていうか。仕事が忙しいからだと思うんだけど」


 「へえ。何か勿体ないね。あんなに格好いいのに」


 とっさな事で、とりあえず誰かと付き合うのは無理だぞアピールをしてみたけど、本当にそれで良かったのか、あとで確認しようと吉晴は思った。


 【葛の葉さんの事もあるし、人と妖が付き合っちゃいけないとかなさそうだもんなあ】


 その後、葛の奢りで弁当類を買い、アパートへ戻った。


 「何だかんだと、こんな時間だな」


 「そうだね。僕は平気だけど、吉晴くんは困るよね。どうにかしないと…」


 「本当、そうして欲しい。もう少しゆっくりと生活したいからな。それより悪かったな。店長に挨拶してもらったり、弁当買ってくれたり」


 「気にしなくていいよ。僕が一緒にいるのにタダでお弁当とか貰ったらおかしいじゃない。それに、実家以外の身近な人の連絡先があった方が向こうだって安心だろうし。吉晴くんだって何かの時、両親に連絡されるより僕の方がいいでしょ?だから気にしなくていいよ」


 「確かにそうだな。悪いな」


 今日は葛に色々世話になったと吉晴は有難い事と思った。もし葛がいなければ自分はどうしていたのだろうと考える。葛に買ってもらった弁当を食べ、今夜も遅い時間に眠りについた。


 次の日も朝から夕方までバイトで、その後、数日は大学とバイトの落ち着いた生活を送っていた。


                ☆ ☆ ☆


 今日は大学が休みで、バイトも昼から夕方までの短い時間だけだった。バイトを終え、アパートへ向かう。途中から誰かに付けられている感じがした。しばらく気づかないフリをしながら歩いていたが、細い路地にフッと入る。人の気配が消え、一呼吸してから前を向くと、そこには鎌鼬の3人が立っていた。


 「何だ、お前らか。変な近付き方すんなよ。気持ち悪い。来るなら普通に来いよな」


 自分を狙っている相手とは言え、顔を知っているだけに吉晴はホッとした。


 「随分と余裕がありますね」


 相変わらずの口調で薬鼬が言う。


 「余裕?そんなもんあるか。お前らみたいに狙う側じゃなくて、俺は狙われる側なんだぞ」


 薬鼬の一言に吉晴は、真面目に強い口調で答えた。しかし、薬鼬には冗談のようにしか思えなかったようだった。


 「そのように言える事自体、余裕があるんですよ。――爽」


 「はい、兄さん」


 薬鼬が爽に一声掛けると、爽は風を操り始め、吉晴の前に強い風の壁を作った。その中を通して、薬鼬が鋭い風を吉晴の方へ投げた。


 吉晴はそれを避けようと顔の前に腕を出したが、スパッと皮膚が切れる音がした。そして、切られた箇所をサラリと触れられた。目の前には薬鼬が立っていた。


 吉晴は何が起きたのかいまいちよく分からなかった。ただ、切れたであろう腕を見る。しかし、切り口もなければ血も出ていない。腕は何でもないのに、何故か頭がボッーとして目が霞んでいった。


 「お前、何をした…〈葛…ごめん…〉」


 意識が遠のく中、葛を呼び、目を閉じた。


 【吉晴くん?】


 ハッキリとは聞こえなかったが、明らかに吉晴から呼ばれた気がした。葛は急いで吉晴の気配のする方へ向かう。意識を集中し、今いる場所から吉晴の所まで、この間の鎌鼬のような移動をしながら向かった。


 しばらく行くと、コンビニの少し行った細い路地に吉晴の気配がある。そこへ行く。すると吉晴が倒れていた。そのすぐ横には薬鼬と爽がいて、2人の後ろに、悲しい顔をした悠切がいた。


 「吉晴くん…。――薬鼬、手を放しなさい」


 葛の心は動揺している。それでも表へ出さないようにしていた。しかし葛から出た言葉は、いつもと違い鋭かった。


 「もう来られたのですね。折角、捕まえたものを言われた通りに放すと思いますか?」


 「そうですね。では、放してもらうまでです」


 普段でも細くキリッとした葛の目が、更に細くなり薬鼬を見据える。右の指2本を口元に持っていきながら小声で術を唱えた。


 「先の人ならぬ者を捕らえよ」


 葛の言葉のあと、薬鼬の後ろに黒い幕のようなものが現れ、そこから2本の大きな手が薬鼬の方を掴んだ。


 それを見た爽は風で阻止した。その隙に、薬鼬はジャンプをして呪術を唱えながら、その手を風で切り落とした。手は風と共に煙になって消えた。


 続けて葛は式神を何体か出し、吉晴から離すように3人に向かわせた。薬鼬と爽は抵抗するも、悠切だけは避けるだけで、自分からは何もしてこなかった。目線は吉晴に向いていて、悲しい表情をしていた。


 式神が3人を吉晴から離し、その隙に葛は吉晴を抱き上げ、その場を離れた。葛と吉晴が姿を消すと同時に、式神たちも姿を消した。


 「逃げられてしまいましたね。――ところで悠切、お前は何を考えているのですか?」


 式神にさえ手を出さなかった悠切に薬鼬は一言、冷たく問いていた。


 「すみません。… 兄さん」


 悠切はただ、謝るだけだった。


 ―――葛は吉晴を抱きかかえ、アパートへ戻って来た。急いで結界を強化する。吉晴と住んでから、もしもの為に結界を張っていたが、おそらく、鎌鼬の3人はこの場所も知っている。何かされてしまったら吉晴だけではなく、他の住人をも巻き込んでしまいかねない。その為に結界を強化し、建物を守る。


 そして、吉晴を布団へ寝かせ、身体の状態を診る。吉晴の今の状態は、明らかに何処か切られているのが分かる。その箇所を急いで探す。


 【ここですか】


 右腕のある部分に違和感がある。桜の葉を目に押し付け、もう一度、違和感のある場所を見た。赤い1本の線が視える。


 【やっぱり】


 15cm程の赤い1本の線がある。それが薬鼬に切られた傷だと分かる。


 葛は台所で、懐に入れていた鼬の毛を、壁に貼ってある和紙でできたカレンダーの1枚で包み、皿の上で焼き始めた。焼け焦がしたものを小さいすり鉢でする。その中に、術のかけられた日本酒を数滴垂らし混ぜ合わせた。それを、吉晴の切られた箇所に塗る。


 「ううっ…」


 唸っている吉晴の様子を見ながら指を傷口に置き、術を唱える。吉晴の唸りが大きくなったが、術を終える頃、スース―と寝息を立てて眠った。


 吉晴を診つつ、少し落ち着いてから術を唱え、指を吉晴の額の上に置く。葛が来るまでの吉晴の記憶が葛へと伝わった。


 【薬鼬、彼1人でも一通りできるという事ですか。じゃあ、何故兄弟?】


 葛が始めた会った時から3人だった。その3人にそれぞれの役割があって、個々以外の技は使えないと思っていた。しかし、薬鼬は1人で全てができていた。長い年月でできるようになったのか、元々できたのか。もし元々できていたとすれば、それを何故わざわざ兄弟に教えたのか。――何しても、3人揃わなければ大きな事にはならないだろうと油断していた自分に、葛は腹が立っていた。それでも、吉晴の姿を見ながら自分を落ち着かせ、これからの事を考える。まずは、高い熱は数日続き、目を覚まさないはず。バイト先へ連絡をしなければと思った。


 その後1、2時間おきに傷口にさっきのものを塗り、氷枕を替え、水分を摂らせたりと三日にわたり看病をした。


 そして四日目になり、吉晴の目が薄っすらと開いた。


 「吉晴くん…」


 葛が自分の名を呼び、悲しい顔をしているのを、再び遠のく意識の中、吉晴は見た。


 「葛…、悪いな…。そんな顔をすんな…」


 それだけを言うと、吉晴は目を閉じ、また眠りについてしまった。それでも目を開け会話ができたので、山を越えたと葛はホッとした。


 翌日の昼頃、吉晴は目を覚ました。


 「よく寝た気はするけど、頭がクラクラするのと、すげえ喉が渇いた」


 目を覚ました吉晴は、体調は優れなそうだったが元気な感じではあった。喉が渇いたと言っているので、葛は白湯を持ってきた。


 「飲んで。あとでスポーツドリンク買ってくるね。腕はどう?」


 葛の姿を見た吉晴は溜め息を吐いた。


 「なあ葛、そんな顔すんなよ。お前のせいじゃないだろう?」


 「まあそうなんだけど、やっぱり、僕の考えが甘かったからこうなったんだよ」


 葛は、元気のない表情で言葉を返す。


 「まったく。違うって言ってんのに。――葛、気にしないでくれ。お前のせいじゃない。それに妖相手なんだから、こんな事あって当然なんじゃねーの?俺はそう思っていたけど、違うのか?」


 「・・・・・」


 吉晴が言うも、葛は自分が傍にいながら吉晴にこんなケガをさせてしまった事を悔やんでいた。


 「葛、何かすげー腹減っててさあ。悪いけど何か買って来てくれないか?ついでにスポドリ。少し、外の空気吸って来い。俺はここで大人しく待ってっから。俺の財布持ってけよ。葛も何か欲しいもんあれば買っていいぞ」


 ずっと自分の傍にいたのだろう。このままここにいたのでは、気分が落ちたままのような気がした。一度外へ出してやろうと吉晴は思った。


 「カギを掛けて行くから、ちゃんと寝ててよ」


 「ああ、悪いな」


 葛が外へ出ると、部屋が無音になった。


 【あれからどのくらい経ったんだ?】


 吉晴は、枕元にある自分のスマホを手にし、待ち受けを見た。そこには日にちと時間が表示されている。


 【マジか。あれから5日も経ってんのかよ。バイト~、まずいよなあ】

 

 一番最初に考えた事はバイトの事だった。今までこんな形で休んだ事がないからだ。バイト先へ連絡をして状況を話し、あと2、3日休ませて欲しい事を伝え、了承を得た。


 【インフルならともかく、そうじゃねーのにまずいよなあ】


 「ただいま~」


 電話を切ったところに、葛が帰って来た。


 「何日もお腹に入れてなかったから、今日はこれで我慢ね」


 袋から出したものは、レトルトのお粥だった。


 「お粥かあ…。まあ、しょがねえかあ。――なあ、俺ってずっと寝てたのか?」


 「昨日、一度目を開けたけど、意識はもうろうとしてて、すぐにまた眠ったよ。その前は高熱が続いててね。それでも、僕が持っているものでどうにかなったから良かったよ。まだ痛みとかある?」


 「痛みまではないけど、ピリピリというか、チリチリした変な感じはある」


 「あとでまた治療しようか」


 吉晴がお粥を食べている間に、葛は塗り薬を作る。食べ終わってから、それを吉晴の傷に塗り、これからの事を話し合った。


 「そうかあ。悠切が可哀想だなあ。きっと、どう思っていいか分かんねえだろうな。それに、弟の爽にも言えないだろうし、兄貴に嫌われたくないと思うだろうしな」


 「そうだね。他人なら違ったんだろうけど兄弟だから、やりたくない事はやらないってわけにはいかないだろうしね」


 葛は、薬鼬の傍にいた時の悠切の切ない顔を思い出す。


 「――なあ、葛。俺さあ、薬鼬の所へ行ってみようと思うんだよ。やっぱり、話をちゃんと聞きたいんだ」


 確かに吉晴からすれば狙われているのだから、本人に直接、詳しい事を聞き出したいのだろう。しかし、薬鼬1人で3人分の力があるとなると、無傷でそのまま帰って来られる保証はない。葛は止めるしかなかった。


 「あのさあ、僕がいいよって言えると思う?君の気持ちは分かるけど、そんなのにいいよなんて言えない。ダメだよ。次は何をされるか分からない」


 「でもさあ、葛~」


 「ダメ!」


 ビシッと即答で、葛が答えてきた。


 「葛が一緒でもか?」


 自分も一緒というところで、葛の何かが一瞬止まった気がしたが、


 「この話は君がちゃんと元気になってから、もう一度考えましょう」


 と、いつもと違う口調で言った。吉晴はそれ以上何も言わずに、言う通りに頷くしかなかった。


 ―――週が明け、大学もバイトにも行けるようになった。


 「お~い、吉晴~。お前、どんだけ休んでるんだよ~」


 「ああ、変な風邪貰っちゃってな。全然、熱が下がんなくてよ。休んでた時のノート取ってたら見せてくれ~」


 一週間休んでいたせいで友達に心配されたが、今までこんな経験がなかったので、戸惑いつつも嬉しかった。


 大学が終わったあと、バイト先に顔を出し、長い間休んでしまった事を謝った。自分が思っていた反応とは違って、バイト先のみんなにも心配してもらい、今日はまだ休んだ方がいいと店長をはじめ、パートのおばさんたちにも言われ、バイトは明後日から出る事になった。


 店をあとにした帰り道、何となく誰かに見られている気がした。


 「悠切か?それとも薬鼬か?つけて来てんだろ?」


 人気のない所で足を止め、声を掛ける。何かあったら困るので、葛にも今の状況を伝えた。


 「俺だ」


 吉晴の言葉を聞いて、傍の電柱の陰から悠切が出て来た。


 「傷はどうだ?」


 「ああ、もう平気だ。気になって来てくれたのか?」


 「まあな。――まさか兄さんが1人で、あそこまでできるとは知らなかったから…」


 「そっか。もう心配いらないから。ありがとうな。また兄さんに見つかったら怒られるぞ。もう行け」


 吉晴は、いつかのように悠切が薬鼬に怒られないように、なるべく顔を合わさず話し、兄弟の所へ戻るように言った。


 「ああ、じゃあな」


 吉晴に言われ、悠切はその場を離れた。悠切の後ろから誰かが追う影が見えた。


 【んん?】


 悠切や自分と違い、きちんとした服装…。スーツ姿の葛だった。


 【葛?】


 葛が悠切の後を追うが、呼び捕まえる感じではない。近過ぎず、遠過ぎずの距離感だった。


 【まさか、後をつけて薬鼬の居場所を探るのか?】


 会って話を聞きたいとは言ったが、追ってまで会おうとするとは思わなかった。


 〈葛、危ないからよせ〉


 〈大丈夫です。僕は事務所にいます。君が見たのは僕の式です〉


 〈そうか。急に俺の知らない事するなよ。驚くだろう〉


 〈すみません。君に見られるとは思わなかったから(笑)〉


 〈何だそれ。普通に追っかけてるのが見えたぞ〉


 〈あれは普通の人には視えないし、そこそこ力がないと視えないんだよ。君が視えるなんて。凄いね。悠切くんには視えないと思うけど、薬鼬くんには視えちゃうかも〉


 【う~ん。薬鼬には視えて俺には視えないかもとか思われてたかと思うと、ちょっと面白くねえなあ…】


 と思いながらも、今の自分はそう思われても仕方ないと、吉晴は思い直した。


 〈そっか悪い。葛の本体が事務所にいるんなら良かった。俺はこのままアパートへ戻るな。バイトも明日まで休めって止められたから、買い物して帰るな〉


 〈うん。分かったよ。僕も早く帰るようにするから。無理しないでゆっくり休んでてよ〉


 〈ああ、分かった。じゃあな〉


 血の繋がった家族でも、こんなにたくさんの会話をした事がない。まるで、ドラマの一部の会話みたいで、誰もいない道路を歩きながら、吉晴は1人照れていた。


 【普通の家族なら当たり前の会話なんだろうな。多分…】


 最初は照れていた吉晴だったが、途中から色々考える自分もいて、交互に考えながら買い物をしてアパートに着いた。


 「へぇ~、どっこいしょ。やっぱ身体重いな」


 荷物を置いてから座った吉晴は、独り言を言いながら、友達に借りたノートを鞄から出してゴロリと横になりながら見た。


 【思ったより進んでなかったな。良かった】


 しばらくノートを見ていたが、病み上がりでくたびれたせいか、ウトウトと眠ってしまった。


 〈…くん、…くん。――吉晴くん。こんな所で寝てたら、また熱が出るよ〉


 「んん~。ハッ、ヤバッ」


 葛の何度目かの声掛けで吉晴は起きた。


 「大丈夫かい?体調悪い?」


 「いや、違う。久しぶりに外出したからくたびれちゃってな。少し休んでから夕飯を作ろうと思ってたんだけど。悪い。これ見ながら寝ちゃったよ。あっ、もう~。肉とか少し色変わってんじゃん」


 買い物をした荷物を置いたままだったので、買ってきた肉が常温で少し色が変わっていた。


 「食う、食わない関係なく、火だけは通しておかなきゃダメだな」


 かなり残念そうな顔をしながら吉晴は、買ってきたものを1つ1つ確認しながら冷蔵庫へしまった。


 「あとは僕がやるから吉晴くんは横になってて。お肉を焼くくらいなら僕にもできるよ。…多分」


 これでも葛は、吉晴の手伝いが少しでもできるようになりたくて、毎日、吉晴がやっている事を見ていた。


 「でも、料理の方は俺がやるから。葛は、あっちを頼むよ」


 吉晴が指をさした方を見ると、干してある洗濯物が目に入った。


 葛は言われた通りにやった。


 吉晴は折角、何日かに分けて使おうと思っていた肉を焼き、


 【まあ、いっか。今日は肉をたくさん食おう。たまにはいいだろう】


 と、自分の体力回復に理由をこじ付け、自身に言い聞かせた。


 「――で、あのあと葛の式神は薬鼬の場所って分かったのか?」


 2人で食事をしながら吉晴は、夕方目にした葛の式神の事を聞く。


 「それが途中で消されてしまって。あっちも悠切くんの後を追ってたみたいで。僕の式に気づいて消されちゃったよ。やはり、薬鼬くんにも僕の式が視えてるみたいだ。――そう言えば、君も視えたんだったね。あれが視えるなら、もっと術を教えても良さそうだよ」


 「そうなのか?今の状況を考えると、できる術が増えるのは有難い。しかし、薬鼬が追ってたとはなあ。悠切が俺と会ってたのも知ってそうだなあ。なんつーか薬鼬ってさ怒り方も、こう冷たいというか、静かに怒りそうじゃん。悠切みたいなタイプが心にグサッてきそうな感じじゃん。大丈夫かなあ」


 胸の所で腕を組み、吉晴は本気で心配しているようだった。


 「君って、そういうの気にするよね」


 「だってよ、いつも一緒にいる兄弟なのに、そんな風に冷たい感じで怒られたら居た堪れない気がするんだよなあ。それが大好きな兄貴なら尚更」


 たくさん焼いてしまった肉を頬張りながら吉晴は言った。


 「そうかもしれないけど、こちら側も狙われてる身だし。悠切くんからすれば大好きな兄かもしれないけど、こっちはそうじゃないわけだから。それで君が心を痛める事もない気がするけど。でも、君がどうにかしたいって思ってるのは分かるよ」


 葛は吉晴の話を聞いて切なくなる。少し冷めた言い方をしたが、それすらも気に病んでいたらどうしようかと思っていた。吉晴は、自分から攻撃をしないで穏便に事を運び、兄弟仲良くして欲しいのだろう。話す度にそれが分かる。口では冷めた言い方をしても、実際は葛も吉晴が思っているようにしてやりたいと思っていた。


 「まあ、まずは君が元気になる事が先だね。あんなに高い熱が何日も続いていたんだから。学校に行くだけでもかなり疲れたろ?今日は、食べて早く寝た方がいい」


 吉晴は熱にうなされ、あまり覚えていないだろうが、傷から塗られていた薬鼬の毒が回っていたのだろう。葛でも不安になるくらいの苦しみ方をしていた。


 吉晴は葛に休めと言われ、言う通りにした。葛の気持ちを察したからだ。一緒に住んで数週間かそこいらで今回のような事になり、心配を掛けたと申し訳なく思っていた。最初からこんな状態では、葛に迷惑ばかり掛ける事になると吉晴は思った。葛が言うように、葛の式神が視えるくらいの力を自分が持っているのなら、早急に色々教えてもらい、もっと強くなりたいと思った。そんな事を考えながら、布団の上で目を瞑った。


 ―――翌日は大学もバイトもなく、吉晴が部屋にいるので葛も事務所へは行かずに一緒にいる事になった。


 「なあ、葛。折角だし何か覚えたい」


 「そうだねえ。新しい何かっていうより、今できるものの強化と、楽にできるようになるっていうのはどうだろう」


 「例えばどんな感じだ?」


 「今は札って筆で書いてるでしょ?それを念で書くんだよ。こんな風に」


 葛のポケットに入っている白い紙札に、小声で何かを言いながら指で書いている。それを空中に放つと、渦を巻いた小さな風が起こった。


 「凄いなあ。俺でもできるか?」


 「できるけど、もちろん練習は必要だよ。コツは、出したいものを強く思い浮かべる事」


 「分かった。やってみっか」


 机の上にある紙札に、葛と同じようにやってみる。筆で書いたものとは違い、吉晴にはまだ文字が視えるわけではないので、ちゃんと書けてるか分からない。それでも葛と同じように風を出すよう、思い浮かべながらやってみた。


 すると、渦は巻いていないものの、吉晴の前にだけ弱い風が吹いたのが分かった。


 「ん?ちょっとできたか?」


 「うん、できてる。今は筆書きじゃないと力が発揮されないけど、練習すればすぐにできるようになりそうだね」


 「そう言ってもらえると前向きに頑張れそうだ。でさあ、これってどんな感じで、何処までだせるの?風を起こすだけじゃないだろ?」


 「その人の力の強さにもよるけど、結構何でもできるよ。ただ、力を強く持ってた場合、コントロールが安定しないと強すぎて自分が思っている以上になる事もあるから。特に感情に任せてしまうと、祓わなくてもいい相手まで祓ってしまうから」


 「そっか。そういう事もあるわけね。分かった。練習してみるな」


 葛に言われたように何度かやってみた。最初は少し風が吹いた程度だったが、数を熟していくうちに強くなり、ついに葛と同じように渦を巻いた風が吹いた。


 「おう。葛と同じようなのができたぞ」


 「凄い。その日のうちにできるなんて。あとは自分の思い通りのものを出したり、力の加減をコントロールしたりだね」


 「それの方が大変そうだけどな」


 こういうのは数を熟すのみだと吉晴は思っている。何度も練習を続けた。


 「随分と慣れた感じにできてきたね。呑み込みが早いよ。もっと苦戦するかと思ってた」


 「葛が思ってたよりもちゃんとできて良かった」


 葛は褒めるように話をしていたが、術を使う事は思っているよりも体力を消耗する。この日は体調の事もあり、『今日はこれで終わり』と言われ、そのあとは葛の術で少し体力を回復してもらい、ゆっくりと家の中で過ごした。


 おかげで翌日は普段通りのペースに戻った。


 ―――「葛~、今日は夕方からバイトだから帰りは10時頃になる。ずっと休ませてもらったから、もしかしたらもう少しやってくるかも」


 「うん。でも無理しないでよ。あと、その頃にお店に行くから外に出ないで待っててくれる?どうも、君のアルバイトの帰りを狙ってる感じだからさ」


 確かにそんな感じはする。葛にそれを付き合わせるのも悪い気はしたが、コンビニは事務所からアパートまでの通り道にあるし、あまり高度な術も使えない自分だけに、今回のような事がまた起こっても反って葛に心配を掛けるならと、そうしてもらう事にした。


 「そうか?終わったら連絡するよ。10時になるか、もっとやるか分かんねーからさ。もし俺が遅くなるようなら、気にせずアパートへ帰って来てくれていいからな」


 「分かった」


 葛の返事を聞いてから、吉晴は大学へ行った。


 「おっ。吉晴、今日は大丈夫だったな」


 「ああ、やっとな。久しぶりだよ、あんな熱が何日も続いたの」


 「気を付けろよ。俺たち男は高熱が続くと危ねーからな(笑)」


 「お前さあ、朝から何言ってんだよ(笑)。勘弁してくれよ(笑)」


 「大事な事だろ?これから使う機会が多くなるのに、使えなくなったら困んだろ?(笑)」


 こんな話ができる友達がいるのも大学に入ってからで、今は複雑な状況ではあるが、以前の暮らしよりは楽しかった。


 ―――大学を終え、バイトへ向かう。何日も休ませてもらったので店長をはじめ、その場にいた人たちに謝った。


 「何日もすみませんでした」


 「ううん。元気になって良かったね。いつも頑張り過ぎなんだよ。連絡もらった時は、やっぱりなって思ったよ」


 店長が吉晴の方をポンポンと叩いた。


 そして、体力に不安があるものの何とかバイトを終え、着替えながら葛にメールで連絡をする。いつものように余り物の弁当やスイーツを貰い、店内を見ながら葛を待つ。しかし、ウロウロと店内を見ているのも悪い気がして、


 【葛に和菓子でも】


 と思い、見ていた。そこに葛が来た。


 「お待たせ、吉晴くん」


 「おお、葛もお疲れ。葛さあ、和菓子好きか?」


 「う、うん。まあ、僕はあれだから。和洋どっちかって言われれば、和の方が好きだね」


 「やっぱりな。そうかなって思ってたんだよ。こんなのでもいいか?」


 3個入りの茶饅頭が入ったパックを手に取る。


 「いいの?」


 「こんなんじゃ足りないだろうけど、心配掛けたしな。それに毎日、俺の食生活ばっかに付き合わせるのもな」


 「そう?ありがとう。では、お言葉に甘えてお願いします」


 やはり昔からの妖だからか、和菓子を買って行く事がとても嬉しそうだった。茶饅頭を買い、店を出る。特に2人で会話をするわけでもなく、静かにゆっくりと歩いてアパートへ向かう。しかし、途中から何となく自分たちの空気が重くなる。それは、吉晴だけではなく葛も感じていた。小声で葛が言った。


 「走って」


 葛に言われ、走り始めた。


 「逃げてもダメですよ」


 傍にいる空気だけを漂わせていた者の声が聞こえる。薬鼬だ。


 「もう~、だから何でバイトのあとに来んだよ~。マジ面倒臭え~」


 そう叫びながら走っていた吉晴は足を止め、後ろを振り向く。ポケットから白紙の人形を出し、五芒星を描き、術を言う。最後の一言と同時に点を打った。以前、初めて出した時は可愛い子狐だったが、今回は爪と口ばしの鋭い、大きな鷹が現れた。


 薬鼬の後ろから爽が現れる。


 「爽」


 薬鼬に呼ばれた爽が風を起こす。その風に上手く乗って、吉晴が出した鷹が爽へ向かって行き、手に噛みついた。

 

 「くっっ…」


 鷹に噛まれ、痛みと共にしゃがみ込んだ爽に向かって、筆で書かれた札を、術を唱えながら投げた。


 吉晴の目では分かりづらいが、爽を囲むように結界が張られた。爽は慌てて立ち上がり、風を起こすが結界で消されてしまう。しかも、前に進もうとしても結界で進めない。向きを変えてみるが囲まれていて、その場から身動きが取れなかった。


 それを見て、苦い顔をした薬鼬が言い放つ。


 「何を、人間のくせに生意気な」


 そう言うと、右手を上げて風を巻き起こし、本来なら悠切がやるであろう事を、薬鼬が1人でやろうとした。


 「させません」


 葛が吉晴の前に立ち、術を唱えた。自分へ向かってくる鋭い風を防ぐ。そして吉晴に言う。


 「ほんの少しの時間でいいのです。爽くんにやったように動きを止められませんか?」


 「ああ、やってみる」


 葛に答えた吉晴は、爽にやったように薬鼬の周りを結界で囲む。しかし、爽のようにずっと囲んでおけないような気がした。すかさず同じ事をする。二重で囲ったのだ。それに加え、更に札を1枚出し、術を唱え、先にできた結界へと投げる。透明だった結界が、泥壁のようになり、薬鼬の周りに壁を作った。それを見た爽が大声で叫ぶ。


 「兄さん!」


 「こんな奴の、こんなもの…」


 爽の声が届いたのか分からないが、それに反応したように薬鼬が言う。中で何かをしているようだったが、弱い風1つ、吉晴の方へは来ない。


 しかし少し経つと、何枚も札を出し、使い、式神まで出した吉晴は、病み上がりともあって地面に膝をついた。


 【そういや、悠切がいねえなあ】


 膝をついた吉晴が悠切を探すも姿がない。そうしている間に何かの準備ができたのか、葛は小瓶を出し、吉晴が張った結界に指で文字を書きながら言い出した。


 「闇の手(しゅ)よ、中にいる者を捕らえ封じよ」


 葛の言葉と同時に、吉晴が張った結界から、薬鼬だけを引きずり出すようにして、黒い手と共に瓶の中へと吸い込まれて行った。


 「こんな何もできない奴に。それに葛、お前も妖。人間の味方をするのか。裏切者――」


 瓶へ吸い込まれる時、薬鼬は、怒りの矛先を葛に向けて行った。


 「兄さん~、薬鼬兄さん~」


 薬鼬が吸い込まれていく姿を見ながら爽は涙を流し、薬鼬の名を呼んでいた。


 瓶の蓋を閉めた葛が爽に言う。


 「爽くん、大丈夫ですよ。お兄さんは一時だけ、この中で待っててもらうだけです。僕たちは、君と悠切くんからお兄さんを取ったりしない。ただ、君たちからゆっくり話を聞きたいんです。でも、今のお兄さんが近くにいてはそれができない。だからこうしたのです」


 涙を流し睨む爽を、抱き締めながら葛は優しく説明をした。


 「兄さんを返して」


 「はい。ちゃんと君たちとお話しができたら出してあげますよ。だからもう泣かないで下さい」


 「絶対?」


 「はい。絶対です」


 「うん」


 葛と同じか、それ以上長く生きているはずの爽は、まるで子供のように、葛に抱き締められながら泣いていた。


 しばらくして爽が落ち着きを戻したので、薬鼬の入った瓶を持ってアパートへ向かう。途中、爽は悠切を呼んだ。


 アパートへ着くと、階段下に悠切が座っていた。


 「悠切、悪いな」


 吉晴が悠切に一言掛けた。


 「いや。… …そこに兄さんがいるのか?」


 「ああ。話が終わったら葛がちゃんと出してくれるそうだ」


 「そうか、分かった。――爽、お前は大丈夫なのか?」


 「うん」


 悠切はただ静かに爽の答えを聞いていた。今日、こうなる事を分かっていたようだった。


 「部屋へ行こうか」


 そう言って吉晴は階段を上がろうとするも、覚えたての術をいきなり何回も使い、足がフラフラしていて、かなりしんどそうに階段を1段ずつ上がっていた。


 「肩を貸そう」


 葛が吉晴の腕を自分に回させ、少し抱えながら一緒に階段を上がった。


 「やっと着いたな~。悠切、爽、適当に座ってて」


 吉晴は重い身体で、バイト先から持ってきたものを冷蔵庫へ入れる。


 【こうも、しょちゅう冷蔵庫に入れるのが遅いと、そのうち俺の腹がヤバいな】


 品を1つ入れる毎に身体が重くなるが、気も高ぶっているのか、そんな事の思いが頭を過っていた。


 そして、着替えまではしたが身体が悲鳴を上げている。


 「葛~、お茶だけやってくれ。俺ダメだわ。動けそうもない」

 

 着替えて一度腰を下ろすと、吉晴は疲れ過ぎて動けなかった。


 「うん。そのまま休んでて」


 葛は、吉晴に言われたように、お茶の支度をして、みんなの所へ持って行った。


 「はい、どうぞ」


 自分たちにもお茶を出され、悠切と爽は頭を下げた。


 「さて、話をしようか」


 しばらく静かだった部屋で葛から口を開いた。それを聞いてから、吉晴が質問を始めた。


 「この間は悠切から少し聞いたけど、改めて聞いていくな。分かる事はちゃんと話して欲しい。――お前らは、吉昌さんの目を何で狙ってんだ?」


 「狙ってたというか、狙わないといけないというか…」


 悠切が下を向いたまま言う。


 「何だそれ。それじゃあ、全然分かんねーよ。第一、吉昌さんとどんな感じでいたわけ?最初から今の俺への態度みたいだったのか?」


 「違う。兄さんと吉昌、仲良しだった。――僕たちは妖で、その中でも役割的には悪い方じゃん。人を傷つけるわけだし。時には命すらも。でもさ、俺たちみたいなのがいないと人間が増え過ぎんだよ。人間は獣みたいに自分たちの世界で狩らないだろ?だから俺たちみたいなのが季節に合わせて調整するんだ。水の妖は水で、地の妖は土で、火の妖は火で、俺たち風の妖は風でって感じでさ。でも、俺たちだって自分たちの力で人間がこの世を去るのを目にして悲しいんだぜ。いつも『次に生まれてくる時は一生を全うできますように』って、そう思ってる。そんな時、吉昌が俺たちを慰めてくれたんだ。――でも、吉昌が床にふせってから俺たちは怖くなった。この先、吉昌がいなくなったら慰めてくれる奴がいなくなり、違う者に祓われたらどうしようって。吉昌がいればそんな簡単には祓われないから。それに、人間の数が増えたら俺たちの力は足りるのかなって。吉昌みたいに色々教えてくれる奴いなかったし。だから吉昌の目が欲しくなった。俺たちが喰らえば、吉昌の力で俺たちの力が足りなくなる事はない。それに、俺たちの中で吉昌がずっと一緒にいられると思った。でも、それはダメだって。吉昌にそう言われたんだ。俺たちはどうして吉昌がダメって言ったのか分かってた。ちゃんと前を向いて歩けって言ってたんだ。だけど、吉昌がこの世を去る時、目がなかったんだよ。俺たちにはくれなかったのに、なかったんだよ…」


 悠切の目からポロポロと涙が流れた。その隣にいる爽も泣き始めていた。


 「お前らは、吉昌さんが大好きだったんだな。でもよ、俺は吉昌さんじゃねーし、薬鼬からは恨みしかないように思えるんだよ」

 

 お茶を一口すすりながら吉晴は言った。


 「初めは、吉昌の目がなくなってた悔しさだけだったんだ。でも長い年月、人間は数を増大に増やし、科学を発見した。全てが科学で説明がつくとされて、俺ら妖の存在はないものとされていった。――妖はさ、人間が信じてくれなくなると数が減ってくんだよ。必要なくなるから。そうすると、俺たちが少しでも力を使うと、それを祓い消す奴が増えるんだ。だけど…、だけど今は、その祓う奴もいない。俺らの存在がないんだ」


 話しの後半は、涙を流しながら大声に近い叫びだった。そして続けた。


 「俺たちはずっと、吉昌の気配の近くにいた。でも、吉昌の先からは妖があまり視えなくなり、そのうち完全に視えなくなった。それを見ているうちに、兄さんは変わっていったんだ。時々、どうして視えないって言ってた。――実はな、吉晴。お前が幼い時、一度だけ俺たちに会ってるんだよ。でも、お前は泣いて怯えていた。後をつけると、俺たちの事を大人に話していたよ。お前は叱られ、意地悪されていた。吉昌の血を受け継ぐ者が、こんな扱いを受けているなんてと兄さんは心を痛めていた。そのうちにお前は視えなくなっていった。そうやって俺たちを忘れていく。兄さんは増々変わっていった。そうしたらまたお前は視えるようになり、今度はお前の傍に葛が現れた。でも、もうその時には兄さんは…」


 そこまで話すと、悠切は口を閉じた。


 「そうか。悠切、ありがとうな。たくさん話してくれて。爽もありがとうな。こうやって一緒に来てくれて。――葛、冷蔵庫から甘いものを出してくれよ」


 昔を思い出す事は妖でも辛い事だろうと吉晴は思った。吉晴は一度、悠切に一呼吸入れさせたくて、葛に甘いものを出すよう言った。


 「まず、和菓子1つは葛のな。葛に食べさせたくて買ったからさ。あとの2つは、お前らな。俺は、これ。あ~、腹減った~」


 悠切と爽は顔を見合わせてから、目の前にある和菓子を頬張った。


 「――確かにな。人間は勝手な生き物だ」


 プリンを食べ、様子を見ながら吉晴は話し出した。


 「お前らを必要とした時は神だと崇めた地域もあるだろうし、お願いをしに来た奴もいたんだろうな。それなのに今は信じる人がいても、それが嘘だと科学で解明しようとしたりな。でも、俺みたいに本当に視えたり、感じたりする奴もいる。――人間ってさ、自分の知らないものに対しての恐怖感って半端ないって知って欲しい。そうなった時、その者以上の何かを持っていなければ数で排除したり、忘れようとするんだ。自分たちの記憶から恐怖をなかった事にするんだな。そうやって自分たちを守る空間を作り、安心しようとする。――ごめんな。俺1人が言ったところで、お前らの怒りや悲しみが消えるわけないのは分かってるから。それでも俺は、お前らがいる事を知ってる。――なあ、それだけじゃダメか?俺の目をやる事はできないけど、俺の命がある限り、一緒にいてやるだけじゃダメか?」


 途中から食べるのを止め、悠切と爽を見てそう話した。そのまま2人をジッと見る。吉晴の質問に2人は首を横に振った。答えは『ダメじゃない』だった。


 葛は、話を始めてからは黙っていて、ほとんど口を開かない。悠切と吉晴の話を聞いていた。


 「なあ、葛。今の俺の話って、薬鼬にも聞こえてるのか?」


 「うん。聞こえてるよ」


 「じゃあ、もうそこから出してやってくれ」


 「う~ん、それはできないな。一応、ここにも結界は張ってあるけど、薬鼬くんの力で暴れられたらアパートが…」


 「そっか。――葛の事務所なら薬鼬が暴れても大丈夫なもん?」


 「まあ、大丈夫だとは思うけど」


 「そうか。じゃあ、明日の夜に事務所を貸してくれないか?」


 「はい、分かりました」


 薬鼬を瓶から出すのは明日の夜、葛の事務所でという事になった。可哀想だが、薬鼬には1日瓶の中で気を休めてくれたらと吉晴は思っていた。


 「悠切、爽、今夜どうすんだ?自分たちの場所へ戻るのか?それとも兄さんの近くにいるか?どうする?」


 自分の住み家に招き入れ、和菓子を出し、心配をしてくる吉晴に悠切と爽はどう反応していいのか戸惑っていた。


 それを見ていた葛が止めに入る。


 「吉晴くん。そう、どんどん進んじゃっても、2人共どうしていいか分かんないよ。そういうとこ、吉昌にそっくりだね。そうやって、どんどん自分の懐に入れちゃうの」


 葛は、吉昌を思い出す。


 「アハハハ~。そうなんだあ。まあ仕方ねえよ。だって俺、子孫だもん(笑)。で、2人はどうすんの?ここにいるか?」


 葛に言われながらも気にせず話を戻して、悠切と爽に再度聞いていた。


 「いいの?」


 吉晴の問いに、アパートへ来てから初めて爽が喋った。


 「ああ、いいよ。兄さんと一緒がいいだろ?まあ、ここ狭いから、みんなでゴロ寝になるけどな」


 重くなっている身体を浮かせ、吉晴は爽の頭を撫でた。


 「吉晴くん、でもさあ…」


 葛が吉晴の対応に心配をする。吉晴の言いたい事も分かるが、自分に危害を向けた相手に、ここまでする必要があるのかと思ったからだ。


 「葛。俺を心配してるのか?それとも、葛が休めない?もし、俺の心配なら気にしなくていい。何かあった時は、まあ、な。そん時だ。だけど、葛だって仕事してるしな。他の奴がいて休めないってんなら帰ってもらう」


 葛に相談もしないで勝手に言い出し、さすがに悪かったかと吉晴は思った。


 「俺たちは戻るよ。明日の夜に出直すから」


 吉晴と葛の話を聞いて、自分たちのせいで2人の意見が合わないのはまずいと思い、悠切はそう言った。


 「吉晴くんが大丈夫なら、僕は平気だよ」


 「いや、帰るよ。爽、行くぞ」


 葛は大丈夫と言ったが、それでも悠切は帰ろうとして爽の手を引く。


 「ヤダ。僕、ここにいたい。薬鼬兄さんの傍にいたい」


 「爽、わがまま言うなよ」


 爽は悠切の言う事を聞かず、ここから離れないと言う。


 「いてもいいって言ってるもん。僕はいるの。どうしてダメなの?」


 「ダメって言うか…」


 珍しく爽がごねるので、悠切はどうしていいか分からない。


 「爽は薬鼬にべったりなんだな。いつも一緒にいるもんな。いいよ、ここにいて。悠切も好きにすればいい。一度戻って、やっぱり来たくなったら来りゃいいよ。好きにしろ。ほら、ここのカギだ」


 棚の引き出しからカギを1本出し、それを悠切に渡した。


 「吉晴くん、さすがにそれは…」


 悠切にカギを渡した吉晴を葛が止めに入った。


 「いいんだ。――本当は妖ならカギがなくても簡単に入れるんだろう?でもさ、俺を信用してもらうのに、それをアイテムとして使いたいんだよ。あとは、ここに来るならちゃんと玄関から入って来て欲しいからな」


 本当は、こんな吉晴の行動も葛は分かっていた。吉昌も同じ事をしていたから…。


 【――今日もこんな時間か】


 すったもんだしたが、爽が動きそうもないので悠切も一緒に泊まる事にした。ようやく落ち着いた頃、時計を見ると、この日も随分と遅い時間になっていた。吉晴は、薬鼬の入った瓶を持って布団へ入った。しばらくすると、瓶に話し掛け始めた。


 「薬鼬、ごめんな。こんな小さな所に閉じ込めて。それに、人間がお前たちを傷付けてさ。お前は頭が良いし、お前の事だから本当は分かってんだよな。時代が変わっていくのは仕方のない事だって。でも、吉昌さんがいなくなり、弟2人の面倒を見ないとならないしな。1人で大変だったな。だけどな、どんな時代になっても、お前らの存在を信じてる奴は必ずいるんだ。絶対にいなくなったりはしない。あとな、俺の目なんて、お前らには必要ないと思うぞ。お前たちが生きてきた時間の何万分の一くらいしか生きていない俺の目に、何の価値があるってんだ。だってそうだろ?大して何も見てきてない。見てきたものなんて人の卑しい部分ばかり。だからさ、そんな事の為に、お前の心を傷付けないで欲しい。お前を必要としている弟たちの為にも、お前が誰かに消されてしまうような事はしないで欲しい。な。どうか心を鎮めてくれ。頼むからさ」


 そう静かにゆっくりと話していた。話をしながら瓶を大事そうに抱え、吉晴はそのまま眠りについた。


 その様子を葛、悠切、爽は黙って見ていた。


                ☆ ☆ ☆


 一度、朝方に悠切が自分たちの居場へ戻って行った。爽は葛と一緒に話をしながら過ごしていた。


 吉晴のスマホのアラームが鳴る。


 【んん…、もう朝か…】


 病みからは上がったが、その病み床からやっと起きたところに昨日の事があった。体力を使い果たした吉晴は、身体が重くミシミシして起き上がるに起き上がれない。一度、呼吸を深くし、無理矢理身体に力を入れて起きた。


 「フンッ」


 吉晴の辛そうな姿を見た葛が、吉晴を支える。


 「無理しないで」


 「悪いな。俺、講義あるし、バイトも休めないんだ。爽たちを葛に頼んでいいか?それとも、爽はここでゆっくりしてるか?そのうち悠切も戻るだろうし」


 「僕が事務所へ連れて行っても構わないけど」


 「爽、どうする?」


 重い身体に、しかめっ面をしながら吉晴は爽に聞く。


 「僕、1人ヤダ。葛さんと一緒にいる」


 「そうか。分かったよ。――葛、頼むな」


 「うん。それよりも吉晴くんの方が心配だよ。学校まで行けるかも怪しそうだけど」


 「まあ、それは頑張って行くさ。あとこれ、俺が持ってていいか?」


 自分の横にある薬鼬の入った瓶を手に持ち、見せた。


 「いいけど、持ってってどうするの?」


 「特に理由はない。単に一日一緒に過ごすだけ」


 「あっ、そうなの?(笑)」


 吉晴の答えがあまりに普通過ぎて、葛は思わず笑ってしまった。


 「ハッ。笑えばいいさ。こいつらは葛みたいに時代の流れと共に合わせて生きてなかったからな。それを見せる為に一緒にいたいだけだし」


 吉晴は少しムスッとしながら言った。


 「ごめんね。そういうつもりで笑ったんじゃないんだよ。君も優しいなと思って」


 吉昌の時代よりも前からいた妖が、薬鼬と同じような理由で、むやみに人間を襲っていた事があった。その時、吉昌もまた、それを小瓶へ封印し、数日それを持ち歩いて生活をしていた。葛が理由を聞くと、今の吉晴と同じように『昔と違う今の生活を見せてやるんだ』と、優しい顔でサラリと言っていた。その事を葛は思い出していた。


 「へい、へい。まあ、何でもいいさ。んじゃ、爽は葛んとこな。悠切もそのうち戻って来んだろうし。あいつも葛の所でも、ここでもいいし。葛、出る時、悠切に手紙置いてけよ。戻って来て誰もいないと不安になるからな。分かるようにしておいてやってくれ」


 「分かった」


 「爽、葛の言う事聞いて大人しくしてろよ。葛、頼むな。今日は午前と午後の1本の講義だけだからバイトも早く終わる。8時頃事務所に行くよ。あと、何か食いたきゃ適当にやってくれ。じゃあ、行って来るな」


 吉晴は、珍しく何も食べずに出掛けて行った。


 「葛さん。吉晴くん何も食べないで行っちゃったよ?」


 「そうだね。きっと食欲がなかったのかも」


 「そうかあ。僕たちのせいだ…」


 ―――部屋を出た吉晴は、2人が思っている以上に身体が動かないでいた。部屋を出て階段を下りたが、息が上がり座り込んでいた。


 【これはまずいな】


 そこに悠切が来た。


 「吉晴、どうした?」


 少し離れた所から吉晴の姿を見た悠切が、辛そうなのが分かると急いで吉晴の傍へ来た。


 「おお。悠切、戻ったか。ちょっと身体がキツくてな。これから大学へ向かうとこだ。爽と葛は部屋にいるから。この事、言うなよ」


 吉晴が悠切に言うと、悠切は後ろ向きになり、吉晴に背中を向けた。


 「俺に摑まれ」


 「いや、いや~。…大丈夫だから」


 「いいから」


 この状況に戸惑う吉晴を他所に、悠切は吉晴を強引におんぶした。そして、この間見たようにピョンピョンと屋根を次々と飛び始めた。


 「ちょっ、おい。人に見られる」


 吉晴は驚き、悠切の方を叩きながら叫んだ。


 「人には見えねえよ。俺にくっ付いてんだから」


 「そうなのか?」


 「ああ。妖にくっ付いてんだから、どうとでもなる」


 悠切に説明をされ、吉晴はそれならと、悠切の背中で大人しくしていた。そして、あっという間に大学に着いた。


 「お前は凄げーなあ」


 「妖には術的な力も、重いものに対しての力もある。人間は、どっちの力もないから弱い。俺たちなんかより弱い者なんだ。だけど俺たちは、そんな弱い者に勝てない。忘れられてしまえば消えてしまう…」


 そう話す悠切は、寂しそうな顔をしていた。


 「それは、お前らが優しいからだよ」


 人間の為に存在し、人間によって消され、人間の事を想い悲しむ。妖とはそういうものなんだと吉晴は最近分かってきた。だからこそ、妖を消せる力を持つ自分は妖の言葉を耳で聴き、目で視て、力を簡単に使ってはいけないのだと思っていた。


 「ありがとうな。このあとアパートへ戻るか?爽は葛と事務所へ行くって言ってたぞ。お前はどうする?俺な、バイトもあっから夜の8時頃、事務所へ行く事になってんだけど」


 「――俺、お前といたい」


 悠切は、吉晴をジッと見て答えた。


 「分かった。ところでお前って姿現せんの?」


 「できる」


 おそらく今は普通の人にも見えるようになっているのだろう。そんな気がした。元々吉晴には見えているので、両方見える時の違いがよく分からない。


 「今日は人にも見えるようにしとけ。――それから、これ、兄さんだ。お前が持ってろ」


 懐に入れていた薬鼬の入った瓶を悠切に渡す。


 「いいのか?」


 「ああ。ずっと俺が持ってたら、薬鼬だって落ち着かねえだろうしな」


 「うん」


 吉晴から渡された瓶を、悠切は大事に自分の懐へ入れた。


 ―――「お~い、吉晴~。お前、何ずっとそんな所で立ってんだよ」


 門の向こうの方から吉晴を呼ぶ声がした。


 「おう、おはよう。いや、特に理由はない」


 「そうか。あんま無理すんなよ。で、そいつは?」


 悠切の姿を見て聞かれる。


 「ああ、親戚の子。大学ってどんな所か見たいって言うから連れて来たんだよ。今日は一緒にいるからよろしくな。こいつの名前は悠切(ゆき)ってんだ。高校生なんだが、これからの事考えててよ」


 「そうか。よろしくな」


 「うん。…じゃなくて、はい」


 力のない人間と話す事なんてなかった悠切。どう言っていいのか分からず、吉晴の顔を伺いながら返事をした。


 「まあ、そういう事で。これから事務局行って来る。終わったらそっち行くな」


 「ああ、またあとでな」


 友達と別れ、悠切を連れ、事務局へ行った。大学の体験見学という手続きをし、悠切は吉晴と一日、大学生活をする事になった。そして、その旨を葛にメールをした。


 ―――午前中の講義を終え、食堂へ行く。身体が重いのは変わらないが、悠切が手を貸してくれるので、どうにか周りに気付かれないようにいた。


 「吉晴、今日昼どうすんの?弁当?」


 「今日は、ここのを食う。寝坊して弁当が作れなかったんだよ(笑)」


 「珍しいな」


 「まあな。そんな時もある(笑)」


 珍しく吉晴が食堂のものを食べると言うので、数人の友達も集まって来た。


 「悠切はどうする?甘いものもあるぞ」


 「うん。じゃあ、これ」


 悠切が手にしたのはおはぎだった。学生は洋のものを好むが、先生たちが年配者も多いので和のものも色々ある。


 会計を済ませ、みんなのいる所へ行く。


 「悠切くんは、これしか食わねーの?」


 「あっ、うん。俺、あまり腹減らないから」


 「ええ~。高校生だろ?そんなんじゃダメだろう。吉晴、もっと食わせてやれよ~」


 吉晴の友達が、おはぎしか食べない悠切の心配をしていた。


 「こいつ、昔からあんま食わねえんだよ。でも、甘いもんは結構、食うよ」


 「あぁ~。スイーツ男子ってやつかあ。そういや、俺が高校ん時もいたわ。スイーツ男子。それにしちゃあ、細身だけどしっかりとした身体だよな。どっちかと言うと、吉晴の方がスイーツ男子っぽいのにな(笑)」


 「何だそれ。いい加減にしろよ。俺だって、脱いだら凄いんだぞ(笑)」


 「マジか(笑)。じゃあ、見せてみろよ~(笑)」


 「おい、止めろよ~(笑)」


 吉晴が冗談を言うと、それに友達も便乗した。


 楽しくお昼を過ごしていると、葛からメールが来た。吉晴の体調の心配と、悠切を心配しての内容だった。


 『こっちは大丈夫だ。爽は大丈夫か?』


 『大丈夫ですよ。落ち着いています。僕の仕事を手伝ってくれています』


 お互いの状況を報告して、そのあとの午後の講義も無事に過ごした。


 「今日はみんなありがとうな。俺、これからバイトだから行くな」


 「おう。楽しかったぜ。悠切くん、また来いよな。それに、もっと飯食えよ。吉晴に美味いもん食わせてもらえ(笑)」


 「はい。ありがとうございました」


 みんなに挨拶をして、今度はバイト先へ向かう。みんなの前では普通を装っていた吉晴だが、みんなが見ていない時は、時々辛そうな顔をしていた。傍にいた悠切は、背中を擦る事しかできなかった。


 「おはようございます」


 「おはよう。体調どう?」


 「はい。体力が戻るのが遅くなってますけど、熱は下がったので大丈夫です」


 「そう。良かった。親元離れての暮らしって大変だよねえ」


 パートのおばさんが心配して声を掛けてくれた。話をしていると、奥から店長が来た。


 「安倍くん、おはよう。実は1人休みになっちゃって」


 「おはようございます。そうねんですね。了解です」


 「悪いねえ。で、その子は?」


 吉晴の横にいる悠切を見て、店長が聞いた。


 「すみません。親戚の子なんですけど、家に1人置いておけなくて。事務所で待たせておいてもいいですか?」


 「いいけど、どうしたの?」


 「色々ありまして。俺の所へ来たのはいいけど、知らない所に置いておくのもどうかなと思って連れて来ちゃいました。すみません」


 「そっか。まあ、いいよ」


 「悠切、挨拶しろ」


 「お世話になります」


 「はい。じゃあ、一緒にあっちで待ってようか」


 店長に悠切を紹介したあと、簡単に説明をする。コミュ障なところがあって人と関りを持ってこなかった事。これからの事を考える為に今日一日、一緒にいる事。吉晴は着替えながら、そう説明をした。


 「すみません、店長。――悠切、これ貸してやるから使ってていいぞ。葛の所はこれな。爽の事が気になるなら電話していいぞ」


 「分かった」


 スマホの使い方を悠切にして、店長の言葉に甘え、悠切を店長にお願いして、吉晴は店へ出た。悠切はドアの丸いガラスの所から吉晴を見ていた。


 「悠切くん。そこじゃなくて、ここで見ればいいよ。ほら、来てごらん」


 ずっと吉晴を見ている悠切に、店長はモニターに映る吉晴を見せた。


 「はぁ~。吉晴がよく見える」


 モニターに映る吉晴をジッと見ている。


 「悠切くん。君はアルバイトってした事ある?」


 モニターを見る悠切に、店長が声を掛ける。


 「ない…です」


 「そっか。今日はさ、1人お休みしちゃったから人手が足りないんだよ。悠切くん、安倍くんの手伝いしてみない?」


 店長は予備の制服を出し、悠切に見せる。


 「は、はい」


 悠切は吉晴の事を見ていて、同じようにやってみたいと思っていたところだった。店長に声を掛けられ、すぐに返事をした。悠切の返事を聞いた店長は、制服を悠切に着せ、臨時用のタイムカードを押し、悠切と一緒に店へ出た。


 その姿を見て、吉晴は驚く。


 「えっ?て、店長?」


 吉晴の声を聞いて、店長はニヤニヤしながら吉晴を見た。


 「悠切くん。小さい声でもいいから、お客さんが来たら、いらっしゃいませって言うんだよ。目標は、ちゃんと安倍くんの所まで聞こえる事。いい?」


 「はい」


 「あと、僕がここにあるものを、これでピッってやっていくから、悠切くんはここに並べていくんだ」


 「はい」


 さっき届いたパン1種を店長が一気にスキャンしていく。悠切がそれを並べる。パンが終わると次は弁当のコーナーも同じようにしていった。弁当が終わると次はドリンクだった。裏へ行き、スキャンの仕方を教え、今度はスキャンしてから並べる作業をやらせていた。


 今日の吉晴のシフトは5時間で、悠切は店長に教えてもらいながらの作業を夢中にやっていた。


 ―――「すみません。本当はこういうのってダメなんでしょ?」


 シフトを終え、事務所で店長に聞く。


 「まあね。でも、たまーになら大丈夫だよ。それよりさあ悠切くん、ここで働かない?吉晴くんと同じ時間帯でいいからさ」


 店長に言われ、どう答えていいか分からず、悠切は吉晴の顔を見た。


 「そうですね。お言葉ありがとうございます。少し時間を下さい。もし、やれそうなら後日連れて来ます」


 吉晴が悠切に代わって話す。


 「うん。来てくれるとありがたい。真面目にやってくれそうだからさ。悠切くん、待ってるよ」


 「は、はい」


 「それにこれ。今日の分のお給料ね。1時間900円の4時間半分。4050円」


 「えっ?吉晴…」


 給料を渡され、悠切はまたもやどうしていいか分からず吉晴を呼ぶ。


 「これは、お前が働いたものだろ?受け取っていいんだぞ。良かったな」


 「ありがとうございます」


 悠切は店長から受け取り、初めて働いて手にした給料という名のお金を見て、嬉しくてニコニコしていた。


 「今日は、色々ありがとうございました。お先に失礼します」


 店長と話をしたあと、いつものように余りものを貰い、店を出た。そして悠切と2人で葛の事務所へ向かった。


 「悠切、疲れたろ」


 「いや、吉晴の方が身体辛いだろ?」


 「俺は平気だ。にしても、まさかお前が仕事するとは思わなかったぜ」


 「俺もだ。あの人、急にあれ着ろって。吉晴がやってるのをやってみるかって。――吉晴を見てて、俺でもできるかなって思ってたから」


 悠切は照れて下を向いていた。


 「そっか。お前が、これからこの時代を生きていく上で、1つできる事が増えたんだ。良かったな」


 吉晴に褒められ嬉しかった。


 話しているうちに葛の事務所に着いた。


 「葛~、お疲れ~」


 ドアを開け、吉晴と悠切が入って行く。


 「吉晴くん、悠切くん、お疲れさま。吉晴くん、身体どう?」


 誰かに会う度に聞かれる一言。


 「う~ん、誰かに会うと必ず身体の事聞かれてる~。ちなみに朝よりはマシ」


 葛の前で気が緩んだからか、吉晴が叫ぶように答えた。


 「仕方ないよ。数日前まで熱があったんだから。でも、僕が聞いてるのは昨日の事だよ?」


 「ま、まあな…」


 昨日の事と言われ、今朝の状態を思い出した。葛の事だからバレているとは思ってはいるが、言葉には出さないでいた。


 「でな、悠切なんだけど、今日は俺と大学で講義を聞いて、飯食って、みんなと会話してバイトもしてきたぞ」


 深く聞かれると困るので、吉晴は悠切の事に話を変えた。一日の出来事を話す。『バイトをした』というところで、葛が驚いた。


 「そうなんですか?」


 「うん。お給料っていうのも貰った。4050円」


 悠切は、ポケットに入れた4050円を葛に見せる。


 「へえ。やりますねえ。凄いです」


 「店長にさ、悠切もバイトしないかって誘われて帰って来たんだ」


 「そうですか。できる事が増えて良かったですね。爽くんも、今日は僕のお手伝いをしてくれて。資料集めとか。ちゃんとできるので、できればこのままずっとお願いしたいくらいなんだけどね」


 悠切と爽。2人共、今までとは違う一日を過ごして、現代らしい生活を経験した。


 「そうか。2人にとって良い一日を経験したって思ってくれるといいな」


 吉晴はイスに座り、悠切と爽を見て、2人に笑顔を向けた。そして食事をし、食べ終わってから落ち着く時間を少し過ごして薬鼬の入った瓶を4人で見た。


 「さて、本題といきますか」


 吉晴の一声で、葛が事務所全体に結界を張った。薬鼬が暴れても事務所の中以外が被害に遭わないようにした。


 「では、開けますね」


 葛がそう言って瓶の蓋を開ける。白い煙と共に薬鼬が出て来た。瓶から出て、意識がハッキリした瞬間、薬鼬は強い風を巻き起こす。しかし、それを爽が止めた。


 「兄さん、ダメ~」


 爽は叫ぶと、薬鼬に抱きついた。


 「兄さんダメ。もう止めよ?あのね、葛さんも吉晴さんも悪い人じゃないよ。兄さんが思ってるような人たちじゃない。吉昌さんのように優しい人だよ。だから止めよ?」


 「どきなさい、爽。お前は何を言っている。知っているだろう?こいつらは私たちを――」


 薬鼬が爽に怒鳴りつけると、悠切も薬鼬の傍へ来た。


 「兄さん。吉昌は優しい奴だったろ?思い出して。吉晴は吉昌と同じだった。俺らの事、ちゃんと見てくれたよ。兄さんの事もちゃんと思ってくれてる。だから…」


 爽と悠切は薬鼬の前に立ち、ジッと見ていた。そこに吉晴が言葉を挟む。


 「あのさ、薬鼬。まずはちゃんと話したい。何かするなら、そのあとでも遅くはないだろ?それにお前らは、俺の事や今までの時代の流れを知ってても、俺は知らないんだよ。だから、ちゃんと聞かせてくれねーかなあ」


 イスに座って話す吉晴も、爽と悠切同様に薬鼬を見た。


 「ね。兄さん、そうして?」


 今日の爽はいつもと違って、自分の気持ちを言っている。


 「兄さん。爽もこう言ってるからさ。爽の話も聞いてやってよ」


 いつもなら、薬鼬に怯える2人が一生懸命に薬鼬を説得する。


 「分かった。ただし、そちらが何かをしてくれば、私も容赦はしない」


 「ああ、それでいいよ」


 2人の弟の説得で薬鼬は静かにイスに座った。


 「ある程度の話は聞いたんだ。でな、俺の目の事なんだけど。俺の目なんか喰ってもな~んも変わらねえと思うぞ?考えてみろよ。視え始めたのも最近、色々分かってきたのも最近。しかも大した力もねえ。まあ、練習して少しずつできるようにはなってっけど、大してな。そんな奴の喰ったって、お前らのガッカリ度が上がるだけだろう。だから俺の目に執着したって意味ねえぞ?それから、人間は勝手だ。散々、妖を必要としてきたのに忘れていくんだからな。妖は誰かが知っていてくれれば、どこまでも存在できる。だけど人間は違う。どんなに長く生きたくても限界がある。生ものだからな。頑張っても、意志とは関係なく血肉が老いて腐っていく。そして、今の100年を経験し、その100年よりも文明を栄えさせようと次の100年を全く違うものへと変えていく。古いものを手放し、新しいものを手に入れようとする。もの凄く残酷だけど、そうやって次の世代へと繋げていくんだ。それに、自分より力のあるものを恐れ、数で対抗しようとし、排除しようとする。それをされたのが、お前たちだ。――これについては、ごめんな。俺1人が言ったところでどうにもならないけど、そんな中にも俺みたいに思う奴いるから。数は少ないかもしれないけど、ちゃんといるからさ。人間全員がお前らを消そうとか思ってないから。とても悲しくて、寂しくて大変かもしれないけど、上手く時代に沿って生きて欲しい。お前らの悲しみや寂しさは俺が生きている限り、ちゃんと聞くからさ」


 吉晴は、自分の気持ちを話し終わると、頭を深く下げた。


 事務所の中は静かに時を刻み、頭を下げる吉晴の姿を薬鼬は見ていた。


 「兄さん、あのね。僕ね、葛さんのお仕事手伝ったの。人間のようにちゃんとできたの」


 「兄さん、俺も。吉晴が働いてるコンビニって所で仕事した。俺が妖とは言えないけど、でも、そこの人が吉晴と一緒に働いてみないかって。そう言ってくれたんだ。そこで働くと、時々お菓子を貰えたりする。それに、お給料っていうのも貰えるんだ。これがそれ。でな、大学っていう所にも行って来たんだ」


 爽と悠切は、今日一日の事を話す。それは、とても楽しそうに話していた。


 「なあ、薬鼬。俺はさ、今日のこいつらみたいに人として生きろとか、そんな事は思っていないんだ。たださ、悲しみや恨みだけでこのままずっといくのか?目の前にやってみたい事があるかもしれないのに、それをやらないでいるのか?って思うんだよ。――人間の一生は短い。流れる時の早さも速い。お前のここが追い付けなかったんだよな?」


 吉晴は自分の胸を叩いた。そして、薬鼬の顔をもう一度見て、葛に言った。


 「葛、悪いけど2人を連れて買い物へ行ってくれないか?少し2人に外の空気を吸わせてやってくれ。――これで、甘いものでも買って来てくれ」


 「う、うん。… …でも」


 葛は返事をしつつも心配そうな顔を吉晴に向けた。吉晴は葛の腕を引っ張り、耳元で言った。


 「多分、大丈夫だから。何かあったらすぐに呼ぶ。2人を頼むな」


 吉晴のその対応で葛は分かった。このまま爽と悠切が傍にいたのでは、薬鼬が自分の気持ちを言えない。そう思って買い物を頼んだのだと分かった。一応、もしもの為に式神を置いて行く事にした。


 葛と爽、悠切の3人は事務所を出た。


 ―――「薬鼬?」


 吉晴は薬鼬の顔を覗き込みながら名を呼ぶ。


 「私は…。俺は、ずっとあの2人といた。鎌鼬だから当たり前なんだが。――爽は見ての通り、長く生きている妖の割には弱い。いつも俺にくっ付いていて、自分の思っている事ですら言葉にできない。悠切は、気が強いように見えるが俺の顔色をいつも見ている。本当なら、人間が俺たちを忘れず昔のようにしてくれていれば、爽も悠切も、もっと成長できたんだ。でも、あいつらは大人になれないままずっといる。俺だけが大人で、ずっと2人の面倒を見てきたんだ」


 そう話し、頭を抱える薬鼬の背中を吉晴は優しく擦る。


 「そうだな。お前が2人を育てていたんだよな。それが長過ぎたんだ。心を重くしたな。育児ノイローゼってやつだ。でもな、そのお前のおかげで2人は生きてこれたんだよ。それに2人共、お前が大好きなのは見てて分かるよ。――もう肩の力を抜けよ。どこまで力になれるか分かんねーけど、俺と葛もいるんだし」


 吉晴の言葉を聞きながら薬鼬は涙を流していた。


 吉晴は『うん、うん』と頷きながら、薬鼬の背中を擦り続けた。そのあとに、吉昌が亡くなった時の話を聞いた。気づいた時には吉昌の目がなかった事。吉昌がいなくなってから誰にも言えず1人でいた事。急スピードで時代が変わっていき、ついて行けなかった事などを話してくれた。


 吉晴も、この新しい環境に戸惑いはある。そんな中、妖はいつの時代も人間の事を想いながら存在している。力を持ち、怖いように思うが、とても繊細なんだと吉晴は分かった。色んな妖が自分の目を狙っているという事は、この鎌鼬の三兄弟のように寂しい思いをしているからなのではないかと思った。そう考えると、自分は祓う事よりも話を聞いてやる事の為に、この力を引き継いだのではないかと思った。


 ―――「ただいま~」


 「悪かったな、頼んじゃって」


 「いいんだよ。色んなのがあって3人で迷っちゃった(笑)」


 「そうか。じゃあ、みんなで食おうぜ。薬鼬も一緒に食うだろ?」


 葛たちに買って来てもらった和菓子を食べる事にした。


 さっきまで心が暴れていた薬鼬は、吉晴に話を聞いてもらい落ち着いたようだった。吉晴から和菓子を貰うと嬉しそうな表情を浮かべていた。


 「「いただきま~す」」

 

 この三兄弟だけではなく、自分も葛と共に新しい生活が始まるのだと改めて胸に刻んだ。




                      ―― ①『鎌鼬三兄弟』 ――  


 

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妖の心、人知らず~その心は~ @takazyo

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