杜慧度2 南方の名長官
同年、一万人の配下を連れ、
殺した敵は半ば以上を数え、
先の襲撃で奪われたものは奪還した。
このため林邑は降伏。
奴隷や象、金銀、古貝などを献上。
このため降伏を受け入れた。
長史の
勝利を報告した。
質素倹約、粗食を徹底していた。
琴をよく嗜み、老荘を好んで読んだ。
いわゆる民間信仰は禁じ、
学校を建設、教育を讃えた。
飢饉の年に民が飢えに喘げば、
自らの倉庫より食糧を解放。
民衆の救済に充てた。
その姿勢の緻密さは、
さながら州そのものを
自らの家のごとくするかのよう。
大いに畏敬され、強盗も起きず、
城門を夜に閉める必要もなく、
道端に落ちているものを
ネコババするものもいなかった。
423 年に死亡、50 歳だった。
左將軍を追贈された。
高祖踐阼,進號輔國將軍。其年,率文武萬人南討林邑,所殺過半,前後被抄略,悉得還本。林邑乞降,輸生口、大象、金銀、古貝等,乃釋之。遣長史江悠奉表獻捷。慧度布衣蔬食,儉約質素,能彈琴,頗好莊、老。禁斷淫祀,崇修學校,歲荒民饑,則以私祿賑給。為政纖密,有如治家,由是威惠沾洽,姦盜不起,乃至城門不夜閉,道不拾遺。少帝景平元年,卒,時年五十,追贈左將軍。
高祖の踐阼せるに、輔國將軍に進號す。其の年,文武萬人を率い南に林邑を討ち、殺す所半ばを過ぎ、前後に抄略を被くるの悉きを本に還ぜるを得る。林邑は降を乞い、生口、大象、金銀、古貝等を輸し、乃ち之を釋す。長史の江悠を遣りて獻捷の表を奉ず。慧度は布衣より蔬食にして、儉約質素、彈琴に能く、頗る莊、老を好む。淫祀を禁じ斷ち、學校を修ぜるを崇え、荒の歲に民の饑うらば、則ち私祿を以て賑給す。為政は纖密にして治家の如き有り、是の由にて威惠は沾洽し、姦盜は起きず、乃ち城門に至りては夜にも閉じず、道にても遺さるを拾わず。少帝の景平元年に卒す。時に年五十、左將軍を追贈さる。
(宋書92-6_政事)
結局現地レポート的な文書がなけりゃこの点の話は「この人が統治してました」以上のことはうまく実態がつかめんよなあ。
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