第4話

 娘さんは小箱から赤いフェルトの端切れを四枚、取り出しました。

 同じ赤でもそれぞれ少しずつ違っているのが、並べてみるとよくわかりました。


「さあ、蟻さん、どれにしましょう?

 どれでもお好きなのを選んでくださいな」


「娘さん、ちょっと、布の上に寝そべってみてもいいですか?

 おいら、オルガンのフェルトの上で、いつも昼寝をしていたもんですから」


「ええ、いいわよ。

 どうぞ気兼ねなくのんびりしてちょうだい」


「それではちょっと失礼して…」


 蟻は一枚の布の上にころんと寝転がりました。

 そうしてしばらくじっとしていましたが、やがてふらふら立ち上がって言いました。


「こりゃ、たまらん。

 頭がくらくらする。

 まるで、真夏のお日さまの下を歩いているみたいだ。

 なんだか気が遠くなってきた…」


「まあ、それは大変だわ」


 娘さんは慌てて冷たい水を汲んでくると、急いで蟻に飲ませました。


「…どう? 落ち着いた?」


「ええ、ありがとうございます。

 もう、大丈夫です」


「じゃあ、こちらはいかがかしら?」


 娘さんが二枚目のフェルトを広げたので、蟻は今度はその上に横になりました。

 が、すぐに跳ね起きました。


「いてっ!

 ひどいや。

 ちくちくして寝られたもんじゃない。

 そこら中、体中、鋭いとげで刺されてるみたいだ。

 赤い野ばらのやぶにでも、飛び込んだみたいだ」


「まあまあ、かわいそうに。

 それでは、これなんか、どう?」


 娘さんは三枚目のフェルトを示しました。

 蟻はまた、その上に寝そべりました。

 そして、何度も寝返りを打つと、言いました。


「なんだかそわそわして落ち着かないや。

 近くの山が、かんかんに燃え盛っているみたいだ。

 これじゃ、逃げたくなっちまうよ」


「困ったわねえ…」


 フェルトはもう、あと一枚しかありません。


 ですが、蟻はその最後のフェルトにころりと転がると、目を閉じてそのままじっとしていました。

 そして、じきにすうすうと寝息を立て始めました。

 娘さんはそれを見ると、ほっとして笑ってしまいました。


 蟻は笑い声に目を覚ましますと、きまり悪そうにもじもじして言いました。


「これにしますよ。

 まるで、天気のいい日の陽だまりみたいです。

 これなら、いい夢が見られること、間違いありません」


 それで、娘さんと蟻は四枚目のフェルトを持って、早速、学校へやって来ました。

 え? 蟻と一緒なんて、ずいぶん時間がかかったでしょう、ですって?


 いえいえ、蟻は娘さんの肩にちょんと乗って、


「そのキャベツ畑の角を右に曲がるんです」


 とか、


「このけやき並木をまっすぐに行って」


 なんて教えながら来たので、そんなに時間はかからなかったんですよ。

 それに、蟻は歩かずに済んで楽ちんでしたしね。



 娘さんはオルガンをちょっと弾いてみたかったのですが、小さい蟻のそばで大きな音を立ててはどんなに驚かせてしまうだろうと思って、止めにしました。

 そして、細い針とフェルトと同じように赤い細い糸を使って、器用に穴を塞いでくれました。

 とても丁寧に縫い付けたので、ちょっと見には繕ってあるなんてわかりません。

 誰が見ても気がつかないでしょう。

 もっとも、誰も来やしませんけれどね。

 なにしろ、この小学校が閉まってから、ここにやって来た人間は、この娘さんが初めてでしたから。


 蟻は出来栄えに大満足でした。

 その上、娘さんは、フェルトについていたほこりまできれいに取り払ってくれたので、ますます寝心地がよくなりました。



 蟻はたいそう喜んで、それからは雨の日も雪の日も小学校へやって来ては、フェルトの上で一休みしていくようになりました。

 もう二度と、甘いよだれをこぼさないよう、注意しながらね。


 お店のご亭主は、蟻の名誉を守るために、フェルトに穴の開いたわけを決して誰にもしゃべりませんでした。

 ですから、そのことは娘さんも知りません。

 それに、誰かが学校へやって来て、ちょっとオルガンを弾いてみようとか、フェルトのずれているのを直そうかとか思っても、フェルトに穴が開いているかどうか注意して調べてみる人なんて、きっとひとりもいないでしょうからね。





                                                                       (了)

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フェルトの秘密 紫堂文緒(旧・中村文音) @fumine-nakamura

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