亡者の死なぬもの

山野陽平

第1話

 タルカ暦2020年夏、それは私にとって忘れられない時となった。当時私は王都から10キロ離れた街、エモーラで医者をしていた。

 わたしはアカデミーで学んだ術療法と錬金術の外科技術を使い開業した。王都で開かれる勉強会にも再々参加し、この国の最先端医療を学んできたつもりだった。

 しかし医者であった私(他の者もそうかも知れないが)にとって、あの年は忘れられない。自分がどれだけ無力かを思い知らされたし、人類が、まるで踏み潰される雑草の様だった。

 ウィルスによる疫病が蔓延し、重篤化した人々は死に至る事もあった。世界中に広がり、一時戦乱が止み、人々は感染を恐れ、家に篭る。街の通りには人も居なくなり、商店には物が無くなり、飢える者も居た。王は為す術を知らず、皆助かろうと必死で烏合の衆も同然だった。


 混乱はその夏まで広がり続けていたが、私も感染を防ぐための防護服を着ながら、患者に対応していた。と言っても体の弱い子供や老人が命を落とすこの疫病は、感染力が高く、目や鼻からも感染する。健全な成人男性ならば呼吸困難や発熱が合併症を引き起こさない限り死ぬ事は無いだろう。私は最終的に感染する事は無かったのだが、幾多の無力を感じた。死を見守るしか無かったのだ。王は国中の錬金術師と医療術師を集め、ワクチンを開発していた。英知を結集した。それでもやはり、いかなる人間もどうする事も出来なかった。


 その夏のある日、私の元に裏社会でネクロマンシーを生業とする友人が訪ねてきた。国からは法度とされている死者蘇生術だか、魑魅魍魎が山野をうろつく世間では、必要悪とされている。死者を使役し、国の手が回らない所を補う。人々からは忌み嫌われる、おぞましい事柄ではあるのだが、誰もが無くてはならないと知っている。

 身体中に入った刺青をローブで隠すように、彼は本来患者が座る椅子に座り、デスクの私を見て嬉しそうに話をした。


 「元気そうじゃないか。疫病で患者は増えているかね」


「まあね。でもウチみたいな田舎の診療所に駆け込む人は少ないよ。まだ治療法が見つかってない事は皆知っているからね。症状の軽い者しか来ない」


「なるほど、ウチも割りを食らっててな。従業員に支払いが出来るかどうか分からない始末さ。疫病が流行るだろう?なら自然死や事故死や死刑で死んだ者が少なくなる。俺たちも病気で死んだ奴は流石に使わない。こんな業界でもそんな事をする奴は干されるさ。綺麗な状態で家族の居ない様な奴がベストなんだか、なかなかお目にかかれなくてね」


死者を商品として扱う、私とは真逆の世界に生きる逆の感覚。私は本来忌むべき相手だが、彼らの独特の倫理というか、業界のルールに興味があった。簡単に言うとその死者の周りの遺族に迷惑をかけない事。しかしそこには本人に対しての考慮が抜け落ちる。かなり独特の考え方だ。


 「それで、話しがあるんだよ。相談なんだが。いい話しだといいんだけど」死者蘇生屋の彼が真顔になる。


 「どうしたね?」


「1人、試してみたんだ」


「なに?」


「疫病で死んだ若者を蘇生してしまった」


「なんだと」


「綺麗な状態だった。分からなかったんだ。彼もやはり無縁仏で身元が分かはなかった。誤って蘇生してしまったと言う方が正しいのだが。今はウチの仕事場の部屋にいる」


「思考指数はどうだ?」彼らの用語だ。身体の状態により、脳がどれ程機能して、考える事が出来るかを指す。


 「10歳位はあると思う」


「いい状態だな」


「そいつがな...俺もなんか初めてだよ。俺に言うんだ」


彼は言い出すのが辛そうみたいだ。


 「何を?」


「彼は自分を使えと言うんだ」


 「使う?」


「疫病の治療法を自分の体で開発しろとさ」

私は思考が停止した。可能かどうかを考える事が出来なかったのだ。何故だか分からない。


 「可能だと思うかね?」こんなに真剣な彼の顔は見たことがなかった。


 「分からない。でも国の機関には連れては行けないぞ」そりゃそうだ。大問題だ。


 「君がするんだ。出来るかい?」


「僕がかい?そんな事...」今思えば私は何も考えていなかっただろう。「話がしたいよ。喋れるかい?」


「来るかね?」


 私達は馬車を走らせた。彼の仕事場はさらに田舎、人里から離れた所にあった。途中原っぱに死体を、見つけて馬車を止めたが、首を振りながら帰ってきた。使えないらしい。使うと言うのも不謹慎だが。森というかは藪の中を、垂れ下がる枯れ枝を鳴らしながら進むと、寂れた小屋があった。私は彼の仕事場にやって来るのは初めてで、思ったより小さいと感じた。

 中は予想に反していて、死体や死体をいじる貴金属、怪しげな装置がある訳ではなかった。普通の調度品、本棚や机や椅子、食器がある部屋。脇には綺麗にしつらえているベッド。一つ一つ丁寧に並べられていて、神経質さを感じさせる。

 続きに部屋がもう一つあった。「あそこだ」今度こそ実験室を連想させたが、また違った。普通の客人用の部屋らしかったが、ものけの殻だった。


 「誰もおらんぞ」私は言った。


 「ああ、多分あそこだ」


私たちは藪を抜けて、泉に向かった。そこには男が佇んで、素足を浸していた。

 黒髪で30歳くらいの、肌の浅黒い男。見た目には死者だとは分からない。裸になれば別なのだろうが。こちらを振り向いた時、無表情な中に少し嬉しそうな輝きを放った。


 「貴方さまはお医者様でしょうか」


「ん、まあ、一応」


「2人で話してくれ」ネクロマンサーの友人は小屋に戻って行った。


 「お話は?」


「聞いた。しかし、私は気が進まない。違法だからな。貴方にこう言うのもなんだが」


 「私はもう一度、死んで無くなっても構わないと思っています。生者と違い、感覚が鈍くなっていると思うし、進行している。足も余り冷たさを感じなくなっている」


「死んだ理由は?」


「もちろん、疫病です」


「ご家族は?」


「両親と妹が2人、皆んな疫病で死にました」


私は押し黙るしか無かった。その時、全てを理解した様な気がしたのだ。


 「あまり」彼は続けた。「考えられなくなってきている。下の妹の名前が思い出せないのです。私は疫病に無くなってもらいたい。試してダメだった治療法を伝えるだけでもいい。私を使って下さい」


私は何なんだろう、その時そう思った。


 今までさぼっていた分厚い治癒魔術についての本を読み漁り、それより厚い錬金術の本を片手に、私は実験を開始した。生ける亡者の彼に疫病のウィルスが残っていると思われたが、私は予防等しなかった。もしかしたらネクロマンサーの友人だって疫病に侵されているかも知れない。大体発症して1週間だ。それで皆んな死んでいく。それまでに決着は着ける。


 私は寝なかったし、彼は寝ない。彼は食事さえ取らない。私が実験で手渡した物しか口に入れない。私も余り食べなかった。疫病に罹っているかも分からない。怖いのは死ぬ事じゃない。身体が動かなくなる事だ。私もアンデッド化してもらっても良かったが、頭が回らなくなる事が怖かった。

 私は必死だ。したこともない治療法をした。かなり医者として上達させてもらったと思う。


 ある朝、林檎を半分だけ食べて、研究室に戻ろうと、ドアを開けた時、ベッドの彼がブルブル汗をかいて震えていた。亡者は汗をかかない。


 「どうした?」


「寒い。身体が痛い」彼は吐血していた。


「これは...」


薬が効いたのか。


 「病気で死んだから...?」


「そうだ。病気に効いたんだ」私は嬉しいのか悲しいのか、心臓が跳ね上がった。


 「やった...」


アンデッドが昇天するのは、その死因を治す事。だから治癒魔術に苦しむ。それか消え去るしかない。彼は疫病が治癒したのだ。昨日投与した薬が効いたのだ。


 「マヤだ」


「ん?」


「下の妹の名です。僕はアル・メライ。家のトネリコの木の下に4人は眠っています。5人で寝られるお墓を作ってはくれませんか」


「もちろん」


 彼は再び果てた。


 私はあの実験の最中に考えていた事を全て実行した。王宮から表彰されたが、勲章だけ荷物に詰めて、金は疫病の人々の為に寄付した。

 メライ家を探して、夜中にトネリコの木を掘り起こし、5人用に掘り直して、掘り返せないようにトネリコを植え直した。街の診療所も売り払い、ネクロマンサーの友人と朝まで飲み明かして、誰も知らない旅人になった。出会った人を治療してやる、ただの旅人になったのだ。

 

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亡者の死なぬもの 山野陽平 @youhei5962

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