巻93-1 隠逸伝

戴顒1  琴の名人    

戴顒たいぎょう、字は仲若ちゅうじゃくしょうちつ県の人だ。

父の戴逵たいき、兄の戴勃たいぼつとともに、

隠者として名を知られていた。


戴顒が 16 の時に父が死亡。

悲しみが過ぎ、病を抱える身となった。


父は朝廷仕えをせず、絵画や詩賦、

音楽などの技を研鑽していた。

二人もまたその技を継承。

中でも戴顒が得意としたのは音楽だった。


會稽かいけいえん縣には、名山が多い。

なので戴氏は代々そこに家を構えた。

戴顒と兄の戴勃は琴を父より学んだが、

その音は、父が死ねば

父そのものとなった。

曲を弾くごとに父を思い出し、

悲しみを禁じ得ない。

ゆえに二人はそれぞれ新しい曲を作り、

もっぱらそちらを演奏した。

その曲数は、兄が5、戴顒が15。


また戴顒は長編曲も一つ作曲。

これらはすべていまにも伝わっている。


桓玄かんげんが幅を利かせていたころ、

その権勢をかさに着て中書令になった、

太原たいげん王氏の王綏おうすいが、戴顒らのもとに

ずらずらと取り巻きを従えてやってきた。


時のセレブの御光臨。

とはいえ二人はすんとしたもの。

格段にもてなそうともせず、

客人に出すのも豆粥程度でしかない。


むぐっ、この俺様にこの程度のものを?

王綏としてもイラっとしただろうが、

そこは飲み込み、言い出す。


「そなたらは琴に長けるそうではないか。

 この私に聞かせてはみんかね?」


だいぶエラソーな言い回しである。

時のセレブたる俺に認められれば、

いろいろ厚遇してやるぞ!

暗にそう言っているようなものだ。


戴顒の答えは、シカト。

すると王綏、ブチ切れて立ち去った。




戴顒字仲若,譙郡銍人也。父逵,兄勃,並隱遁有髙名。顒年十六,遭父憂,幾於毀滅,因此長抱羸患。以父不仕,復修其業。父善琴書,顒並傳之,凡諸音律,皆能揮手。會稽剡縣多名山,故世居剡下。顒及兄勃,並受琴於父,父沒,所傳之聲,不忍復奏,各造新弄,勃五部,顒十五部。顒又制長弄一部,並傳於世。中書令王綏常攜賓客造之,勃等方進豆粥,綏曰:「聞卿善琴,試欲一聽。」不答,綏恨而去。


戴顒は字を仲若、譙郡の銍の人なり。父の逵、兄の勃は並べて隱遁し髙名を有す。顒の年十六にして父の憂に遭じ、毀滅の幾ばくかにして、此に因りて長く羸患を抱う。父の仕えざるを以て、復た其の業を修む。父は琴書に善く、顒も並べて之を傳え、凡そ諸音律にて、皆な能く手を揮う。會稽の剡縣には名山多かれば、故に剡が下に世居す。顒、及び兄の勃は並べて琴を父より受くるも、父の沒せるに、傳わる所の聲を復た奏ずるに忍びず、各おの新弄を造ること勃は五部にして、顒は十五部なり。顒は又た長弄一部を制し、並べて世に傳わる。中書令の王綏は常に賓客を攜い之に造らば、勃らは方に豆粥を進め、綏は曰く:「聞くに卿は琴に善しと。試みに一聽を欲す」と。答えざれば、綏は恨みて去る。


(宋書93-1_棲逸)




ここからは隠者のお話になります。宋書隠逸伝は、沈約しんやくがその生き方にあこがれを覚えた人たちの伝であり、その筆致もほかの列伝に比べて活き活きしているような気がします。この辺を語っておられる論文がこちら。


沈約の隠逸思想 : 『宋書』隠逸伝論を中心として

北島 大悟

https://www.agulin.aoyama.ac.jp/repo/repository/1000/13081/


このテーマは結構ほかの研究者氏も取り上げておられます。まぁ確かに「そういう生き方を望んだ」沈約が著した歴史書が宋書である、ってことにもなりますからね、この書の基本的な方向性が伺えようってもんなのかもしれません。


劉裕りゅうゆうの「天命」を桓玄打倒に見る方向性はたぶん覆しようがないものだったんでしょうけど、もし沈約がそこから自由となれたら、もう少し……あっだめだそんなことになったら間違いなく文人方向に記述偏るわこいつ。

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