第四話 結婚観

「さて、話を戻そうか」


 幻居は顎に手をやりながら、前の話の内容を思い出す。


「ええと、つまり無職の中年男性への絞り込みの理由は、抽出した調査対象が引きこもりに該当する確率を高める狙いがあったということだな?」


「はい、その通りです。今回の目的は引きこもりの生活実態を把握し、アドバイスを行うことですから。もちろん、母集団に含まれない引きこもり対象者がいることも承知していますし、イメージ操作などでは……」


「ああ、わかった、わかった。少なくとも君自身にそういう意図がないことは、ここまでの会話で察しがつく」


 幻居が厳しい指摘を返してこなかったことに維静は安堵し、ふうと息を吐いた。それが彼女の気持ちをほぐし、思いがけない疑問を頭に浮かばせるきっかけとなる。


「あのぉ……、ひとつ訊いてもいいですか?」


 珍しく彼女の方から話を切り出す。それが嬉しいのか、幻居はわずかに顔を綻ばせた。


「どうぞ」


「データによると、遠野さんは独身ですね。なぜ結婚なさらないのですか?」


 予想外な質問に、幻居は驚きの表情を浮かべる。だが、すぐに気を取り直したようにこう述べた。


「そんなことは言うまでもない。相手がいないからだ」


「うーん、そうは見えませんが」


 年は四十を過ぎてはいるが、女性から距離を置かれるような雰囲気は少しも感じ取れないと維静は思った。


「何を根拠にそんなことを……。こんな理屈っぽくて口うるさい男、相手がいなくて当然だろう」


「そんな風に卑下ひげすることないですよ。思慮深い人だと思います」


 その言葉に、幻居は少し戸惑ったような顔をする。


「まったく……。そういう自分はどうなんだ? 彼氏はいるのか?」


「そ、それは……」


「まさか人に訊いておきながら、自分の場合は個人情報などと言わんだろうな?」


「ま、まあ! あれは何かしら?」


 維静は目を泳がせながら立ち上がり、壁の方へとギクシャクと歩いていく。そこには備え付けの棚があり、その上に丸い金魚鉢が置かれていた。


「……どうやら君には、都合が悪くなると話を逸らす癖があるようだ」


「うわぁ、珍しい形ですねぇ! このホログラム水槽!」


「やれやれ……、まあいいさ」


「どこで買ったんですか、これ?」


「間違っているぞ」


「はい?」


「それはホログラムじゃない。本物だ」


「うそっ! ホントに?」


 維静は驚いて金魚鉢を覗き込む。


「どうだ? 疑似映像には真似できない味があるだろう? 視覚だけじゃない。音や匂い、五感全てで感じるものがあるはずだ。生き物や自然というのは本来そういうもの」


(なんだか不思議……。どうして金魚をかまいたくなるんだろう? ホログラムにはそんな気持ちは湧かなかったのに……)


 彼女はしばらく眺めた後で、ハッと気が付いたようにそそくさと席に戻った。幻居はそんな彼女を横目に、再び話を切り出す。


「やはり君は令和生まれじゃないように思えるな」


「もう、またですか。どうしてそうなるんです?」


 維静は不満そうに口を尖らせる。


「それはな、未婚であることに違和感を覚えているからだ」


「はあ?」


「いいか、今や国民の半数以上が未婚だ。つまり結婚していない方が一般的なんだよ。君の言った〝なぜ結婚しないのか〟は古い感覚であって、今は〝なぜ結婚したのか〟を問うべき時代なのさ」


「うぅ、でも、それを受け入れてしまうと少子化の問題が……」


 彼女の言葉に幻居は眉をピクリと動かした。


「似ているな」


「え、わたし? 誰に?」


「顔のことじゃない。さきほどの話と似た部分があると言ったんだ」


「えーと、意味がよくわかりませんが……」


「鈍いな。〝少子化〟と〝未婚〟の関係性が、〝無職の人間の増加〟と〝引きこもり〟のそれに似ているという意味だ」


「うーん……。それは、確かに……。でも、この場合は致し方ないかと」


「なぜだ? 結婚の目的は子供を産むことだけではない。それを望まない夫婦もいる。それに結婚しないと子供を授かれないわけでもない。〝少子化〟を〝未婚〟のせいにするのはお門違いじゃないのか?」


「その主張は間違ってないと思います。でも、わたしはそれでも、結婚と出産を同一視するイメージを世に浸透させてほしい。これは、女としての意見です」


「……ああ、そうか。つまり君は、妊娠させておきながら結婚から逃げるような男を増やしたくない、そう考えているのだな。そういう下衆な行いを容認しない真っ当な世の中であってほしいと。なるほど、それはそれで一理ある」


「まあ、そのせいで未婚者が少子化の原因であるかのように非難されてしまうのも心苦しいのですが……」


「本来は別の問題、それぞれがきちんと成り立てばいいのだが……、世の中にそれを求めても無理なのかもしれん。まあ、とにかく、君のおかげで違う視点に気付くことができた。いい勉強になったよ、ありがとう」


「いえ、そんな。へへ……」


 維静は照れくさそうに笑う。だが喜びも束の間、幻居は再び別の話題を振ろうとする。


「その見識の高さを見込んで、ひとつ意見を訊きたいのだが?」


(う、なんかうまく乗せられたような……、でも、そうはいかないわよ!)


「すみません、もうあまり時間がないので――」


「――調査の方は任せる。後で適当にやっておいてくれ」


(そ、そんなぁ……。そんなのあり?)


 維静はガックリと項垂うなだれた。


「若者と意見を交わす機会は滅多になくてね。まして君のような魅力溢れる女性とはな。だから限られた時間を有意義に使いたい」


(魅力溢れる? わたしが? あらやだ、そんな風に言われたの初めてかも)


 結局、彼の褒め殺しにまんまと乗せられる維静であった。

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