第3話殺人鬼の好み

 私は料理が好きだ。

 熱したフライパンに油を引いて炒めたニンニクの香り、ベーコンの焦げる匂い。パチパチと跳ねる油の音を聞くだけで、食欲をそそられる。


 好きな部位を好きなように、好きなだけ用意できるというのも魅力的だ。コンビニで弁当を買うのと同じくらいの金額で、500gくらいの量の肉を、お腹いっぱいになるまで食べられる。

 味が既に付いているパックなら手間も掛からないし、失敗も無く気楽だ。休日の昼食みたいに、手を掛けずに量を得たいときなど重宝する。


 焼き肉もだが、シチューも好きだ。

 夕飯の、時間がとれるときにぐつぐつと煮込まれている牛肉を眺めていると、想像できていい。いったいどんな味になるか、柔らかいか、それとも堅くなってしまうだろうか。

 鍋の蓋を開けるまで、シュレディンガーのすね肉はどんな料理にも変貌する可能性があるのだ。待つのは、待たされるのはとても、とても楽しみだ。


 段取りを組み立てるのが好きだ。


 野菜を切って、火を通しながら肉を切って。

 米が炊き上がるまでのその時間。いかに順序良く作業を組み立てていくか。主菜、副菜、汁物、主食。手間や機会を考えて、積み上げて、同時に出来上がる瞬間は圧倒的な達成感に満たされるものだ。


 盛り付けるのが好きだ。


 見た目も味付けの一つだ、カラーリングを考えた一皿とただ載せただけの一皿では、同じ料理でもまるで違う味わいを、食べ手は感じるものである。

 創意工夫を凝らして飾られた料理は、視覚だけで美味しさを与えられる。


 片付けが好きだ。


 ソースや脂、焦げ、こびりついた汚れを洗い落としていくのは快適だ。

 食事は本能だ。食後の皿を綺麗にするのは、本能の痕跡を押し流すのは、良い。鬼から人へ、戻っていくようで心地よいのだ。


 料理が好きだ。

 あとは――









「おっいしぃい!」

「なんて?」

「めっちゃ美味しいよあづちゃん!」

 角煮を呑み込んだ天海が、満面の笑みで私に言う。「何か、本物っぽい!」

「本物って何?」

「偽物じゃ無いってことだよぉ」

「そりゃあ、本物でしょ。本当の肉なんだから」

「そういうことじゃなくて、なんて言うの? 本当の、お店で出てくるような味ってこと」

「そう? レシピ通り作っただけだけど」

「だとしたらすごいねレシピ! アタシ、レシピ通りに作ってもうまくいったことないもん!」

「それはレシピ通り作ってないんだと思う。手順を変えたり、素材を代用したりしてない?」

「え、あづちゃん調味料とか計って料理作るの?」


 私はため息をついた。

 端からタレを垂らす天海の唇を拭うと、彼女は嬉しそうに笑う。


「えへへ、ありがとぉあづちゃんっ!」

「部屋にだけはこぼさないでね。片付けが面倒なんだから」


 はーい、と元気良く答える天海を、私はじっと見つめる。その頬、首から腹に掛けての肉付き。

 悪くは無い、だが。


「なあにあづちゃん、何か、目つきがやらしー」

「……」


 だが、まあこれはないか。

 身近すぎるという実務的な理由もあるが、何より彼女の性格が強烈すぎて、のだ。


「別に、ただなんか、また太ったかなって思って」

「酷っ! え、照れ隠しだよね、そうだよね?」

「いや、隠すような恥、私の人生には存在しないから」

「一生で一度くらい言ってみたいその台詞! 恥の多い人生をアタシなんて、送ってきたのに!」

「ちょっと待ってね、あれ、体重計どこに行ったかな」

「やめて! 箱を開けない限り私の体重はあらゆる可能性の権化なんだから!」


 ぎゃあぎゃあと喚く彼女は、とても人間らしい。

 私の憧れる【料理人シェフ】の中には、人間食材にするという方々もいるが、私自身はどうもそうでは無いらしかった。

 だって、人は人だ。

 人間は人間同士で寄り添い、支え合い助け合い貶し合い貶め合い、傷付け合って癒やし合って生かし合って――


 殺すなら、殺されるべきだ。

 一方的に消費される食材とはやはり、違う。


 事後の処理に食事というのは、確かに合理的だし優美だし自然だが。それをするのは私の拘りにはどうも、しっくりこないようだ――例えば。


 









「そろそろ帰るね、ご馳走様ぁ、あづちゃん!」

「はいはい、お粗末様」


 すっかり遅くなっちゃった、と笑う天海を玄関まで見送る。

 彼女らしい、リボンで飾られた可愛らしい靴をもたもたと履きながら、彼女は首をかしげる。


「あれぇ、送ってくれないの、あづちゃん? もう遅いし、辺り暗いのに」

「歩いて五分でしょ、うちのマンションはオートロックだから中で襲われることも無いだろうし」

「えー、でもでも、怖くない?」

「小学生じゃ無いんだから、帰り道が怖いだなんて」

「だって今は例の……【連続失踪事件】があるし」

「連続、何?」

「連続失踪事件。知らないの? あづちゃんそういう、警察丸見え24時みたいな話好きなのに」

「……まあ、好きだけど」

 自分の趣味嗜好を知られていたことに軽くショックを受けながら、それでも私は好奇心に負けて、そう問い掛けた。「何それ、そんな話あるの?」

「ま、隣町の話だけどね。女の子がある日突然、消えちゃうんだって」

「誘拐?」

「その痕跡は無いって。何か、あるじゃない怪談で。食べかけのパン、湯気を立てるコーヒーカップ、みたいな? 争った痕跡とか、侵入者とかの痕跡も無くて、ただただ消えるの。消える直前まで、確かにそこで生活してた痕跡の方は残ってるのに」


 消えるの。


 普段の明るい調子では無い天海の、淡々とした口調は私の背筋を少し、ひやりと撫で上げるには充分な温度を持っていた。

 靴を履くために伏せられた、顔。

 なんとなく見えもしない天海の顔が、得体の知れない何者かと入れ替わっているような、そんな錯覚さえ感じるほどだった。


「まあそれだけなら、単なる家出だろうけど。消えたのって中学生とか高校生とか、【夢見がち】な年代だったから、皆」

?」

「みんな。えぶりわん。言ったでしょ? 失踪事件だって。確か……隣町だけで五人だって、あ!」


 やっと履けたぁ。


 歓声と共に上げた顔は。

 いつもの天海の、馬鹿みたいに人間らしい笑顔だ。さっきの冷ややかな未知は影も形も無い。


「ね? 怖いでしょ怖いでしょ? かわいいかわいい幼馴染みを一人きり、夕暮れの町に放り出すのがどれだけの悪徳か、分かっちゃったんじゃない!?」

「別に」

「えー、アタシアタシ、消えちゃうかもしれないんだよ?」

「だって、別に怖くはないし」

 少なくとも私は怖くないし、それに、天海自身が言っていたではないか。「結局家出でしょ? 五人ってのは確かにちょっと多いけど、いつかひょっこり帰ってくるんじゃないの?」

?」


 言わなかったっけと、天海はきょとんと。

 あれ今日って中間テストの日だったっけ、と言った高校一年のあの日のように、心の底から不思議そうに目を瞬いた。


 そして、言った――消えた少女たちが、戻ってこない理由を。


「だって――

「見つかったって……何が?」

「えっへっへぇ、ってことは、あづちゃんも少しくらいはピンと来ちゃってるんじゃない?」


 と。

 事も無げに彼女は語る――自分自身から最も縁遠いものを語るように、無責任な好奇心を滲ませて。

 天海が特別なわけでは無い、普通に生きている限り誰も、死を身近に感じることはあるまい。自分が何ら特別で無いと痛感した人間でさえ、心のどこかで実のところ自分だけは、死が避けて通ると思っているものだ。

 死体が見つかった、そんなことを笑顔で語れるのは詰まり、そういうことだ。普通の方々には他人の死なんて、ハリウッド映画と同じ話題の一つでしか無い。


 それに嫌悪を抱きつつ、自分の感性の正しさを確認しつつ。

 それを脇に置いて私は首を振った。


「それじゃあおかしいでしょ。人が消えて、死体が出てきたのなら、失踪でも何でも無いただの――ただの、殺人事件でしょ」

「ま、そうだよねぇ。でもでも、警察としてはそう言うしかないんだよ」

「訳知り顔じゃない、何があるの?」

「あるのあるの! あぁいや、?」


 話に乗ってきた観客に、天海は嬉しそうに残酷な事実を口にした。

 彼女の悪趣味などや顔にはイライラとしたが。だが確かに、その事実は奇妙で珍妙で、恐ろしくて悍ましくて。


 ――


「戻ってきた死体はね、全部全部。!」

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