キス。ただのキス。でも、最初で最後のキス。

「ね、明日キスしよっか」



 高校生になってもキスするだけの約束をするなんて、周囲からすると幼稚なのかもしれない。



 告白できたあの日からの恋模様。その歩みは、とても遅いものだった。手もつないだし、軽く抱きしめあったりもしたけれど。

 私はあとほんのちょっとだけ、本当にちょっとだけ、二人の歩みを進めたかった。きっと、後輩君もそうだと思うんだけど。そうだといいんだけど。


 だから、約束をした。「キス、しちゃおっか」って。約束しちゃえば、あのときと同じようになる、って思って。


 約束をした次の日。

 今日は、キスをする日。とても大切で、特別な日。

 今日は、告白するより緊張してるかもしれない。


 もうすぐ約束の時間。私の教室には他に誰もいない。私はここで待っていることになっている。

 私は窓ガラス越しの校庭をぼんやりと眺めていた。夕日が私を刺す。運動部の元気な声が聞こえる。桜の花弁が風に舞って踊っている。




 後輩君が私の教室にやってきた。



「先輩、きました」

「うん、待ってた」


「その、いつも上手くリードできなくて申し訳ないっす」

「そんなことないよ、いつもありがと」


 後輩君がゆっくりと近づいてくる。このまま飛びついて、一気にキスまでいったほうがいいのか、それとも――


 そうこう考えてるうちに後輩君がしっかりと近寄って手を握ってくる。後輩君は緊張で手にひどく汗をかいているみたい。

 ――頑張らなきゃ。


「そ、その。まずは抱きしめてもいいかな」

「は、はい。こういうのはじゅんばんからっすよね」


 そっと後輩君を抱きしめる。柔らかく、優しく。

 胸と胸が合わさる。鼓動が聞こえる。ぬくもりが伝わってくる。このまま、口を付ければ、キスなんだ。このまま――


「先輩、これだけでも幸せっすね」

「えっ。う、うん。そうだね、すごい、幸せ」


 沈黙の時間が続く。


こ、このまま、口を付ければ――


「ええとじゃあ、先輩」


後輩君が口を開いた。


「――唇、もらっていいっすかね」



 ゾクリとした。



 軽くうなずく。

 全身の力を出来るだけ抜く。

 後輩君を見つめる。見つめようとする。


 出来ない。恥ずかしい。今日は私ががんばるばん、がんばるばんなのに。


「先輩?」


「ご、ごめんね。ちょっとその」



「大丈夫っすよ」



 後輩君の手が優しく私の顔を包み込む。


 自然と、目が閉じた。


 後輩君が深く息をするのが聞こえた。

 顔が近づいてくるのが分かる、そっと、そっと、やさしく――



 唇と唇が重なりあった。それは爽やかな春だった。時間ときが、永遠にも感じられた。


 永遠の時間を壊し、唇を離す。さっきまでの緊張とは違い、心が躍っているのが手に取るように感じられた。



「しちゃいました、ね」

「うん」

「うわー、しちゃいましたよ。しちゃったっす。幸せっす」

「うん、わたしも、幸せ。ね、後輩君」


「これから、いっぱいキスして、いっぱい幸せになろうね」


 後輩君は私をしっかりと抱きしめると、耳元でこう囁いてきた。


「そうっすね、幸せになりましょう、先輩」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鼻水に混ざった恋 きつねのなにか @nekononanika

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ