第4話殺人鬼の変容
彼女は次の日、学校を休んだ。次の日も、その次の日も、磯貝天海が登校することはなかった。
あの元気だけが取り柄の天海が、と皆が騒ぐ中で私は、久し振りの静かな一日を満喫していた。
移動教室でのまとわりつきも、お弁当のウインナーを強制的に分け合うことも無くなった。クラスメートとは適度な距離感を保ったまま。孤立することも迎合することもなく私は、皆で授業を受けて一人でお昼を食べた。
私のことを薄情と呼ぶ声も多少はあった――磯貝天海の過剰なスキンシップを西上東が疎んでいたのか、それとも満更でもなかったか、級友たちは都合の良い方向へと想像の船を漕ぎ出してばかりだ。
私は取り立てて反論することも、態度を改めることもなかった。
ただただ当たり障り無く微笑みながら淡々と、「彼女だって人間だもの、そういうこともあるんじゃないかしら?」と答えるだけだった。
それで充分だと私は、それなりの経験から解っていたのだ。私も含めた全ての生命は、いつまでも不変では居られない。
「西上さんの言うとおりだよね、そういうこともあるんじゃない?」
「どっか出かけてんじゃ無いかな、あの子、結構夜で歩いてるって言うしさ」
「彼氏とか居たりして! 顔とかスタイルは良いじゃない、天海って。そりゃあまあ、中身はちょっとあれだけどさ」
「風邪とか引いたんじゃないの? あの子んちってさ、親、心配性でしょ」
「中学の時も何か休まなかった? 家族で旅行に行くとかでさ」
「「「「「それよりさ」」」」」
そうしてやはり想像通り。
二週間に達した時点でクラスメートたちは、お転婆娘の欠席という話題に飽いていた――教師たち、大人たちは心配するような顔をしながらその内心で、自分たちに火の粉を振り掛けようとする身勝手な若者に憤っているだけ。
取り敢えず開いた全校集会で、ついでのように夜間外出の恐ろしさを説いたあとは、どこかで聞いた【いい話】を語って校長は義務を果たしたと信じている。
彼女の母親は、『ちょっと出かけてくる』という短いメッセージに淡い希望を抱いていた。そのか細い希望は、三週間が過ぎた時点で蜘蛛の糸よりあっさりとちぎれてしまったようだが。
磯貝母が駆け込んだ警察は、彼女の望む助けにはならなかった。隣町での事件は聞いていても、だからといって若者の失踪全てを事件として扱うほど彼らは勤勉でも無能でもなかったのだ。
「東ちゃん……何か、聞いてないかしら?」
唯一、磯貝天海の友人として知っていた西上東の元へ彼女は、ある晩とうとうやって来た。「あの子、昔から貴女と仲良かったでしょう?」
「そうですね、天海はいつも、私の後を付いてきました」
「そうよね! あの子、貴女のことばかり家でも話してて……!」
「……でも」
母親の焦燥しきった顔、そこに浮かんだ僅かな希望の赤色を摘み取るのは流石に心苦しかったが。「ごめんなさい、私、何も聞いてません」
その瞬間の彼女の顔から、私は視線を逸らした。
文字通り私が、最後の希望だったのだろう。掴んでいた蜘蛛の糸がいきなり千切れた盗賊が果たしてどんな顔をしていたのか、私は、この目で確認することができたわけだ。
「どんなことでもいいの! どんな、何でも無いようなことでもかまわないの! 何か、何か!」
「……………………」
「何か……」
耐えきれず俯いた私の前で、彼女はとうとう泣き崩れた。
「落ち着いてください、おばさん。きっと、大丈夫ですから」
私は彼女の背中を摩りながら、優しく、優しく囁いた。「天海はちょっと、抜けてるところありますから。きっと、ひょっこり戻ってきますよ。ほら、前にも一人で旅行に行ったりしたでしょう?」
「そう……かしら……?」
「そうですよ。……それよりも私、おばさんの方が心配です。その、ちゃんとご飯、食べてますか? ずいぶんやつれてしまって見えますよ?」
そうだ、と私は台所へ向かうと、冷蔵庫から包みを取り出した。「明日のお弁当にしようと思ってたんですけど、これ、ハンバーグです。良かったら食べてください」
「ありがとう……でも、私……」
「天海が帰ってきたとき、おばさんが倒れてたら意味、無いじゃないですか。だから、食べてください。とっても良い肉なんですよ、ね?」
そう、良いお肉だ。
特別な、良い肉だ。
特別な特別な肉なのだ。
何の肉か知ったら、彼女はどう思うだろうか。
泣くだろうか、それとも怒り狂うだろうか。案外何ともないのかもしれない。
耐えきれず俯いた私は、こっそりと笑った。
「……あら」
磯貝母を送り出して戻ると、私はわざとらしくため息をついた。
「駄目じゃない、動いたら。全く、床が汚れたよ?」
赤い、鉄臭い痕を避けながら、私はリビングから奥の部屋へと進んでいく。「掃除とか、大変なんだからね?」
「ぁ、ぁ、ぁぁぁ……」
耳障りな呻き声と這いずる音に、私は微笑みながら彼女を見下ろした。
「磯貝のおばさん、帰ったよ?」
びくり、と身を震わせる彼女に、私は少し離れたところからそう言った。「勿論無傷でね。私、獲物には拘る方だから」
「う、うぅぅぅ……!」
「もしかして、何か挨拶でもしたかった? だから頑張って、這ってきたのかな? それはごめんね、気が利かなくて……引き留めてあげれば良かったね」
「っ!!」
一際大きく震えた彼女の様子に、私の胸は満足感で満たされた。
見上げる瞳に渦を巻く、様々な感情。その多彩さは素晴らしい――まだまだ彼女は、絶望に染まりきってはいない。
全ての指と左足の太股と右の乳房を切り取られていても。
あぁ、選りすぐった甲斐があった。
「そうだ、料理は食べてくれた? あれ、まだみたいだね? 角煮丼、柔らかいから歯が無くても食べられるよ?」
「…………て」
「味付けは期待してくれて良い、私はしっかりと勉強してきたんだからね。君の好みも、勿論把握しているし」
「…………して」
「その前に、もう一度縫った方が良いかな。無理に動いたから傷が開いちゃってるよ。血抜きは必要だけど、君の方から積極的になって貰う必要は無いから」
「…………うして」
「食事はともかく出血はまずいよ。貧血、それと脱水症状になったら大変だ。あ、君の血を飲ませたらどちらも解決かな?」
「…………どうして」
「冗談だよ勿論、血液の経口摂取なんて二重の意味で危ないからね。それに、無意味だ。輸血は必要な分だけきちんと行うよ、大丈夫」
「…………どうして」
「何?」
「どうしてっ!」
「どうしてこんなことを? そんなの、決まってるじゃないか」
「西上東は殺人鬼だからだよ?」
「…………違うっ!」
そう、違う。
いや、違った。
「けど、もうそうなったんだよ。西上東は生まれ変わったんだ、私の手で」
「違う、違う、違う違う違う違う違う違う違う違う…………お前は、私じゃない! お前は……」
「もう、違うの」
這いつくばる彼女を見下ろして、私は、えっへっへと笑った。
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