ロジカル・ラディカル・セクシャル 

Hourt

性は消えるべきではない。

例えば、最近ではもはや都市伝説となったコンビニの18禁コーナー。そこにあったエロ本。あれが我らの青春であり、最後の命綱であった人が世の中には存在する。なぜなら私がそうだからだ。

成人向けコンテンツが、現代では排除すべきだという人が定期的に勢力を増す。いわゆる「フェミニスト」と呼ばれる団体だ。彼ら、彼女らはよくこう言う。

「アダルトなものは、純粋な未成年を下劣な性犯罪者に変える」、と。

しかし私は声を大にして主張したい。それは事実無根の主張であり、むしろ伸ばすべきコンテンツだ、と。私がそう考える理由は2つある。

1つ目は、カリギュラ効果にある。「押すなよ、絶対押すなよ!」が一番わかり易い例である。禁止されると反対にその行動を取りたくなる、というものだ。この異常な性に対する禁止も未成年たちの意欲を誘ってしまい、性に対する執着心を生んでしまうかもしれない。そうなればフェミニストが言う「下劣な性犯罪者」というものになるのではないだろうか。

2つ目は「ゲーム脳」からわかる。今の性的コンテンツと同様、ゲームはかつて大人達から疎まれたものである。それ故、昔の子供達は親に隠れてこっそりそれをしたものである。だがしかし今は違う。ゲームは「e-sports」という名前に変わって一大コンテンツとなった。年号も令和に変わった今や大の大人が寄ってたかって遊んでいるのである。これはゲームが社会的にも世界的にも市民権を得たという証明であろう。

成人向けコンテンツもこれと同じ変遷をたどるのではなかろうか。いや、もしかするともう既にたどっているのではなかろうか。成人向けで名高いDLSiteの累計ランキング上位10作品の累計売上を調べてみた。すると、3億4585万680円(*1)という金額が表れた。たとえ上位だけを抽出したとはいえ、たった10作品である。これは決して弱小コンテンツとは言えないだろう。

では、なぜ性的なものを排除する団体が未だに存在し続けるのだろうか。この理由は簡単だ。「気持ち悪い」、これだけの理由だ。

よく考えるとその感覚も一理ある。幼少期の頃から性は忌むべきものだという教育を受ければ性を嫌いになるだろう。第二次世界大戦の時、少年兵が教育によって喜んで戦死したように。三つ子の魂百まで、とはこの通りである。その嫌悪感は解消できない、ならば対象を消してしまえば良い。確かに、順当な良い考えである。

しかし、もし自らの嫌悪感を感じる対象が好きな人がいれば?その人の意思は完全に消されるのか。もしその対象を生業とする人がいれば?その人の人生は完全に壊されるのか。

性的コンテンツは必ずしも万人受けするものではない。嫌悪感を感じる人がいるのである。普段、「エッチコンロ点火! エチチチ\勃/」や「エッッッッッッ」などと言う人が「は?これは全く性的ではないのだが?」と態度を変えるのはとても見ていられない。だから私達もそういう声を上げられない人に配慮すべきではある。だが、性をみだりに悪だと決めつけるのもいけない。性は必ずしも特定の個人を傷つけるものではない。むしろ、「これを作ったものは悪だ!」と特定の個人を傷つけるこそが悪なのは自明だ。

以上より、性的コンテンツはラインをしっかりと決めて、日にさらされる機会を少なくするように配慮する。そして、それが嫌いな人はそのラインをしっかりと知り、離れる。これをお互いに、誰一人として落とさずみんなで意識するだけで私達の世界はもう少しだけ住みよくなるだろう。私はそう考えた。


(*1)https://sirouto2.hatenadiary.org/entry/20090831/p1 より

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