ヴァルプルギスランブラー

日出詩歌

ヴァルプルギスランブラー

 ふらふらと、夜の闇を歩いた。左手にはヘッドライト、ショルダーバッグの中にはエアガン。もちろん殺傷能力のあるものではない、玩具の空気銃だ。しかし玩具とはいえ、銃を持ちながら深夜0時の繁華街を歩いている人なんて普通いない。

 何故こんな事をしているのかというと。

 友達の頼み、という事がある。

 お金が欲しい、という事もある。

 あと、単に退屈だったというのも。

「僕の仕事手伝ってくれないかな、お金出すから」

 そう言って真島ましまは俺を非日常に誘った。電話が掛かってきたのは一昨日の三時限の講義の後の事だった。

 俺は、

「いいよ」

 とたった一言で誘いに乗った。彼は無理強いはしていなかったけど、元からそのつもりだった。もし真島が誘ってくれたなら、乗ってやろうと思っていた。

 隣を歩いていた真島がこっそりと呟く。

「そろそろ着くぞ」

 視線の向こうに、闇に紛れて目的地が見える。眠らない街の一角に建つビルだった。真夜中だというのにまだ明かりが点いている。素知らぬ顔でカメラ頼りの守衛室を抜けると、エレベーターに乗り込んで16階の1つ上のボタンを押す。運よく乗員は俺と真島の二人だけだった。

 教育方針のお陰だろうか、真島は良いとこの坊ちゃんにも関わらず、小学生の頃から家柄に捉われずに誰とでも分け隔て無く接してくれる奴だった。そんな彼とは10年来の付き合いだが、彼はごく最近まで俺に隠し事をしていた。

 エレベーターが止まる。俺はヘッドライトを装着し、バッグからそっと銃を取り出す。それからヘッドライトを点け、辺りを照らす。やがて鉄の扉を見つけると、ノブを回してそれを開いた。

 冷たい外気が微かに髪を靡かせる。目を細めると機材が入り組んでいるその向こう側に、現実にいる筈の無いものを確認した。

 魔女だ。

 本物の魔女ではない。とんがり帽子にローブを纏ったような形が絵本に出てくる魔女に似ているから、便宜上魔女と呼んでいる。実際は暗黒色の霧のカーテンに空虚を詰めて膨らませたような塊だ。

 何故現れるのか、その理由さえも分からない。ただ、あれら魔女は周囲の人に悲しみとか憂鬱を撒き散らすものなのだと、真島は言っていた。

「なぁ、確かに魔女は夜の広い空間に出るけどさ…屋上とはいえここ街のど真ん中だぞ。流石に気づかれるんじゃないか?」

「大丈夫。魔女の結界は周囲の気をそらす。たとえ真向かいの家だろうと僕達に気づく事は無いよ」

「前俺に気づかれたじゃないか」

「あれは稀な話だよ。結界に耐性を持ってる人はそんなに多くないから」

 そうだろうか。長い付き合いの友人がこうして耐性を持ってたのだ。世界は真島が思っているよりも狭い気がする。

 魔女は屋上の開けた場所をゆらゆらと徘徊していた。1つ、2つ、3つ…全部で8体いる。

「準備はいいか」

「うん」

「よし、行くぞ」俺と真島は飛び出し、魔女の輪に向けて銃を構える。

 途端、当てもなくくるくると旋回していた魔女が、こちらに方向を変えた。明確な殺意を持って、一直線に飛んでくる。

 魔女の黒く塗り潰したような顔には、生き物と同じ感覚器官が無かった。つまり、目を開いて視覚で把握する事も無ければ、耳を澄ませて聴覚に頼る事も無い。ただ、それとは別の何かで周囲の様子を感じ取っているようで、隠れていようが呼吸を止めていようが確実に向かってきた。

 俺は狙いを定める。

 凶器はプラスチック。引き鉄は軽い。1発、2発と躊躇なく放つ。2発目が標的に穴を穿ち、続けて放った3発目が止めを刺す。形を保てなくなった魔女は灰となって散っていく。続けて右方向から2体目がやって来る。体当たりを難なくかわすと、その背中に4発撃ちこむ。

「危ない!」息をつこうとした刹那、意識の外から真島の声が響いた。

 いつの間にか目の前に魔女がいて、大きな鉤爪の付いた腕を振り上げている。2体目の魔女の後ろにいたのだ。気づいた時には遅かった。俺にはそれを視認する事しかできない。

 それが下された瞬間、右手の甲に痺れるような痛みが走った。

 顔をしかめて地に倒れ、体がごろごろと転がる。痛む箇所を見ると、赤く細い線が広がっていた。

「大丈夫か!くそっ!」真島の声が遠く聞こえる。他の魔女に囲まれているらしい。

 ほんのささやかな痛みが毒のようにびりびりと体を刺す。大丈夫、ただの掠り傷だ。心の中で自らを奮い立たせ、意地を張りつつ素早く立ち上がる。

「お前は俺が消す」鋭く魔女を睨んで、心に刻みつけた。

 近距離では攻撃が飛んでくる。俺は屋上内をぐるりと走って、距離を取った。幸い向こうの足はそんなに速くない。真島から遠ざけ、こちらに引き付ける。

 魔女との距離は7mほど開いていた。俺は振り向いて足を肩幅に広げ、腕を肩の位置まで上げる。

 魔女は逃げも隠れしない。生き物にあるはずの逃走本能が存在しないのだ。あるのは闘争本能のみ。一度標的を捕捉すれば、体が千切れていようがお構い無しに人間に襲いかかる。まるで、破壊衝動そのもののように。

 照準装置が、迫る影の中心を捉える。

 水に深く潜る時のように、すうと息を吸う。

 弾丸は最後の魔女を屠った。後に残った黒い塵が、風も無いのに撒かれていく。

 息を吐きだす。腕がすとんと落ちた。

 真島が歩いてくる。

「お疲れ」俺の肩をぽんと叩いた。

「俺が3体でお前が5体か。やっぱすげぇよ、お前」

 真島はははっと笑って、

「慣れてるからね。そっちこそ前より上達してるよ」

 俺は首を振る。

「怪我してるんじゃ、まだまださ。さて、ここの人にバレない内にさっさと帰りますか」それから大きく伸びをした。

「今日僕んち泊まっていきなよ。報酬もその時に渡すからさ。傷も見ておきたいし」

「言われなくてもこのバイトがある日はお前んちに泊まらせてもらうよ。泊まれば門限を破らないからな」

 明かりと雑踏が途絶えない街の中、俺と真島は帰路につく。

「正直、8体を1人で相手するのは流石に無理だった。いてくれて助かった。こういう事言えるの君だけだよ」

 真島は拳を突き出す。「また次も頼む」

「おう」俺はその拳を拳で小突いて交わす。信頼の証。それは真島の隠し事を知る前も知ってからも、何一つ変わってはいなかった。

 

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