第6話 大義


コツリ、コツリと冷たい階段を降りていく。


背後の扉が閉められた途端に、暗くなり、酸素が薄くなったような気分になる。


ナラザリオ邸の地下牢のことが脳裏に浮かんだ。

満身創痍の状態で押し込まれた地下の空気は、冷たく、じめじめとして、今もなお記憶の隅っこで痛みを発している。それもやはり、ドーソンの横顔を見たからだろう。

4年前、親子の関係など一切断ち切ったと思っていたしても、実際に顔を見れば、傷が疼き、心に波が立つ。


しかも――、というのが最悪だ。

何が最悪化と言えば、ハイドラとグラスタークの企みに、ナラザリオ伯爵家も噛んでいることが明白になったからである。

果たして、いつからトゥオーノがこの絵図を描いていたかは分からないが、ずっと奴の傀儡だったドーソンは、踏み入れた沼にそのまま沈んでいくように、今回の謀略にも巻き込まれてしまったに違いない。


溜息が出る。

頭痛がする。


お前にはもう落胆しきったと思っていた。

まさか、この後に及んで、さらに落胆させられるとは……。



コツリ、コツ、コツリ、

いくつかの足音が重なりながら、反響している。


俺は、フィオレットの体を支えるようにして段差を下る。

といっても、実際には彼女は足は挫いていないので支えるフリだ。小声でも響くので密談は出来ないが、ここまでしているということは、今がマルドゥーク救出の好機であるということだろう。


問題は、1人だけスタスタと階段を降りていく女性。

やり取りから察するに、彼女はフィオレットの姉であるらしかった。


たしかにグラスターク家には何人か子供がいたはずだ。勉学にも魔術にも秀でたフィオレットが特に目立ってはいたが、自己紹介ではグラスターク家の次女だと名乗っていた。髪や目の色からも血のつながりを感じる。


しかし、長女の名前までは思い出せない。使用人に扮している以上、ボロは出したくないが、記憶の引き出しは錆びついて開く様子がなかった。すると、


「少し早いですわ、ジョアンナお姉様」


と、フィオレットが言った。


そうだ、ジョアンナだ。

俺は助け舟に安堵する。


ジョアンナ・グラスタークは振り返り、片頬を持ち上げると「勝手に怪我をしたのはアンタでしょ。何故アタシが気を使わなければいけないのよ」と言い捨てて、さらに歩を早めた。


フィオレットがこちらをチラリと見て、唇をへの字に曲げた。

姉妹とは言っても関係性は良好ではないらしい。

フィオレットを乱暴に引っ張り、こけそうになっても全く気にしない。言葉には毒があり、時折こちらを振り返る動作も、逃げる素振りがないか確認しているという風だ。


優秀な妹と、妬み虐める姉。

そんな構図が思い浮かぶ。


それは俺とヨハンの関係性に似ていながら、決定的に違っていて。

フィオレットが昔ナラザリオ邸を訪れた時、俺に対して妙に懐っこかったことの理由でもあるような気がした。


「もうすぐよ、楽しみね」


地下階段にジョアンナの意地悪げな笑いが響く。

俺は振り返り、背後から静かについてくるもう一つの影と目を合わせた。フィオレットの片靴を手に持ったノノが頷く。


この先にマルドゥークがいることは間違いない。

ジョアンナの同行は予定外かもしれないが、居場所と状況を確認できることは大きな収穫だ。あわよくば、このタイミングで彼を救出してしまいたい。


もっとも重要なのはマルドゥークの安否である。

これから王都まで道程をともにするのだから、そのくらいの体力は残していてもらわなければ困る。ただの道程ではない。背中を追われ、一刻も早く戦線の状況を伝えなければならない崖っぷちの逃走戦だ。


「――開けなさい」


ジョアンナが言った通り、すぐに扉に行き当たった。


硬いものがねじ切れるような、ガキョリ、という音がして扉が開く。

むわりと湿気をはらんだ空気が流れてきた瞬間、真横のフィオレットの体が強張ったのが分かった。



あまりにも濃い、鉄――、

いや、血の匂いがした。





グラスターク兵団の兵舎は、何とも言えない緊張感に満ちてた。

すでに武装を完了した兵士たちは号令がかかるのを今かと待っているのに、いっこうにかからない。いい加減待ちくたびれたというような空気も感じ取れた。


「よぉ、なんか全員神妙な顔してんなぁ、オイ」


休息を取る兵士たちの間を縫いながら、スピンが笑う。

ギザギザの歯が触れ合い、ガチャガチャと下品な音を立てた。


「へ。あはは。ほんとだね。いつもはもっとガヤガヤしてるのに」


バーズビーもつられて呑気な笑い声を上げる。俯いていた数人の兵士たちがこちらを見た。僕は顔を顰め、声を抑えながら注意する。


「おい、目立つようなこと言うな。何のためにここにいるか分かってるんだろうな」


「おーおー、分かってるとも。お前の兄ちゃんをぶち殺せばいいんだろ?」


「スピン、ふざけてると今度こそズタズタにしてやるぞ……!」


「ぎゃっはっは」


冗談のつもりではなかったが、スピンはまるで堪えていない様子だ。


僕たちはここに来るまでの間に、お互いの素性について軽く話していた。

僕がナラザリオ家の次男で、ロニー・F・ナラザリオの弟であることを明かすと、スピンとバーズビーはとにかく驚いた。その上で、あの任務がどれだけ大変だったかを懇切丁寧に、土産話のように教えてくれた。


今更分かったことだが、こいつらには「任務とはいえ、お前の兄を殺そうとして悪かった」という罪悪感の持ち合わせはなく、逆に、兄様に手ひどくやり返されたから恨んでいるという感情もないらしかった。


相手が死ぬことも、自分が死ぬことも、等しく無頓着。

なるほど、殺し屋というのは狂っていないと出来ないらしい。


「わぁ〜ってるよ、情報収集だろ? と言ってもまあ、こいつら一人一人がどれだけ状況を分かってるもんか、そんなに期待は出来ねぇけどなあ」


「前線の兵士がどこまで把握しているかっていうのも、重要な情報なんだよ」


「はあん。じゃあまあ、少しでも知ってそうな奴に聞いてみっか?」


スピンはそう言うと、辺りを見まわし、兵舎の隅にある薪置き場に腰掛けた1人の男に声をかけた。


「おおい、ベン爺」


それは明らかに年季の入った老兵だった。

ベン爺と呼ばれた老兵はこちらを見上げ、それから嬉しそうに手を振った。


「よお、まだくたばってなかったな」


「はっはっは、お互いになあ。でも、会えるんじゃないかと思っとったよ。今グラスターク中の兵士がここに集められてるからなぁ。そうだ、飯は食ったか? あそこで飯を配ってる。まあ別に大した味じゃないが、今のうちに腹に入れといた方がいいぞ。……ん? その奥のは誰だ、初めて見る顔だな?」


「こいつは新入りのヨハンだ」


「お、おいっ」


僕はスピンを睨み、本名を明かしたことを責めた。しかし、スピンはあっけらかんと「まだ右も左も分かってないらしいから、色々と教えてやってくれよ。俺らはかっぱらってくるわ」とだけ言い残すと、バーズビーにおぶさって、配給の方へ向かってしまった。


呆れる僕に、ベン爺が自分の横に座れというようにポンポンと叩く。

まあ、情報収集の相手を一から見立てる必要がなくなったのは、よかったかもしれない。


「スピンとバーズビーは変わってるが、陽気で可愛い連中だ。ああいうのがいると、こっちも気が楽になったりする。しかしお前も若いな、いくつだ」


「歳は……、16かな」


正直にそう答えると、ベン爺は目元を優しく細め、僕の肩を撫でるように触った。


「大変な時に入ってきたもんだが、そう怖い顔をする必要はない。この戦いでは兵士は死なん。これはグラスタークとハイドラ間で取り交わした作戦の一部、いわば見せかけのもので、狙いは別にあるんだそうだ。――と言っても、それが何なのかは分からないがな。はっは」


ベン爺は笑ったが、それはどこか誤魔化すような感じだった。

脳裏にはやはり、目的の分からない戦いがどこへ行きつくのかという不安があり、考えてもしょうがないので、意図的に考えないようにしているみたいな。


「そのハイドラ軍は、いつ?」


「ああ、元々の予定は過ぎてるんだが、どうやら問題があったらしく遅れてる。それでも今日か明日には山を超えてくるはずだ」


「……まさか、雪崩にでもあったのかな」


「雪山だからそうかもしれん。何にせよ姿が見えたら笛が鳴る。そうしたらワシ達は隊列に分かれて、レイジアの麓まで向かうんだ」


ベン爺はそう言って、南の方向を指差した。

僕たちがほうほうの体で越えてきたレイジア山脈には、いつの間にか白く濃い靄がかかり、山頂の様子は見えなくなっている。それゆえにむしろ、靄の中から今にも黒色の軍団が現れそうな気がして、胸の内が冷たくなった。


情報を収集するなら、黒狼軍が到着するあともう少しの間に済ませておいた方がいい――。僕はなるべく不自然にならないよう努めながら、兵士の数や、どういう人材が集まっているかを尋ねた。ベン爺は何の疑いもなく、自分の知っていることを教えてくれた。頃合いを見て、もう一歩踏み込んだところまで聞いてみる。


「レイジア山脈の麓まで行って、軍が合流して、それからどうなるの?」


「さあ、我々には分からん。なにぶん特別なことだから、不用意に情報を流せないんだろう。ただ――」


ベン爺は、一瞬辺りを気にする素振りをしてから言った。


「少し前から、ラザル渓谷に向かう道が整備されていると聞いた。木が伐採され、整地がされて、通りやすいようになっているんだと。今回のことと関係があるかは定かじゃあないが」


「ラザル渓谷……?」


すぐにどこか思い当たる。

それはグラスタークから北東――、森を抉るように伸びる大渓谷だ。両側を深い森林に挟まれ、足元も崩れやすいので、普段なら商人さえ通ることを嫌がるような悪路だ。しかも、ここから王都をまっすぐ見た時、道を逸れている。


「何の為? どちらかと言うと海岸沿いに、ナラザリオに向かう方向……」


無意識にそう呟いて、ハッとする。

嫌な想像が思い浮かんだ。


「そう言えば、領主様の娘がナラザリオのご子息と婚約を結んでいるな。ひょっとすると、何か関わっているのかもしれん……。ん、どうした? ひょっとしてお前さん、ナラザリオが出身か?」


まさか僕がその「ご子息」だと勘づいた訳ではないだろうが、鋭く事情を察したらしく、ベン爺はもう一度、励ますように僕の肩を撫でる。


「さっきも言ったろう。今回のことで血は流れないし、ナラザリオが攻められることもない。他でもないマルドゥーク様がそう仰ったんだ。『これは大義ある重要な作戦である。だから疑わず進め』とな」


「!」


僕は思わず顔を上げる。


「マルドゥークが?」


「これ、敬称を付けんか」


「――それは、本人が皆んなの前でそう言ったの? この戦いは大義がある、血が流れることもないって。なら、その本人は今どこにいるの?」


「ワシが直接聞いたわけじゃない。人伝てだ。

……しかし、何故そんなことを聞く」


「その言葉が信じるに値するのか、確かめる為だよ」


「こら、滅多なことを言うもんじゃない。兵隊長はこんなところには滅多にいらっしゃらない。ハイドラが間もなく到着するんだ、なおの事お忙しいに決まって……」


ベン爺はそう言いつつ、眉根を寄せて、考えこむような表情になった。


僕はその顔を見て、兵士たちの士気が揺らぎうると確信する。


フィオレットが言った通り、兵士たちの精神的な支柱は、ほかでもないマルドゥークだ。実は彼がこの戦いに反対し、監禁されていることが知れれば、多くの兵が動揺し、歩を止めるに違いない。


そこへちょうどよく、食事を終えたらしいスピンとバーズビーが帰ってきた。

僕は相変わらずガチャガチャ騒いでいる2人を手招きし、耳打ちをした。

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16年間魔法が使えず落ちこぼれだった俺が、科学者だった前世を思い出して異世界無双 ねぶくろ @nebukuro

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