第3話
「そりゃあ人間は、蟻の何倍も大きいからねえ。
自然と使う布地も大きくなりますよ」
ご亭主は笑って言いました。
「おいらの欲しいのは、ほんのちょびっとの赤い布地なんですが。
おいらのよだれの跡だから」
「え? よだれ? なんでまた?」
蟻はしまったと思いました。
けれど一度口にしてしまったことは、もうどうしようもありません。
恥ずかしかったけれど、仕方がないので、覚悟を決めてわけを話しました。
誰にも内緒にしてくださいね、と何度も念を押して。
ご亭主は少しも笑いませんでした。
それどころかかえって、穴に気がついたことや、それをそのままにしなかったことをほめてくれたので、蟻はなんだかくすぐったい思いをしたほどです。
そしてご亭主は熱心に相談に乗ってくれました。
「ふむふむ、オルガンの上の布か。
鍵盤の上に引く赤い布のことだね。
…となると、フェルトだろうな。
…困ったな、うちは裏地の店だからねえ…。
フェルトは置いていないんだよ」
蟻はそれを聞いてがっかりしました。
ここ以外に布地を売る店を知らなかったからです。
もちろん、そういう店はほかにもたくさんあるでしょうから、このご亭主なら、訊けばきっと親切に教えてくれるでしょうが、それがもし遠くにある店だったら、自分の足で行くのに果たして何日かかるでしょうか。
ですが、しょんぼりしていると、ご亭主が言いました。
「そうだ、ちょっと待てよ。
フェルトなら、もしかして…」
裏地屋さんは、奥でおかみさんの縫い物を手伝っていた娘さんを呼んで尋ねました。
「ええ、あるわ。
わたし、フェルトを使って、かわいい小物を作るの、大好きですもの」
娘さんはほがらかに答えました。
そして、小さい箱をいくつか持ってきて、開いて見せてくれました。
そこには使いさしの柔らかそうなフェルトの端切れが、花畑のようにさまざまな色を見せて並んでいたのです。
蟻はそれを見るとすっかり安心しました。
「わあ、こんなにたくさん。
これなら、あのオルガンのフェルトと同じものが見つかりますよねえ」
蟻は嬉しくなって言いました。
「で、お代はいかがいたしましょう?」
「あら、いいのよ」
娘さんは気軽に答えました。
「どうせ、手芸に使った残りの端切れですもの。
使い道があったら、それだけで十分よ。
だってわたし、このままにしておくの、とても忍びなかったんですもの」
「いえいえ、そういうわけにはまいりません。
おかげでおいらは助かるんですからね。
それに、蟻というものは、たいそう働き者で律義者なんですよ。
…そうだ、おじょうさん、甘いものはお好きですか?」
「ええ、大好きよ。
自分でも、よく作るのよ」
「それなら、おいらの集めたお菓子と交換するのはいかがでしょう?
和菓子なら、おまんじゅうやようかん、大福もち、洋菓子ならカステラ、クッキー、チョコレート、なんでもそろいますよ」
「まあ、すてき。うれしいわ。
それならそうしていただこうかしら。
…そうと決まったら、早速、色を選びましょうか」
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