戴顒3 官途に就、かない
か、どちらも断られた。
劉裕は
再度戴顒をスカウトしようと試みる。
「もと太尉參軍の戴顒と、
隠者の
身持ちを固く保って隠棲、
その思いを決して翻さなかった。
そんなそなたらであるからこそ、
我が政権に参加してほしいと考えている。
ともに散騎侍郎として、
宮廷にとどまってくれぬか?」
あれっ任命こそされたけど
出仕はしなかったんですよね?
名義貸しみたいなものなのかしら。
まぁ、いずれにせよ、
やはり出仕しなかったのだが。
劉裕死後、
劉義隆から、改めて参内のお達しが来る。
「通直散騎侍郎となっている戴顒
太子舍人となっている
そなたらは心を自然の中に置き、
自ら些細な暮らしを求め、
静かなる暮らしを貫いてきた。
戴顒のようなものこそ國子博士で、
宗炳のようなものこそ
通直散騎侍郎であるべきだ」
太子中庶子に任命され、
更に 239 年には散騎常侍に任命されたが、
いずれにせよ、出仕はしなかった。
髙祖命爲太尉行參軍,琅邪王司馬屬,並不就。宋國初建,令曰:「前太尉參軍戴顒、辟士韋玄,秉操幽遁,守志不渝,宜加旌引,以弘止退。並可散騎侍郎,在通直。」不起。太祖元嘉二年,詔曰:「新除通直散騎侍郎戴顒、太子舍人宗炳,並志託丘園,自求衡蓽,恬靜之操,久而不渝。顒可國子博士,炳可通直散騎侍郎。」東宮初建,又徴太子中庶子。十五年,徴散騎常侍,並不就。
髙祖は命じ太尉行參軍、琅邪王司馬屬と爲さんとせるも、並べて就かず。宋國の初に建つるに、令して曰く:「前太尉參軍の戴顒、辟士の韋玄、操に秉し幽遁し、志を守りて渝せず、宜しく旌引を加え、弘を以て止退すべし。並べて散騎侍郎として通直に在すべし」と。起たず。太祖の元嘉二年、詔して曰く:「新たに除せらる通直散騎侍郎の戴顒、太子舍人の宗炳,並べて志を丘園に託ち、自ら衡蓽を求め、恬靜の操久しくして渝せず。顒は國子博士たるべくし、炳は通直散騎侍郎たるべし」と。東宮の初に建つるに、又た太子中庶子に徴ぜられ、十五年には散騎常侍に徴ぜらるも、並べて就かず。
(宋書93-3_寵礼)
徹底しておりますね。まぁただ次の話で出てくるんですが、このひと要は
まあ、もしかしたらただゲージツに耽溺してたかっただけなのかも。次話、次次話はともにアディショナルタイムですが、この当時のゲージツについて見えそうなものがあるので、そのままお送りします。
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