杜慧度1 盧循撃滅
はじめ
それから
杜瑗が死亡すると、府州の官吏は
交州がいま侵略の魔の手に
晒されていることから、州刺史の椅子を
開けておくわけにはいかないと思い、
みなで杜慧度を刺史に推薦。
が、杜慧度はそれを断った。
411 年、そんな杜慧度に使持節、
督交州諸軍事、廣武將軍、交州刺史、
つまり交州軍事の全権委任の詔が下る。
ただ、この詔勅が届くよりも前に
隣の
杜慧度は武官文官六千人を率い、
盧循を防ぐため
そして戦い、副官の
盧循は敗北したとはいえ、
その残党はいまだ三千人近く。
しかも誰もが、武芸に習熟している。
加えて、過日父の杜瑗が打ち破った
かれらは石碕に落ち延び、
やくざ者たちとつるんでいた。
盧循、リベンジのチャンスだぞ、と
かれらに接近、取り込んだのだ。
これにより李弈の率いる俚のやくざ者、
総勢五、六千人が盧循配下となり、
杜慧度に牙をむいてきた。
6月、盧循が明け方の
三軍に命じ城内で食事を済まさせる。
杜慧度は家族、親戚筋をみな動員。
私財をなげうち、報奨金とする。
弟の
それぞれ水軍陸軍を率いさせ、
杜慧度自身は高艦に乗り込み、出撃。
陸地に陣取る歩兵たちは、
両岸から
火矢を放つ。キジの尾のような
軌跡を描いて飛ぶその矢は、
次々に盧循らの乗る船に命中。
火はすぐさま延焼し、
ひと時の内に盧循軍は壊滅した。
盧循も矢を受け、落水し、死亡。
盧循の死体は引き上げられ、
父の
配下将の
首を切られ、その首は
これらの功績から、杜慧度は
杜慧度,瑗第五子也。初為州主簿,流民督護,遷九真太守。瑗卒,府州綱佐以交土接寇,不宜曠職,共推慧度行州府事,辭不就。七年,除使持節、督交州諸軍事、廣武將軍、交州刺史。詔書未至,其年春,盧循襲破合浦,徑向交州。慧度乃率文武六千人距循於石碕,交戰,禽循長史孫建之。循雖敗,餘黨猶有三千人,皆習練兵事,李遜子李弈、李脫等奔竄石碕,盤結俚、獠,各有部曲。循知弈等與杜氏有怨,遣使招之,弈等引諸俚帥眾五六千人,受循節度。六月庚子,循晨造南津,命三軍入城乃食。慧度悉出宗族私財,以充勸賞。弟交阯太守慧期、九真太守章民並督率水步軍,慧度自登高艦,合戰,放火箭雉尾炬,步軍夾兩岸射之,循眾艦俱然,一時散潰,循中箭赴水死。斬循及父嘏,并循二子,親屬錄事參軍阮靜、中兵參軍羅農夫、李脫等,傳首京邑。封慧度龍編縣侯,食邑千戶。
杜慧度、瑗が第五子なり。初に州主簿、流民督護と為り、九真太守に遷る。瑗の卒せるに、府州の綱佐は交土の寇に接せるを以て、宜しく職を曠しくすべからずとし、共に慧度を推し州府事を行ぜしめんとせど、辭し就かず。七年、使持節、督交州諸軍事、廣武將軍、交州刺史に除せらる。詔書の未だ至らざる其の年の春、盧循は合浦を襲いて破り、徑ちに交州に向う。慧度は乃ち文武六千人を率い循を石碕にて距み交戰し、循の長史の孫建之を禽う。循は敗したりと雖ど、餘黨は猶おも三千人を有し、皆な兵事に習練す。李遜が子の李弈、李脫らは石碕に奔竄し、俚、獠の各おの部曲を有せると盤結す。循は弈らと杜氏に怨有りたるを知り、使を遣り之を招かば、弈らは諸俚帥の眾五六千人を引き、循が節度を受く。六月庚子、循は晨に南津に造り、三軍に命じ城に入り乃ち食せしむ。慧度は宗族を悉く出し、私財を以て勸賞に充てる。弟の交阯太守の慧期、九真太守の章民は並べて水步の軍を督率し、慧度は自ら高艦に登り合戰し、火箭雉尾炬を放ち、步軍は兩岸を夾みて之を射ち,循が眾艦は俱に然え、一時にして散潰し、循は箭に中り水に赴きて死す。循及び父の嘏、并せて循が二子、親屬せる錄事參軍の阮靜、中兵參軍の羅農夫、李脫らを斬り、首を京邑に傳う。慧度を龍編縣侯、食邑千戶に封ず。
(宋書92-5_暁壮)
https://kakuyomu.jp/works/1177354054895306127/episodes/1177354054929296642
ここと引き比べると、県侯食邑千戸ってのがどんだけ英雄的功績だったのかってのがよくわかります。そりゃ国のトップオブトップと較べちゃったら見劣りしますけど、それにしたって、すごい。
こういう、隠れた名将みたいな人好きなんすよねー。三国志で
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