ゴブリン

ジャスコハンマー

6,060文字

 兵士の姿をした男がひとり、魔物の村を訪ねた。この世界の辺境にある、小さな村だ。


「この村に我々と一緒に戦える者はいませんか」


 男は繰り返し村人に説いて回った。村人といっても、寂れた集落に暮らす下級の魔物たちだ。人間の言葉を解す者自体少ない。たいていは無視されるか、あからさまな不快感を示されるかだった。それもそのはずで、こうして魔物が貧し生活をしている原因は過去の大戦で人間が魔物側に勝ったからだ。敗北した魔物は世界の片隅に追いやられた。


 ではなぜ男はいま、そんな魔物に、協力を乞うのだろう。その理由もまた人間にある。


 世界に跋扈していた魔物を征服した人間は、次に人間同士で争いを始めた。その戦いで勝利を収めた国家が覇権を握り、人々に圧政を敷いていた。魔物に次いで、人間まで排斥され始めた。


 王権に反対する人たちは反乱軍を組織して戦ったが、強力な王国軍にことごとく鎮圧された。その戦力と手法を目の当たりにした多くの人々はは逆らうことをやめ、王権の専制を受容した。結果、悪辣な政治が横行した。


 そんな中でこの兵士姿の男のように、稀に反戦を諦めない者もいた。だが手を貸す者もまた数少なくなっていた。そもそも反旗を翻したとして、すぐに王国軍に捕まるか殺されるのだから。


 男が朝から晩まで村に居座り、すべての魔物に声をかけ終わるころ、一匹のゴブリンがどこからともなく現れ、男に話しかけた。


「王国軍と戦うやつを探してるんだって?」


 男が振り向くと、ボロボロの衣服を身にまとったゴブリンが立っていた。灯りの乏しい闇夜で魔物に背後を許したことに加え、そのゴブリンの話し方があまりに自然だったので一瞬面食らったものの、すぐ意気を取り戻したように答えた。


「ああ、力を貸してくれるのか?」


「そんなやつ、いないよ。いい加減諦めたらどうだ」


 鼻で笑って言葉を返すゴブリンに、男は食い下がる。


「そうもいってられないぞ。王国軍は、じきにこの辺まで攻めてくる。大規模な貿易拠点を建設する気だ。この村は邪魔になるはず。戦わないなら、逃げたほうがいいかもしれないぞ」


「証拠は?」


「証拠といわれても、そういう情報を仕入れたとしか……」


「こちとら散々人間に煮え湯を飲まされてきてるんでね。突然村に来たアンタのいうことを信じろというほうが無理な話さ。というか、この村の魔物に血の気が多いやつがいなくてよかったな。いたらとっくにやられてるぜ、アンタ。……わかったらさっさと他を当たってくれよ。目障りだからさ」


 男は何か言い返そうとする素振りを見せたが、歯を食いしばって踵を返した。


「ここもダメか……」


 そういって力なく村を出ていく男の背中を、ゴブリンは横目で見送った。


―――


 かつて人間を恐怖に陥れた有力な魔物は姿を消していた。彼らが本当に人間に駆逐されたのか、または隠然と力を蓄えているのかは誰も知る由はなかったが、少なくとも世界から魔物の脅威は去った、それが人々の共通認識だった。


 男は村を出て、また人里離れた土地に点々と残存する魔物の住処を渡り歩いていた。日に焼けた世界地図の×印が増えていった。協力者は一人も現れなかった。ほとんど人間ですら諦めているのだから、当然といえば当然なのだが。


 あらかじめ調べていた魔物の住処は、もう3か所と残っていなかった。

 いま男は、海沿いの亜人街でスカウトを続けていた。亜人街は人間と魔物が共存する街で、混血種も住んでいる。彼らは純粋な魔物よりは男の話に耳を傾けたものの、それは社交辞令としてであって、やはり誰も男に協力しようとはしなかった。亜人街の住人は争いを好まない。だからこそ街が成り立っているともいえるのだ。


 亜人街の一角にある安宿のバーで男が飲んでいると、人のよさそうな人間のマスターに話しかけられた。


「あなた、反乱軍なんですって? よくここまで無事に来られましたね」


「しぶといのだけが取り柄です。こうして協力者を募っているのも……。でも、そろそろ潮時のような気もします。考えてみれば、変に国に逆らうよりは、いまをできる範囲で楽しむ方がいいのかもしれない」


「どうでしょうね。確かに王政のやり方を正しいと思う人はいないでしょうけれどね。――そうそう、先日もある魔物の村に王国軍が攻め入ったらしいですよ」


 マスターのいう村とは、以前男がスカウトに訪れた寂れた村だった。


「その村はどうなりました?」


「さあ、詳しいことは……あの王国軍相手ですから、無事では済まないでしょう。ともするとここも危ないんですかね。わたしももう少し腕が立てば、あなたに協力したかもしれません。ただ争いごとは、からっきしで。何せ魔族と人間の戦争が終結してから、戦ってきたのは職業軍人だけでしょうから」


「そう、そもそも戦う意志以前に、少しでも戦える人自体いないんです」


 ちょっと目を離すと、マスターがどこかに消えていた。


 それから数分、マスターが戻ってから、男は酒を飲み干して立ち上がった。お代を支払ってバーを出ると、先日のゴブリンが目の前に立っていた。相変わらず、ズタズタの布の服を着ている。


「アンタの言う通りだったよ」


 ゴブリンの話によれば、男が村から去って3日後、王国軍の視察団がやってきた。視察団は言葉の解釈もままならない魔物の住人に立ち退きを命じた。村を去る者、わけのわからぬまま残る者は半々だったが、そのまた3日後に武装した王国軍が現れ、逆らう魔物を攻撃した。ゴブリンは亜人街まで逃げてきて、いまは男と同じ安宿に泊まっているという。男はゴブリンに宿賃があるのか一瞬疑問に思ったが、口にはしなかった。


 ゴブリンは男に言った。


「どうやって王国を倒すつもりだ? どうせやるなら、こんなでも仲間がいた方が良いだろう」


 ゴブリンは落ち着いていたが、男はその心中を察した。協力者が現れた喜びより、そのゴブリンの静かな怒りに怯みかけたほどだ。


「わかった、ちゃんと話そう」


 男たちは場所を宿屋の個室に移した。


 男の話によれば、現在の王権を絶対的なものにならしめているのは、将軍マージェスと宝具『暁の杖』だという。マージェスは屈強な王国軍でもけた外れの戦闘力を持ち、いまや魔物でも太刀打ちできる者はない。そこで狙うのが宝杖だ。


 暁の杖はもと高位の魔族の所有物で、物質を変化させる等の不思議な力を持っているという。この杖が現在の王権の権威の源泉ともされており、これを奪えれば勢力を削げることは必至だ。杖はある城の宝物庫にあり、当然警備は厚いのだが、反乱軍に内通者がおり、上手くいけば杖を持ち去れる手はずなのだという。


 ゴブリンは黙って男の話を聞いていたが、その目には落胆の色が浮かんでいた。


「なんだ。王国軍を一網打尽にするとかじゃないのか」


 男もまた伏し目がちに答える。


「それができたら苦労しない。我々にはこれで精いっぱいなんだ」


「そのなんとかって将軍はそんなに強いのか?」


「強い。かつて魔物と戦った勇者一行と互角だったという噂だ。そんなのに敵うヤツなんていないよ。戦っても勝てやしない。生き残った戦士たちもみな、王国に処刑されてしまった。だから私は、せめて自分にできることをしようと思うだけだ」


「ふーん。確かに、アンタあんまし強そうじゃないな。この状況で王国に歯向かう根性だけはあるみたいだけど」


 田舎のゴブリンに言われたくないと思いながらも、男は反論できずに黙っていた。彼は元王国兵だが、正規兵の出ではない。軍属ではあったが、従事していたのは王国軍の調達部門で、ちょっとした財産管理も任されていた。だから下級兵士なのに、宝杖の存在を知っていたのだ。


 ゴブリンが尋ねる。


「どうやって潜入するんだ?」


「これから行くノルスという街で仲間と合流するから、そこで打合せしよう」


「俺の報酬はどうなる?」


「さあ、宝物庫の財産をいくつか持って逃げればいいじゃないか」


 男の回答が投げやりだったので、ゴブリンはフフッと笑った。小柄なわりに大きな鼻が少し膨らんだ。


「アンタそんなんで本当に大丈夫か?」


「我々の目的は王国を少しでも弱体化させることで、金品ではない。それと、私の名前はアンタではない。カピタだ」


「カ……え? そうか。俺は――ただのゴブリンだ」


「聴き取れてなかっただろう。カピタだ、よろしく」


―――


 亜人街の北にあるノルスは寒冷地にある街でこちらも亜人は珍しくないが、王国に近いだけ人間が多い。カピタとゴブリンは街のはずれにある地下道を歩いていた。壁のスキマから漏れ出す水も凍るほどで、カピタは息を白くして小刻みに震えている。ゴブリンは知らんぷりで平然としていた。


 地下道の先に拓けた空間があった。大戦時に臨時の宿屋として使用されていた場所だ。彼らより前に10人ほどの集団がたむろしていた。中心には火がくべられ、通路よりずっと暖かい。


 カピタとゴブリンに視線が集まる。歩み出た女が透き通った声で話し出した。


「カピタ。お疲れ様――といいたいところだけど、そのゴブリンちゃんだけ?」


 カピタは複雑な面持ちで応える。


「そうだ。彼だけだ……協力してくれるのは……」


「あんなに方々飛びまわった結果それなの? しっかりしてよね」


 女を囲んでいるのは全員人間の男で、屈強そうなのからインテリ系まで様々だ。


「こんなことはいいたくないが」とカピタが小声でゴブリンに告げる。


「あの女はアルト・サキュバスとかいう魔物との混血で、人間の男を誘惑する力があるらしい。ゴブリンは魔物でよかったな。魔物相手じゃ魅惑の効果も薄れるそうだ」


 女はゴブリンを見下ろし、微笑みを浮かべて言った。


「わたしはメルよ、よろしくねゴブリンちゃん」


 ゴブリンはしばし女を見入っていたが、我に返ったようにカピタのほうへ向き直った。


「で、どうやって城に潜入するんだい?」


 メルとカピタの計画では、まずメルが給仕係、カピタが清掃業者に紛れて城に入り込む。メルが城の男を順次食い止めている間にカピタが宝物庫まで行って宝杖を奪取。城付近でメルの連れてきた男たちが騒ぎを起こした隙に逃げ出すという寸法だ。予定ではカピタと一緒に清掃員になる者はもっと多いはずだったが、今回はゴブリン一匹ということになる。


 王国の城は魔物との共存を無理にアピールする慣例なのか、一部の出入り業者に亜人や魔物等の制限は設けていなかった。とりわけ清掃業はその典型で、むしろ魔物の採用が優先されていた。採用の手続きは城内部にいる内通者が行うのだが、魔物であれば100%ねじ込めるという。


 この内通者から得た情報をもとに、作戦の一番の障害となる将軍マージェスが不在の時間帯を狙って潜入することになっていた。


―――


 決行日の朝、清掃業者のユニフォームに着替えたカピタとゴブリンが、裏口から城に入った。廊下でメイド姿のメルとすれ違う。


「あの人をよろしくね」とメルがゴブリンに耳打ちした。


 ゴブリンは何も答えず、カピタの後をスタスタ付いていった。


「なあカピタ、なんであの女はお前を操らないんだ。10人魅了できる力があるなら、カピタも普通に操ったほうが早いだろうに。あの女にとっちゃ、その方がリスクもないはずだろう」


「メルは昔からの仲間だからな」


 カピタはぞんざいに振る舞ったが、その実、大一番を前にして余計な疑念を振り払うようだった。


 清掃業者が自由にうろつけるのは城の2階までだ。しかし宝物庫は3階の連絡通路を渡った先にある。


 メルが注意を引いた兵士の背後をすり抜け、2人は3階に上がり、連絡通路の手前にあるマージェス将軍の執務室の前に差し掛かった。誰もいないはずの執務室から、大柄な男が出てくる。


 カピタが凍り付くように立ち止まった。


「マージェス……なんで……」


 マージェス将軍は2人を見下ろして言う。


「フン、どこの鼠かと思えば、前にここで働いていた男か。そういえばいたな、こんなヤツ」


 ゴブリンは静かに言った。


「頼りの内通者は、あちらにも繋がっていたらしいな。……どうする?」


「どうするもこうするも……」


 カピタは覚悟を決めて言った。


「そこの角を曲がってまっすぐ行けば宝物庫だ。ゴブリン、君だけでもそこへ行け。杖は見ればすぐにわかる。それらしい杖を持って窓からでも何とかして逃げるんだ。大丈夫、時間稼ぎする力くらいなら、私にもある」


 ゴブリンはカピタにその力がないことを悟っていたが、


「死なずに粘れよ」と言い残し、通路へ走り出した。


 マージェスはゴブリンには目もくれず、落ち着いてカピタを見据える。


「残念だったな、あそこの窓は塞いだ。ゴブリン程度の力じゃ壁も壊せない。飛び降りれば助からない。じきに戻ってくるだろう……その前に、お前の始末だ」


―――


 廊下の端に投げ出されたカピタを、マージェスが片手で乱暴に持ち上げた。ぐったりした身体から血がしたたり落ちる。


「おい誰かいないか!」


 マージェスが呼んだ方向の真逆からひたひたと足音がした。連絡通路の方だ。


 マージェスが振り向くとサイズの合わない清掃着を着た男がいた。右手には剣、左手には暁の杖。


「やっぱやられたか。根性だけだな、カピタは」


 男は不敵に微笑んで杖を振りかざした。マージェスは自分の身体が魔物に戻っているのに気づいた。身体を落とされたカピタは朦朧とする意識のなか、その光景を見遣った。


 男はガーゴイルの姿をしたマージェスを見て言った。


「ああー、どこの魔物かと思ったら、いたなこんなヤツ」


 ようやく事態を呑み込んだマージェスが口を開く。


「お前、まさか、ゆ――」


 マージェスが言い終えぬうちに、男が稲妻のように剣を振りぬいた。マージェスの胴体が真っ二つに割れた。


 男がカピタに手をかざすと、カピタの傷が回復した。カピタを起こしながら、男が言う。


「と、いうわけだ」


「ええと、あのゴブリン……?」


 困惑するカピタに男が説明する。


「間抜けなことに、そこのガーゴイルのお仲間にこの杖で姿を変えられてしまってね。ま、おかげで人間様にはホトホト失望したし、ゴブリンのままでもよかったんだが」


 男は制服の裾を引っ張りながら、


「見ろよ。ゴブリンサイズだから全然合ってねえ」


 2人が2階まで下りると、兵士が1人駆け寄ってきた。


「どうしたんだその傷……? おっと、そんな場合じゃない。1階の食堂で家事だ、業者のかたは全員外へ退避しなさい」


 2人は肩を組んで正門から城外に出た。集まった野次馬のなかに、ひときわ不安気な表情を浮かべたメルがいた。


 人間の姿に戻った男はカピタの肩に手をのせて、


「いいこと教えてやるよ。アルトサキュバスは本当に恋をした相手は魅了できないんだ。あの娘はカピタを操らなかったんじゃない、操れないんだ」


 ニヤリと笑う男に、カピタが目をパチクリさせる。


「まさか……男なんて選び放題のはずなのに」


 カピタを見つけたメルが走り寄り、身体を預ける。


「心配したよ、上手くいったの?」


「ああ、なんとかね。杖は――」


 そう言いかけてカピタは振り返ったが、男の姿はなかった。


 男はちんちくりんの清掃着のまま、杖を片手に野次馬をすり抜け、街から去っていった。

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ゴブリン ジャスコハンマー @miso-osa

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