誠言 十三言目掲載

未言源宗 『あらゆめ』

 彼の自白を、紫月は瞼を軽く閉じて、聞いていました。

 それは夢波に揺蕩っているようにも見えますし、胸の中の未言を探っているようでもあります。

「実力って、なんだろうね」

 紫月が瞼の中に瞳を隠したままで答えたのは、そんな一言でした。

「自分の思い通りにできたら実力? でも現実は他人がいるんだもの、その遺志は他人のものだわ。誰かを引き寄せる魅力が実力? でも相手が物の価値を本当に分かる人かどうかなんて、わからないし、むしろ値間を自分のいいように開ける奴なんてごまんといるわ」

 ぱちりと、紫月は瞼を開き、真っ直ぐに彼の目に投げかけます。

「どうすればいいのかわからないのね?」

「はい」

 彼は重々しく、とても苦そうに、ずっと胸に渦巻いて想いは、紫月が指摘したそれだと肯定します。

「あらゆめ、ねぇ」

「あら、ゆめ」

 紫月が口にした未言を、彼はたどたどしく繰り返しました。

 それはまだ彼がしっかりと認識していなかった未言であったのです。

 それはだって、未言屋店主が中々、作品として表現してない未言であるから、彼が手にすることができた書籍の中にいなかったのです。

「あらゆめ。抱いたばかりでまだ具体的な道筋のない夢。漠然とした目標や希望、先行きのない未来。あるいはきっかけ。そのままであればあらゆめは形のないまま」

 紫月は、あらゆめの意味を語り聞かせながら、彼を覗くように、或いはその奥の幼い命を覗くように、長し目を送ります。

「あらゆめの粗とは、璞の粗なのよ。あらたま、知ってる?」

 彼は、紫月の出した問いに、眉を寄せて顔を険しくて、そしてすぐに首を横に振って自分の無知を報せました。

 けれど、紫月としては、まぁ、知らなくても仕方ないかというくらいの気持ちなのです。

「粗玉っていうのは、磨かれる前の原石のことよ。地面から掘り返したばかりの、新しい玉。ごつごつと荒々しい玉。宝石としての価値を見いだされる前の粗い玉」

 実際に、原石を見たことがある人は、この世に一体何人いるのでしょうか。その人たちは、きっと原石を見ても、ただの石と思うのでしょう。或いは、あらゆめも、また。

「未言屋店主は、あらゆめは磨くものだと思っていたわ。そしてあらゆめは、磨かれていく中で粗玉が珠となるように、あらゆめが叶った時のことを顕す未言もまたあるのではないかとも思っていたんだけど……」

「だけど……?」

 彼は、紫月が濁した文末を繰り返しました。

 何となく、その曇った表情から、その逆接の続きが分かるような気もしたのですが、あの未言屋店主がそこまでイメージしている未だ言にないものを、未言として昇華してないだなんて、信じられなかったのです。

「だけど、だけども、わからなかったのよ。実は未言屋店主って、あらゆめって未言のことを、あんまり理解できていないんだって、そういう未言の一つなんだって、よく言っていたの」

 だから、未言屋店主が遺した作品で、あらゆめを扱っているものは、酷く少ないのです。

 未言屋店主は確かに、未言というあらゆめを大切にしていたのですが、それをあらゆめとすれば未言はなんとも曖昧で、そのまま失われていきそうで、未言屋店主だけは未言をそんな存在し得ないものだと認める訳にはいかなかったのです。

 だから、あらゆめは、今でも宙ぶらりんな、曖昧なまま遺っているのです。

 それが、未言屋店主だけが抱いた未言であったとしたら。

「でもね」

 紫月がなんとも明るく、また逆接の先に逆接を繫ぎました。

 彼はその声音に、微かな希望を感じて、期待を瞳に灯すのです。

「二条の桜は、未言屋店主とは違うアプローチで、あらゆめの在り方を明らかにしたのよ」

「あ……もう一人の未言屋の、始」

 二条の桜とは、未言屋店主がとある人物へ贈った愛称であり、その人こそ、未言屋店主が最も初めに、自分と同じく未言を理解する者だと認めた人なのです。

 そして二条の桜は時として、未言屋店主すらも漠然として理解していない未言の在り方を見いだして、そこから未言屋店主がその未言への理解を深めることもたくさんあったのです。

 あらゆめもまた、その一つ。

 紫月は一度炬燵から出て行き、そしてすぐに一冊の本を手にして帰ってきました。

 それは一冊の真っ白な表紙の目立つオフセット本であり、未言屋店主が初めて未言屋として集めた人々と共に作った同人誌です。その表紙に掲げられた題名は、『誠言 一言目』とありました。

「ここね」

 紫月は細い指で、もう古めかしいその本を開き、とあるページを指し示しました。

 それは、二条の桜と呼ばれた人物が執筆した『アラユメ楽譜帳』なる小説の一ページです。

「あらゆめ、壊しに来たんだ」

 彼は、紫月の白い指の先にある小説の台詞を詠み上げます。

 壊して、バラバラにして、組み直す。壊れそうなものじゃなくて、形のあるしっかりしたものに創り直す、そのためにはやっぱり一度、壊さないといけない――それが、あらゆめの特性なのだと、小説の中で少年が訴えていました。

 あらゆめを壊すだなんて、言われるよりも前に、彼のあらゆめはとっくに、現実という濁流に呑み込まれて壊されてしまっているのです。

 ですが、壊すのと、壊されるのと、どれだけの違いがあるのでしょうか。

 あらゆめにとって真に重要であるのは、崩れ去ったものを組み直して、確かな形にすることなのですから。

「というわけですよ、青年」

 威風堂々と、紫月は彼に結論を綴じました。

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