エピローグ


「ふあ~。疲れたわ~」


 日本のとあるオフィスビルの一室に眼鏡を掛けた十歳の少女が首を鳴らしながらそう言って入ってくる。


「お疲れ様です、居頃様。お茶をお入れしましょうか?」


 少女に対して、一回りも年上の女性秘書が微笑んで彼女をねぎらおうとする。


「ん~。こういう時はお茶よりもジュースがいいのよね。冷蔵庫から適当なしゅわしゅわ系持ってきて」


 少女は自分のデスクにべったりと突っ伏して秘書に指示を出す。


「ふふっ、居頃様のそういうところは普通のお子様ですね。とても世界を救った天才ハッカーだとは思えませんよ」

「別にいいんじゃないの? 私は表向きには温厚そうなお姉さんキャラ、しかし、真実は小学生の天才ハッカー。かっこいいじゃない」

「温……厚……?」

「何よ。文句がある訳?」

「いえ、なんでもありませんよ。……それにしても、『ソラリス事件』から早半年、サイバーデウス・ソラリスに取り込まれていたプレイヤーたちが一斉に目を覚まし、あの事件の爪痕は徐々に快復へと向かっていますが、一方でサイバーデウスやインターネットに対して不信感を抱いている人々も現れていると聞いています。一企業に生み出された人の手に余るNOAHとサイバーデウスは国連に管理権限が移ってもなお、一般向けのサービス再開は目途が立っていないようですし……」

「だからこそ、この私、【神を改竄する者デウスハッカー】こと、成田居頃が、サイバーデウス対策組織『ICON』の主任となって、毎日毎日国連からの無理難題に答えながら、サイバーデウスたちとの交流を図っているのよ」

「デウスハッカーなどという二つ名は聞いたこともありませんが、居頃様は偉大なことをしていると私は思っていますよ」

「とはいえ、ソラリスのような変性を起こすサイバーデウスが現れないか、日々監視を続けるのは非常に疲れるわ。昔のようにネトゲを楽しむ時間もないのよね。この現実とかいうクソゲーもさっさとクリア出来ないかしら?」

「案外、ソラリスも今の居頃様のようなお気持ちだったのかもしれませんね」

「どうしてそう思うの?」

「ソラリスはオンラインゲームのゲームマスターであったにも関わらず、ゲームのクリアをプレイヤーたちに勧めていました。運営する側としては自分のゲームを多くの人々に遊んでもらいたかったという考えもあったのでしょう。ですが、対照的にゲームをクリアした人々を外へ逃がそうとはしませんでした。居頃様が現実というゲームをクリアしたと考えながらも変わらず現実の仕事を優先しているように、ソラリスも運営として、プレイヤーに遊んでもらいたい気持ちとプレイヤーに飽きられてしまいたくないという気持ちで板挟みになっていたのかもしれないです」

「それを言うなら、神様とオンラインゲームはとても似ているわ。両方とも信者がいなければ存在出来ない。それに人とオンラインゲームの一生もそっくりよ。オンラインゲームにとっての理想的な死にあたるものは人の老衰、つまり、システムが長い年月をかけて時代にゆっくりと取り残されいく最中にプレイヤーから愛されたままサービス終了を迎えることだけど、そんな終わり方が出来るゲームなんてほんの一握り。オンラインゲームって儚い命なのよ。そんなオンラインゲームと一体化してゲームの運営を任されているサイバーデウスはサービスが終わった後のゲーム内で一人孤独に生き続けるか、人の手でゲームごと消去されるかの二択しかなくなる。今はコールドスリープみたいな状態で大半のサイバーデウスをNOAHの内部で眠らせているけど、目覚めた時にプレイヤーが全く復帰してこなくなったオンラインゲームとサイバーデウスは真っ先にその状態に陥るでしょうね」

「だとすれば、ソラリスを初期化されて完全凍結されたエルファリシア・オンラインはもう死んでしまっていると同じような状態なんですね……」

「そうはならないわ」

「えっ?」

「エルファリシア・オンラインは確かにサービスを終了したわ。ソラリスも復活はしない。……でも、異世界となったエルファリシアはたった一人のプレイヤーがいる限り、終わらない冒険は続いていくの」

「それはどういう……」


 怪訝な表情を見せる秘書に少女は不敵な笑みを浮かべた。


          〇 〇 〇


 ある日、青年の元に差出人不明の荷物が届く。

 青年は心当たりのないその荷物に首を傾げながらも封を切って中身を確認した。

 包みの中からは二つ折りの紙が一枚と、ゲームソフトの箱が封入されていた。


 青年の元に届いたゲームソフトはパッケージ版のエルファリシア・オンラインだった。


 エルファリシア・オンラインはソラリス事件の後、すぐさまサービスを完全に終了させられ、パッケージ版はもう市場にほとんど出回っていない。

 青年は二つ折りの紙を開き、それが手紙だということを知る。


『世界を救ったもう一人の英雄様へ。まず初めに、あなたの住所を勝手に調べてしまってごめんなさい。天才ハッカーのサガだと思って許してください。そして、私と共に戦ってくれてありがとう。これは私からあなたに贈るゲームクリアの特典よ。エルファリシア・オンラインが凍結される直前に出来る限り全てのデータをコピーして、ソロプレイ用に調整してみたわ。もうオンラインゲームではなくなってしまったけど、きっとみんな、あなたという英雄が再び舞い降りることを待っているわ』


 エルファリシア・オンラインのパッケージを見ると、タイトルの「オンライン」の文字の上に油性ペンのようなもので打ち消し線が引かれていた。

 青年はすぐさまパッケージに入っていたゲームカセットをパソコンに挿入して、VRヘッドセットを装着する。

 ゲームを起動した瞬間、青年の意識は切り替わり、そこには見慣れたエルフィンの街並みが広がっていた。


「ようこそ、『異世界』エルファリシアへ。初めまして――いえ、お久しぶりであります、銀太郎殿」


 青年をゲームマスターであるサイバーデウス・ディセイブレイヴが出迎える。

 しかし、その口調は青年にとってなじみ深いリッキーのものだった。


「最初にお伺いしますが、この世界にはもうラスボスとなる魔王も、裏ボスとなる女神も存在しません。それでも、またこの世界で冒険をしてくれるのでありますか?」


 青年はアバターの身体となった自分の喉を擦って口を開く。


「ああ。俺は近衛銀太郎。見掛け倒しの勇者なんだから、冒険する世界は平和な方がありがたいな」


 青年がそう言うと、女神は光り輝いてどこかへ消えてしまった。


「あっ! ししょー! おかえり!」

「お帰りになったんですね、せんせー」


 銀太郎を発見したミィルとリィルが彼に手を振る。

 弟子たちの後ろには勇者を出迎えるため、多くの人々が押し寄せていた。

 ネスト、ラタンとその仲間たち、ガンナバルクや冒険者の面々、更には命を落としたはずのドゥーバもいる。

 ドゥーバの隣にはヒシウがばつの悪そうな様子で立っている。

 ナルタロは世界をコピーするだけでなく、銀太郎が望んでいるであろう最良のエンディングを用意していた。


 銀太郎は駆け出す。

 偽りだらけだったこの世界のエンディングの向こう側に――。

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世界を救う英雄なんて見掛け倒しでもなんとかなるはず! Laurel cLown @enban-tsukita

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