戴顒2  田舎で兄が死ぬ 

桐廬とうろ県にも名山が多かったため、

戴勃たいぼつ戴顒たいぎょう兄弟は桐廬に出向く。

そこでしばらく暮らしていたのだが、

戴勃が病を得てしまった。

しかもど田舎であるため、

医薬らしい医薬も確保できない。


戴顒、兄に言う。


「兄上と共にここに出向き、

 しばし心穏やかな時間を

 得ることができました。


 とは言え私自身、

 ただずっとひそやかに過ごしたい、

 と思ってばかりでもありません。


 兄上のこのご病状、

 しかもまともな療養もできない、

 ともなれば、手に職をつけ、

 兄上を救うための

 禄を得ようと思うのです」


ただちに海虞かいぐ県令の職を得たが、

職務につこうかというタイミングで、

戴勃が死亡。赴任を取りやめた。


兄もいない桐廬は、ただのド田舎。

戴顒自身病を抱える身で、

いざ自分の病が篤くなれば、

どうなってしまうかもわからない。


なので戴顒、郡エリアに引っ越す。


呉郡の人々は、なんというか、典雅。

皆で庵を建て、庭先に岩を集め、

川から水を引き、庭先に植樹し、

ちょっとしたせせらぎを作り出して、

わさっとそこに集まる。


それがシャレオツ、トレンディだったのだ。


戴顒はその中で荘子そうじについて論じたり、

逍遥遊しょうようゆう」についての解釈をなしたり、

禮記らいき』の中庸ちゅうように注を付したりした。


呉エリアの将軍や長官、

あるいは呉郡内の名士たちはこぞって

この身に庭園での議論ごっこに参加。

気分としては竹林七賢ごっこ、

そのような感じだったのだろう。


戴顒はこの集まりに

するっと加わっては、するっと抜ける。

他の参加者はこのスタンスを、

おっ、シャレオツだね!

と称賛したそーである。




桐廬縣又多名山,兄弟復共游之,因留居止。勃疾患,醫藥不給,顒謂勃曰:「顒隨兄得閑,非有心於默語。兄今疾篤,無可營療,顒當干祿以自濟耳。」乃告時求海虞令,事垂行而勃卒,乃止。桐廬僻遠,難以養疾,乃出居呉下。呉下士人共爲築室,聚石引水,植林開澗,少時繁密,有若自然。乃述莊周大旨,著消搖論,注禮記中庸篇。三呉將守及郡内衣冠要其同游野澤,堪行便往,不爲矯介,衆論以此多之。


桐廬縣に又た名山多く、兄弟は復た共に之に游び、因りて留まりて居止す。勃の疾患せるに醫藥は給されず、顒は勃に謂いて曰く:「顒は兄に隨いて閑を得たり、默語に心有せるに非ず。兄の今の疾いの篤きに、營療すべかる無かれば、顒は當に干祿にて以れ自ら濟くのみ」と。乃ち時に告げ海虞令を求めど、事え行ぜるに垂んとせるに勃の卒さば、乃ち止む。桐廬は僻遠にして疾を養うに難く、乃ち出で呉下に居す。呉下の士人は共に築室を爲し、石を聚め水を引き、林を植え澗を開き、少時に繁密にして、自然たる若き有り。乃ち莊周が大旨を述べ、消搖論を著し、禮記中庸篇を注す。三呉の將守、及び郡内の衣冠は其の野澤の同游に要わば、堪は行きて便ち往じ、矯介を爲さず、衆論は此を以て之を多とす。


(宋書93-2_棲逸)




呉には、やや京都ってイメージがあります。しかし県令職を求めてさくっと得てる辺りに、こう、「太いな……実家……」と思わざるを得ないのですよね。というかパパである戴逵さんの兄、つまり彼らにとって伯父にあたる戴逯たいろくさんは武功を上げることに燃えていました。


https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054887097597


隠者だなんだ言ったって、そういう後ろ盾持っときながらなにほざいてんだお前って感じはあります。

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