第1話  オープンクリフ

音沢 おと

第1話

   オープンクリフ

                                音沢 おと


 道幅が狭くなってきた。

 舗装がされておらず、車のタイヤの小石を踏む音が響く。

 両側には、椰子やサトウキビの葉が茂っている。ここで対向車が来たらどう避けるべきか、考えも出来ない。

 桜子は、レンタカーのハンドルをギュと握りしめた。

「ねえ、桜子、道、違うんじゃない? おかしくない?」

 助手席の美佳が、声を上げる。

 おかしいと、桜子だってとっくに思っている。

「でも、ナビに従って曲がっただけだよ」

 桜子はハンドル左のナビを確認しようとするが、そんな余裕はない。

 先週、免許をとったばかりで、実習車以外は初めてだ。旅先の離島ならば大丈夫だと運転を引き受けたのだ。

 友人の美佳は、免許を持っていない。何しろ、大手企業の創業一家のお嬢さまなのだ。誰かが運転してくれる。それに、東京では車に乗るよりも、公共交通機関の方が早い。

「ねえ、桜子、どんどん、狭いとこに来たけど」

 古いブロック塀が両側に迫る。奥には、板張りの一階建ての小屋のようなものが見えた。

 美佳は、それでもお嬢さま特有のおっとりした雰囲気で、

「わー、この辺り、すごく狭い。高校のときの社会の資料集に載っていた、ほら、なんだっけ、戦争時の村みたい」

と、はしゃいでいる。

「美佳、ちょっと、ナビ見て」

 桜子のハンドルを握る手が、汗ばんできた。

「えー、自分で見れば?」

「見れるくらいなら、見る。じゃあ、音声ガイドにして」

「えー、どうやってやるの? 私、ナビとか、使ったことないもん。一度、停まったら?」

 美佳の言葉に、バックミラーをちらりと見る。背後に車はいない。

 第一、すでに細い道に入ってから、何度かカーブした。

 もし、急に後ろから車が来たら焦る。それ以上に、前方から車が現れたらアウトだ。

 避けるところはないし、バックで長々と道を戻る技術はない。

 ただ、早くここを通り過ぎて、オープンクリフに行きたいだけだ。

 今年新卒入社で、お盆休みに美佳とこの南の島に来たのは、それが目的だった。 

 森から空と青い海が見える崖、「オープンクリフ」。

 そこを訪れ、祈ると人生が開けると聞いた。

 桜子は、五十社受けてようやく受かった会社では総務部だ。大手医療機器の関連企業だった。名前だけは、祖母の介護用品でよく知っていた。祖母も、アフターサービスの営業さんが優しいと、いつか桜子に話したことがある。

 だが、桜子は毎日、コーヒーサーバーや、来客のお茶出し、備品の管理などをしている。会議室を使用するときは、ホワイトボードも新品のようになるまで拭く。一つ一つは実につまらない事なのに、やるべきことだけは多岐に渡る。その上、些細なことばかりなので、仕事をしている、とみなされないのが、やりきれない。

 人生を開きたい。

 テレビで観た、オープンクリフに行けば、なんだか切り開けられるような気がしたのだ。

「ねえねえ、桜子、ナビいじったら、消えちゃった。つかない。やだ、機種、古いんじゃない? ご臨終、って感じ」

 美佳が声を上げた。桜子の視界の端に、合掌をしている美佳が見えた。

 どこをどう触ると、ナビが死ぬのだ。桜子は小さくため息をつく。

 納得いかない。

 仕事が上手くいかない自分に対して、美佳は大手商社の広報にいる。コネというのは言われなくても分かる。花形部署で、今はアシスタント事務らしい。もっとも、同じ大学のグローバルキャリア学科で、美佳はこう見えても商業デザインのセンスだけはよかった。よく褒められていた。

 だけど、やっぱり、納得はいかない。

 大学時代、ほわっとした美佳とはなぜか気が合い、カフェでよくお茶したり、ディズニーも行った。夢の世界にいる美佳は、本当に夢そのもののように、ほわっとしていた。

 あ、よく考えたら、美佳とはリアルなことでは、気が合っていないかもしれない。

 道は、まだ狭いまま続いている。

 板張りの小屋のような家が左右に見えてくる。密集してくる。どれも、南国の暑さや潮風を受けているためか、ひどく傷んでいる。

「ねえ、桜子、ほんとに、こっちにオープンクリフ、あるのかなあ」

 美佳の声が少し沈んできた。

 ようやく、不安を感じてきたか。

 桜子は汗ばんだハンドルを動かし、カーブを曲がる。

「わっ」

 山吹色が目に飛び込む。

 カーブの向こうの塀の前で、山吹色のサンドレスを着たおばあが座っていた。

 ただでさえ狭い道に、おばあがいたら、通りにくいじゃないか。

 桜子はスピードを落とし、おばあの前を徐行しようとする。

 おばあと目が合った。ぐいっと、口元を広げて、笑ったような気がした。

「あっ」

 桜子が短く叫んだ。

「どうした?」

 美佳が訊く。

 答える余裕などない。

 おばあが、実家の祖母ちゃんと瓜二つだったのだ。

 昨年の夏に心筋梗塞で亡くなった祖母ちゃん。いい会社に入れるといいね、と言い続けてくれたけれど、内定をもらう三日前に倒れ、そのまま逝った。

 優しそうな目元と、ぐいっと笑う感じ。

 祖母ちゃんじゃないか。

 そう思ったとき、山吹色のサンドレスのおばあは立ちあがり、車の脇にどいた。

 桜子は、ゆっくりと通る。おばあが心配そうな顔で桜子を見る。通り過ぎるとき、おばあの口元が動いた。

「大丈夫だからな」と確かに聞こえた。「あんたは、大丈夫だ」

「えっ?」

 桜子は細い道を通り過ぎていく。両側に塀のある道は、次第に広くなっていく。

いくつもあった古い小屋のような建物がまばらになっていく。椰子とサトウキビの葉が茂った場所に出る。陽射しが遮られて薄暗い。

 桜子はカーブを曲がる。一つ、二つ、三つ目で、道は急に開けて、アスファルト舗装された通りに出る。

「やっと、広いとこに出たー」

 助手席で美佳が万歳のようなポーズをとっている。

「あ、桜子、看板あるよー。オープンクリフ、こっちだって。あと五百メートル」

 広い通りには、ペンキで手書きの矢印があった。

 よく考えたら、この道、あの集落に入る前に通っていた道だ。つまり、あのまま細道になんて入らずに、ただ走っていればよかったのだ。

「なあんだ。ナビめ。なぜ、あんな道に案内したんだよ」

 桜子は呟く。

「でも、ちょっとおもしろかったね。異次元に迷い込んだみたいで。あんな細い道、走るなんて、桜子、なかなかやるじゃん。腕いいね。この、しっかり者―」

 美佳の声が笑っている。コロコロと、なんだかすごく楽しげだ。

 ああ、そうだ。私、美佳のこういうところが好きだったんだ。

 ほわっと天然で、明るい。

 悪意なんて、この子にはない。たまたま、恵まれたところに生まれついただけ。嫉妬するなんて、おかしなことだ。納得するしないは、私側のことなんだ。

 桜子は、少しだけハンドルを握る手を緩める。

「ねえ、美佳。それにしても、あのおばあ、びっくりしたね」

「おばあって?」

「ほら、集落で山吹色のサンドレス着ていた、おばあだよ。心配して見てたじゃん」

「えー? 誰のこと。誰にも会わなかったじゃん」

 美佳は首を傾げている。

「えっ? ほら、塀の前で、鮮やかな山吹色の……」

 古い建物が奥にあって、古いブロック塀が遮っていて、そんな色褪せた集落にあれほど鮮やかな色があれば、美佳は絶対気づくはず。なんせ、美佳は商業デザインの授業で、色彩のセンス、めちゃくちゃ良かったもの。

 じゃあ、あれは? あれは誰?

 通りは下り坂になる。右手前方に青い海が見えてきた。沖に白波が立っている。

「ねえ、あと二百メートルだって」

 美佳の声が明るくなる。

 オープンクリフ。人生が開ける場所。

 だけど、今なら少しだけ分かりそうな気がする。

 オープンクリフは、私の中にある。

 下り坂が終わり、今度は上り坂に切り替わる。

 桜子は、アクセルを踏み込んだ。   

                                                                了


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第1話  オープンクリフ 音沢 おと @otosawa7

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