Erythronium

@rairahura

リオン君とライラ


今日という日を生き延びた冒険者の乾杯の声

大声で飛び交う注文と忙しなく行き交う給仕の娘たち

なんとかありついた仕事でやっと小銭を手にした男はたった一杯の酒をあおって明日の不安を誤魔化す

上品なマナーなど知るものはおらず

雑に置かれた料理がテーブルに飛び散ろうが気にするものは誰もいない

油や煙草の煤で汚れたテーブルはもはや元の色がわからない

汚いテーブルの上ではこれまた泥やら何やらで汚れた手で行われる法外な賭け

弱肉強食の掟は店の中であろうと森の中であろうと変わらない

彼らの相手がカードか魔物か

ただそれだけの違い

勝者には歓声をあげ次の酒に酔いしれる権利を

全て失った敗者はもはや誰にも相手にされず店の外に蹴り出される

落ち着いた雰囲気とは到底言い難いまさに荒れた下町の酒場といった様相であった


「騒がしいとこあんまり好きじゃねーんだけどな」

明らかに機嫌の悪い顔でぼやきながら地面に転がる酔っ払いを蹴り飛ばし

眉間にしわを寄せて店の戸を開けるのは一人の青髪のミコッテ

暗い道から急に明るい店の明かりに照らされた彼女の瞳は糸の如く細くなる

彼女のお目当ては酒でも飯でも賭博でもなく

実を言うとどれも嫌いではない むしろ好んでいる方だがこの日この時間に限ってはそれらは目的ではない

それにそう言うものはもっと落ち着いた静かなところで楽しむものだと彼女は確信している

ゆるりと店の中に視線を巡らすと「お目当て」を見つけたようで確たる足取りで向かう


店の端

店内にいくつも置かれているララフェル用の高い椅子

そのうちの一つに腰掛けテーブルに突っ伏している金髪の頭

それが今の彼女のお目当てであった

邪魔な客を押しのけて金髪頭の元のたどり着いて声をかける

「おーい」

少し大きめの声を出したつもりだったが店の喧騒にかき消される

それに彼は眠っているようで近づいて肩に触れても全く反応しない

少し前までこの金色はもっと長くて尻尾みたいに結われていた

それが自分の視界の下の方でゆらゆらと揺れる様子を実は彼女は気に入っていた

ただ彼がある日その尻尾を切ってしまって以来その光景は見られなくなってしまったけれど

まあ仕方ない


閑話休題

面倒な用事のせいで少し遠くに行っていた思考を戻す

相変わらず動かない頭に向けてうざったそうに舌打ちをしてから彼女は躊躇なくその金髪頭を叩いた

「いつまで寝てんだ 帰るぞ」

その衝撃でやっと目覚めたらしい金色は ゆるゆると頭を上げるとふらふらと辺りを見回す

「ホヘトォ?」

普段はまっすぐに前を見据える澄んだ緑の瞳は見る影もなく

意識がちゃんとあるのかないのかぼんやりと自分の頭を叩いた相手の方を見やる

「・・・ホヘトだよぉ」

普段より数段低い声で適当に返し 溜息をついたライラ・フーラがテーブルの方に目をやるとそこにはえらく大量のジョッキの山

好まないだけで弱いというほどではないと記憶していた彼がここまでになるとは一体どれだけ呑んだのか

近くで騒いでいた冒険者だかゴロツキだかの数人がケラケラ笑いながら声をかける

「お嬢ちゃんそのにーちゃんの連れかい?」

「そいつ俺らと飲み比べしてよぉ!」

「そりゃあすげえ飲みっぷりだったぜ!何人も潰されちまったからなぁ!!」

なるほど事情を理解したライラは 自分が呑んでいないというのに頭痛を覚えたような気がして煤けた天井を仰いだ


彼女とてわざわざこんな騒がしいところに来てしかも酒の一杯も飲まないなど不本意なのだ

しかし我らがレグルスの盟主たるリオン・ネヴィオンがあまり治安がよろしくない下町の酒場に行ったと聞いたのが夕刻頃

珍しいといえば珍しいがいずれ戻るだろうと放っておいて夜が深まってもまだ戻らず

子供でもあるまいし構うことはないと悠長に構えていたところ翌朝に出発する依頼があると知れたのが真夜中をだいぶすぎた頃

流石に連れ戻す必要があるとお迎えを命じたのはジジー・ジップ

当然ライラは断るつもりだったがその時他にいたのはらてまるとねこまじん

そのうちその酒場に行ったことがないらてまるは確実に道に迷って店にたどり着けない

結局2人を迎えに行く羽目になることは目に見えていた

ねこまじんは道には迷わないだろうが目的を達成できるかというと危うい

どこで何が原因で寄り道をするかわからない

それに酒場に行って料理を腹一杯頼まずに帰ってこれる保証はない

成功に賭けるにはあまりにも分が悪い

ジジーは念のため各所に連絡を取る必要があるので離れられない

つまり道に迷わず店にたどり着き比較的高い確率で長居せず帰って来れて なおかつ運悪く暇なのは彼女 ライラ・フーラしかいなかったのだ


ここまでの経緯を振り返りつつライラはリオンに声をかけ続ける

「ほら何度も言わせんなよ かーえーるーぞー」

一文字ごとにばしばしと頭を叩きながら覚醒を促す

それでもどうにもリオンの反応は鈍く

さっさと叩き起こして帰るという予定は儚く脆く崩れ去った


「リーオーンー?」

ララフェル特有の柔らかい頬を引っ張りながらなおも声をかける

「さっさと帰って寝たいんだよこっちはよぉ」

時刻はもう夜更け

良い子はもう寝る時間である

ライラが良い子かどうかはさておき


暫くリオンの頬をつねって遊んでいると多少意識が戻ったらしくライラと目が合う

と そのまま眉を下げ 随分と情けない表情になり

「う〜〜〜〜〜〜」

そのまま緑の瞳は潤んで涙を零し始める

ライラは面倒そうな雰囲気を感じていたのでさっきから気づかない風を装っていたが 最初から彼の顔には涙の跡があった

実は泣き虫とはどこかで聞いたことがあったがこんなところで発揮しなくても とライラは苦い表情になる


とはいえリオンがここまで情けない表情をさらけ出す理由には見当がつかないわけではない

「ホヘトォ〜〜〜〜〜〜」

リオンがさっきから名前を呼ぶ相手

そうつまりホヘトが原因なのだ


ホヘトが用事か何かで暫く遠出すると聞いたのが数ヶ月前

内容は忘れたがどこかの島で何かやっているようだ

それ以来リオンはホヘトと顔を合わせられていないそうで

つまり周りから英雄と称され慕われるリオン・ネヴィオンは大好きなホヘトと長いこと会っていないのが寂しくてこんな普段来ないような酒場で普段飲まないような酒を普段飲まないほど大量に呑んでしかも飲み比べなんてして潰れているのだ しかも翌朝から予定があるというのに


まあなんと情けない

普段口にしないものの割と尊敬している存在のこんな姿を目にしてしかもお迎えまで仰せつかっているライラは非常に微妙な気持ちになった


とはいえ普段の彼らの仲睦まじい様子からすると確かにこんな風になっても仕方ないないと言えなくもないのかも知れないとライラはなんとか気を持ち直す

何より彼女はさっさと帰って布団に包まりたかった

とりあえずはこのふにゃふにゃ金髪頭を持ち帰らなければならない


このまま相手しても埒があかないと判断したライラは割と早めに最終手段に出た

「おら」

動かれると面倒なので思い切り頭を殴る

なす術なく昏倒したリオンをまるで荷物か何かのように抱える

抵抗なく抱えられた荷物もといリオンはだらりと両の手足をぶら下げる

側から見ると誘拐にしか見えないが彼女は至って真面目にさっさと帰る手段を考えたつもりだった


ライラはリオンをぶら下げたまま店を出て行こうとする

「おいおいお嬢ちゃん 金も払わずに帰るつもりかぁ?」

が 荒い大声に呼び止められる

店の中の連中の元締めだろうか大柄な男が脅しかけるようにライラの前に立ちはだかった

「飲み比べならこいつが勝ったんだろ」

面倒くさそうにライラが答えるが男はどう決めたっけなぁとしらを切る

なら とリオンの財布を抜き取り男に向かって放り投げる

「足りないってことはねーだろ」

しかしながら男はにやにやとした汚い笑みを浮かべたままさらに言い放った

「そこの僕ちゃんの分は足りるけどなぁお嬢ちゃんは一杯も飲まねえで帰るつもりかい?」

平時であればこれ幸いとばかりに一杯あおって問題なく帰るところだったが

「うるっせーよ喋んなハゲ唾飛ばすな気持ち悪い」

面倒な夜中の用事を命じられて面倒な酔っ払いを連れ帰ろうとして面倒な連中に絡まれて

この時のライラは非常に不機嫌になっていた


「んだとこらガキィ!!」

優しくしてやりゃあつけあがりやがって!と男は額に血管を浮き上がらせて詰め寄ってくる

自ら面倒なことを増やしてしまったことに気づいたライラは深々と今夜何度目かの溜息をついた


いつの間にやら辺りの客も自分たちのやりとりに注目しているようで早くも賭けの声が飛び交う

一発で蹴り倒してそのまま逃げてやろうかと算段を立てている途中でライラの耳に客の声が入る

「あれってもしかしてレグルスの」


自分たちのうちのどちらか知らないがまずいことになった

このまま喧嘩でもして逃げ出したらレグルスの悪評が広まりかねない

そうなるとわざわざこんなところまでこんな時間に来ておいてジジーあたりに怒られる羽目になる

それは是非とも避けたいところ 明日の食事の内容に関わってくる


男にもその声は聞こえたようで勢いが少し弱まる

どうやら多少は賢いようで自分が敵う相手ではないと気付いてくれたようだ

とはいえここまで来てしまっては向こうとしては引き下がるわけにはいかない

暴力での解決はお互いにやめておきたいところ

そしてここは酒場

となれば解決方法は今抱えている先人に習うのが一番だろう

つまり飲み比べ


「じゃあ負けた方が全額持ちってことで」

ライラが提案すると男は随分と自信があるのか急にニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて首肯する

相手が最初に仕掛けて来たんだから仕方ないと心の中で言い訳を並べつつ邪魔になるのでリオンを床に落とす

面倒ごとだらけだったんだからこれくらいお駄賃を貰っても良いだろう


リオンをまた荷物のように抱えて帰路につく

あっけないものでライラがほろ酔いになるかならないかと言ったところで男はぶっ倒れてしまった

勝利を手にしたライラは唖然とした客の視線をよそに悠々と店を後にしたのだった

道すがらただで酒にありつけたのは幸運だったと思い返すが

「お前は明日響くだろうな」

抱えたリオンに話しかける

テーブルの上にあったジョッキはだいぶ多かったがおそらく本当に飲んだ量はそれ以上だろう

返事はなくライラの歩みに合わせてぶらぶらと手足が揺れる

返事はないが多少意識はあるようで 時々鼻をすする音が聞こえる

明日には水に浸けてでも覚醒してもらわなければならないが大丈夫だろうか

おそらく二日酔いで依頼に向かうであろう彼に心の浅い部分で同情する


辺りが白んできて夜明けが近いことを知らせる

が 急いだところで彼の想い人が待っていることはない

それでもリオンは依頼となればもはや涙の跡も見せずに向かうのだろう

なら少しくらい寂しさを隠さなくても良い今を永らえてやってもばちは当たるまい

そう思ってライラは少しペースを緩めてのんびり帰り道を歩いて行った



「あ」

途中思い出したようにライラは呟いた

「リオンの財布回収してねーや」

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