第2話殺人鬼の夢

 最近悪夢ばかり、見るようになった。

 奇妙な現実感に満ちた夢の中で私は、誰かを殺していた──深く深く突き刺したナイフの切っ先が肋骨に当たる、不快な手触りまで残るリアルさだった。


 もちろん私は、一般的な感性でその夢に恐怖を感じているわけではない。

 昨今の映像技術を思えば、現実以上に現実的な殺人シーンなど、世の中のあらゆる媒体にありふれている。普通の人だってたかが、夢に怯えることなどもう無いだろう。

 まして私は、人を殺すことを夢見て生きているのだ、震えの一つさえ、あり得ない。


 だが夢というのは、あくまでも個人的なものだ──全ての人間に各々の悪夢があり、脳は的確にその弱点を刺激する。


 私にとっての恐怖の根元は。

 









 決意してからずっと準備ばかりを繰り返してきた慎重な私でも、流石にそろそろ【万全】の文字がちらつき始めた中学二年の冬からこの、ひどい悪夢は始まった。


 ステージは、様々だ。

 学校のように見知った場所だったり、ルーブル美術館のようにテレビで見たことがあるだけの場所だったり、果ては全くの架空の場所であることもあった。

 共通点はどこも無人であることと、見上げる空がいつも曇天ということ。そして、夢の中の私はそこで待ち受けるを楽しみにしているということだった。


 鈍色の空から視線を戻して、私は入場する。

 軽い足取り、上機嫌な鼻唄、右手に構えたナイフ。らしくない大胆さで刃をひけらかしながら、私は奥へと進んでいく。

 やがて、出会う──そのに。

 誘うように揺れるスカートを、コートの裾を、長い髪を私は、昂揚に酔いながら的確に追い詰めていく。手間は掛からない、夢らしい全能さは私に完全な地理感覚を与えていて、頭の内側では常に地図が浮かんでいるような有り様。対称的に逃げる彼/彼女は時折閉じたままのドアや窓に阻まれて、徐々に、先攻のアドバンテージを失っていった。


 やがて私は追い付いて。

 獲物を押し倒すと、待望のステーキにナイフを突き立てる、何度も、何度も。

 ……動かなくなった獲物の髪を、漸く興奮の収まった私は引っ張り、俯せになっていたその顔を観客に晒す。


 そこで私は絶叫して目を覚ますのだ。

 何故なら。

 晒された顔は──鉛筆でぐちゃぐちゃと乱雑に執拗に塗り潰したように、黒い雲に覆われていたのだから。









『まるでのっぺらぼうですね』

「……のっぺらぼう?」


 不快な汗をシャワーで流して髪を乾かしながら、私は交流系SNSのチャットに首を捻った。自分の望んだ姿──アバター同士で交流する、匿名性の高いサイトである。

 良くする【レウム】はいつものように堅苦しい文体で、私の夢にそう感想を述べた。


『古い怪談です、声を掛けた相手が振り向くとその顔は、目も鼻も無いつるりとしたのっぺらぼう。慌てて逃げて、漸く駆け込んだ先。ホッとしながら助けを求めた相手も同じく、無貌の怪物だったというお話ですよ』

「なるほど」


 匿名の、それも互いに許可し合った相手としか出来ないチャットルームとはいえ、私の嗜好を伝えるわけにもいかない。

 結果として私の悪夢は希釈され、【追い掛けた相手に顔が無かった】という夢として【レウム】には伝えてある。

 そう考えると確かに、似てはいる。


「博識ですね」

『僕の世代にはこうした、怪談や民話が流行ったのですよ。推理小説や娯楽小説のテーマに頻繁に、取り上げられていましたから』

「見立て殺人とかですね」

『博識ですね』

「ミステリーが好きなだけです」


 殺し方の参考になるので、という本音は隠しつつ私は答えた。


『この怪談はいわゆるの典型です。同じ怪異に何度も繰り返し会う恐怖を描いた、怪談なのですが……どうもそれを恐れているわけでは、無いようですね』

「えぇ、実は……顔がないということ自体が、怖かったんです。あれだけ追い掛けていた相手に顔がないなんて、まるで──」


 


「私、追い掛けていました。一生懸命えも……のことをそれはもう真剣に。どっちに行くだろう、どこで曲がっただろう、そんなことを考えながら、相手の気持ちになりながら。一生懸命、一生懸命追い掛けたんです、なのに……顔がないだなんて!」

『なるほど』

 黒いハンチングを目深に被った【レウム】のアバターは、微笑みを絶やさずに頷いた。『夢は無意識の願望と言いますからね』

「そうです」

『あなたは無意識の願望を恐れているのですね――あなた自身がと思っているのではないかと』

「そうなんですっ!」


 思わず私は、通じないとわかっているのに歓声を上げた。ボイスチャットにするつもりはない、声もまた情報の一つなのだから。

 知りたくないし、知らせたくもない。

 【レウム】は最低限の動作で私に同意した。彼のアバターは口ぶりと同じく紳士的なアクションしかしない。その余所余所しい丁重さが生む距離感が、私はとても好きだった。


『無個性、没個性。誰でもない相手を追い掛ける夢にあなたは、自分自身に拘りが無いのではないかと感じたのですね? それが、とてもとても恐ろしいのですね』


 私が準備を怠らずにここまで来て、ようやく、準備ができたと思えるようになってもまだ実行に踏み切れない理由。それが、それこそが拘りというものだった。

 拘っているのでは無い――私はまだ、拘りを知らなかった。









 私の願望に水を差すのが世論の身勝手さならば、憧憬に唾を吐くのは殺人鬼側に存在する行為だった。


 昔から、私が書籍や新聞やでしか見たことの無い昔から今に至るまで、人殺しは数多く存在する。

 実在する。

 その武勇伝の多くに私は興奮したが、しかし、珍しくも無い頻度で登場する言葉が私を萎えさせた。


 アルシトルア州のカカリア・【拾い食いピックアッパー】・クリリアンは、現場に落ちていたあらゆる道具を凶器として悪用し、警官に射殺されるまで実に十一人をそれぞれ異なった方法で殺害した、二十世紀でも指折りの殺人鬼だが――伝えられた彼女の最後の言葉は、最悪だった。

 彼女はこう言った。



 カカリア・クリリアンの犠牲者はその全てが十歳未満の子供だった。

 人種や家庭環境、男女の区別こそ無かったが全て、子供だった。


「別にそれはどうでもいい」


 私だって肉が好きで野菜は嫌いだ。

 バイキングにいけばローストビーフとステーキ、唐揚げの往復になる。サラダコーナーに行くのはおろしドレッシングを掛けたいときだけだ、他には野菜など、けして食べない。

 好みは人それぞれにある。

 彼女が子供専門の殺人鬼だとしても私は嫌悪しない。子供が好きで殺していても、殺していても。

 それは好みだ。

 殺人鬼は殺人ではない、殺人だ。殺人に選り好みする権利があるし、そうするべきだ。


 カカリア・クリリアンは言うべきだった――子供を狙って殺したのだと。


 なのに彼女はこう言った。

 誰でも良かった、嗚呼、誰でも良かった!?

 


「殺したいのならそれでいい、子供を狙って殺したのならそれでいいじゃないか。弱そうだから、殺せそうだから、そんなのだって構わないだろう。なのに、なのに、なのに」


 自分の本性に忠実で無ければ、鬼とはいえない。

 着飾ってごまかすのは獲物を探して溶け込むときだけでいいのだ、けして、に言い訳する必要なんて無い。


 私は、けしてそうはならない。

 選り好むと決めている、狙い澄ますと決めている。

 誰でもいいのなら本当に、誰でも殺すと決めているのだ。





 だから私はまだ、殺人鬼になれていない。

 私は、私の拘りを知らなくてはならないのだ。

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