人生とは妥協すること

@nononob

第1話

スターチス

暗い暗い闇の中。長い夢を見ていたようなふわふわする感覚を楽しんでいた。自分は一体闇の中で何をしていたのだろう。

「ここはどこかな」

呟いても反響する様子はない。密室に閉じ込められたわけではないと悟りまた考える。ここはどこだ、と。

とりあえず走ってみようかな。あ、もしかしてぶつかる?死んじゃうかな。上半身だけ起こしぐるぐる考えては行動に移さずただ座っている自分。

何かあったような何もなかったような感覚。ただ死んではいないと感じているのは自分の体温があるからだ。握りしめた拳が温かい。

ほっと一息つき、握りしめていた拳を緩くする。よほど緊張していたのか、掌に爪の跡がついている。なんだ、情けない。

まあ、体温があっても死んでいないわけではないが。そういう定義に、いろいろな定義に当てはめるのが人間の悪いくせだな。

人間という文字を思い浮かべるとピキッとこめかみから音がした。なんだ、どうしたんだ。人間が嫌いなのか。自分も人間だろうに。

今まで冷静な人間だと思っていた自分が少し動揺するのを感じて不思議に思った。自分が何をしていたか不確かなため自分でさえ疑う要因になっている。馬鹿馬鹿しい。早く行かねばあの子の元へ。寂しがっているはずだ。愛を求めている子だからな。自分がいなくては。

焦りからか頭がすごくぐるぐるする。なんだ、もういい加減にしてくれ。自分は何がしたいんだ。苛ついているのが自分でも分かる。

壁でもあるなら叩いてまわろうか。そのためにはまずこの暗闇がどこまで広がっているのか確かめなければならない。ポキポキ、と体を鳴らす。息を吐き踏み出そうとしたその刹那チカっと何か光った気がする。暗闇の中だから太陽と月みたいに反射するわけではない。では何なのか。もしかしたら出れるかもしれないなとズカズカと恐れもせず光るものへと近付く。

「これは、、鍵?家の鍵か?」

魔法使いが使いそうな、でも秘密箱の鍵のようなちゃっちい作りだ。何だ出れると思ったとに。拍子抜けだ。期待を返してくれ。

その鍵を手放そうとしたほんの一瞬。強烈な何かが迫ってくるような気配がした。冷や汗が止まらず震え出す。何だ、やめてくれ。やめてくれよ。一体何なんだよ。何をしてほしいの。教えて。何かに怯えていたら、ぐわっと後ろか前かどちらからか勢いよく何かに包まれた。

「起きたと」

「、、、誰」

「はぁ。何言っとっと?しかもボーッとした顔して。あんたまで頭おかしくなっとっとね?」

誰なんだろう。この失礼そうな女。いや急に人におかしくなったかと問い詰めるなんてもうこれは失礼に値するだろ。訂正する失礼な女だ。

「こっち見らんでよか。天井見て休んでろ」

ただ視線を向けていたら睨まれた挙句、この言いよう。何したんだよ。意識を天井に向けてまた考える。そして自分が布団にきれいに仰向けに寝ていたことを確認する。特に不調ではないので起き上がろうと考える。上半身だけ起こすと女は慌てた振りをしたがすぐにそっぽ向いた。

「あと十分ぐらいで始まる。あの女も来てたし気が動転してたんだろうね。途中で倒れたよ侑。だから少し遅らせてもらってる。」

何が始まるんだ?そして今何と言ったか?あつむ?あつむ。あつむ。そうだ、俺はあつむだ。朝木侑。

噛み締めるように名前を脳に叩き込む。俺の家族構成は確か、と自分の下半身に女がかけてくれたであろう分を見つめながら考える。

「な、何?まだどっか痛いわけ?」

おそらく心配していろいろ聞いてくるがとりあえず今は脳内から排除する。俺は誰と暮らしていたんだっけか。一人か?いや違う。親がいた。幸せな生活だったと思う。公園に行った。ホームビデオをまわす笑顔の母親。俺を軽々と担ぐ父親。

「ねえ、ちょっと?意識ある?どうしたと?」

不意に女の声が入ってきた。標準語ではない。方言。聞き覚えがる。どこだ。そうだ。これは長崎だ。覚えてる。自分が県民だったのだから。昔の家族旅行やデートスポットはハウステンボスだ。ココウォークもあるが一番訪れたのはハウステンボスだ。次々と出てくる自身の経験の記憶。引き出しから急に何かがブワッと出てきて止められない。止まらない感覚。

「え?どこ行くと?侑!」

何故かいてもたってもいられなくなって布団から飛び起き走り出した。自分に明確な意識があるわけでもない。ただ何かを求めてあるところまで走る。目的地店は脳が知っている。だから体を動かしているのだ。走っているといろいろなスーツの方々が見えた。不思議そうな、人間特有の好奇心を含んだ目をして見てくる。何だよ。誰だよ。ちらりと視線を向ける。スーツの形はバラバラ、年齢層もバラバラ。でも共通点があった。女性は首に真珠をつけていたり、みんな黒い服を着ている。何故だ。仮装パーティーか。こっちは忙しいのに。楽しそうだな。違う。知っている。今日が何の日か知っている。

「侑!ちょっとあいつ捕まえてさ!」

先ほどの女が後ろで叫んでいる。本当に何なんだあの女。

後ろで叫んでいる女を見ながら進んでいると壁とご対面した。どうやら一本道はここで終わりのようだ。ぶつかった体を擦りながらふと見渡すと右か左に分かれていた。迷うことなく右を選んだ。何故か?もう分かるだろう。脳がそういう命令を下すからだ。右に少しずつ進むにつれて心拍数が上がっていく。何か嫌だ、この心臓を鷲掴みにされる感じ。それでも非情なことに体は止めらない。脳が命令を下すから。

白くきれいな花が見えた。

誰かいるのか?いやいない。はこの後ろにはただ女性の写真が飾ってあるだけだ。大きい額縁に入れられた女性。すごい美女だ。何だ。広告アイドルか?いろいろ考えながら進む。そして箱の中に人が入っていることを認識した。心臓が出るほど驚いたが顔や声には出なかった。ただ後退りした。この女性の顔を見た瞬間ひどく動揺した。冷や汗が止まらない。心臓が痛い。握り締めている拳が痛い。爪が食いこむ。また暗闇の中に戻るような感覚。視界の端から黒く染まっていく。どうしても忘れたい記憶。思い出したくない。信じたくない思い。でもそんなこと言ってられない。

そうだ。何で忘れているのだ。大事なことだろう。

「あ、あ、、、」

喉から出たのは獣のような呻き声だけ。しゃがれ声を出しながら箱に近づき、箱の中に入っている女性の顔を触る。この人は、この子は日菜。太陽のような明るい子だ。そうだ最近デビューした新人アイドルだ。昨日死んだのだ。突然自殺したのだ。今日は火葬の日だ。

そして、俺のたった一人の家族の妹だ。​

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