謝安47 式遏の功    

戴逵たいき会稽かいけいの東山で

めっちゃ引きこもり志望。


けどその兄、戴逯たいろく

前秦ぜんしんのクソどもをぶっ倒したいと

燃え盛っていた。


謝安しゃあんさまは言う。


「きみたちは兄弟で、

 ずいぶんとまあ志向が違うものだな」


すると戴逯は言う。


論語ろんご雍也ようや編にある

『不堪其憂』『不改其樂』の句が

 示すがごとくであります。


 孔子こうしは、高弟の顔回がんかい

 ままならぬ世俗の諸々ごとになぞ

 憂えることなく、

 学問に打ち込み、自らを高めることに

 喜びを見出し続けていた、と

 絶賛しておりました。


 さて、私と弟はどうでしよう。


 私は憂悶に耐えきれません。

 てい賊に圧迫されたままでなど、

 到底おれませんからね。


 弟は目の前のささやかな楽しみを

 満喫しておるのです。

 それはそれで良きことなのでしょう。


 孔子こうしは後者を君子の振る舞いと、

 褒め称えておりましたが、

 ならば私は、君子でなくとも 

 構いません」




戴安道既厲操東山,而其兄欲建式遏之功。謝太傅曰:「卿兄弟志業,何其太殊?」戴曰:「下官『不堪其憂』,家弟『不改其樂』。」


戴安道は既に東山に厲操せるも、其の兄は式遏の功を建てんと欲す。謝太傅は曰く:「卿が兄弟の志業、何ぞ其れ太いに殊ならんか?」と。戴は曰く:「下官は『其の憂に堪えじ』、家が弟は『其の樂を改めじ』なり」と。


(棲逸12)




戴逯

解釈に当たってみると、この編のテーマが隠棲だから、戴逯が「憂いに堪えられない」のは、隠棲することについてだ、と解釈する向きがあって、まーそうなのかもね、とも思ったが、ただそれだと「式遏しきあつの功」が、あまりにも軽い扱いになるのよね。


『詩経』大雅にあるこの言葉は、「敵の侵略を食い止める」みたいな意味がある。ただの立身出世って訳じゃない。

 

ここはもう、好みとしか言いようがないのかなー。


つうかこの条書いた奴はもうちょい人称ってもんを勉強しろ。先に戴逵の話振ってんだったら戴逵に答えさせるべきだろうが。がるる。

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