秘花の試み

藤枝志野

1

 オットはタラという名を与えた。一方で自分は名乗らず、自分を先生と呼ぶよう伝えた。タラはさしたる感想も意見もない様子で了解した。タラの頭の中を満たしているのは、名前などという馴染みのないものではないのだった。


「やっと旅に出られたっていうのに邪魔するなんて、一体どういうつもり?」

「外は危ないんだ」

「危ない? 危なかないさ。ずっと外にいたからそのくらい分かるよ」


 タラはまくしたてた。綿のような白い髪が窓からの光に輝いている。


「こんな狭苦しいところに閉じ込めるなんて。せっかく一番に飛び出したのに、兄弟たちは今頃うんと遠くまで行ってるだろうね」

「ここにとどまるんだ」


 オットは首を横に振った。


「ここにいても色々なものを見聞きできる」

「こんな暗いところで?」

「もちろんだ」

「本当に?」

「約束する」


 タラがひょいと立ち上がった。オットはあわてて元の椅子に座らせた。床に書かれた、タラを囲む赤黒い魔法陣が、においも音もなく煙をくゆらせていた。



     ×



 オットは毎日タラに本を読み聞かせ、実験道具を見せて簡単な説明をした。どちらもあまり興味をひいていないようだった。親しい友人が訪ねてきた時は、オットは書斎に鍵をかけて迎え、書斎が片付いていないからと言って居間に迎え入れた。たわいのないことを二、三話題にした後、友人はいくぶん声をひそめた。


「そういえば君、まだ続けているのかね」

「何を」


 オットは問い返した。友人は机に人差し指で円を描いた。オットは何も言わずにうなずいた。


「こればかりは感心しないよ。君の身が危ない」


 オットは仕方がないのだとでも言いたげに唸った。話を再開してしばらくしてから友人は帰った。


 オットが書斎に帰るとタラが読み聞かせを求めた。オットは短いおとぎ話をいくつか聞かせた。退屈していたのかタラはさらにねだった。オットは水を一杯飲んでから本を再び手に取った。ページをめくっていると机上の小さな鐘が鳴った。オットは書斎を出、閉めた扉に鍵をかけてから玄関に向かった。玄関を開けると揃いのローブを着た三人が硬い表情をしてそこにいた。オットは自分の顔にもこわばりが走るのを感じた。


「こういう者です」


 一人が懐から青いブローチを出してオットに示した。後ろの二人はオットの頭越しに、家の中へと視線をめぐらせていた。


「あなた、禁じ手を使いましたね」

「なんのことですか」

「失礼しますよ」


 ブローチの男はとっさに伸びたオットの腕をかわして家に入った。残りの仲間もそれに続いた。


「ちょっと」


 三人は用心深く目を動かしながら粛々と居間を横切った。


「タラ」


 オットは叫んだ。三人の最後尾を歩く男がオットの方を振り向いた。


「窓を開けて外に」


 言い切らないうちに最後尾の男がオットをつかんだ。オットはよろけて押し戻されながら


「外に」


再び声を張り上げた。


 ブローチの男が扉を叩くと、扉の鍵はやすやすと開いた。書斎には誰もいなかった。オットは開け放たれた窓のそばに彼の服が引っかかっているのを見た。その服から綿毛が一つ飛び立った。床に淀む煙が消えた。




 終

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秘花の試み 藤枝志野 @shino_fjed

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