彼女を運ぶよどこまでも。

真賀田デニム

彼女を運ぶよどこまでも。


「全然、応募ないっ」


 しのんが机を叩くと、キーボードが跳ねてマウスがひっくり返った。

 今週だけで二十七回聞いたその言葉に俺はさすがにうんざりしてくる。


「だから普通ないんだよ。対戦なんて諦めろ。俺達だけでやってればいいだろ。張り合いはないけどな」

「その張り合いが欲しいんじゃん。せっかく部活動としてやってんのに、対戦相手がいないのは寂しいよ」

「部活動じゃなくて同好会だろ。その同好会も疑わしいレベルだけどな」

「なんでみんなやらないんだろ、奥様運び」


 俺の存続危機の声を無視して、しのんが大きくため息を吐く。

 奥様運び。

 俺がそのスポーツの存在を知ったのは、一か月ほど前だ。学校の大掃除で不要となった机を何度も別室に運んでいたらその際、いきなり現れたしのんに言われたのだ。


「奥様運びってスポーツがあるんだけど、一緒にやろ。あなたにはその素質があるから」


 “やってみませんか?”ではなく“やろ”という半ば強制的な勧誘に、俺はなんでだろう、断るタイミングを失っていた。しのんはそれを肯定と受け取ったのか、背中に机を背負ったままの俺に奥様運びなるスポーツについて熱く語ったのだった。


 フィンランド発祥のスポーツ。

 男性が奥さん、あるいは奥さん以外の奥さん役の女性を担ぐ。

 奥さん(役)を担いだ状態で、いくつかの障害物を乗り越えながらゴールまでのスピートを競う。

 奥さん(役)は17歳以上、体重49kg以上でなければならない(うちの同好会はこのルールには縛られていない)。

 保険加入は各自で。

 などなど――。


 聞き終えた俺はその日のうちに奥様運び同好会の一員にされ、今に至る。

 ちなみに同好会員は俺としのんの二人。どちらも一年生ということもあり上も下もない。その関係性は気楽なもんだ。しかしなんだって毎日、身内でも彼女でもましてや幼馴染でもない女性を担いでいるのだろうかと自問自答はしている。まあ、答えらしきものはあるのだが。


海斗かいと、始めるよ」

 

 しのんが同好会用としてあてがわれている部屋から廊下へと出る。俺は「へいへい」と彼女に続き、廊下で準備運動を始める。しのんと言えば、手に持っているストップウォッチを確かめていて、俺と目が合うと「とりあえずおんぶスタイルでいいかな」と聞いてきた。


「ああ、安全第一にな」


 かがむと、しのんが背中に乗る。俺は彼女をおんぶしたまま立ち上がり廊下の先を見据える。ゴールまで約百メートルの間にカラーコーンがいくつか。それらを避けながら非常階段入口の扉の前の床に貼られたテープゴールを目指す。単純にして男に不条理なスポーツ。それが奥様運び。


「よーい、ドンっ」


 しのんのスタートの合図で俺は走る。出だしがきついが、速度が乗ってくると幾分楽になる。あとはコーンを避ける際の減速をどれだけ抑えられるかどうか――。ゴールを走り抜ける。さてタイムやいかに。


「はあはあ……どうだ? タイム」

「31.36秒。ダメね。前回より3秒も遅い」

「まじかぁ。けっこういい線いったと思ったんだけどな」

「思ってもいってないんじゃダメ。はい、もう一回」

「スタイル変えるか?」

「そうね、ファイヤーマンズキャリーでいきましょ」


 女性を担ぐやり方は特に決まっていない。それでもやり方はいくつかに限られ、消防夫搬送とも呼ばれるファイヤーマンズキャリースタイルもその一つだ。

 俺は対面したしのんの脇の下から頭を入れると、そのまま彼女を肩の上に担ぎ上げた。元々、人を担ぎ上げて運ぶための技術でもあるので走りやすい。それもあってかタイムは一回目より2秒弱縮まった。


「あとちょっとね。ファイヤーマンズキャリーで何度か挑戦すれば、なんとかなるかも」

「あるいはエストニアスタイルでいくか」

「そ、それは辞めとくわ。一回やって吐きそうになったし」

 

 エストニアスタイルとは、背中に逆さまにぶらさがった女性が足で男性の首を挟み、両腕をお腹に回してしがみつくというエキセントリックなスタイルだ。俺がこの方法で行くかといったのは、本家奥様運びの優勝者達の多くがこのエストニアスタイルを使用しているからである。

 実際、俺達の最高タイムもエストニアスタイルで出していた。


「そうは言っても、前回のタイムを上回らなくちゃいけないんだろ」

「そうよ」


 その“そうよ”はしのんではなく、別の人物が発したものだ。

 後ろを見向くと、顧問の神楽坂かぐらざか先生がいた。眼鏡と口元のほくろによって妖艶さが際立つ神楽坂先生は更に続ける。


「明日のタイム測定で前回のタイムを5秒以上縮めなければ同好会は解散。これは絶対よ」

「え? 5秒ですか。上回ればいいって言ったじゃないですかっ?」


 しのんが食って掛かる。


「本気で存続させる気があれば5秒くらいいけるでしょ。ところでいつも思うのだけど、なんで外でやらないのかしら?」


「えっと、それは……」


 口ごもるしのんが視線を逸らす。

 神楽坂先生は怪訝の表情の浮かべたのち、


「まあ、別にいいわ。とにかく明日、5秒以上タイムを縮めること。それができなければ解散よ」


 と、念を押したのだった。

 

 

 ~~~~



「絶対、他校と対戦するまで続けてやるんだからっ」


 帰宅の途につくなり、夕闇の空に叫ぶしのん。

 他校で奥様運びを正式種目としてやっていたら、そりゃ奇跡だなと思いつつも、俺は口にはしない。変わりに出たのは、やはり先ほどの神楽坂先生とのやり取りについてである。


「だったら5秒以上縮めないとな。そうなると現実問題、エストニアスタイルが一番だと思うんだが」

「う、それはそうだけど……ほかのスタイルじゃだめ?」

「別にいいけど、一発勝負だろ。確実な方法がいいと思うけどな」

「そうだよね、じゃないと同好会解散になっちゃうから……いつつ」


 ふと、右足首を押さえるしのん。聞くと同好会の活動中、俺の肩から降りる際に足首をひねっていたらしい。なんとなく歩き方がぎこちないと思っていたが、そういうことだったのか。しょうがねーなと俺は路上で腰をかがめる。


「ほらよ」

「え? 何?」

「何って背負ってやるっていってんだよ。いつものことだろ。ほら」

「でも……うん、ありがとう」


 やけにしおらしいしのんを担ぐと俺は歩き出す。

 いつものこととはいえ、状況が違う。気恥ずかしさを覚える俺は静寂を打ち破るように、彼女に話しかけた。

 

「そういえばさ、しのんってなんで奥様運びをやろうって思ったんだよ。今更だけど聞いてなかったなって」

「本当、今更ね」と前置きするしのんがその理由を話す。


「両親と昔フィンランドに旅行したんだけどね、そのときソンカヤルヴィって村に行ったの。奥様運びはその村が発祥なんだけど、丁度大会があって。本来はウェブサイトからエントリーしないといけないのだけど、両親が飛び込みで参加させてもらえることになったんだ。当然、飛び込みでしかも線の細い父親だからびりっけつ。何度も転んで二人してびしょびしょになって本当、おかしかった。でね、アジア人の参加者が珍しいみたいなのもあって、びりっけつなのに拍手喝采。優勝した人達より目立ってたかも。そんな両親を見て、あ、なんかいいなって思って」


 語り過ぎたと照れるしのんが、今度は俺にどうして担ぎ役を承諾してくれたのと聞いてくる。


「それも今更だな。まあ、しいて言えば、奥様運びなんていうバカな遊びに付きあうのも、高校生活のいい思い出になるかなってさ」

「なにそれ。バカな遊びって、奥様運びはれっきとしたスポーツなんだからねっ」

「へいへい、れっきとしたスポーツでございますよ。……さてと、家もうすぐだよな」

「うん、そうだけど」

「んじゃ、いっちょ走るか。奥様運びのごとく。――いくぜ」


 俺は全力で走る。夏の夜に彩られた風景の中を全力で。

 汗がにじむ体をひんやりとした夜風が撫でていく。


「ちょっと大丈夫っ? ずっと担いでいたのに疲れない?」

「いや、問題ない」


 初めてだった。しのんを担いで外を走るのは。

 そして知った。彼女を担いで走る外がこんなにも爽快で気持ちのいいものだったことに。


「なあ、しのん」

「なによ」

「明日、外で走ろうぜ。絶対に5秒縮めてやるからさ」


 しのんは答えない。そういえば外での活動を嫌がっていたが、その理由を俺は聞いてはいなかった。やがてしのんが耳元でつぶやく。


「絶対に縮めてくれる?」――と。


「ああ。あんな辛気臭い廊下より絶対外のほうがいいタイムが出る。任せろ」

「……じゃあ、分かった。外でもいいよ」

「おうっ。……でもいいのかよ? ずっと外での活動を渋っていただろ。あれはなんでなんだ?」


 それを聞くと、しのんは逡巡ののち教えてくれた。

 外での活動となると多くの運動部員に見られることになる。仮にエストニアスタイルを使用した場合、羞恥の念が溢れて活動どころではなくなってしまうのではないかと思って躊躇っていた、と。


「は、はっはははははっ」


 俺は豪快に笑う。


「な、なに笑ってんのよっ?」

「いや、しのんもなんだかんだ言って女の子なんだなって思ってさ」

「なんだかんだ言わなくても女の子っ。……でも、うん。私から誘った奥様運びをそんな理由で終わらせたくないし、他校の生徒とも競いたいし、こうなったらゲロまみれも公開処刑も辞さない覚悟でやるわ」


 しのんの家が見えてくる。俺はラストスパートをかけると相棒に言った。


「オリンピックはなくなっちまったけど、俺達の2020年夏は最高にしようぜっ」


 

 ~~~~



 静まり返った廊下にドアを開ける音だけが響く。

 奥様運び同好会用の蒸し暑い教室には、すでにしのんがいた。椅子に座ってパソコンと睨めっこしている後ろ姿。そのうち俺の方を向いて、いつものやつを口にするに違いない。俺は待ってやる。するとしのんがこちらを見向いた。

 とびっきりに弾けた笑顔をその顔に乗せて。

 

「対戦相手が見つかったのっ。私達のオリンピックが始まるわ」


 

 了。

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