水盃

あん

水盃

与謝野喜十郎よさのきじゅうろう三村家みむらけ侍大将さむらいだいしょうの子として生まれた。


白金城主三村義政しろがねじょうしゅみむらよしまさ嫡子ちゃくし義清よしきよ乳兄弟ちきょうだいとしてはべり、

幼少期より共に城下の野山を駆け回った。

義清よしきよには2つ下の妹がおり、名を貞姫さだひめと言った。


貞姫さだひめ喜十郎きじゅうろうには実の兄弟の様になついていて、

ある春の日には庭先の桜の樹の下に座り込んで

桜吹雪の中で儘事ままごとの相手をさせられていた。


喜十郎きじゅうろう殿どのささでございます。お飲のみくださいませ」

幼い手で小さなさかずき清水きよみずすくって満たし、

喜十郎きじゅうろう殿どのとは血はつなががっておりませぬが、これにて水盃みずさかずき

かわわしてちぎりをむすびましょう」

水盃みずさかづき義兄弟ぎきょうだいの契りを意味しており、貞姫さだひめにそう言われ

赤面せきめんしてそのさかづきを受けた喜十郎きじゅうろうであったが

その水には頭上から降ってきたものか、桜の花が浮いていて

飲み干すのを躊躇ためらわれたが、姫にうながされて一気に飲み干した。


「今日は姫様、気分が優れませぬか。沈んで見えます」

うつむき気味の姫が気になり、喜十郎きじゅうろうはそううた。

わたし明日あすとつぐ事になりました。お城でこうして一緒に遊ぶのも

これが最後、喜十郎きじゅうろう殿どのにはお世話になりました」



姫の言葉に一瞬絶句いっしゅんぜっくした喜十郎きじゅうろうあわてて平伏へいふくし、

「その・・。誠に・・・御目出度おめでと御座ございます」

ようやくそれだけをしぼり出した。

くてそのとき喜十郎きじゅうろうは初めて

自分がこの姫を好いている事をさとった。


翌日輿入よくじつこしいれする姫を見送る喜十郎きじゅうろうを見やった姫は何かをつぶやいて

輿こしに身をかくし、そのまま隣国りんごくへと旅立って行った。




それから5年の月日が流れていた。

姫がとついた隣国りんごく亀岡氏かめおかしの居城は堀川公方ほりかわくぼうの軍に攻め寄せられ、落城寸前らくじょうすんぜんであった。

援軍えんぐんに駆けつけた三村家みむらけ松谷与五郎まつやよごろうの手勢は城のはるか手前で

せ手の後詰ごづめたる後藤田軍ごとうだぐんはばまれ、近づくことができなかった。


初陣として援軍に加わっていた喜十郎きじゅうろうは、密かに城に入ろうと

後藤田軍ごとうだぐんの陣中に忍び込んでいたが、いよいよ城が落ちようと

していることを悟ると、喜十郎きじゅうろう後藤田ごとうだの陣中で火を起こし、

陣屋じんやを焼きながら本陣ほんじんに斬り込んだ。

幼い喜十郎きじゅうろうとはいえ、勝利を確信して油断していた後藤田ごとうだ側の手勢てぜい

死を覚悟した一人を討ち取るのに手間取てまどり、なかなか喜十郎きじゅうろう

おさえられなかった。


しかし、「ああ、お城が・・・」

そこで喜十郎きじゅうろうが見たものは紅蓮ぐれんの炎を巻き上げる

亀岡城の姿だった。彼を襲った一瞬の絶望、その時

突き出された槍が喜十郎きじゅうろうよろいぎ目をつらぬいた。



契りを交わした姫のためにと死兵となりて奮戦した喜十郎きじゅうろう

衆寡敵しゅうかてきせず、夜陰やいんまぎれて落ち延びた時には満身まんしんに傷を受けて

最早もはや再び立つこともかなわなくなっていた。


無念の気持ちに包まれ、血に染まった手で顔をおおって

泣く喜十郎きじゅうろう脳裏のうりに、あの日旅立つ姫の言葉が届いた。



来世らいせで」



「ああ、そうか・・・そういうことであったか」

あの盃は義兄弟ぎきょうだい水盃みずさかづきではなかったのだ。

あれは・・・あれは桜湯さくらゆであり、夫婦めおとさかづきであったか。

おさえきれずハラハラと涙を流した喜十郎きじゅうろう

死にゆく事にこの上ない喜びを総身そうみに満たし

そのまま息を引き取った。

享年十六きょうねんじゅうろくであったという。

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水盃 あん @josuian

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