第二話 理屈っぽい男
「はじめまして。さ、どうぞ」
そう言って男は、空いているソファーを手で指し示す。
「はい、失礼します」
維静が座ると、彼も向かいの椅子に腰を下ろした。部屋の隅で首を振っている扇風機の風が、維静の髪を優しく撫でていく。
彼女は首から下げたIDカードを持ち上げ、男に向けた。
「改めまして、わたくしこういう者です」
彼女が提示する身分証を、彼は目を細めてじっと見る。
「昔は名刺を持ち歩いたものだが……。ペーパーレスもここまでくると、なんとも味気がないものだ」
昔の習慣を懐かしむような発言に、維静は予想通りだと思った。
(やっぱり古いタイプの人みたい。アンドロイド以外は古い物ばかりだし……)
「ええと、市民生活課の古田……、下の名前は何とお読みすれば?」
「
漢字の下にアルファベットが書いてあるのにと彼女は思った。だがすぐに、文字が小さくて読みにくいのだろうと思い直す。
「ほう、イセさんとは。古風な名だ」
「イセじゃなくて、イセイです」
「ああ、これは失礼」
男は謝りながら、にっこりとほほ笑む。彼がわざと聞き間違えた振りをしているような気がして、維静は一抹の不安を覚えた。
(もしかしたら、ちょっと変な人かも……)
だが事前に確認した情報では、特に注意すべき人物ではなかったはず。思い違いだろうと気を取り直し、彼女は鞄からタブレット端末を取り出す。手に取ると同時に指紋認証が完了し、デスクトップ画面が表示された。
「さて、確か生活調査だったかな?」
「あ、その前に本人確認よろしいですか?」
そう言って彼女はタブレットを差し出す。そこには人の手を縁取ったような線が表示されていた。
「こちらに手の平をお願いします」
男は素直に従い、手を乗せる。数秒後、ピロンという電子音が鳴った。指紋と静脈によるダブル認証が完了した合図。手を離すと、表示が彼の個人情報に切り替わった。
「はい、確かに
「それは無線を使っているのかね?」
唐突な質問だった。
「え? いえ。無線はダメなんです。通信は専用線しか使えない決まりなので」
「では、どうやって認証を?」
「あ、えと、このタブレットには今日の訪問予定者のデータが入っているからです。前もって職場でコピーしたもので……」
「手作業でか?」
「は? いえ、違います。対象者の選定からデータのコピーまで、全てAIが行います。車の行き先も、データの住所に従うので――」
「人為的なミスは発生しない、というわけだ」
「ええ、まあ……」
「そうか、安心したよ」
「それはよかったです。あはは……」
維静は作り笑顔を浮かべながら、内心ではますます嫌な予感を覚え始めていた。
(古い上に、かなり細かい人なのかも……。あー、面倒)
「余計なことをあれこれ訊いてすまないね。こういう性格なもので」
一瞬心を見透かされたような気がして、彼女はドキッとする。
「い、いいえ、とんでもない。えーと、では説明を……」
彼女は誤魔化すように、慌てて話題を変えた。
「今回の調査対象は、四十代から六十代までのお仕事をされていない男性で――」
「仕事? やってるよ」
「えっ?」
「株の取引きを少々。一応、収入もあるのだが……」
「あ、投資ですか。それだと正業とは見なされないかもしれません」
「なぜだ? 頭脳労働によって金銭を稼ぐことが仕事ではないと?」
「それは、ほら、投機的な目的でやる人もいますし……」
「ギャンブルだと言いたいのかね?」
「い、いえ、そこまでは……」
「今ではAIが行うようになったが、かつて投資会社でトレードを行っていた連中も無職だったわけか?」
「えーと、彼らの場合は会社組織の下で定められた給料を――」
「だが、規模は違えどやってることは同じだ。問題はその行為が労働と見なされるかどうか。同じことをしていながら、会社は仕事、個人はそうではないと言われても困る」
「う、で、でも、遠野さんのようにちゃんと頭を使って投資している人ばかりじゃないですよ? わたしの友達なんか、ほとんどプログラム任せだって言ってました」
「楽に稼いではいけないのか?」
「へ?」
「どうも君には〝仕事は多大な苦労を伴うもので、楽であってはいけない〟という思い込みがあるようだ。だが人間は、遥か昔から仕事や家事を楽にするための技術を研究・開発してきた。それは人類の歴史であり、文明そのもの。君の考え方は、そういう時代の流れに逆行するものだとは思わないのか? いまどき職人気質というか、まるで昭和のサラリーマンのような思想だ。本当に令和生まれなのかと疑ってしまうよ」
この指摘に維静はギクッとした。似たようなことを友達から言われたことがある。
「あ、あれぇ? わたし、年なんか言いました?」
都合が悪くなると強引に話題を変えるのが彼女の悪い癖であった。
「……まあいい、仕事の件は置いておこう。年齢のことだが、君が
「ああ、そりゃそうですよね。老けて見られなくて良かった。あはは」
場を和ませようと無理に笑う。だが彼女のそんな気遣いも、幻居には通じなかった。
「少しも老けてなど見えないさ。まるで中学二年生のようだ」
「あは、は……」
維静は笑顔を崩すまいとするが、口の端が引きつるのを止められそうもなかった。
(なんで中二? 中身が子供だって言いたいわけ?)
「どうだ?」
「は? 何がですか?」
「若く見られたはずなのに、あまり嬉しくはなかったんじゃないのかね?」
「え、えーと……」
「ようは言い方ひとつ。若く見られることが、必ずしも良いとは限らないということだ。〝落ち着き〟や〝頼りがい〟という意味では、実年齢よりも上に見られることだって悪いことじゃない」
(うー、もう何なの、この人! さっきから関係ない話ばかりじゃない!)
維静はこれ以上相手のペースに乗せられまいと、気を引き締め直す。
「コホン。話が逸れましたが、今回の調査は――」
「――表向きは何気ない生活調査。しかしその実態は、中高年の引きこもり調査」
「し、知ってたんですか?」
「いや、知らんよ。当てずっぽうだ」
(なっ、何よ、それぇ? 思わず白状しちゃったじゃない! ど、どうにかして取り繕わなくちゃ……)
「ええと、この社会問題は、近年ますます深刻化してまして……」
「社会問題ねぇ……。そういえばずいぶん前からだが、そういう者が罪を犯す度、執拗に非難し騒ぎ立てる傾向があったな。まるで対象全てが犯罪予備群であるかのようにね」
「へ、へえ。そうですか」
また話を逸れそうだと彼女は感じた。
「それについて、君はどう思う?」
(はあ、やっぱり……。いつになったら調査に入れるんだろう)
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